天使さま、形から入る
昔々、俺は地球の外――つまり宇宙は、静かで寂しい場所なんだと思っていた。
宇宙人がいるか、いないかとか、そういう話じゃない。
ただどこまで無限に広がる暗闇と、その中にぽつぽつ星が浮かぶような景色。そんなものを頭の中に思い浮かべていたんだ。
ところがどうだろう。
この宇宙には数多の生命が息づいていたし……。
今、俺が暮らしている小型宇宙船「ロゼリア号」の周囲も、距離こそ離れているものの、地球から打ち上げられた人工衛星たちがひしめき合い、賑やかだ。その光景はかつて想像していたものからは程遠い。
今日も地球の衛星軌道は混み混みだった。
まぁ、渋滞ってほどじゃないけど。
時は2031年。
地球人たちは史上7度目となる有人の月面着陸を成功させ、民間企業による人工衛星の開発も活発となれば、さもありなん。
前世、何気なく見ていたお天気番組やGPSのデータが、この場所から送られてたんだなぁと思えば、感慨深いようなそうでもないような……。
「うーん」
気がつけば思考が逸れていた。
俺は窓から視線を外して、真剣な目つきで半紙を睨む。
半紙。そう、習字の時に使うアレだ。
「……詰まりました」
ロゼリア号の食堂で、机に硯と筆、半紙を広げること小一時間。
書いては丸め、捨てるを繰り返した結果、傍に紙屑の山が積み上がっていた。
資源の無駄このうえないが、どうせ実家に眠っていたものなので、勿体ないって感じはしない。なんせ前世で俺が小中学生の頃使ってた習字セットを、物置から引っ張り出してきただけだからな。母さんもよく捨てずにいたと思う。
さておき、何で急に筆をとったのかというと。
「意外と難しいものですね、目標を考えるというのは」
ありがちだが、ここらでひとつ気合いを入れ直そうと思ったのだ。
俺が地球にダンジョンを創ってから、そろそろ一年半の月日が経とうとしている。
暦で言うと今は9月の半ば。年始は新型の感染症・ヒルタ熱の流行で、管理業務も大わらわだったことが何だか既に懐かしい。
日々はゆったりと過ぎ去り、ほっと一息。
だが、ふっと天啓が舞い降りた。
――もう『ゲームクリア』した気でいるのか? と。
確かに第一目標は達成したかもしれない。
ダンジョンを使った開拓事業はある程度軌道に乗ったし、故郷に戻って、前世の心残りも消化できた。けれどそこが『終わり』なのかと言われると、そうじゃない。むしろ長い二度目の人生が、ようやく始まったんだとさえ言える。
何だか気が抜けて、全国制覇を目指す戦略シミュレーションゲームでたとえると、著名な敵対勢力を蹴散らして、もう後は消化試合くらいの気持ちでいたけど、とんでもない。実際はまだ一つ目の砦を取ったに過ぎない状況だった。
そこで兜の緒を締め直すべく、何か目標が欲しいなと考えたんだが。
「一日一善……いや、子どもじゃないんですから。切磋琢磨? ううん、ありきたりすぎて。世界平和――夏休みの宿題ですね、それじゃ。はぁ……」
案外、良いのが思いつかなくて困っていた。
こういう時、ぱっと閃ける人が羨ましい。
『レグ様、お茶が入りました。少し休まれてはいかがでしょう』
口をへの字にして悩んでいると、背中側から声をかけられた。
可愛らしい、前世の感覚で言えばアニメ声のそれ。
俺は筆を置くと、ゆっくり後ろを振り返る。
「っと。ありがとうございます、フクレ。もうそんな時間ですか」
見ると、そこに半透明で薄緑色のクラゲが浮かんでいた。
水もない場所でぷかぷかと自在に泳ぐ彼、あるいは彼女は妖精種のフクレだ。未開惑星の開拓事業――地球の文明レベルを1に上げるという俺の仕事を手伝うため、母星からついて来てくれた、頼りになる相棒である。
幾つもの触腕で支えられたお盆の上には、俺専用の湯飲みが載っていて、ほこほこと湯気が立っていた。
本日も『フクレタイマー』は正確なり、だな。
フクレはいつも俺が根を詰めて作業をしていると、こうしてさり気なく現れては飲み物を用意してくれるのだ。そのタイミングが大抵俺の集中力が切れてくる頃合いなので、心の中でこっそりお知らせ代わりにしていた。
『今日は一体、何をされていたんデスか?』
湯飲みを机の上に置きつつ、フクレがそう聞いてくる。
お盆を抱えて、こてん、と頭を傾ける様子はいつ見ても愛嬌満点だ。
「ずずっ……。一言でいえば抱負を考えていました」
『フムム。現状に満足せず、常に上を目指し続けるその志、さすがはレグ様です! ワタクシ、感服いたしました!』
「いえ、別に向上心があってのことでは――や、まぁいいですか」
この愛くるしいシルキーが、何かにつけて俺を持ち上げようとするのはいつものことだ。お尻を軸に椅子の上で回転して、体ごとフクレに向き合う。
一息に、くるっとな。
「現在、ダンジョンの存在は地球において広く受け入れられ、積極的に活用されだしたと言っても良いでしょう。ただ、依然として問題点がないわけじゃありません。可能なら、ダンジョンを取り上げた国にも今一度チャンスをあげたいですし……何よりもっと敷居を下げられないだろうかと考えているんです」
まだ開拓事業を初めて初期の頃。
俺はダンジョンを特定の人物、あるいは派閥や勢力が独占し、己がためにだけ利用しようとする流れに「No」を突きつけるため、ちょっとした見せしめを行った。その結果、いわゆる空白地帯が出来てしまった。
ダンジョンがある国と、無い国が存在することになってしまったのだ。
今、その空白地帯にダンジョンを再設置したところで、どうせ二の舞だろう。しかし、特定の人たちだけがダンジョンに挑戦出来ない現状は健全じゃない。いつか何とかしなきゃいけない問題だ。
ただ、喫緊の課題としては。
「ダンジョン探索のメインストリームは、やはり何と言ってもモンスターとの戦闘です。そうなると、切った張ったが苦手な人からすれば、どうしても尻込みしてしまう」
『デスが、それを緩和するためにレベルやリスポーンシステムがあるのでは?』
「もちろん。ただ、何事にも限度があるという話です」
いくらダンジョンの中をゲームっぽく仕立ててみたところで、結局、キャラクターを操作するのとはワケが違う。戦って、傷つくのは自分自身だ。
「もっと採取や生産活動の存在をアピールすればいいのか。あるいは、キッズスポーツのような、安心安全を売りにしたカジュアルなダンジョンを練習用として実装すべきか。はたまた、はたまた……」
悩みは尽きない。
俺はもう一度机に向き合うと、筆をとり、やけくそ気味に大きく「?」を書いた。
「だから当座の大目標とでもいいますか、指針を決めようかなぁと」
『それで書き物を。なるほど。……しかし、ひとつ気になることがあるのデスが』
「はい? なんでしょう」
ふよふよとフクレが近づいてきて、じっと紙屑の山を見つめる。
フクレに目と思しき部位はないんだが、何となくどこを向いてるかはわかるんだ。
『長期的なスケジュールを勘案するのであれば、別に紙でなくとも良いのでは?』
フクレに限って、俺を責める意思があるわけもないが、間接的に紙の無駄だと言われたような気がした。まぁ間違っちゃいない。
ただ、行き当たりばったりな俺だけど、これにはちゃんとした理由があるのだ。
「ちっちっち。わかっていませんね、フクレ」
頬杖をつき、人差し指を振る。
「世の中には、形にすることで定まる想いもあるんですよ」
人、それを形から入ると言う。
たとえば受験生の身空からすれば、「絶対合格」とか「赤点回避」とか、そんなの書かなくたってわかりきった目標だ。でも部屋に掲げておくと、慣れない内は目に入る度、気合が入ったりする。
今日から運動しようと思って、いきなり高いランニングシューズを買うのは非効率かもしれない。どうせすぐ飽きてしまうかもしれないんだから。ただ、買ってしまったからにはやらないとって心理が働くし、動機付けにもなる。
昔から俺は、どちらかといえば形から入るタイプだった。
特定のゲームがやりたいからゲーム機を買うんじゃなくて、ゲーム機を買ってからやりたいゲームを考える、みたいな。
……いや、このたとえはちょっと違うか?
「確かにデータの方がスマートですし、資源の無駄にもなりません。けれどあえて書にし、残すことで、覚悟が決まるといいますか……」
少し、言語化に苦労して口を噤む。
ハーヴェンに転生してからの俺は、ただの男子高校生だった頃と比べて、ちょこっと口が達者になったような気がする。地頭の違いだろうか。
「――言うなれば、そう。自分の心を外に置くことが出来るんです」
果たして、俺の答えを聞いたフクレは初め、じっと黙っていた。
ちょっと格好つけすぎたかな、と心配したのも束の間、そのもちもちボディがぷるぷると震え始めたのを確認して、杞憂だったと悟る。
『まさか、そのような意図があったとは……! この身の浅慮を恥じて、今すぐにでも消えて無くなりたい気分デス……!』
「ううん。フクレに消えられると、私が困るので、ほどほどにしてくださいね」
『……寛大な御心、返す言葉もございません』
いつものよいしょを素気無く流しつつ、心配になる。
本当にこの相棒は、俺が白と言えば全部白になるし、黒と言えば疑いもなく黒だと思う。判断基準の中心が俺――というかハーヴェンに寄り過ぎていて、この先暮らしていけるんだろうか。
まぁ、ある日反抗期みたいなものが来て、「レグ様なんて嫌いです!」と言われたら、たぶんショックで一年くらい寝込むと思うが……。
何となく、天地が崩れてもそんな日は来ない気がする。
「そうだ。せっかくだからフクレも何か書いてみません?」
『へ。ワ、ワタクシがですか!?』
お尻をずらして、半紙の前を開けてやる。それから手に取りやすいよう筆の柄を向けると、フクレは素っ頓狂な声をあげた。
『レグ様、あまりお戯れは』
「いいじゃないですか。あなたが一体どんな字を書くのか、私、興味があります」
『ウ、ウゥ……』
フクレは基本、俺の命令に従ってばかりで、自主的に何かをしたとしても、それはいつだって俺のためだ。たまには創造性を働かせて、好きに想いを吐き出したって良いだろう。何より、俺が見てみたい。
目を輝かせる俺とは対照的に、恐る恐る、触腕で筆を握るフクレ。
さて、記念すべき一文字目は――
『レグ様』
ぴたり。一瞬、フクレが動きを止めた。
それから半紙ではなく、まるで天井でも見つめるように頭を上げる。
「……?」
直前までの浮ついた雰囲気が嘘のように、淡々と。
『アラートです。ロゼリア号が信号を検知しました』
「……!」
ダンジョンのみならず、この船の保守点検を任せているフクレは、常にロゼリア号のシステムと繋がっている。だから、俺には聞こえない通知が聞こえたんだろう。それはいい。問題なのは「どうやって」じゃなく「何故」の部分だ。
ここ一年半、一度も起きなかった事態に息を呑む。
「フクレにだけ……ということは、あくまでも通知レベルですか。詳細は?」
『ハイ。確認したところ、どうやら救難信号を受信したようデス』
「救難信号……?」
こんな、未開惑星しかない辺境の地で?
何かの間違いじゃないのか。
「所属は」
『ただちにコードを照会します。……出ました。船の持ち主は銀河連邦。それも調査船団デスね。登録時から変わっていないのであれば、乗組員は――』
少しずつ、謎のベールが持ち上げられていく。
一気にその奥を覗いてしまいたい衝動を抑えながら、じっと続きを待った。
『ビーニーヴ銀河所属、小鬼種族の一党デス』
ゴブリン。そのワードを聞いた瞬間、俺の頭に浮かんだのは、ゼル爺と旅をした中で出会った『本物』ではなく、ダンジョンだった。ダンジョンで腰蓑一丁、逞しく生きるモンスターたち。
職業柄仕方ないのかもしれないが、慌ててそんな幻影をかき消す。
どうやら俺がじたばたと動く前に。
イベントの方から先に、俺へ向かって跳び込んで来たらしい。




