87.クッキー&モンスターズ
眼鏡の曇りがスーッと引いて、エミリアは周囲を見回した。
「あ、あれ!? クリスさんにプリシラさんにフランベルさん……それにマーガレット先生もいらしたんですか?」
ここに来るまでに普通気付くだろ。
いったいどうしたんだエミリアは。
フランベルが子犬っぽく、鼻をスンスンさせた。
「わあ、良い匂い! エミリア先生! ぼくもクッキー食べたいよ!」
プリシラもうんうん頷いた。
「超美味しそうに焼けてるじゃん!」
クリスが少し困り顔だ。
「ふ、二人とも。先生はレオに試食をお願いしたのよ?」
まあ、エミリアのことだから可愛い生徒たちの要望に応えようとするだろうな。
「俺もそろそろ休憩するつもりだったし、みんなでこれからテラスに行って、このクッキーでお茶にしないか?」
マーガレットは「あたしは構わないけど……」と、語尾を濁らせた。
お茶好きで、普段なら自分から率先して誘ってくるのに珍しい。
クリスがエミリアに確認するように聞く。
「え、ええと、エミリア先生さえ良ければと思うのですが」
可愛い教え子たちに、エミリアもノーとは言わないだろう。
と、思ったのだが――。
「だ、ダメです! これは……レオさんにしか……」
俺にしか? クッキーはトレイに山盛りあるっていうのに。みんなで食べるのにちょうど良い量じゃないか。
「おいおいエミリア。お前らしくないな」
「え、ええと、初めて作って失敗しているかもしれなくて、自分でも味がよくわからなくて、けど、もしお腹を壊すようなひどいものだったら、クリスさんにもプリシラさんにもフランベルさんにも申し訳がないですし!」
全身をわななかせて、トレーの上のクッキーの山が、山頂付近から崩れて落ちる。
それが地面に着く前に、フランベルがすくい上げるようにキャッチした。
「ぼくは気にしないよ! 胃腸は強い方だから大丈夫大丈夫! それにすっごく美味しそうだし!」
「ああああ、だ、だめです食べちゃだめです!」
なあエミリア。いったい俺に何を食わせるつもりでいたんだ。
クッキーを口に運ぼうとするフランベル。
その手をクリスがそっと止めた。
「だめよフランベル。エミリア先生は、一番最初にレオに食べてほしいんじゃない?」
プリシラも「そうだよフラっち」と釘を刺す。
フランベルが口を開けたまま頷いた。
「あっ……うん。先生ごめんね」
さっきまでマーガレットと俺の関係性で騒いでいたのが嘘みたいに、三人はエミリアに協力的だ。
それだけエミリアが慕われているってことの現れだろう。
エミリアはもじもじと膝を擦り合わせるようにして、俺にクッキーのトレーを差し出した。
「あ、あの……お一ついかがですかレオさん」
「いただきたいのは山々なんだが、両手がふさがっててな」
「そ、そそそそれでは僭越ながら、た、食べさせてあげますね!」
クッキーを一枚手に取り、エミリアは俺の口元に運ぶ。
誰かにものを食べさせてもらう。しかも手で。手づかみで。
衆人環視の中で!?
これはすごく恥ずかしい。
が、拒んでエミリアを傷つけるわけにはいかない。
俺は一口でクッキーをほおばった。
もぐもぐ……ん? このクッキー……味は美味いが何か魔法的な……スタミナアップ効果の魔法薬が入っていたみたいだな。
魔法薬の効果はランクC程度だ。並みの魔法薬じゃ効きにくい体質の俺だけど、農作業が捗りそうだな。
なによりエミリアの気持ちや心遣いが嬉しかった。
けど、変なバッドステータスを発症する副作用が出ているっぽいぞ。
なるほど、この副作用の雰囲気からして、クッキーに配合された魔法薬の出所はマーガレットか。
こっちのバッドステータスはよくわからないが、とりあえず打ち消しだな。
さすがにクリスたちには食べさせられない。
エミリアがじっと俺を見つめる。
「ど、どうですかレオさん」
「美味しかったぞ。マーガレットに教わったレシピだな?」
「え、ええと……はい。あの、それだけですか?」
半歩前に出るエミリアに、俺がどう応えようか迷っていると……。
「いっただっきまーす!」
フランベルがクッキーをほおばった。
しまった、止めるのを忘れていた。
「あっ! フランベルだけ抜け駆けずるいし! んじゃ、あたしも一枚もらうね、エミリアせんせー!」
「ちょっとお行儀が悪いけど、私もいただきます」
プリシラとクリスも一枚ずつクッキーを食べた。
そっと静かに三歩ほど下がりながら、マーガレットが「あたしは遠慮しておくわ」と微笑む。
エミリアがプルプルと震えだした。
「あ、あれ? おかしいです。ちゃんとできてなかったのかな」
声を震えさせながら、エミリアもクッキーを手に取り自分で味見した。
その直後――
「「「「あばばばばばばばばばばば」」」」
クリス、プリシラ、フランベル、エミリアが一斉に奇妙な声を上げ始めた。
これが副作用なのか?
クリスが両腕を威嚇するアリクイのように上げる。
「れ、レオ……身体の芯が熱くなって……なんだかとてもレオの事が愛おしくて仕方ないの!」
な、なんだ……いったい。
プリシラもフランベルも両腕をガバッと開いた。
「レオっちぃ。あたし、なんか変になっちゃったかも」
「ぼくもだよ。レオ師匠を……レオ師匠をぎゅーってしたくて仕方ないんだ」
どうしたんだ三人とも?
「エミリア先生、クッキーにどんな効果を付与し……あっ!?」
持っていたクッキーのトレーを投げ捨てるように、エミリアも両腕を広げた。
「レオさんごめんなさい! もう抑えきれません!」
四人が柵を乗り越えて耕地の中に入ってくる。
そのゆらゆらとおぼつかない足取りは、まるで不死者の群のようだった。
「いや、ちょっと待て四人とも落ち着くんだ」
「レオ……お願いだから……レオが欲しくて仕方ないの」
「レオっち。ちょっとだけ……ちょっとでいいから」
「師匠に触りたいよぅ。くっつきたいよぅ」
「レオさんのそばにいさせてください」
四人の目から理性の光が……消えていた。
「なんだか予定と違ったけど、それじゃあごゆっくり! あはははは! あはははは!」
楽しそうな声をあげて、白衣の薬学科教員の背中が研究棟の方へと遠ざかっていく。
全部あいつの仕業か! エミリアをたらしこんで薬品入りクッキーで俺に何かしようとしたんだな!
俺はバックステップで、迫り来る四人から距離を取る。
回復魔法にも解毒はあるのだが、魔法薬の影響は“薬効”として換算されがちなので、有害な効果を取り除く解毒魔法では無毒化できない可能性が高い。
自然治癒力の加速による自浄作用的な解毒術も、下手に使うとより薬効をより早く進行させてしまう。
それに、そもそも自分が受けた毒の治療はできても、他者の毒への対処は俺にとって苦手な分野だった。
ゆっくり動いていたかと思いきや、フランベルが踏み込んで一気に間合いを詰めてきた。
駆け込み俺の腰めがけ低いタックルをしながら、広げた両腕をクワガタの角のよろしく、ぐわし! と閉じる。
寸前のところで俺は後ろに逃れた。
どうやら、彼女たちは俺に触れることを目的としているらしい。
距離を取るため、さらに下がろうとすると俺の背中に密着したような感触が生まれた。
振り返らなくてもわかる。
斥力場による不可視の壁だ。
「ごめんなさいレオ! もう我慢できないの!」
理論魔法で退路を断ちながら、クリスも俺めがけて両腕を広げて駆け込んでくる。
言い知れぬ恐怖を感じた。
俺はあえて一歩前に出て身を低くすると、クリスの広げた腕の下を通り抜けるようにして、彼女の背後側に脱した。
そこに待ち受ける……エミリアの水蜜桃。
クリスのすぐ後ろにエミリアも控えて、俺が避けたところを狙っていたのだ。
「レオさんレオさんレオさんレオさんレオさんレオさんレオさんレオさん!」
怖いからやめてくれ!
胸を揺らして俺を拘束しようとエミリアが向かってくる。
運動が苦手だという彼女の動きは、普段よりも格段に機敏だった。
おそらくクッキーに配合されたスタミナ増加の魔法薬の影響だろう。
毒や薬効に耐性ができている俺には、多少の強壮効果しかないのだが、普段あまり魔法薬を使うようなことが無い人間には、効き過ぎてしまうこともある。
俺は理論魔法で不可視の足場を形成し、それを階段状に並べると駆けあがる。
上空に逃げれば追ってはこれまい。
不死者の群相手に、昔良く使った手だ。
「クロちゃん召喚! レオっちを捕まえるし!」
突然、巨大な黒い影が俺の目の前を横切った。
不意打ちに気を取られ、テンポ良く昇っていた段の一つを踏み外して、俺は耕地の柵の外に落下する。
召喚魔法に気づかないなんて、どうかしちまったみたいだ。
プリシラが柵の外に出て、両腕を万歳させた。
落下点に回り込んでいるなんて策士だな。
「レオっちゲットー!」
「させるかッ!」
俺は自分の身体を対象に斥力場を発生させ、落下途中であらぬ方向に自分の身体を吹き飛ばした。
落ちてくるのを待っていたプリシラからすれば、突然俺の身体が突風にあおられて有らぬ方向に飛んでいったように見えただろう。
吹っ飛んだ俺の身体は、背の高い作物の畑に真横から突き刺さるような格好で激突した。
「レオっち待って~~」
「師匠ぉぼくと楽しもうよぉ」
「レオ……行かないで……私を一人にしないで」
「レオさんが迎えに来てくれないなら、こちらから行きますね」
四人の声がだんだんと近づいてくる。
マーガレットのやつ、クッキーのレシピと一緒に、いったいどんな魔法薬をエミリアに渡したんだよ。
四人を傷つけるわけにはいかない。とはいえ、このままでは俺が包囲殲滅(?)されるのも、時間の問題だった。




