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82.耕作員レオ

魔法薬学は選択教科ということもあり、生徒によっては三年間、一度も薬学科を訪れないということはざらだった。


そんな薬学科の研究棟を囲むように、薬草園が存在している。


様々な種類の植物を育てるため、園内は柵などで細かく区切られ小さな畑がいくつも作られていた。


中には人間の身長より高く育つ植物もあるため、それらを壁に見立てて“緑の迷宮”なんて、生徒たちには言われているらしい。


収穫前の畑の生い茂り方を見ていると、迷宮のあだ名もまんざらではないと思う。


今から作業を始める耕地は、ある教員“専用”のものだった。


薬学科の研究棟のすぐ近くだ。


午前中の庶務を終えて、午後からはこの仕事にかかり切りの予定である。


軍手を装着し、鍬を握って休耕地を耕す。


耕地は昨年からずっと休ませていたもので、土地に宿る魔法力を十分に取り戻していた。


小麦やカブといった一般的な作物なら、耕地を地属性の精霊魔法で一気に耕すこともできるのだが、それをやるとせっかく回復した大地の魔法力のバランスが崩れてしまうらしい。


そこで俺の出番……というわけだ。


耕地の広さは庭球のコート一枚分くらいだが、一人で手作業となると何日かかかりそうだな。


五月に入って日差しも強まり、タオルと麦わら帽子が手放せなくなってきた。


「あっ! レオさんこんなところでお仕事ですか?」


声を掛けられて振り返ると、耕地の縁に張られた柵のそばに眼鏡の新任教員――エミリアが立っていた。


「よう! 授業はいいのかエミリア先生?」


「はい。座学の教員は実技が多い午後の授業では、あまり出番がありませんから」


そういえばそうだったな。エミリアは魔法史学の教員だ。


理論魔法や精霊魔法は戦闘訓練で実技も行うが、史学の実技っていうのは無いわけだし。


実は俺が最も苦手とする分野なんだよな。魔法史学って。


俺の知識は経験から“得た”ものばかりだ。


それはきっと“学ぶ”とは言わない。別のものなんだと思う。


偏りの無い客観性のある知識を持つエミリアを、俺は尊敬していた。


そんなエミリアが柵に身を乗り出す勢いで俺に言う。


「あ、あの! お邪魔でなければ、少し見学させてもらってもいいですか?」


「見学って言われても……作物も無いのに何を見るんだ?」


エミリアはうつむいた。


「え、ええと。レオさんが働いているところを……見ていたいんです」


「なんだそりゃ?」


「お邪魔でしたらすぐに退散しますから!」


声の感じからして、少し切羽詰まっているような雰囲気だ。


「俺がエミリア先生を邪魔者扱いするわけないだろ。くつろげるような場所じゃないけど、ゆっくりしていってくれよ」


「は、はい! ぜひそうさせてください!」


じーっと、エミリアは俺に視線を向け続ける。


なんだか監視されているみたいで、少々やりづらいな。


だからといって手を止めていても進まないし……鍬を振るおう。


掘り返し、硬く締まった大地に空気を混ぜ込むように含ませる。


ふんわりとした土のベッドを作るイメージだ。


ちょっと運動すると、もう汗ばむ陽気だ。


俺は首にかけたタオルで軽く汗をぬぐった。


魔法を使えば体温調整もできるのだが、そういうのは抜きにしたい。


普通に運動し、汗を掻くのが気持ち良かった。


「きゃあああ!」


突然の悲鳴に俺は振り返る。


エミリアが顔を真っ赤にさせていた。


「どうした? 大丈夫か?」


「す、すみません変な声を出してしまって。あ、あの……働く男の人の背中とか、汗をぬぐう姿が……す、好きなんです!」


「ずいぶんと変わった趣味だな」


「と、ととと、とってもかっこいいと思います!」


エミリアはうんうんと、何度も頷いた。


そのたび胸元の水蜜桃がたぷんと揺れる。


つい、視線が行ってしまうのは悪いクセだと思うのだが、エミリアの場合はその……本当にすごいんだよ。


いかんいかん。邪念を祓え無心になれ!


俺は心を引き締め直し、凝り固まった大地に鍬を入れ続けた。


「ひゃあ! そんな……あふぅ……そ、そこをせめるんですか!」


「ちょっと待てエミリア先生! 実況というか……そういうのは勘弁してくれないか」


他に誰もいないとはいえ、教員が畑にかぶりつきで変な声を上げ続ける姿を、生徒らに見られるのはあんまり良くないことだろう。


「す、すみません。声が出そうになったら、口をこうして押さえますから」


エミリアは両手で口をそっと塞ぐようにした。


「あ、ああ……じゃあそれで頼む」


再び鍬を振るうと……。


「ふご! ふごご! もごご!」


「待った! さっきよりもおかしなことになってるぞ!」


「ふ、ふぎはへん! じゃない! すみませんレオさん! あの、それじゃあ素敵だと思ったら拍手しますね!」


「拍手も変だから!」


エミリアがしゅんとしてしまった。


「わたしって、本当にダメですね」


「いやいやいやダメじゃないよ本当に! 先生としてエミリアはがんばってるし、俺みたいないい加減な人間と違ってしっかりしていて……その……わかった。好きに見ていってくれ」


俺がフォローに回るほどエミリアの肩身が狭くなっていくので、これはもうしょうがないと諦めることにした。


生徒が近くに来ないことを祈ろう。


「じゃあ、続けるから」


「は、はい……よろしくお願いします」


畑仕事を見るのが好きだというなら、存分に楽しんでいってくれ。


しばらく鍬を振るう音と「ひゃあ!」やら「はわわ!」という声が交互に続いた。


ゆっくり丁寧な作業を心がけていることもあって、進みは遅い。


全体の八分の一ほどを終えたところで、俺はエミリアに声を掛けた。


「日差しも強いし、木陰にでもいたほうがいいんじゃないか?」


エミリアは息を荒げる。


「それだとレオさんのお仕事っぷりを拝見できません!」


「あ、ああ……エミリアのしたいようにしてくれ」


「そ、そそそれよりレオさん。喉が渇きませんか? 良かったらわたしが……」


「心配してくれてありがとう。けど、実は飲み物の差し入れは手配済みなんだ」


エミリアがきょとんとした顔のまま、小さく首を傾げた。


俺が言ったそばからタイミングを計っていたように、薬学科の研究棟の玄関付近に白衣姿の人影が姿を現す。


手にはガラスポットとグラスを載せた、大きなお盆を持っていた。


お盆を手に俺たちの元までやってきて、白衣の人影は告げる。


「あら♪ レオ君にお客様なんて珍しいわね」


お盆の上のガラスポットはキンキンに冷えているようで、外気との温度差で結露していた。


グラスは二つだ


エミリアが目を丸くさせた。


「ええと……魔法薬学科の……」


「マーガレットって呼んでちょうだい」


すらっとした身なりで、スマートに白衣を着こなすマーガレット。


研究にはどう考えても不向きな立て巻きロールの、ピンクのロングヘアがトレードマークだった。


ガラスの彫像のように涼しげな顔をしながら、どことなく人を食ったような雰囲気を常に漂わせている。


俺の正体が知れる前からの数少ない味方だった。


いや、味方というには語弊があるか。


マーガレットはどんな相手にも態度を変えないのだ。


おかげでエリートの自覚が強く、自分を特別扱いしない人間を敵視さえするギリアムとは、まったく馬が合わなかったらしい。


今思うと、性格的な不一致という共通点から、俺とマーガレットの間で共通の敵に対して、自然発生的に“ギリアムウザイ同盟“が出来ていたのかもしれない。


マーガレットはエミリアを見て、ニコリと微笑んだ。


「そうね。グラスが足りないし、レオ君も一旦休憩にして、お茶は研究棟で飲まない? エミリア先生にももちろん付き合ってもらうわよ」


エミリアが首をぶんぶんと左右に振った。


「そ、そんな……わたしなんかがお邪魔しちゃ悪いです」


「邪魔だなんて、こらレオ君。エミリア先生を邪魔者扱いしたのかな? そういうところは良くないわよ」


マーガレットは真面目な顔つきで俺に言う。


俺は慌てて反論した。


「し、してねぇし!」


「し、してません! レオさんはわたしを邪魔者扱いなんてしてません!」


エミリアの弁明だけ聞いて、マーガレットの表情が緩んだ。


「なら良し! 常々思ってたんだけど、レオ君はたまに人の心をどこかに置いてけぼりにしたような行動に走りがちだから、正直心配なのよね」


うっ……マーガレットは時々全部を見透したようなことを言うので、心臓に悪い。


俺のぎくりとした顔を確認してからマーガレットは続けた。


「エミリア先生には苦労をかけさせちゃって、ごめんなさいね」


「そんなことないです! レオさんにはお世話になってばかりです!」


「それじゃあ、レオ君もおいで。三人で午後のティーパーティーとしゃれこみましょ!」


「は、はい! あの、わたしもご一緒していいですかレオさん?」


「もちろんだ。しかし……休憩していいのかマーガレット? 全然終わってないぞ」



まだほとんど手つかずと言って差し支えの無い耕地に俺が視線を向けると、マーガレットは「今日中に終わらせる必要は無いんだし、何度も来てくれる方があたしも退屈しないわよ」と、楽しげに笑ってみせた。

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