39.早朝練習
結局俺は一睡もできず、フランベルの枕を務めることになった。
眠らないことにも慣れているので、これくらいはどうってこともないのだが、膝枕っていうのが少し……いや、かなり慣れない。
彼女が首を痛めてしまわないか、少し心配だ。
それにしても、本当に気持ちよさそうに眠ってるな。
そっと頭を撫でると、フランベルは「ふやあああ」と満足げな声をあげた。
◆
翌朝、日も昇る前にフランベルは目を覚ますと、自身の発案通り「朝まで持久走をしてしまった」という言い訳と、類い希なるマイペースさを携えて、独り寮に戻った。
――そして迎えた朝五時半。
宿直室備え付けの熱いシャワーで心身に覚醒を促してから、俺はどうどうと何事も無かったように、学園の正門前にやってきた。
俺より早く、エミリアが着いている。
「おはようエミリア先生」
「あ! おはようございますレオさん。今日から特訓もパワーアップですね!」
「あ、ああ。けど、エミリア先生は持久走が終わった頃に来てもいいんだぞ?」
エミリアは小さく首を左右に振った。
「わたしだけ寝坊してる場合じゃありません! あっ! 三人が来ましたよ!」
運動着姿で武器とタオル類が入ったバッグを肩にかけて、クリスたちが女子寮方の道から姿を現した。
フランベルも一緒だ。何事も無かったようにしている。
俺は心の中で胸をなで下ろした。
「師匠ー! さっきぶ……昨日ぶりー!」
手を振るフランベルに俺の表情は凍り付いた。
すると、急にプリシラが駆け足でやってきて俺の目の前に立つ。
「昨日はナニしてたのかなぁ? レオっちは」
ニヤニヤが止まらないって顔だな。
「は? ナニってなんだ?」
「あたしらは大変だったんだよ? クリスと二人で寮長に誤魔化すの。この貸しは高くつくかんね?」
プリシラが小悪魔っぽく笑う。
「お、おい待て! いやその……」
エミリアが俺とプリシラのやりとりを、きょとんとした顔で見つめていた。
「何かあったんですかレオさん?」
「いや、べつに何もないから」
思い詰めたような顔をしてエミリアは頷いた。
「はあ……あの、こうして助けてもらってばかりですけど、レオさんも何か困ったことがあったら、相談してください。わたしでお力になれるかわかりませんが、調べ物とかは得意ですから」
本気で心配されて大変心苦しいですエミリア先生。
プリシラと入れ替わりで、クリスが俺の隣に立つと耳元でささやく。
「フランベルの不在は私とプリシラで誤魔化したわ。けど、こういうことは二度はごめんだからね」
「すまないクリス。ありがとう」
「どういたしまして。けど、この貸しは高くつくから覚悟してちょうだい」
プリシラが言うと半分くらいは冗談に聞こえるのに、クリスが言うと本気度が違うな。
「お、おう。覚悟だけはしておくよ」
最後にフランベルが俺の元にやってきた。
「今日もご指導よろしくおねがいします、師匠!」
「ああ、こちらこそお手柔らかに頼む」
一礼するとフランベルが荷物を置いて、持久走のスタート位置についた。それにクリスとプリシラも並ぶ。
「今日もクリっちには勝たせてもらうし」
「20㎞のペース配分は計算済みだから、私に負ける要素はないわ。もしかしたらフランベルよりも速いかもしれないわね」
「ふっふっふ! 脳筋のぼくに持久走で勝とうなんて、二人とも百年早いよ!」
「えー! あたしはクリっちに勝つって言っただけで、フランベルとは勝負しないし」
三人のおしゃべりを遮るように、俺は軽く手を叩いた。
「それじゃあ今日は外周コースを一周して、終わったら校庭で軽く組み手だ。よーい……スタート!」
号令とともに三人は走り出す。ああ、フランベルのやつペース配分もせずに、最初からトップスピードだ。
プリシラがそれに釣られたようで、普段の彼女らしくもなくペースが早い。あのままだとバテるな。
クリスは冷静に速度を維持していた。自分から言うだけあって、ペース配分は完璧なようだ。
エミリアと俺は正門前で三人を送り出した。
「それじゃあ校庭に荷物を運んでおくとするか」
俺は三人分の武器とバッグを手にする。
「あっ! レオさんお手伝いします」
「いいっていいって。エミリア先生はドリンクの準備を頼む」
「は、はい! すぐに用意しますね」
慌ててエミリアは校舎の方に走っていった。
エミリアは女の子走りだ。本当に運動は苦手らしい。
俺は校庭に荷物を運ぶと、軽く準備運動をして三人の帰りを待った。
◆
持久走はフランベルがぶっちぎりの一位だった。
二位に十分差をつけてなお、余裕があるというか、軽く流して走ってきたという感がある。
二位はクリス。呼吸に乱れもなく、想定していた時間ぴったりで戻って来た。こちらもまだ余力を残しているという印象だ。
五分遅れで、すっかりバテバテになったプリシラがゴールする。
校庭の片隅でドリンクを飲みながら、プリシラが怒り気味に言った。
「クリっちひどいよ! 先に行っちゃうなんて!」
「私は一定の速度を維持していただけで、後れたのはプリシラよ」
「うー。数少ない勝ってる部分だったのにぃ。はぁ……超つかれた。もうちょい休ませて」
一気飲みして空になったプリシラのドリンクボトルを、受け取りながら俺は頷く。
「20㎞走の一回目にしては、プリシラも十分速かったぞ」
「うー。悔しい! っていうか、フランベルがさらに速くなってるのって、やっぱりあれかなぁ……夜の個人レッスンってやつ?」
「うわあああああああああああああああああああ!」
思わず、プリシラの言葉尻をかき消すように悲鳴をかぶせた。
エミリアが俺に視線を向けて、驚いたような顔をする。
「どうしましたレオさん? 大丈夫ですか?」
「あ、ええと……なんでもないんだ」
プリシラがぺろっと舌を出した。
恐ろしい相手に借りを作ってしまった気がするな。
フランベルが笑う。
「師匠、どうしたの?」
「どうもしないから。ええと……じゃあ休憩もこれくらいにして、二十分軽く組み手をして、朝練は終了だ。組み合わせは……」
唐突にクリスが挙手をした。
「私とフランベルでさせてちょうだい」
エメラルド色の瞳が、射貫くように俺を見つめる。
「積極的だな。何か考えがあるのか?」
「考えというほどのことじゃないわ。ただ“成果”を知りたいのよ。フランベルは武器を変えたみたいだけど、私を相手に試してみたいと思わない?」
軽く挑発めいたクリスの提案に、フランベルはうんと頷いた。
「いいの! やるやる! やろうやろう!」
俺が教えたことで、フランベルがどう変わったのかクリスも気になるみたいだな。
「よし。それじゃあ組み手はクリスとフランベル。プリシラはいつもの素振りだ」
「えー! また素振りなのぉ」
プリシラは不満げだが、それ以上反発することもなく、しぶりながらもクォータースタッフを手に取った。
「エミリア先生、プリシラの素振りを見ててもらっていいか?」
「え? は、はい! あの、試合形式の組み手の判定は、わたしがしなくてもいいんでしょうか?」
「ちゃんと俺が見て、危なくなる前に止めるから心配しないでくれ。俺も、今後の訓練方針の参考のため、二人の勝負を見ておきたいんだ」
「わかりました! それではプリシラさん。びしびし行きますからね!」
「ちぇー。けど、エミリア先生にびしびしされても、全然痛くないし」
プリシラが軽く素振りを始めると、エミリアの眼鏡がキラリと光った。
「脇が閉まっていません。腕の角度も寝かせすぎで、踏み込みと上半身の荷重移動のタイミングがバラバラです。レオさんみたいに教えられませんが、書物で基本的なクォータースタッフの動き方について勉強してきましたから!」
「鬼が増えたし!」
半泣きになりながら、プリシラは素振りを続けることになった。
勉強してきたというだけあって、指導方針に間違いは見られない。
プリシラには悪いが、エミリアにお願いして大丈夫そうだな。
俺は改めて、組み手の準備を終えたクリスとフランベルに視線を向け直した。




