204.過去(きのう)の勇者にさよならを
魔法式を介さない純粋な魔法力による鉄槌が、巨竜の頭部を叩きつぶした。
続けて、同じ要領で剣撃を放つ。
胴体を、翼を、背中を、前足を、長大な尾を潰して砕く。
巨竜はみるまに水晶の塊とその破片の残骸に姿を変えた。
だが、倒したという手応えが無い。
四肢を失い首すらもなくなった巨大な水晶塊が打ち震える。
「オマエが……勇者だったのか?」
振動は声となって俺の耳に届いた。
返答する間も置かず、剣を振るう。
水晶塊は砕けない。斥力場で物理的な防壁を展開しながら、回復魔法で自身の修復を行い始めた。
獅子鋼の剣を片手に持ち直すと、左手で指先を楽器の弦をつま弾くようにする。
それぞれの指が詠唱の代わりに魔法公式を虚空に刻みつけた。
融合体の魔法に干渉して解除しながら、大地を蹴って懐に飛び込むと、至近距離から剣にまとわせた魔法力を打ち込む。
水晶体の中心にヒビが入るが……浅いか。
融合体の絶叫が木霊した。
「欲しい……欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいぞ、その力!」
水晶塊から、無数の触手が伸びる。
それはリーパーと呼ばれる魔法生物の特性だった。
陸棲のイソギンチャクとも言える魔物は、近づくモノを触手で絡めとってその命を吸い上げる。
およそ水晶のような硬質さとは正反対の、軟体化した数百の触手が、一斉に俺を捕らえようと群がった。
剣でなぎ払いながら左手で詠唱を打ち込む。瞬時に俺の姿が二十体ほどに増えると、融合体を取り囲むように散開した。
「どれだ! どれが本物だ! 勇者よ! オレ様の一部となれ! そうすればこの世界に安寧を与えてやるぞ! 恒久の平和を約束しよう! 王国の存続を認めようじゃないか? オレ様がこの国の永遠の守護者となろう! 魔族も竜も魔物たちも、すべてオレ様が倒してやる! だからその力を差し出せ!」
わめき散らす声とともに、触手が俺の分身たちめがけて放射状に拡散した。
が、俺はその場から動いていない。
気配遮断――それも、最高レベルのものだ。
融合体には俺が目の前に立ち、剣を構えている姿が見えていない。
これで決める。
この一撃に俺の全てを込める。
呼吸を整え、瞳を伏せて、荒れ狂う融合体の怒号と触手による攻撃の嵐の中、独り静かに魔法力を練り上げる。
気付かせないよう、そっと……。
少しでも心が乱れれば、目の前の悪意の塊に気付かれるだろう。
剣を両手持ちにして、反魔法剣の構えを取る。
次々と、俺の分身は触手に全身を貫かれ、穿たれ、引き裂かれ、消えていった。
最後の一体が消えた瞬間――
「どこだ勇者! 卑怯だぞ! 出て来い! オレ様にその力を捧げよ!」
「どこにも行っちゃいないさ」
静かに呟くと、俺は獅子鋼の剣を融合体の正面から突き入れた。
刃をぐっと押し込む。
そこでようやく、融合体は俺がずっと目の前にいたことに気付いたらしい。
「ば、馬鹿な!? なぜそんなところにいる? あの分身はどれもオマエだった! 探索魔法で周囲も警戒しているというのに! だが……お粗末だったな。姿を現した時点でオマエの負けだ! オレ様は勇者の力を取り込み、勇者になるぞ!」
話している間に、俺に攻撃を仕掛ければいいのに。余裕だな融合体。
剣を根元まで水晶塊に突き入れる。
それでもヤツの中心――核となる部分には届かないのだろう。
「だいたいそんな針のみたいなみみっちい剣で、オレ様に何ができる?」
「反魔法剣」
静かに力を解き放った。
傷口からゆっくりと、魔法的な力を分解し、無効化する究極の対魔法の力が広がっていく。
しなびた植物のように、数百の触手が地面にドサリと落ちると壊死していった。
透き通った水晶のような本体も白く濁って石化を始める。
「くっ! こしゃくな! だが、その剣もその技も、すべて読み解いてやるぞ! そうすれば二度とオレ様には通じない!」
「やれるもんなら、やってみろよ」
冷たく言い払う。こいつは知らないのだ。
獅子鋼の剣が、この世界で他のどこにも類を見ないものだということを。
融合体に取り込まれた空蝉は既存の技術の集約したものだが、この剣の組成は読み解けるはずもない。
「な、なんだこの剣は!? ミスリル? アダマンタイト? 違う……そうかオリハルコンを積層構造にしたものだな! 正体見たり!」
剣の柄を通じて融合体の的外れな抵抗を感じる。
「なぜだ!? なぜ取り込めない!」
お前がバカにしていた魔法素材工学の最先端に、俺のこれまでの経験と知識と技術を融合したんだ。専門外の生半可な知識で対応できるもんじゃない。
融合体の半分ほどが白く濁った。残り半分というところで、抵抗が止む。
代わりに融合体は、剣への干渉から俺の必殺技――反魔法剣の検証に切り替えた。
「魔法さえ解き明かしてしまえば、剣などただの棒切れだ!」
「ああ。そうだな」
否定はしない。剣の形はしていても、魔法武器とはそういうものなのだから。
反魔法剣の構築は完璧だ。
勇者として魔王を討った時よりも、さらに磨きが掛かっている。
秘薬の性能も、過去に俺が作り上げたものを上回る効果だ。
勇者としてピークだった十年前の自分と比べれば、今の俺は弱い。
それでも獅子鋼の剣と秘薬の力を借りて、俺自身も誰かに教えることで学び直すことで、魔法の技術は昔の自分を越えている。
融合体の七割強が白色に染まった。
融合体は知識と魔法力を総動員して、俺の侵食を解析しようとしている。
ウォルター・ショーメイカーの知識は本物だ。
部分的に反魔法剣の仕組みを理解しつつあった。
だが――
「なぜだ!? なぜ解けない!? オレ様がオマエに劣るはずがないのに! やめろ……知識をくれてやっただろう! オレ様の心に入ってくるな!」
融合体には聖遺物の“意志”のようなものがある。それが人間と同等のものかはわからないが、俺の力に存在を脅かされ、不安定になったことで再びウォルターの人格を蝕み始めたようだ。
「やめろ……やめろやめろやめろやめてくれえええええええええ! 魔法は人の想いを伝え、願いを叶える奇跡の力だから……オレ様の……願いを……叶えろ!」
九割まで石化させたところで、残り一割が……動かない。
俺自身の手から急速に魔法力が抜け落ちる。
もう時間切れなのか?
指の間から流れおちる砂のように、魔法力が……。
「こうすれば良いのであろう」
俺の手からかぶせるように、大きな手が包む。
「獅子王……お前……」
「我が力が混ざればレオ殿の魔法力の純度を落としてしまう。が、レオ殿が力を逃がさぬようにと、魔法力を制御する分は、我が支えよう」
獅子王の魔法力が俺の身体を覆う。
身体能力強化や回復魔法による持続力の強化に割り振っていた分も、俺は反魔法剣に注いだ。
獅子王が足りない分を支えてくれたおかげだ。
再び反魔法剣の侵食が進む。
融合体は……その水晶の身体を完全に白色化させた。
そっと俺から離れると、獅子王が笑う。
「どうやら、成し遂げたようだなレオ殿。いや、そうでなければ困る。その剣の要求する力のなんと莫大なことか。我が力が付きかけましたぞ」
相当な負担をかけてしまったようだが、まずい。
「待て獅子王! まだこいつは……」
反魔法剣が完全に決まれば、対象を待つのは完全な消滅だ。
白く濁って石化した融合体は、まだ存在し続けている。
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
融合体が打ち震えた。まるで卵が割れて雛が孵るように、巨石が中央から割れる。
なんてヤツだ。
これだけやって、倒しきれないなんてな。
中から姿を現したのは、少年だった。
十歳ほどの子供の姿だが、その身体は右半身が白く石化し、残りの半分は水晶の輝きを維持している。
目鼻の無い顔に、裂けた口。
「ハァ……ハァ……危ないところだったぞ勇者よ。だが、あの役立たずな妹の魔法力が……オレ様に生きて欲しいという願いが奇跡を起こしたようだな」
唯一残った家族の絆がウォルターを半死半生の形でつなぎ止めた……か。
こればかりは否定できない。
リューネは口でいくら言っても、家族を見捨てられなかったのだ。
人を想う気持ちを失ったら、それこそ俺は……化け物になってしまう。
「なあ融合体……いや、ウォルター。リューネに救われたと思うなら、もうこんなことはやめないか?」
少年は小さく頷いた。
「そうだな。オレ様も心を入れ替えよう。せっかく手にした力もすべて消えた。この身体には元の魔法力さえ残っていない」
やけに素直だ。
少年はそっと俺に手を差し伸べる。白く石化した右腕だ。
「握手してくれ。オレ様は……勇者に憧れていたんだ」
罠だ。俺は少年の動きを注視した。何を仕掛けてこられても対応できるよう身構える。
瞬間――
「ぐああああああああああああああッ!」
背後から絶叫が木霊した。
振り返ると獅子王の幻体が、地中から鋭い槍のように突きだした触手に胸を射貫かれていた。
「獅子王!?」
「レオ殿、前を向け! そやつから目を離すなッ!」
そのまま獅子王の幻体は光となる。足下に魔法陣が生まれると、光は元の世界に獅子王の魂を導いた。
振り返ると少年の左手が、俺の右手首を掴んで嗤う。
「お優しいことで勇者さま。仲間の心配などするからだ。やっと掴まえたぞ……フフフ……ハハハ……もらい受けるぞその力!」
幻体の獅子王ならどうなっても良かった。理屈ではわかっている。
それでも、俺は獅子王の安否を案じてしまった。そうなってしまうから独りで戦うことを選択し続けてきたのに……。
力尽くで振りほどくと、俺は少年の姿をした融合体と距離をとるため、斥力場で弾く……つもりだった。
理論魔法式が構築できない。
融合体は唖然とする俺を“俺の魔法公式を使った斥力場”で弾き跳ばした。
身体のふんばりが効かずにのけぞりながら、俺の身体は地面をこするように転がる。
ゆったりとした足取りで融合体は一歩一歩、倒れた俺に近づいてきた。
まずいな。
魔法薬の効果が消えかけている。
獅子王の力も、もはや借りることはできない。
理論魔法の知識というよりも、俺が持つ理論魔法そのものを奪われたようだった。
戦闘の要だ。理論魔法が無ければ高度な精霊魔法の制御ができない。
が、立ち上がると構わず精霊魔法を融合体に向けて放つ。
具現化したサラマンダーが、炎の塊となって融合体に突撃した。
しかし、そのサラマンダーの進路が融合体を目前にして逸れると、あらぬ方角に向かって……爆ぜる。
巨大なクレーターだけを残して、俺は魔法力を無駄に消費しただけの格好だ。
融合体が理論魔法で俺のサラマンダーに指向性を与えて逸らしたのである。
今の俺は、第三王女フローディアと似たような状態だ。理論魔法抜きでは、いくら強力な精霊魔法があっても、使いこなせない。
「次はその精霊魔法をもらおうか?」
右半身の石化が徐々に解けていく。
その背中から無数の触手が生えると、そのうちの四本が槍のように放たれた。
普段ならかわせる攻撃に反応が追いつかない。
秘薬の力が潰えると同時に、俺の身体は鉛のように重たくなったのだ。
三本までは剣で防ぎ、避けたのだが……左肩を射貫かれる。
「――ッ!?」
「ああ……なんと甘美な……オレ様の中に勇者の魔法が満ちていく」
触手をゆっくりと引き抜いて融合体は満足げだ。
傷口を塞ごうと回復魔法を試みるが、どうやらそれも奪われたらしい。
「おお、素晴らしい。精霊魔法も回復魔法も……認めよう勇者。オマエはオレ様以上の存在だったと」
維持することもできず、俺の肉体は勇者のそれから今のものに戻り始めた。
召喚魔法で時間を稼ぐか……。
詠唱をしようとした瞬間――
俺は召喚魔法の詠唱方法を忘れていた。
目の前で、融合体が謳うように次々と魔法陣を生み出す。
俺がこれまで倒して、その存在座標を手に入れた竜や魔物の類いが軍勢を成す勢いで呼び出され続ける。
融合体は高らかに宣言した。
「これは良い! いや、これほどの力を持って、なぜオマエは世界を手に入れようとしないのだ? 召喚魔法だけで国を攻め滅ぼせるだろうに」
魔物たちの群に周囲を埋め尽くされ、逃げ場もない。
俺に残されていたのは、戦闘実技学に属する身体能力強化の魔法と、感情魔法だけだ。
その感情魔法は、融合体には通じなかった。おそらく、リューネ以外の相手にウォルターは心を閉ざしていたのだろう。
裏を返せば、リューネの声にだけはまだ、聞く耳を持っていたのかもしれない。
「どうして二つだけ力を残したんだ?」
ずっしりと重く、振り上げることさえままならない獅子鋼の剣を握りしめ、突きの構えを取ると俺は融合体に訊く。
融合体は勝ち誇ったかのように、胸を張った。
「不要だからだ。この肉体には脆弱な人間のように、強化を施す必要がない。それに感情魔法など、ただのまやかしに過ぎないからな」
なるほど。リューネの想いに救われたというのに、人の心は不要……か。
勝ち目の有無を考えることを俺はやめた。
ただ、自分の成すべきことをするのみだ。
奥の手は使い切り、魔法を奪われ、もはや時の魔法を再現することも叶わない。
それでもこの敵を……このままにはしておけなかった。
俺が剣をぐっと後ろに引くと、融合体に召喚された魔物たちが、召喚者を守ろうと壁のように立ちふさがる。
「召喚魔法とは便利なものだな。勝手に考え行動する……あの黒い獅子もオマエを自動的に守るよう、命じられていたのだろう?」
融合体が指揮者のように腕を振るうと、魔物の軍勢が二つに割れて、俺との間に一筋の道を作る。
「違う。獅子王は獅子王の意志で、俺と供に戦ってくれたんだ」
幻体の損傷もあって、獅子王をすぐに召喚はできなかったようだ。
この魔物たちの群の中に、その姿が無いことに安堵している自分に気付いた。
そんな余裕も無いはずなのに。
次の一撃で恐らく、俺は出がらしだ。
勝負はすでについたと言わんばかりの融合体めがけて、跳ぶ。
この身体を矢のように、一点に残った力を集約して、全身の回転を加えて切っ先を融合体の胸めがけ……穿つように撃つ。
それはもう、必殺技として愛用した突きではなかった。
回転の軸もぶれ、加速もせず、遅い……。
「悪あがきだな元勇者!」
少年の姿をした融合体の右腕が、剣のような形状に変わる。
それは獅子鋼の剣と同じだった。今となっては分析する力もないが、模倣したのは形状だけではないだろう。
どうやら俺は……すべてを奪われたらしい。
ガキイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!
俺の手にした獅子鋼の剣は、その中ほどから折られてしまった。
融合体のそれも同じく折れる……が、すぐに再生させて少年は切っ先を俺に向けると告げる。
「さようならだ……勇者」




