198.二つに一つの冴えないやり方
聖遺物の暴走と逃走から一夜が明けた。
これまで戦乱とも騒乱とも無縁だった学術都市は、街全体が喪に服したように静まり返っている。
理論魔法学部長デフロットの死と、その原因が広まるまでにさほど時間はかからなかった。
街から離れた小高い丘の上に、俺は独り呼び出される。
仮初めの墓の下にはデフロットは眠っていない。
俺をここに呼んだのは、リューネだった。
「……学部長は遺言を残していた。それに従い、肉体は魔法医学部に検体として送られた。そういう人だ」
リューネはぐっと下唇を噛みしめる。俺は彼女と並んで空っぽの墓に黙祷を捧げた。
丘の上を突風が駆け抜ける。
祈りを終えて目を開くと、リューネの前髪が流れるように風になびいた。
彼女の瞳が露わになり、その色に一瞬、心が身構える。
「……見ての通りだ。自分の瞳の色は生まれながらにこうだった」
兄のウォルターと同系統の黄色みがかった茶色だが、それよりも明るく黄銅のような色をしていた。
高位魔族特有の金色と非常に良く似ている。
「……安心してほしい。医学部で検査した結果、自分が人間であることは証明されている」
「すまない。確かに似ているが違うな」
「……誤解なら受けなれている」
彼女が前髪で瞳を隠すのには、こういった理由があったのか。
改めて、俺はリューネに訊いた。
「それで、俺に話したい事っていうのはなんだ?」
オーラムとクリスをメイドや護衛たちに任せて、俺だけを呼びだしたのには、二人がいるところでは話せない何かがあるはずだ。
「……自分は兄の助手として遺物の研究をしてきた。あの存在は外部から取り込んだ力を放出する。それに人間の知能が加わったことで、学習し……相手の力を奪って成長するという進化を遂げたようだ」
ゆっくり頷く。戦った俺にはリューネの言葉がすんなりと理解できた。
「なあリューネ。俺はウォルターを倒したつもりでいたんだが、晴らしたい恨みがあるなら、できればこの一件が終わるまで待ってくれないか?」
リューネはそっと首を左右に振る。
「……アレを倒して欲しいと願ったのは自分だ。そしてまだ、それは果たされていない」
「やっぱり、生きてるんだな」
止めを刺しきれなかった。責められるなら、むしろそのことについてかもしれないな。
「……自分の魔法力が戻らない。おそらく、融合体に触れた時に持っていかれたのだろう。それに……感じるのだ。融合体の存在を……」
自身の身体を押さえつけるようにぎゅっと腕で抱きながら、凍えるような声で少女は呟いた。
魔法力を奪われたことで、何らかの繋がりができてしまっているのか。
それとも兄妹だからか。それはきっと、当人にも解らないことだ。
「……これまでの研究の結果から、再生にかかる時間は三日程度。それだけあれば、自力で動くくらいはできるところまで回復するだろう」
「あと三日……いや、昨日の逃亡からだから、二日で襲ってくるっていうのか?」
「……いや、融合体は逃亡先で魔物などの魔法力を捕食しながら、再生と成長を繰り返すはずだ。君を倒すレベルを想定してな」
こちらもそれまでに、融合体と戦う準備を進めなければならなさそうだ。
天を仰ぐようにしながら、リューネは続けた。
「……もう兄さんの意識が残っているかはわからない。すでに遺物の研究を始めた時には、心を取り込まれていたのかもしれない……自分もデフロット学部長も、遺物から兄さんを取り戻すことができなかった」
全身から力が抜けて、膝から崩れ落ちそうになるのを、少女は必死にこらえている。
頬を伝う涙が彼女の顎の先からぽとりと落ちた。
「もう、ウォルターを元に戻すことはできそうにないのか?」
「……仮に戻ったとしてもどうにもならない」
オーラムを危険にさらしたという事実は覆りようもないだろうな。
「……だから……次にアレが現れた時には……今度こそ倒してほしい。魔法力を奪われた自分にはどうすることもできないから……」
「ああ。わかった。約束する……だが、行方をくらました融合体をどうやって見つけるんだ?」
リューネはゆっくりと息を吐くと、俺の顔を見上げた。
「……融合体にとって、最大の脅威は君だ。次いで感心があり、怨んでいるのはオーラム姫様だろう」
「探しに行かなくても、俺かオーラムの元に現れるっていうんだな?」
リューネはコクリと頷く。
「……アレにとって、自分が敗北したと思った人間は三人だけ。そのうちの一人、デフロット学部長が亡き今、君かオーラム姫様にしか興味を持たないと自分は考える。そして、その二人を排除した後、兄さんなら……人間としての意識を失ったとしても、ウォルター・ショーメイカーの残滓が遺物にあれば、より多くの魔法力を求めて魔法使いを襲い続けるに違い無い。ユグドラシアはもちろん、エステリオも危険だろう」
俺は小さく首を傾げた。
「もし俺がウォルターの立場なら、先に魔法使いを襲撃して俺との戦いに備えるってことも考えるけどな」
「……それは……いや、たしかにその可能性も否定できない。すまない。自分も混乱していて、客観的な判断ができないようだ」
「まあ、学園にも結界はあるわけだし、ユグドラシアの防衛機構も復旧したみたいだし、融合体もわざわざ堅い守りの場所に、そうそう仕掛けてはこないか」
遠方でユグドラシアを囲む壁に、魔法的な結界がかかっているのが見て取れる。
上着のポケットから懐中時計を取り出した。時刻は十時を回ったところだ。
今朝、日の出前に発った早馬が王都とエステリオに急報を届けた頃だろう。
「しかしやっかいだな。次に出てくる時には、融合体がどういった姿になっているかもわからないなんて」
「……問題は山積みだが……おそらく王国軍や魔法騎士では対抗できない。むしろ、中途半端に優秀な魔法使いはアレの養分にされかねない。自分のように……だから、君のような別格の……勇者の再来のような魔法使いの単騎による決戦が望ましいと、自分は考える」
「それには俺も賛成だ」
俺が負ければこの国の全てが根こそぎ融合体に滅ぼされる。
久方ぶりの亡国の危機だ。
まあ、昔ほど自分が強くないというのは問題だし、融合体と戦う武器も必要になる。
先日の勝利は偶然の産物で、融合体がこの地を去って以来、オーラムの念心魔法はぴたりと止まってしまった。
彼女自身、魔法を使ったという認識も無かったのだから、発現できるかどうかもわからない仮想聖剣を頼りにはできないしな。
腕組みをして方策を考えていると、リューネが一歩、俺に詰め寄った。
「……もう一つ、融合体を確実に葬る方法がある。君の力を借りずとも、アレを倒す手段が……」
思わず口から「本当かよ」と、声が漏れた。
そんな夢のような手段があるなら、早く言ってくれよまったく。
「どれくらいの可能性で倒せるんだ?」
「……自分の試算では90%以上だ」
「ほとんど成功する見込みじゃないか。いったい、どんな作戦なんだ?」
「……作戦というほど立派なものではない。融合体をどこかにおびき寄せ、兵を周囲に配置。飽和攻撃による殲滅だ」
「いやそれは無理だろ。融合体はこっちの魔法に対応して、防御魔法で固めてくるだろうし」
「……もし、融合体がそれをできなくなればどうだろうか?」
融合体の魔法を封じるってことか。広い場所というと、そこに王都の魔法使いを総動員して結界でも作り、封印するというやり方になるのかもしれない。
「罠を仕掛けるのはいいが、融合体に気付かれるんじゃないか? アレの魔法を封印しようと思ったら、大規模な魔法陣と百人単位の魔法使いのチームが複数必要になるぞ」
リューネは無言で首を左右に振る。
「……その必要はない。むしろ、封印に人員を割いては飽和攻撃の火力が不足する」
「じゃあ……そうかわかったぞ。何か融合体に効く発明品でもあるんだな」
もう一度、リューネは俺の言葉を首を振って否定した。
「……融合体の特性を思い出してほしい。吸収した力を自身のものとするのだ」
嫌な予感が脳裏をかすめた。
「待てリューネ。お前、本気で言ってるのか?」
「……だから君だけをここに呼んだ。このことを伝えるかどうかは、君に委ねる」
背筋に嫌な汗が浮かぶ。
リューネの作戦。それは、たった一人の命を代償に、この国を救うという提案に他ならない。
「オーラムを生け贄に捧げようっていうのか!?」
オーラムが背負った宿命。それは莫大な魔法力を持ちながら、それを魔法として使うことができない体質だ。
融合体がオーラムを取り込めば、その特性が融合体の魔法を使う能力そのものを無くす……そう、リューネは考えているのか。
「……君ではきっと思いつかないだろうからな。自分に考え得る全ての可能性から、君かオーラム姫様か、そのどちらかにしか融合体は打ち倒すことはできない。できることなら、自分が姫様の代わりを務めたい……が、選ばれし者にしかできない役目があるのだ。兄さんはそれを見誤った……」
拳を握りしめ小さな肩を震えさせながら、リューネは俯く。
「悪かった。お前だってこんな提案、したくはなかったよな」
「……自分は人に何かを伝えるのが苦手だ。兄さんにももっと、うまく研究を止めるよう伝える方法があったのかもしれない。だけど……だから……言わないで後悔することを、これ以上繰り返したくない」
実の兄が大罪を犯したという立場のリューネが、王族の命と引き換えだなどと言えるはずもないよな。
「伝えてくれてありがとうな。ただ、俺としてはその方法は無しだ。今度も俺が守るよ」
「……今度……も?」
「あ、いや、その……昨日みたいにってことだ」
慌てて言いつくろうと、リューネが小さく吹き出した。
「笑うことはないだろ。けど、よかった。さっきからずっと暗い顔ばかりだったからな」
「……君は不思議な人だ。こんな状態になった今でさえ、自分のような人間にも変わらず接してくれている」
兄の罪を妹がかぶることはないのだが、風当たりは相当に強いんだろうな。
「独りは何かと辛いだろ? 助けてくれる人がいるってのは心強い。そう思っただけだよ」
昔の自分より弱くなったから、今は余計にそう思う。
ただ、今度の戦いはまた独りぼっちだ。
残された時間で融合体を倒すために、やることは山ほどあった。
リューネがじっと、前髪越しに俺を見据えた。
「……提案した自分がこのようなことを言うのはおかしいかもしれないが、本当にそれで君は構わないのか?」
「ああ。命に代えてもお前との約束を守る。今度は融合体を逃がさない」
「……君が死んで悲しむ人間だっているだろう。自分もその中の一人だ」
憂うような口振りに俺は笑顔で返した。
「わかった。それじゃあ……俺は死なないし死ぬつもりもない。生きて帰る」
「……嘘が下手だな。君は」
「嘘じゃないさ。ちゃんと戻ってくるつもりで戦うって」
相手がそれを許してくれる限りは……と、条件が付くのだが。
結局、嘘を吐いていることと大差無かったか。
方策も決まったことだし、リューネを連れてオーラムの滞在する館に戻ることにしよう。
俺の言葉にリューネはどことなく、不満げというか何かを腹にため込んで、はき出せずにいるような雰囲気だった。




