194.ウォルターの奥の手
まさか自分の妹を人質に取るとは、俺も含めてこの場の誰も思っていなかった。
クリスもオーラムも動くことができない。
ジゼルは状況の急転に、珍しく焦っていた。
そして、誰よりもこの状況に心を痛めているのは、理論魔法学部長のデフロットである。
教鞭は手にせず、独りウォルターの前に歩み出て両腕をそっと広げる。
「それ以上はやめるのですぞ。すぐにリューネ君を解放しなさい。罰は免れんでしょうが、ワタシも責任をとって学部長を辞しましょう」
ウォルターはリューネの身体を掴んだまま、引きずるようにクレーターの縁へと向かう。
「そうやってオレ様を何度騙して来た! その手は食わないぞデフロット!」
デフロットはそっと両腕を下げて肩を落とす。
「昔はよく意見をぶつけ合いましたが、ここまで拒絶されるとは悲しいですぞ」
恩師を敵視しているウォルターに、その声は届かない。
じりじりと下がりながら、ウォルターはついにクレーターの縁までたどり着いた。
眼下に広がる窪地の中心部分で、火を噴くように得体の知れない魔法力を吹き上げた聖遺物を見据える。
「さあ妹よ。兄とともに行こうではないか! 愚かな人間どもの理解など必要無い!」
「……兄さん……やめ……て」
苦しげにリューネは呟く。が、それに応えずウォルターは自分勝手に言葉を並べた。
「魔法とは何か!? それは人の想いと願いの力だ。聖遺物はそれを増幅し、さらなる高みへと押し上げる。だが、それ自体に意識が無い。思考し実行することができない。ならばそれを足りなければ補ってやればいい!」
クレーターの傾斜をウォルターは滑り落ちていく。
リューネを抱えて、男が目指すのは聖遺物の元だった。
「レオ! 止めて!」
クリスの叫びよりも早く俺の身体は動く。
「来ればリューネを殺す」
クレーターの縁で身体が金縛りになったように止まる。
動けという意志に反して身体は硬直した。
もし近づけば、ウォルターがリューネを……。
聖遺物まであと十メートル。
少女の悲痛な叫びがクレーターの中心から広がった。
「……自分はどうなってもいい! 兄を遺物に触れさせるな!」
彼女の言葉に俺は強行策を取った。
小剣を構え魔法を構築する。範囲重力魔法によって二人まとめて押しつぶすように動きを止める。
小剣を振るった。目標地点で重力魔法が炸裂する……はずだった。
「ハッハッハ! そのような魔法が通じるか!」
放った魔法が聖遺物に吸収されてしまったのだ。結晶体は輝きを増し、重力波を四方八方にまき散らした。
そのいくつかが観覧席の結界防壁に直撃して、魔法防御を吹き飛ばす。
偶然か幸運か、四散した重力波はウォルターとリューネを避けて通った。
これが奴の狙いだったか。
とはいえ、この状況ならイーブンだ。
「それならお前だって魔法は使えないはずだなウォルター?」
身体強化を最大限にして、小剣を構えて俺はクレーターの傾斜を駆け下り、跳ぶ。
「聖遺物に祝福されたオレ様は護られるんだよ!」
ウォルターが炎の精霊魔法を発動させた。
それは聖遺物に吸収されると、元の力の数倍にも増幅されながら、放射状にクレーター内部を焼く。
まるで蛇のように炎の渦はのたうちまわり、俺は空中に斥力場の足場を作ってそれから逃れた。
兄妹は炎の海の中にあって、依然健在だ。
本当に、ウォルターの周囲だけは炎が止んでいる。
こちらの魔法は聖遺物に吸われて発動もままならない。
向こうは撃ち放題だ。ならば……標的を変えよう。俺の力が上か、聖遺物の許容量が上か。
小剣の強度に不安はあるが、俺は消滅魔法を聖遺物に試みた。
構築、発動までを瞬時に行い、放つ。
獄炎が消えさり、聖遺物は俺の魔法に反応して光輝いたかと思うと、一呼吸置いてクレーターのあちこちに小さなクレーターが複数発生した。
続けて破壊魔法――魔族が得意とする物質の崩壊を促す魔法を試す。負荷が掛かるため隠蔽せずに構築を進めた。
「な、なんだその魔法は!?」
ウォルターが目を見開いた。魔族と戦闘経験が無ければ止めようもないだろう。
うっすらと輝き鎮座する聖遺物に、俺の破壊魔法が直撃した。
結晶体にいくつも繋がれていた装置群が、砂のように崩れ去る。
聖遺物自体も透明度を失い石柱のように変色した。
効果ありだ。続けて打ち込もうとすると。
「待てレオ! リューネの命が惜しくないのか? 大人しく降りてこい!」
ウォルターに首を腕で押さえ込まれたリューネは、無抵抗だった。
「……自分に構うな。迷いを捨てろレオ・グランデ」
空中に生み出した足場からクレーターの中腹に俺は降り立った。
背後の縁のあたりに、クリスとデフロットの姿がある。二人は援護のタイミングを見計らっているようだが、俺と同じくリューネを人質にされた状態では手出しができないのだ。
俺はクレーターの中心近くに立つ男に告げた。
「もう諦めろウォルター。聖遺物は見ての通り、俺が破壊した」
「フフ……ハハハ! 破壊しただと? 何を勘違いしている。オレ様にはわかるぞ……聖遺物は学んでいるのだ。このオレ様と同じく学び、吸収し、より強くなる!」
言い終えるのとほぼ同時に、石の塊のように輝きを失っていた聖遺物が、再び透明な姿を取り戻した。
勝ち誇った笑みを浮かべて、ウォルターはゆっくりと聖遺物に近づく。
「オレ様の勝ちだ! さあ……聖遺物よ真理の扉を開くがいい。オレ様と一つになれ! そしてオレ様の知識と意識の全てを吸収し、完全なる魔法的存在となるのだ。奇跡は起こる! オレ様がそれを信じる限り! リューネ……オマエだけは連れて行ってやるぞ。この優秀な兄に感謝するがいい」
聖遺物と一つになる……だと?
そんなことが可能なのか?
いや、ウォルターという男はそれが可能だと信じている。
その思い込みが……願いが……想いが……魔法となってヤツの言う奇跡を起こす可能性は……否定できない。
瞬間――
「……させない……そんなことは!」
ウォルターが触れようとした瞬間、リューネは力を振り絞って自ら聖遺物に手を伸ばした。
先に聖遺物に触れて……自分を取り込ませるつもりなのか!?
「やめろリューネ! お前がウォルターの身代わりになる必要なんかない!」
「……これで無理だと……諦めて……」
リューネが聖遺物の表面に触れると、そこから虹色の光彩が波紋のように広がった。
「……うっ……自分では……だめ……なの」
ウォルターはリューネの身体を解放した。
そして、リューネはその場にへたり込む。
「愚かな。オレ様よりも先に触れるとは……聖遺物を信じる心も持たず……愚かな妹だ。だが、ここまでよくぞ兄を守った。オマエの命があればこそ、その男もオレ様に手出しができなかったのだからな。功績に免じて全てを赦そう。そして感謝するぞ。ありがとう」
「……兄……さん」
満面の笑みでウォルターは聖遺物に触れた。
「そして、さようならだリューネ」
俺は重力魔法に加えて消滅魔法に破壊魔法。精霊魔法各種を同時展開したが……それらはすべて聖遺物に吸い上げられて、無作為に周囲にばらまかれた。
クレーターの外でクリスとデフロットが斥力場を主体とした結界防壁を展開している。
観覧席は大混乱だ。観覧席を警戒していた特殊部隊の連中が、一斉にオーラムの元に集まり、彼女を中心に陣形を組む。
俺の魔法による攻撃も干渉も、まるで通じない。
聖遺物に触れたウォルターの身体は光に溶けていく。
その表情は歓喜に満ちていた。
同じく聖遺物と名付けられた結晶体もまた、その姿を光に変えてウォルターと混ざり合い、絡み合い、一つになる。
合わさった光は人の姿を模した。その四肢も肉体もすべてが透き通った結晶体だ。
顔に目鼻はなく、口だけが残っていた。
人形のような球体の関節を持つ水晶人間がクレーターの中央に立ち、笑う。
「ハッハッハッハ……ついに人間を越えたぞ! この力さえあれば、もはやユグドラシアなど不要だな。オレ様は真理を手に入れたのだから」
全身から虹色の光彩を放ちながら、ウォルターと聖遺物の融合体はゆっくりとクレーターの外に向けて歩き始めた。
リューネの身体からふっと力が抜けた。意識を失ったのだろう。
融合体は妹に見向きもしない。
俺はその進路に立ちふさがった。
「お前はウォルターなのか?」
「ンフー! 当然だ。オレ様の高貴な魂はどのような姿であろうと不変だからな。下等な人間クン?」
俺の中で何かが切り替わる感覚が生まれた。
こいつは人間であることを捨てたのである。
融合体を見据えて俺は告げる。
「ずいぶん外見は変わっちまったが、中身は相変わらずだな」
自身の両腕を舐めるように見つめると、融合体は恍惚とした口振りで続けた。
「変化ではない。これは進化だ。オオ! なんと美しい肉体だろう。まるで宝石のようじゃないか? 意識もこれまでになく鮮明で、心が晴れやかだぜ。さて……レオよ。そこを退け。まずは恩師に挨拶をしなくてはいけないからな。これまで受けた恩をたっぷりと返そうじゃないか」
「止めておけ。今のお前は越えては成らないラインを越えた。大人しくここから去って、人の目に触れることなく生きるというなら見逃してやる」
融合体はあくび混じりに返す。
「なら先にオマエからだレオ」
融合体は無造作に腕を振るった。魔法式の構築は無い。純粋な魔法力の固まりが俺に押し寄せる。
式の無いものには式への介入ができない。俺は斥力場を張った。
「なるほど、見えるぞレオ。そうやって見せる魔法と見せない魔法を使い分けていたんだな! しかしネタが透けて見える手品ほど滑稽なものはない!」
融合体は指を弾くように鳴らした。同時に構築した斥力場が雲散霧消する。
こちらの魔法式をねじ曲げやがった。俺の身体は魔法力塊に吹き飛ばされ、クレーターの傾斜にめり込む。
「クハッ……!?」
衝撃で意識ごともっていかれそうになった。やばいな。こいつ……俺よりも強いかもしれない。
クレーターの上はどうなっているだろう。
クリスはオーラムを連れて逃げてくれただろうか。
いや、逃げたところで融合体に見つかるのは時間の問題だ。
俺が今、ここで倒すよりほかない。
立ち上がろうとすると、再び俺の身体に魔法力の固まりが二度、三度と叩きつけられた。
身体が地面にめり込んでいく。
身体強化と小さな斥力場を複数同時展開して抗うが、向こうが手を休めてくれなければ立ち上がることさえままならない状況だ。
そんな最中、いくつもの影がクレーター内に舞い降りた。
「レオ殿助太刀いたします!」
それはユグドラシアの研究生風だったり、街の住人の姿に擬態した青年たちだった。
王国の特殊部隊だ。
「やめろ! オーラムの元に戻れ!」
ダメだ彼らは解っていない。目の前の融合体は高位魔族すら軽々と凌駕する存在なのだ。
いかに使い手であっても、太刀打ちできる相手ではない。
俺の制止も聞かず、彼らは四方八方から小剣で融合体に斬りかかった。
「行くな! 逃げろッ!」
融合体が口を緩ませる。最初に飛びかかった一人の顔面をつかみ、ゴミのように投げ捨てると、背後から近づいた一人を後ろ足で蹴りつける。
二人は俺と同様に、斜面に激突し身体半分ほど埋まると、動かなくなった。
「怯むな! 人数を掛ければレオ殿が立ち上がる時間は稼げる!」
同時に四人が融合体を囲んだ。が、それも鎧袖一触。融合体は易々と蹴散らした。
十数人いた護衛の部隊員があっという間に倒されてしまった。
その間に、一瞬緩んだ攻撃の隙を突いて立ち上がる。
軽く腕を組んで融合体は首を傾げた。
「下等生物どもが涙ぐましいな。しかし……力の差は歴然だというのにオレ様の力にひれ伏さないのか」
頭の中が白く焼けるように熱い。
身体が意識や魔法力の容量を無視して、目の前の男を倒すために力を振り絞っている。
こいつは人々に不幸をもたらす存在だ。
「ウォルターアアアアアアアアアアアアアア!」
魔法式を介さない直接魔法力をぶつける攻撃を再現する。
俺の手から放たれた魔法力の塊が融合体を狙った。
「弱いなぁ? それがオマエの全力か?」
俺の攻撃は融合体に軽々と片手ではねのけられる。
どうする。どう動く? どうやってあいつを倒す?
下手な攻撃は通じない。
通じたとしても中途半端であれば、対応される。
そのうえ融合体には人間としての思考力さえ備わった。
さらに中身は交渉不能のウォルター・ショーメイカーだ。
地表付近から悲鳴が上がった。
オーラムがまだ残っているのか?
「クリスッ! オーラムを連れて逃げろ!」
地上の様子はクレーターの中からではわからない。
「ダメよ! この建物が強固な結界で封じられてる……逃げ場は無いわ!」
クリスの返答に融合体が笑う。
「その通りだ! クリス研究生。この研究棟だけでなく、すでにユグドラシア全体にオレ様が結界を張ったぜ。もう誰も逃げることはできない。すかさず看破したオマエには優の判定をやろう」
魔法武器さえあれば。
俺が全力を委ねられる武器なんて、そう都合良くありはしな……。
顔を上げるとクレーターの縁にデフロットが立っていた。
右手で教鞭を執り、反対の腕の小脇には長い楽器ケースのようなものを抱えている。
それは後生大事にジゼルが抱えていた魔法武器――空蝉の納められた箱だった。
「あった……」
デフロットがイノシシのように猛烈な勢いで傾斜を駆け下りてくる。
「フン! 恐怖でおかしくなって自分から殺されに来たか」
「そうではありませんぞウォルター君!」
融合体が魔法力の塊をデフロットに向ける。
「学部長の椅子ごと潰れてひしゃげろデフロット」
「なんですと?」
俺は斥力場を押しつけてデフロットの身体を跳ね飛ばす。
瞬間――
学部長の身体が坂を転落し、数秒前に彼が立っていた斜面がごっそり真っ平らに整地された。
まるで上から巨大なハンマーを叩きつけたようだ。
「うおおおおおおお! 目が回りますなこれは!」
転がりながらもケースを離さず、デフロットは俺の元までたどり着いた。
「レオ君。ジゼル君からの伝言です。再レポートと引き換えに、自由に使ってほしいと」
「わかった。デフロット学部長は逃げてくれ。ここは俺が食い止める」
デフロットはニッコリと笑った。
「いや、どうやらそれはできないようですな。ただ、こうして次の世代にバトンを繋ぐことができただけでも、ワタシは満足ですぞ」
口元から鮮血をしたたらせて、デフロットは目を細めるとそのまま俺の方に倒れ込んできた。
「お、おい! 学部長!?」
デフロットの胸にぽっかり穴が空いている。
消滅魔法だ。これは……治療の施しようがない。
やったのが誰かも明白だった。
融合体がニヤリと嗤う。
「殉死された学部長の冥福を祈ろうじゃないか」
「どうしてそこまでする必要があった」
「聖遺物の研究を止めると言い出さなければ見逃してやったんだが、仕方ないだろう? 次はオマエの番だ。オマエを良く知る女たちは、きっと美しい悲鳴を奏でてくれるに違い無い。レクイエムにはぴったりじゃないか?」
デフロットの身体をそっと地面に伏せる。目を閉じ腕を組ませた。
命と引き換えに受け取ったケースを開く。その一振りには質量以上の重みがあった。
デフロットの魂の分だと俺は思う。そう、信じる。
取り出した剣は業物――空蝉だ。
もう一度、この手にするとは思わなかったが……俺が自分用に調整を済ませた時のまま、ジゼルは保管していたらしい。
一瞬で手に馴染んだ。まるで身体の一部か延長線上のような感覚だ。
新合金製ではないが、現存する技術の粋を懲らしてジゼルが設計し、七連星工房の職人たちが手がけた剣である。
様々な人たちの願いと魂の宿った刃だ。
その切っ先を融合体に向けると、俺は呟いた。
「終わりだ……ウォルター」
「ハン! 武器が変わったくらいで何が変わるというんだか?」
教えてやるよ。その違いを……。
俺は空蝉に魔法力を込め、意識を戦闘にのみ特化した。




