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186.経験≒実力

三十メートル四方のステージの中央で、教鞭を手にしたウォルターが待つ。


ステージを挟んだ向こう側にはリューネが兄の介添人として付き、俺の隣にはクリスが立っていた。


そっと俺の背に手を当ててクリスは呟く。


「レオが負けるなんて思ってないけど、油断は禁物よ」


「ああ、気をつけるよ。心配してくれてありがとうクリス」


途端にクリスは伏し目がちになって「当然じゃない。私はレオの……生徒だもの」と、小声で呟いた。


借り受けた教鞭を手に、俺もステージに上がる。


審判は学部長だ。


「では、これより模擬戦を開始しますぞ! 双方、正々堂々戦うように!」


ウォルターが声を上げて笑う。


「当然だ! 実力の差に絶望という闇に飲まれぬよう、今から心の中で祈りを捧げておくことをおすすめするぞ。レオ・グランデ!」


開始の合図も無いのにウォルターは俺に教鞭の先端を向ける。


「研究者のお前よりは、戦闘経験はあると思うんだが」


「ん〜♪ 経験論や過去の成功体験に囚われた哀れなストレイシープとはオマエのことだ。どこの馬の骨ともわからない男と、未来を嘱望された世界を救うジーニアス。この埋めがたい差を、チープなオマエの経験でどれだけ埋められるかな?」


ステージ脇の観覧席は研究生で埋まっていた。どうやら噂が広まって、ウォルターの門下以外の研究生も集まっているようだ。


ふと思う。


ほんの少しの間とはいえ、俺がクリスに魔法や戦い方を教えていたことはユグドラシア側も把握しているだろう。


あまり無様な姿を見せるのは、クリスの進路に少なからず影響が出るかもしれない。


あんな不甲斐ない男に教わっていた……なんてクリスが思われるのは心外だ。


やりすぎるなとも言われたが、質の高い魔法武器もある。


今も会場には次々と観戦希望者が集まりつつあった。


あっさり終わらせるのも忍びない。


俺は教鞭を手に取ると、その先端をウォルターの鼻先に突きつけ返す。


御託ごたくは結構だ。始めよう」


「こ、このオレ様に教鞭を突きつけるとは……手違いでこの世界から塵となって消え去っても文句は言えないぜ」


慌ててデフロット学部長が「これは殺し合いではなく試合ですぞ!」と、釘を刺した。


ウォルターは「フンッ!」と、不機嫌そうに鼻を鳴らして俺に背を向け、観覧席に集まった門下生やほかの研究生たちに手を振ってみせる。


観覧席もそれに応えるように湧いた。


戦いを忌憚きたんするといっても、いざ試合が開催されるとなればこんなものか。


俺も三歩下がって間合いをとった。


学部長がそっと腕を上げる。


「それでは試合……始めですぞ!」


振り下ろされると同時に試合の幕が切って落とされた。


ウォルターは指揮棒を振るうコンダクターのように教鞭で虚空に魔法式を列挙し始める。


そのどれもがまるで、見てほしいと言わんばかりだった。


教科書通りの美しい式だ。


無駄がなく、そして速い。


ウォルターはニンマリと笑った。


「まずはその手足の自由を奪わせてもらおうか?」


重力場による枷の魔法だ。俺は教鞭を軽く振るって、その枷の魔法とは反対のベクトルの重力操作で完全無効化する。


もちろん魔法式には隠蔽を欠かさない。


「ん? どういうことだ? オレ様の魔法が発動したというのに、なぜオマエは地べたに這いつくばらない?」


「さあな」


「まさかオレ様の超高速構築に合わせた……いや、あり得ない。そんな存在はあり得ないんだぜ。なぜならユグドラシア最速は、世界最速だからだ! アーハン?」


速さも構築精度もクリス以上のものはあるが、それだけと言えばそれだけだった。


いぶかしげなウォルターの背中に、ステージを挟んだ向こう側で待機するリューネが声を上げた。


「……バカか! 何らかの方法で無効化されたぞ!」


方法まではリューネもわかっていないようだが、最初から「俺にやられた」という可能性を排除するウォルターよりは、よっぽど戦況が見えているな。


「無効化だと? フッ……そうか! どうやらオマエは悪あがきで何か魔法を使ったようだが、あまりに無様な魔法式だったため、このオレ様の目には映らなかったと見えるな!」


「その悪あがきの魔法で的確に無効化されたのはどう説明するんだ?」


俺が訊くとウォルターは「オマエの幸運に感謝するが良い! 次はそんなまぐれは起こり得ないぜ!」と、どこまでも自分本位な解答を提示した。


「では第二問にして最終問題だ。いくら運が良かろうと、複数の魔法を同時に受け切ることはできないだろう?」


ウォルターは地火風水の精霊魔法を同時に展開し、それを理論魔法で補正して俺に向ける。


獄炎渦巻く球体と風の牙を集めた竜巻。圧を極限まで高めた水の刃に、鉱石を圧縮して撃ち出す槍がウォルターの号令を待つように、虚空に発生した。


もし、俺が手にしているのが魔法武器でもない箒だったとしたら、少し厄介だったな。


勝ち誇った顔でウォルターが告げる。


「今すぐ、この場で額を地面につけて深く反省した態度を示せば、これを放つことを取りやめてもいい ぜ? なにせオレ様は世界を救う英雄になる男だ。そこらのやからとは素養からして違う。寛大さもな。さあレオ・グランデ。敗北を認めることは恥じゃあない。オレ様にこれを撃たせないでくれ」


悪いが理論魔法にせよ精霊魔法にせよ、複数同時展開は魔族相手に慣れている。


「いいから撃ってみろよ。俺を殺してしまうかもしれないって心配は無用だぞ?」


途端にウォルターの余裕の笑みが歪んだ。


「オマエは何もわかっていないな! 偉大な魔法技術の進歩には犠牲もつきものだ! 発展のいしずえとなるにえとなれ!」


おいおい、俺を倒しても魔法技術は発展しないだろうに。


こちらの安い挑発に乗って、ウォルターは四種の精霊魔法を俺に放つ。


それらは放たれるやいなや、もとの魔法力を超えた勢いで牙を向いた。


どうやら先日、精霊魔法学部で見学した魔法力の暴走現象が起こったようだ。


「見よ! 精霊たちもオレ様を勝利に導こうと、いつもよりたぎっているぞ!」


この会場にいるクリス以外の誰もが俺の死を予感していたに違いない。


俺も教鞭を振るった。


この教鞭は使い込まれて古臭い外見とは裏腹に、本当に素直で使いやすい。


俺の魔法力にも十分耐えうる良質さだ。


だからだろう。返すのは容易だった。


火は水に。風は大地の精霊に、それぞれ引き合うように制御する。


ウォルターの魔法式は高度だ。だが、丸見えな上に、実にわかりやすい。コントロールを奪うことなど造作もない。


俺の目の前で四種の精霊魔法が、それぞれ対となる属性同士で勝手にぶつかり合い、消え去った。


観覧席がしんと静まり返る。


ウォルターは胸を張った。


「フフッ! どうやら慈悲の心が出てしまったらしい。オレ様が地位と名誉と実力で遥かに劣るレオを殺す理由があるか? いや、そんなものは無い! つい、寛大すぎるオレ様の優しさが、直前でレオにとどめを刺すことを嫌ったんだぜ!」


観覧席はどよめいた。


対岸のリューネはこちらに顔を向けたままだ。


長い前髪もあって、その表情はわからないのだが、おそらくカーテンのような髪の向こうにある瞳は、俺の手元をじっと見ているのだろう。


審判を務める学部長も目を丸くしていた。


クリスだけが驚くこともなく「当然でしょ」と言わんばかりの表情を浮かべながら、腕を組んで胸を張る。


お前の師匠筋がなめられないように力を見せてはいるんだが、そこまで自慢げになることもあるまいに。


しかし、何をしてもウォルターは自分が負けていることに気づきもしない。


俺は教鞭を向けた。


「ずいぶんとお優しいことで。今のが最終問題になるはずの第二問だったわりに、俺はピンピンしているんだが?」


「ハッハッハ! オマエの勇気だけは認めてやろう! オレ様が無意識のうちに止めていなければ、死んでいたんだからな!」


「それじゃあどうするんだ?」


「次こそは手加減なしの第三問! これで世界から消え去ってもクレームはノーサンキューだぜ」


理論魔法使いらしく、最後は対象物を消し去る消滅魔法か。その魔法式は当然のごとく俺を殺しにかかっていた。


かつてクリスが俺にしたような“足場を消して場外負けにする”といった使い方ではなかった。これが試合だという意識すらないらしい。


研究者だからとか、そういうものじゃない。こいつは――ウォルターは無邪気で危険な男なのだ。


妹のリューネが何度となく止めようとしても、この男はその声に耳を傾けることは無かった。


デフロット学部長にとっては部下であって、教え子ではない。リングウッドとデフロットのような良好な関係性も築くことができなかった。


唯我独尊――俺と似ている。ただ、今の俺にはクリスを始め、学園に身を寄せてから受け入れてくれた仲間がいる。


「悪いなクリス。ギリギリで勝つ作戦はやめだ」


目的のために犠牲をいとわず手段も選ばない。


ウォルターの魔法式を読みながら、この男の本性も読み解いていったような気がした。


白衣の裾をなびかせて男は教鞭を振りかざし、俺にその先端を向ける。


「消え去れ!」


消滅魔法が発動する寸前で、俺はその魔法式に干渉した。


中核となる式のうち、一つでも異物が混入すれば魔法は発動しない。


だからこそ、敵が干渉したくなるような無駄を式に折り込む。それが実戦用の魔法というものだ。


いかに高度で高速であろうとも、一切無駄がないからこそ、ご破産にするのは簡単だった。


「……?」


発動しない消滅魔法にウォルターは首を傾げた。


そして、もう一度同じ魔法式を構築する。


同時に無効化した。


構築。無効化。構築。無効化。構築。無効化。構築。無効化……。


「な、なぜだ? 今日は調子が悪いのか? オーマイハニ-? 機嫌を直しておくれよ」


手にした教鞭にウォルターはそっと口づけをした。リューネとクリスがその場でブルッと身を震えさせる。


魔法武器の不調を疑うとは、度しがたいな。


「いい加減に気づけよ。お前の魔法式は無駄がなさすぎて、弱点がさらけ出ているんだ。そんな魔法じゃ干渉してくれと言っているようなものだぞ?」


「か、干渉だと!? 馬鹿な! オマエは何もしていないだろう?」


「何もしていないように見えるのは、俺が干渉の魔法を隠蔽しているからだ」


ついでにいえば、ほぼノータイムで魔法式を構築・発動している。借りた教鞭の性能にも助けられた。


決してウォルターの魔法が劣っているわけではないのだ。


実戦経験が明らかに少なすぎるだけで、おそらく才能や潜在的な力は、スレイマン兄弟以上。


本人が増長するのもうなずける。


が、それでもやはり敵ではない。


気づかないうちに――俺は強くなっていた。


現役の頃から弱くなる一方だとばかり思っていたんだが……正直、意外だ。


クリスたちを教えるうちに、どうやら俺自身、何をどう教えれば最適解なのかを自然と考える癖が身についていたらしい。


それが俺自身の力の最適化を促した。教鞭を手にウォルターのような使い手を相手にして、やっとそれに気付くあたり俺もまだまだだな。


ウォルターはつり上がった目で俺を射抜くように見据える。


「ま、魔法式を隠蔽するなどあり得ない! 魔法とはその美しさを誇るものだぜ?」


「それじゃあ相手によっては殺されるんだよ。達人や魔族を相手にぬるい事、言ってる場合じゃないんだ」


「どんな手品で騙そうとしたかは解らないし、解りたくもないが……オレ様が魔法でオマエのような雑種に負けるわけがない……ないんだ……」


ウォルターが魔法式を六つ同時に展開した。


ついに本気を出した……のではない。


あれだけ理路整然としていたウォルターの魔法式が、まるで別人のように乱雑で殴り書いたようなものに変化した。


これは……危険だ。六つの魔法は火の精霊魔法をベースとしたものだが、制御されたそれではなく爆発によってこの施設ごと吹き飛ばし兼ねないものだった。


理性が振り切れて暴走したらしい。


デフロットが「こ、こんなウォルター君は初めてですぞ……なんたることだ」と、腰を抜かしてステージの上にひっくり返っていた。


仕方ない。避難の時間は無さそうだ。このままウォルターをステージの外に弾き出しても、場外負けなどお構いなしに、現在構築中の魔法をぶっ放しそうな雰囲気が漂っている。


完成に近づきつつある、六つすべての爆発を抑え込む斥力場を構築し、ウォルターが発動させるより先に封じ込めるか……もしくはウォルターを倒すか……。


どちらを選ぶか決めようとした刹那――


「……クソが。手間を掛けさせるな」


リューネがステージに上がってきた。


そのまま、まっすぐ矢のようにウォルターの元に走り込むとリューネは抱きつくように……ウォルターのみぞおちに膝を叩き込む。


「――ッ!?」


不意の一撃を受けてウォルターは白目を剥くとひっくり返る。


そのまま、巻き起こそうとした破壊の魔法力は彼の意識とともに雲散霧消した。

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