185.隣に立って
研究生たちはクリスの乱入に最初は驚いていたようだが、彼女がスラスラと言葉を紡ぐのをみてすぐに落ち着きを取り戻した。
というか、俺の時よりもきちんと言葉に耳を傾けている。
クリスはニッコリ微笑んだ。
「それじゃあ、私が助手をするから講義を続けましょ? レオ先生」
「え、ええと……いいのか?」
教室の隅に座るデフロットに確認をとると「もちろんいいですとも。ユグドラシアでは助手の活用は普通のことですぞ」と快諾してくれた。
クリスは小さく頷く。
「ねえレオ先生。たまには自分独りでなんでもやろうとしなくてもいいんじゃないかしら? 私は……もっと頼ってほしい。前にレオ先生がしてくれたみたいに、今回は私が戦闘……じゃない、講義の補助をするから」
補助――つまり、講義版の戦闘管制みたいなものか。
頼りにすれば巻き込んでしまう。ずっと……そう思っていた。
ぼっちだった頃は独りでなんでもできなきゃいけなかったからな。
誰かを助けることがあっても、誰かに助けられるのを待つわけにはいかない。
それがすっかり心身に染みこんでいたんだ。
俺はゆっくり頷いた。
「悪いが頼む」
「悪いことなんてないわ。私もレオ先生の力になれるなら……同じ目線の高さで隣に立てるなら嬉しいもの」
俺は再び対魔族に関する理論魔法の講義を再開した。
自由に好きなように伝えたい事柄を自分の言葉で告げる。我ながら下手な講義だ。今の俺にはそれしかできない。
が、伝わりにくい言葉やニュアンスや内容を、クリスが研究生たちに解る言葉で言い直してくれた。
補足説明もばっちりだ。時にはクリスの方から俺に質問が飛ぶ。それに応えると、不思議とうまく講義が回った。
後部の席で足を投げ出すようにしながら、ふんぞり返っていたウォルターの表情が、クリスの登場から一気に苦々しいモノへと変わる。
一方研究生たちは、興味が無かったはずの対魔族という講義内容にも少しずつ理解を示してくれた。
これもクリスの翻訳のおかげだ。
時間はあっという間に過ぎ去り、一時間の講義の予定が研究生たちの要望で三十分ほど伸ばされた。
◆
講義が終了し、肩の荷が下りてホッと息を吐く。
魔族を相手にするのとは違った緊張感と疲労感だ。
隣でクリスは生き生きした表情を浮かべていた。
「とりあえず成功って言えるんじゃないかしら?」
「ああ。クリスのおかげでなんとか乗り切れた。ありがとう。クリスの方が先生に向いてるかもな」
クリスはそっと首を左右に振った。
「私はちょっとだけお手伝いしただけで、もともとレオに教える力があったからよ。ただ、一つ要望を言うなら、レオの場合はできて当然のことでも、大半の人間にはできないことだったりするの。その点について注意しながら講義しないといけないかもしれないわね」
実に耳が痛い言葉だ。
そして、講義終了に伴い“レオ先生”という呼び名も返上となったらしい。
「そうか。やっぱり俺は先生なんて柄じゃないのかもな」
誰かの成長を見ることの喜びはあっても、クリスもプリシラもフランベルも、それにフローディアもたまたま俺と相性が良かったから、教えることができただけなのかもしれない。
クリスは頬を小さく膨らませながら口を尖らせた。
「もう! 弱気なんてレオらしくないわよ?」
俺はクリスからみてどんな人間なんだろう。
「俺らしいって言われても……」
「普段はマイペースで俺様で、なんでもできて自信家とまでは言わないけど……頼りがいもあるじゃない? ユグドラシアに来てから、なんだかいつものレオっぽく見えないというか、自由に生きてきた野生の生き物が、まるで借りてきた猫みたいになっちゃった……って、思ったの」
「俺ってずいぶんと自由奔放な生き物に見られてたんだな」
まあ、野生の生き物というのも放浪していた頃を思い出すと、自分の中で案外しっくりきてしまった。
研究生たちは講義が終わったのに席を外さない。講義内容をノートにまとめ直したり、何人かでグループを作って論議を続けていた。
そんな中、理論魔法学部長デフロットが俺とクリスの元にやってくる。
「いやいや! なかなか興味深い講義でしたぞ。対魔族という視点は今のユグドラシアには無いものですから、研究生たちもなかなか受け入れがたかったようですが、クリス君と言いましたかな? ナイスなアシストですぞ」
クリスは小さく頭を下げた。
「こちらこそ、突然押しかけるようなことをしてしまって、申し訳ありません」
デフロットはにっこり笑う。
「頭を下げるなんてとんでもない! みな新たな知識や考え方を得たようで、活気に溢れております! しかし……レオ先生」
ずっと朗らかだったデフロットの表情が引き締まった。人当たりの良さが嘘のような凄みを覚える。
「な、なんでしょうか?」
「いやはや、今回の講義は実に有意義なモノでしたが、もしここでありきたりな、普通のおもしろみもない、手堅いだけの講義をしていたなら……ワタシはアナタに失望しているところでしたぞ。さすがリングウッド先生の推薦……正直、驚き以上に喜びでいっぱいですぞ!」
途中からデフロットは満面の笑みに戻っていた。
「い、いや。俺なんて……ご覧になっていただいた通り、クリスが助手を務めてくれなければ講義になっていないところでした」
デフロットは「謙遜するなんてとんでもない!」と、再び声を上げた。
よかった……あそこで無難な方に逃げなくて。俺をここに寄こしたリングウッドの顔を潰すところだった。
そして――
苦々しい顔をした青年が、階段状の教室をゆっくりと教壇まで降りて来た。
肩で風を切りながらも、まるで「よくも顔に泥を塗りたくってくれたな」と言わんばかりだ。
「おめでとうレオ先生! 助手に頼り切りだったとはいえ、実に興味深い講義だったぞ! オレ様の講義ほどではないがな」
ウォルターの言葉にデフロットが「やれやれ、また妙なところで対抗意識を燃やして。困りますな」と溜息を吐く。
「ハンッ! 対抗意識とは失礼な。オレ様が初心者の講義に何を嫉妬するようなことがある?」
不満げな態度を見れば一目瞭然だ。
ウォルターは腰のベルトから教鞭を抜いて、俺の鼻先に突きつけ声を上げた。
「我がゼミの研究生諸君! そして学部長にクリス研究生と妹よ!」
講義の間、席にも着かずウォルターから距離を取ったまま、置物のように立っていたリューネが、遠く離れた教壇にまで聞こえるくらいの大きさで「チッ……」と舌打ちする。
「オマエたちはこの男に惑わされている! 真に優秀な人間が誰かは明白じゃないか?」
なんで因縁を付けに来るんだ。研修という俺の仕事はもう済んだのだから、このまま帰してくれればいいだろうに。
変なことになる前にウォルターを説得しよう。
「まあ待ってくれ。俺は別に誰も惑わそうなんて思っていないし、お前と競うとか蹴落とそうとか、そういうつもりは無い」
「言ってくれるぜ。オレ様の学生がすっかりオマエの新理論の虜じゃないか? ここまで手塩に掛けて育てて来た学生を横取りしようとはギルティー……オマエをこのまま帰すわけにはいかないぜ」
「落ち着けって。誰もお前の教え子をどうこうなんて……」
ウォルターは目を血走らせた。
「対魔族? アーハン。つまりオマエは崇高な理論魔法を研究ではなく、野蛮な使い方しかできない男だ。そんな男が講義をし、成功させた。オレ様の目の前で! なら、今度はこちらの番だ。オマエが最も得意とする戦闘とやらで、オレ様が華麗に勝利してやろう」
講義内容の話合いを続けていた研究生たちが、ぴたっと静かになった。
慌ててデフロットが俺とウォルターの間に割って入る。
「そ、そそ、それはいけませんぞ! ユグドラシアの主任レベルが戦闘のために魔法を使えば、それは国を滅ぼす破壊の災厄になりかねない!」
ウォルターはデフロットの言葉を鼻で笑った。
「ハンッ! 止めても無駄だぜ学部長。それに安心しろ。客人を殺すような真似はしない。ただ、二度とユグドラシアに近づきたくなくなるような、悪夢を現実にしてやるだけだ」
相当な自信だな。いつもなら兄の暴走を実力行使で止めに来るリューネが、今回は傍観を続けていた。
ウォルターは再び俺を睨みつける。
「で、どうするレオ? オレ様とやるのか? 逃げるのか?」
ついに研究生でも先生でもなく、ただのレオと呼ばれるようになった。親愛的な意味ではないし、だったとしてもごめんこうむりたい。
クリスが不安げに「レオ……無理はいけないわ……その……色んな意味で」と心配げに呟いた。
俺が戦うことで過去が露呈するかもしれない。勝敗よりも、そちらを気にしているようだ。
さてと――
奇妙でどことなく憎めない部分もあったが、向こうが俺を気に入らないというのなら仕方ないか。
「わかった。今からやろうか」
これだけの施設が揃ったユグドラシアの理論魔法学部だ。たとえ魔法を戦闘に使うことに抵抗があろうとも、試合ができるような場所くらい提供してくれるだろう。
ウォルターは「では、そちらが得意な戦闘でプライドも身体もすりつぶしてやるので、十分後に実験場Bまで来い。研究生は全員見学を命ずる!」と啖呵を切って、教室から独り出ていった。
デフロットが眉尻を下げた。
「うーむ、困りましたな。無理に挑戦など受ける必要はありませんぞレオ君」
「俺が自分の意志で受けたことですから……学部的に迷惑をかけたならすみません。先に謝らせてください」
頭を下げるとデフロットは「い、いやいや。わかりましたぞ。リングウッド先生の信頼を勝ち得てユグドラシアにやってきたレオ君を、ワタシも信じましょう!」と承諾した。
ついでにお願いしてみるか。
「ええと、それでなんですが……手持ちの魔法武器が無くて、もし差し支え無ければ貸してもらえないでしょうか?」
最悪、クリスのロングソードでも良いのだが、これはあくまで自衛用のお守り程度の威力しかない上に、エステリオでの使用が前提とされた安全装置付きになる。
まあ、ウォルターにとってはその方がいいのかもしれないが……。
デフロットは腰に提げていた教鞭を手にして、俺に柄の方を向けた。
「では、ワタシのコレを使ってください。年季が入っておりますが、リングウッド先生から譲り受けたものですぞ」
「え? いいんですか? 大事なモノなんじゃ……」
「きっとレオ君を守ってくれるはずですぞ。とはいえ、油断めされるな。ウォルターの才能は残念な事に本物なんです。残念な人間にあのような才能とは、本当にもったいない」
俺はデフロットから教鞭を受け取った。確かに使い込まれてはいるが、手入れもしっかりされていて、柄を握ればスッと自分の身体の延長になったように馴染む。
軽く魔法力を走らせると、その魔法武器としては細く小さなナリからは想像も付かないほどの、魔法増幅力が感じられた。
剣で言えば相当な業物だ。最近、とある因縁のあった魔族と戦うために七連星工房から借りた名剣――空蝉にも比肩するほどだ。
クリスがそっと俺に耳打ちする。
「圧勝すると睨まれるから、余裕があれば苦戦した方が得策ね。だけど……レオが勝つと信じているけど、万が一ということもあるから油断だけはしないで」
俺は頷いて返した。どう勝つかも重要だが、ウォルターの実力を見誤って足を掬われては元も子もない。
研究生たちは命じられたまま、ぞろぞろと退席し始めた。入れ替わりにリューネが教壇まで降りてくる。
「……案内する」
「ああ、よろしく頼む。けど、いいのか?」
眉一つ動かさずリューネは「……なにがだ?」と、俺に聞き返した。
「お前の兄と戦うんだから、その……」
「……心配は無用だ。それよりも、あの増長しきった腐れバカをしつけてやって欲しい。アレは間違い無く天才だが、それ故にバカになってしまった。元々の性格にも問題はあったものの、誰にもまともに叱られたことがない」
一瞬だけリューネは、憂うような悲しみと、かすかな優しさが入り交じったような複雑な表情を見せた。
兄であるウォルターに、まともになって欲しい。やはり家族なのだ。そう、願う気持ちがあるのかもしれない。
「わかった。善処するよ」
「……つ、着いてこい」
くるっと俺に背を向けて、目隠れ少女は早足で教室の緩やかな階段を登っていった。




