179.夜の夢と朝の出会い
オーラムは慣れない馬車の旅ということもあってか、明日の検診に備えてシャワーで汗を流すと、早めに就寝したそうだ。
クリスも同じく自室に戻る。俺もそれに倣った。
ベッドに仰向けになり、天井をぼんやり見上げる。
独りには慣れているのに、同じ屋根の下にクリスとオーラムがいると思うと、なんだか落ち着かない。
王都の喧噪と活気に比べて、ユグドラシアの夜は静かなものだ。
そう思った矢先――
「キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」
絹を裂いたような悲鳴が沈黙を破った。
ベッドから跳ね起き、自室を出るなり廊下を声のした方へと走る。
今のは……オーラムの声だ。
彼女の個室のドアをノックする。
「おい! オーラム大丈夫か!?」
反応が無い。嫌な予感がした。
「悪いが勝手に開けさせてもらうぞ!」
斥力場で扉の蝶番を吹き飛ばしてから、ドアを蹴破る。
中に入ると……オーラムは無事だった。
月明かりの射し込む部屋に、薄く透けるシルクのネグリジェ姿のオーラムの姿があって、安堵する。
彼女はベッドの上で膝を抱えるようにしていた。
その頬には涙の通った一筋の痕があった。
「大丈夫かオーラム?」
肩を震わせてオーラムは頷く。
「は、はい……だ、大丈夫です。ただ、なんだか夢をみていたみたいで……」
オーラムはゆっくり息を吐くと、ベッドから降りて立ち上がり俺に抱きついてきた。
「レオさま……わたし……怖いです。何か大きなものに呑み込まれて、自分が自分でなくなるような……とっても怖い夢を……とても寂しくて恐ろしくて……わたし……」
「呑み込まれる……だって?」
少女は小さく頷いた。
「わからないんです。夢から覚めると記憶もだんだんとおぼろげになってしまって……ただ、この数日の間に、同じような夢を何度もみている気がして……」
薄布一枚あるだけの、隠しきれない彼女の弾力のある豊かな二つの丘が、俺の身体にぎゅうっと押しつけられる。
オーラムはぽろぽろと涙をこぼした。
「レオさま……ずっと……ずっと怖くて……」
その心の内を誰にも言えず、彼女は抱え込んでいたのかもしれない。
本当はオーラム自身も自分の身体の変調が怖かったのだ。それをみせないように、誰にも心配をかけなようにと明るく振る舞っていたに過ぎない。
俺は気づきもしなかった。
もしかしたら、抱え込むことで不安が悪夢という形に変わって、彼女の心を蝕んでいたのかもしれないな。
(――レオお兄ちゃんの体温を感じると……とっても安心します)
不意に心の声がした。
「オーラム。腕輪はどうしたんだ?」
はっ! としてオーラムは俺から離れると、彼女は左手首を見せた。銀の腕輪は健在だ。
「ちゃんと肌身離さずつけてます。レオさまが作ってくれたお守りですから」
「そ、そうか。ええと……」
一瞬だが彼女の心の声が漏れ聞こえてしまった。感情の高ぶりがオーラムの魔法力を増幅させて、それを抑えきれなかったようだ。
ユグドラシアで根本的な治療法が見つかればいいのだが、今後、この腕輪で症状を抑制するのは難しくなるかもしれないな。
かといって、これより強力な魔法式を込めるには、ミスリルでは心許ない。
可能な限りオーラムに負荷が掛からないよう、魔法力だけを抑える式を腕輪には刻んでいるのだが、この負担軽減というのがやっかいなのだ。
アダマンタイト製なら軽減をしつつ、さらにレベルの高い魔法力抑制も可能なのだが、今度は物理的に重すぎてオーラムの手枷になりかねなかった。
「あの、レオさま?」
不安げにオーラムは首を傾げた。
「心配はいらないぞオーラム。俺がついてるから。それにクリスだっているんだ」
「は、はい……」
(――けど、独りで眠るのが怖いです。レオお兄ちゃんに添い寝してもらえたらいいのに)
いかん。腕輪の効果が立て続けに無力化されるほどの感情が溢れ出ている。
それくらい、オーラムは心細くてしかたがないのだ。
すると――
「だったら、ララちゃんが眠るまで私がそばにいてあげるわ」
俺が蹴破った部屋の入り口の陰から、クリスが顔を覗かせた。
廊下から射し込む明かりを背負って、彼女は困り顔を浮かべる。
首だけ振り返って確認した。
「な、なんだクリス……いつからいたんだ?」
「い、いつからって……悲鳴とドアを蹴破る音がしたあとからずっとよ」
目線をそらしてクリスは口を尖らせる。
ということは、ほぼ全部見られていた上に、オーラムの心の声も聞いていたというわけだ。
クリスは「ドアも誰かさんが焦って壊してしまったみたいだし、ララちゃんは空いている他の部屋に移った方がいいかもね」と、告げながらオーラムに手を差し伸べた。
「そ、そうですねクリスちゃん」
涙をぬぐうとオーラムはクリスの手を取り頷いた。
「じゃあ、あとは任せてちょうだい。レオが近すぎてもララちゃんは落ち着かないみたいだし」
言い残してクリスはオーラムを部屋から連れ出した。
オーラムも素直に手を引かれてついていく。まるでクリスがオーラムの姉になったみたいだ。
実際はオーラムの方が年上なのだが……。
遅れて――というか、タイミングを見計らってメイドが別の部屋の鍵をクリスに手渡し、そのまま俺の元へとやってくる。
「明朝、修理業者を手配いたしますので、扉はそのままで結構です」
ちょこんとお辞儀をしてメイドは去っていった。
オーラムのことはクリスに任せても大丈夫だな。
結局俺は、部屋のドアを蹴破っただけの迷惑な人でしかなかったが……それはそれだ。
◆
翌朝――
朝食を摂り終えると、迎えの馬車に揺られて俺たちは街の南側のエリアに向かった。
今日は俺たちといっしょに無口なメイドも随伴する。彼女が終日オーラムと行動を供にするらしい。
俺とクリスは王都からユグドラシアまでの道中と館での護衛役で、メイド曰くすでに行き先で護衛の魔法使いが待機しているとのことだ。
ゆったりとしたペースで馬車は街の目抜き通りを進む。
その間、オーラムはどことなく不安そうでクリスの方から話しかけては、彼女の気を紛らわしてくれていた。
俺も声を掛けたいのだが、そのたびクリスが「私にまかせて」と目配せした。
オーラムの心の声が大きくなるのを警戒してのことだ。
そうこうしているうちに景色は流れて、雰囲気が変わった。
魔法医学部を中心とした医療薬学関連の研究機関が集まっている地域に入ったのだ。
街の中ながら緑が多い。
目指すはその中心となっているユグドラシア魔法医学部付属病院である。
白く飾り気の無い石膏のブロックのような建物――中央棟は学園の校舎と同程度の大きさだ。
中央棟の入り口で馬車は停車する。
降り立つと、そこに見知らぬ少女が独り……俺たちを待っていた。
薄紫色をした、やや癖のかかったボリュームのある長い髪を、後ろで左右に分けるようにして留めている。
前髪が長く、両目が隠れるほどだった。口元からでしかその表情を読み取ることができなさそうだ。
小柄で華奢で、男の子と見まごうばかりだが、羽織った白衣の下はスカート姿だった。
オーラムを前にしても微動だにしない。が、緊張しているようでもない。
「……来たか……面倒な連中め」
その第一声は氷のように冷たい。
オーラムはキョトンとした顔で、クリスはどこか落ち着かない表情のまま目隠れ少女に訊いた。
「え、ええと、貴方は?」
「……先に名乗るのが礼儀だろう」
「わ、私はクリス・フェアチャイルドよ」
前髪をカーテンのように揺らして、目隠れ少女の顔が俺に向き直る。
「レオ・グランデだ。そしてこっちが……」
「……知っている。第一王女オーラム・タイタニアだな」
俺も大概だが、目隠れ少女はどうやら変人の類いらしい。ユグドラシアの研究者や学生には、こういった輩が多いのだろうか。
しかし、オーラムは気にも留めずにっこり微笑んで返した。
「はい。今日はよろしく御願いします」
小さくお辞儀をする王族に、目隠れ少女は舌打ちする。
「……チッ……それは自分の管轄ではない」
うわっ! 怖い物知らずかこいつは。
クリスがムッとして返した。
「こちらは名乗ったのだし、名前を教えてくれてもいいんじゃないかしら?」
「……リューネだ。それにしても生意気な後輩だな」
目隠れ少女――リューネは不満げにクリスに告げた。ということは……彼女がエステリオから初めてユグドラシアに飛び級で入った少女なのか。
どうやらユグドラシアでは能力さえあれば良く、性格面は考慮されないらしい。
「……受付は向こうだ。君らは自分と来てもらうぞ」
オーラムとメイドに中央棟の入り口を指し示すと、リューネはくるりときびすを返した。
少し寂しげにオーラムが頷く。
「レオさまとクリスちゃんとは、ここまでみたいですね」
クリスが微笑みかけた。
「もう会えないみたいな顔しないの。少しの間、別行動をするだけじゃない?」
俺も頷いた。
「そうだな。まあ、これだけの施設なら、きっと色々とわかるだろう。それじゃあまたあとでなオーラム」
「はい! ええと……リューネさん。レオさまとクリスちゃんをよろしく御願いします」
リューネは「……それが仕事だ」と、味も素っ気も無い返答をした。
メイドに連れられてオーラムが中央棟の建物内に入っていく。
「……何をしている。早くしろ」
先を行くリューネに急かされて俺たちは中央棟とは別の研究棟に続く、緑道を歩き始めた。
三歩先を行くリューネの後ろで、クリスが俺を軽く肘で小突きながら小声で言う。
「なんだか、ちょっと感じが悪いわよね」
どう返答していいか迷っていると、歩く先から「……聞こえているぞ」と、リューネがクリスにくぎを刺した。
クリスはすっかり不満げだ。塩のようなしょっぱい対応についてはまだいいとしても、オーラムにあの態度はないだろうという、義憤に駆り立てられているようだった。
怒りの余り仮面ジャスティス化しないでくれよ……頼むから。




