178.学術研究都市ユグドラシア
ユグドラシアも街を囲むように壁が建っていた。
物理的な防御だけでなく、魔法的な結界が街を包むように仕組まれている。
すでに話は付いているらしく、馬車は検問のような街への入り口を素通りだ。
中に入ってみると、雰囲気は王都とさほど変わらないのだが、王城のある位置――街の中心部に巨大でのっぺりとした塔が建っているのが印象的だ。
塔は漏斗をひっくり返したような形で、上に行くほどすぼまっている。
窓などはなく、白亜の不思議な建物だった。
それを中心として、ユグドラシアは東西南北にエリアが別れている。
四大学科――東に理論魔法学の研究施設があり、西には精霊魔法学。北側が魔法工学で、南には魔法医学関連の建物が集まっているようだ。
馬車は南の城門から目抜き通りを進んだ。中に入ってからは、速度もゆったりと落ち着いて街並みを見学するのにちょうど良いくらいだ。
クリスが窓の外を眺めて呟いた。
「なんだか、古書店街にも似た雰囲気ね。ここなら参考書や資料本がなんでも揃いそう」
歩道にまで本が溢れ出てしまった……そんな店がずらりと並ぶ一角に、クリスは興味津々な様子だ。
王都と比べても遜色がないどころか、より専門的な本ならむしろ、品揃えはこの街の方が上かもしれない。
目をらんらんとさせるクリスに、オーラムが微笑んだ。
「クリスちゃんは本当に本が好きなんですね?」
アルジェナと良い勝負かもしれないな。
「は、はい……じゃなくて、ええそうよ」
わざわざ言い直してからクリスは胸を張った。
「ここなら珍しい料理の本もあるかもしれないですね」
「なら、時間ができたら一緒に探してみましょ?」
「わああ! とっても楽しみです! レオさまもご一緒してくれますか?」
急に話題を振られて一瞬言葉につまったが、すぐに頷いて返した。
「ああ、もちろん付き合うぜ」
護衛だからな。しかし、原因不明の症状が出たことでオーラムの良い息抜きになるなんて皮肉なものだ。
それに、当人が自身の変調にさほど不安を覚えていないのにも救われる。
さすが王族というべきか、肝が据わっているな。
単に楽天的なだけかもしれないが。
そうこうしているうちに馬車は街の中心地近く、巨大な塔の膝元にある貴族街に入った。
王都のそれとよく似た豪邸が立ち並ぶ、いかにもな街並みだ。
その一角にある豪奢な館の門を抜けて、馬車はようやく停車した。
よく手入れの行き届いた庭園の中心には、小さな噴水が涼しげな水のしぶきをあげている。
館の入り口で、顔見知りの無口なメイドを中心に、数人の使用人が俺たちの到着を待っていた。
どうやら先乗りして、諸々オーラムが滞在するための準備を終えていたらしい。
無口なメイドが俺たちにねぎらいの言葉をかけ、オーラムにひざまずく。
他の使用人たちによって、すぐに荷物が館の中に運び込まれた。
俺たちも後を追って館に入る。案内されて、吹き抜けのエントランスホールから続くリビングでようやく腰を落ち着けた。
すぐにお茶が出てくるあたり、さすがというかなんというか。
必要以上に俺たちに絡んでくるようなこともなく、気配は感じるが存在感を限り無く希薄にさせて、メイドは俺たちにその存在を意識させなかった。
なぜメイドをやっているんだろう。自然に溶け込み背景の一部になる能力なんて、ほとんど暗殺者のそれだ。
「そういえば、この後の予定はどうなってるんだ?」
目を離すと消えてしまいそうなメイドを捕まえて俺は訊く。
「はい。本日はこのまま館にて過ごしていただきます。レオ様とクリス様には、明朝10:00にオーラム様を王立魔法医学研究所にまで送っていただき、そちらで案内役と合流となります」
「案内役?」
「はい。詳しくは存じ上げませんが、エステリオの卒業生とのことです。オーラム様には検査を受けていただき、以降は案内役にお任せするかたちとなります」
明日はオーラムとは別行動か。しかし……。
「ずっと俺たちが着いていなくても大丈夫なのか?」
「各機関の施設には王宮と同等以上の結界が張られているそうです。治安の良さで言えば、王都の比ではありません」
まあ、王都には人が集まりすぎて輩も多いが、この街においてはそういう連中は皆無ってわけだ。
もしかしたら俺が一番アレな人間かもしれない。
それに王都を離れて、なんとなく伸びやかな気持ちになった。最近は王都でも顔が売れてしまった感がある。
俺の事を知らない人間ばかりの街で、まったり過ごせそうだな。
メイドはお茶をカップに注ぐと「では、失礼いたします」とお辞儀をしてキッチンの方に去っていった。
クリスがお茶受けの焼き菓子をぱくつきながら、俺の顔をニヤニヤと見つめる。
「な、なんだよクリス? らしくない顔だな」
「レオが考えてることくらいお見通しだもの」
「お見通しって……じゃあ当ててみろよ?」
ビシッと俺の顔を指刺して、探偵少女は告げる。
「この街には自分を知る人間がいないから、気が楽だって思ってるでしょ?」
なに……本当に言い当てるとは思わなかったぞ。
「ど、どうしてわかったんだ?」
「どうしてって言われると、なんとなくだけど」
そんなふわっとした印象だけで看破されたのかよ。
ティーカップを手にしたまま、驚いたようにオーラムが目を丸くする。
「クリスちゃんはレオさまの気持ちが解るんですか?」
「え、えっと……付き合いは短いけど、色々とレオには教えてもらったりして……け、経験が豊富なのよ!」
オーラムはティーカップを持っていない空いた方の左手で、さっと口元を隠すような仕草をした。
「そ、その経験、わたしとっても気になります」
慌ててクリスが「け、経験っていってもそういう意味じゃなくて!」と訂正したが、もう遅い。
オーラムが少しだけ身を前に乗り出した。
「そういうとは、どういう経験なのですか?」
たぶん意地悪でもなんでもなく、オーラムは純粋に知りたいのだと思う。
例えば特訓のために世界の秘境を回ったり、王国を窮地に陥れようとした犯人を推理したり、それを相手に仮面をジャスティスして共闘したり、ちょっと怪しいアレな本の朗読会を開催したり……。
言えるわけもなく、クリスは火照った赤い顔でオーラムに頭を下げた。
「か、勘弁してララちゃん……うう」
あのクリスをこうもあっさり追い込むとは、オーラム恐るべし。
「あの、だ、大丈夫ですかクリスちゃん? もう聞きませんから、顔を上げてください」
そう言うオーラムも顔を赤く染めている。
「クリスちゃんありがとうございます?」
「へっ? ええと、急にどうして?」
「今、またララちゃんって呼んでくれました。とっても嬉しくて」
先ほどからできるだけ、名前を呼ばないように会話の言葉を選んでいたクリスだが、意外なところで墓穴を掘ると、追い込まれてつい、ぽろりと漏らしてしまったようだ。
どの程度の滞在になるかはオーラムの症状の解明次第になるだろう。
そう思うと、クリスには護衛というよりもオーラムの話し相手の方がメインで随伴したのかもしれないな。
まあ、ほとんど俺で事足りるだろうが、男子禁制の場所やらあるだろうし。
「よかったなオーラム。友達ができて」
「はい! レオさま!」
屈託の無い笑顔にクリスもどうやら観念したようだった。
◆
荷ほどきのため一旦解散すると、俺はあてがわれた二階の個室に向かった。
荷物といっても着替えと歯ブラシくらいしか持ってきていない。
鞄を放り投げベッドに仰向けに倒れ込むと、その寝心地の良さに驚かされた。
このままだとまどろんでしまいそうだ。
一応、直接「護衛任務」を受けた訳ではないが、昼寝はまずいよな。
メイドに聞いた話だが、この館の周囲にも結界が張られているらしい。
夜間、何かあれば警報が鳴るようになっているのだとか。
「まあ、無いよりはマシってやつだな」
独り言を呟くと、俺は明日以降に行われるであろう、講義の内容について考え始めた。
が、さっぱり思い浮かばない。
悩んでいるうちに高かった日も傾いて、夕闇の足音がだんだんと近づいてきた。
赤く染まった窓の外を見る。普段とは違う光景だ。
昔は毎日、違う場所から同じ空と夕日を眺めていたのに、ここ最近はいつもの景色に見慣れていた。
だから久しぶりに旅をしているような気分になる。
いつも独りだったあの頃から、俺は成長しただろうか。
「退化……してるよな」
守るべき者があると人は強くなれる。
本当にそうだろうか? もし、クリスやオーラムや……大切な人々の命を天秤に乗せなければならなくなったら……。
選べるのか? 俺に?
いかん。講義の内容を考えるつもりが、答えの出ない方向に脱線してしまった。
いつもこうだ。独りになると余計なことばかり考える。
ふと、鼻孔をくすぐるような香りがした。
それに反応するように腹が鳴る。夕飯の準備が進んでいるらしい。
部屋から出ると俺は一階に降りた。
キッチンの場所は鼻が教えてくれる。
すると――
「オーラム様が料理を作られては、料理人が失業してしまいます」
「そ、そうですね……考えが至りませんでした」
エプロン姿で下ごしらえを始めたオーラムが、メイドに頭を下げていた。
おいおい、王女がそういうのはまずいんじゃないか。
メイドもすっかり困った様子のところで、俺と目が合った。
「どうしたんだ? 何か問題でも起こったのか?」
メイドは「問題といいますか……オーラム様には安静にしていただきたいのですが……」と、弱々しく呟く。
「まあいいんじゃないか?」
すると、今度はオーラムが俺に申し訳なさそうな顔をした。
「レオさま。わたしが悪いんです。勝手に厨房を使ってしまって……お仕事を奪ってしまうようなものでした」
食材も料理人も手配済みということか。
俺はメイドに訊いた。
「なあ、その料理人だって一流なんだろ。食材が少し足りなくても料理はなんとかなるんじゃないか?」
メイドは小さく頷いた。
「食材は多めに用意してありますので、オーラム様が使われた分に関してはどうとでも……」
なら何も問題無いな。
オーラムに笑いかけながら告げる。
「すっかり腹が減っちまったんで、一品増えても俺は大丈夫だぞ」
途端に、オーラムの表情が明るくなった。
「で、では! この野菜たっぷりスープだけでも作らせてください!」
メイドもしぶしぶ了承した。
が、今度は別の人物がそわそわし始める。
クリスだった。
ずっと俺たちのやりとりを、厨房の扉のそばで聞いていたらしい。
中に入ってすぐに、クリスは俺に耳打ちするように囁く。
「ねえレオ。オーラム様にお仕事をさせて、何もしないなんて落ち着かないわ」
「だったら料理を手伝ったらどうだ? おーいオーラム! クリスも手伝いたいってさ」
クリスが肩をビクンとさせた。
一方オーラムはといえば――
「い、一緒にお料理ができるんですか!? お友達とお料理なんて……素敵です!」
瞳を輝かせるオーラムをがっかりさせるのは可哀想だ。そっとクリスの背中を押して、俺は「それじゃあ夕飯、楽しみにしてるぞ」と一声掛けてからリビングに戻った。
◆
食卓を囲んだのは三人だけだ。メイドを始め使用人たちが控える中での食事は、なんとも落ち着かない。
料理は前菜から始まる宮廷形式だった。オーラムから厨房を引き継いだ料理人の腕は確かなもので、どれも美味しかった。
メインの食材などはある程度、下ごしらえなどを済ませているということで、調理時間が短いわりに、手の込んだものばかりが皿の上を飾り立て続けた。
食事の締めくくりにタルトと紅茶が振る舞われる。
クリスは思い出したようにうつむいた。
「はぁ……自分の不器用さが恨めしいわ」
「料理は愛情です! クリスちゃんの愛情がちゃーんと料理の隠し味になっていますから」
前菜の後のスープは、オーラムとクリスが作ったものに差し替えられたのだが、そのほっとする味わいの野菜たっぷりスープには、一部に不格好な切られ方をした野菜が入っていた。
決して下手とは言わないが、オーラムが相手では仕方ない。それに緊張もしていただろうしな。
「あのスープが一番美味しかったぞ」
俺の言葉に二人の顔が同時に赤くなった。何か……変なことを言ったか?
オーラムが「おそまつさまです」と、嬉しそうに微笑む。
クリスは「わ、私は野菜を切っただけだから……」と、もじもじとした口振りだった。
しかし、これから朝晩、こういった食事になるのか。
少々肩が凝りそうだが、あと数日はお客さんとして素直にもてなされるとしよう。




