173.生徒指導室の密室会議
オーラムの症状も治まり、彼女の手料理をごちそうになってから俺は学園に戻ることにした。
学園長に届け出る余裕もなく、職務放棄してしまったのだが、手紙だと饒舌になるアルジェナが今回の経緯について一筆したためてくれた。
午後一で学園に戻った俺は、学園長室でしわしわっとした老人に手紙を渡すと、簡潔に説明した。
「王宮から緊急で呼び出されて、連絡もできなかった。すまない」
椅子に深く腰掛け直して、老人――学園長リングウッドは目を細める。
「まあ仕方あるまい。だいたいの事情はわかったが……しかし、お主はよっぽど王家の三姉妹に頼りにされておるようじゃ」
アルジェナがどんな手紙を書いたのか、俺には想像も付かないが学園長の反応からして、悪いようには書かれていなかったのだろう。
手紙をそっとしまうと、老人はあくび混じりに続けた。
「いっそ宮仕えもええんじゃないか? お主の実力なら誰も文句は言うまい」
俺は小さく首を左右に振った。
「せっかく教員免許を取得したんだ。いや……俺が教員っていうのも変かもしれないけど……学園の雰囲気が好きなんだ。王宮は肩が凝りそうだし、ここでの仕事を続けさせてほしい」
学園長は頷いた。
「そうじゃの。そもそも教員免許を取らせたのもわしじゃ。ここから追い出すようなマネはせんよ。しかし……管理人ではなく教員の仕事に就くことも考えるとなると……」
「やっぱり向いてないか?」
「ふーむ。個人的なコーチとしての手腕こそ優秀じゃが、常勤教員ともなると、生徒たちに講義をせねばならんからのぉ」
大勢の前で教壇に立つ姿が、自分でも想像できない。
学園長はゆっくり頷いた。
「まあ、エステリオの生徒を相手に講義の練習をすれば、すぐに慣れるじゃろう……が、あいにくしばらく授業の日程がきつきつでな。ここのところ、学園でも王都でも騒動があったおかげで、余裕が無いのじゃよ」
「あ、ああ。それじゃあ仕方ないな」
講義の練習はしばらくお預けになりそうだ。残念なような、ほっとしたような気持ちになった。
そんな俺の心を見透かすように学園長は笑う。
「心配するでない。なにも学校はエステリオばかりではないからのぅ。わしのツテとコネで、お主の練習にちょうど良さそうなところを紹介しよう。お主も知り合いがいない方がやりやすかろうて」
とんとんと話を進める学園長に「あ、ああ。せっかくだからご厚意に甘えさせてもらう。ありがとう」と返した。
安堵したのもつかの間、急な話だが俺の教員への道が一歩前身だ。
そう思うと少しだけ後悔の気持ちもあった。
無責任で気楽な管理人の仕事の方が、性に合っている。
「どうしたんじゃ? 神妙な顔をして」
「い、いや。なんでもない。それじゃあ仕事に戻る……」
と、言いかけて部屋を出ようとしたところで、学園長は「待った」をかけた。
足を止めて振り返ると、学園長がじっと俺を見据える。
「な、なんだよ……」
「いやのう……エミリア先生にも聞いてはおるのじゃが……お主がコーチをしたクリス君について、所感を聞きたくてのぉ」
意外な名前が上がった。いや、意外というのも変な話か。入試主席の優秀な生徒だし、名門フェアチャイルド家の一員だ。
ついでに言えば、街の悪と戦い時には更正すらさせる仮面ジャスティスでもあるわけだが……それはさておき、学園長が俺にクリスの事を訊くなんて、いったいどういう了見なのだろう。
まあ、取りつくろうようなこともないので、素直に述べよう。
「成績優秀で向学心もあって、クラスメートの勉強を見てあげたりする面倒見も良いし、人物的にも理性的で冷静で、かといって冷徹というわけでもなくて、少し遠慮がちなところはあるけれど、それも他者への思いやりの裏返しってことだし……」
「ほぅほぅ。ずいぶんとべた褒めじゃな」
「クリスが優秀ってだけの話だ」
他にも魔法を目で盗むセンスの持ち主で、魔法式を見ただけで再現する天才だ。
彼女に助けられたことは一度や二度じゃない。
学園長は「わかった。資質充分じゃの」と、独り納得して頷くのだった。
◆
午後の庶務を急ぎ片付けて、午前中に溜めてしまった仕事もなんとかこなすうちに、あっという間に放課後だ。
工学科の魔高炉で不要品回収をしていると、不意に学内放送で名前を呼ばれた。
『管理人のレオ・グランデさん。史学科のエミリア先生がお呼びです。本館二階の生徒指導室までお越しください』
アナウンスを聞いて作業を中断すると、俺は校舎に戻った。
教室ではなく生徒指導室というのも気になるところだ。
部屋の前までやってくると、ノックをしてから中に入った。
小部屋にはテーブルと椅子が四脚。そこにエミリアとクリスが向かい合って座っている。
「ん? クリスもいるのか?」
エミリアは焦った口振りでまくしたてた。
「あ、あの! 生徒指導なので生徒がいるのは普通というか、レオさんと個室で二人きりみたいなことになったら、わ、わたし……」
「落ち着いてくれエミリア先生」
クリスは澄まし顔だ。
「それよりレオ、エミリア先生の隣に座って」
「あ、ああ……なんだかこっちが指導されるみたいな雰囲気だな」
改めてクリスと正対すると、自然とこちらの背筋がピンと伸びた。
エミリアとクリスの顔を交互に見てから、俺は訊く。
「それで、今日はいったいどういう集まりなんだ?」
エミリアが深呼吸をしながら胸を上下に揺らした。
相変わらず、すさまじいボリューム感だ……と、思ってからふと、さっきのオーラムのことを思い出す。
思ったことが勝手に他人に伝わるのは、恐ろしいことだ。オーラムのような清い心の持ち主でさえあんな惨劇になるのだから……。
エミリアが首を傾げた。
「あの……レオさん? どうしたんですか? なんだか顔色が悪いような……説明を始めても大丈夫ですか?」
「な、なんでもない。続けてくれ」
呼吸を整えるとエミリアは小さく頷いてから、話し始めた。
「ええとですね。クリスさんに飛び級で学園を卒業してもらって、ユグドラシアの学生にならないかというお話が来たんです」
「なんだそのユグ……えーと……」
聞き返す俺にクリスが「ユグドラシアよ。王都の北東にある学術研究都市」と補足した。
俺はクリスに聞き直す。
「それってすごいのか?」
途端にクリスの顔が赤らむ。
「じ、自分で言うと恥ずかしいけど……エステリオを優秀な成績を修めて卒業しても、別の研究機関で実績を積まないと試験を受けることもできないというの」
エミリアは「そうです。すごいことです」と、何度も頷いた。
「そうか。なんだか凄そうだな」
フッとクリスの表情が寂しげなものに変わった。
「別に私の実力じゃないわ。家名のおかげに決まっているもの」
フェアチャイルド家は先日の一件――大臣暗殺の件で、警護に不手際があり検事局の第一線から身を引いた。
それでもなお影響力は残っているのだろう。実際には相手が悪かったわけだし、クリスの父親に落ち度はないのだが……。
むしろ責任者だから責任を果たした。立派な人だ。
とはいえ、それはそれとしてもクリスには才能があることは間違い無いし、それは他の誰の者でもない。彼女の力だ。
「クリスの実力は抜きんでているからな。家名とかは関係ないと思うぞ」
「そ、そんな言い方されると、どう反応していいか困るわ」
目を丸くしながらクリスは慌てたようにまくし立てた。
エミリアが困ったように眉尻を下げる。
「それでですね、レオさんのご意見もうかがいたいと思ったんです。コーチの経験から、クリスさんがユグドラシアでやっていけるかどうかお聞きしたくて」
だから俺を呼んだのか。さて、どうしたものか。
クリスの将来に関わることだ。悩ましいところだが、俺なりに正直に応えるしかないよな……たぶん。




