171.危急の件
朝の日差しに目を細めながら、俺は今朝も学園の正門前を掃き清める。
夏の気配にはまだ早いが、日増しにだんだんと陽気に熱気が混ざり始めていた。
懐中時計を上着のポケットから取り出してみると、時計の針はそろそろ生徒たちがやってくる頃合いを指し示していた。
王都の騒乱から数日――
細々と事件は起こったが、それが大事件にまでなることもなく学園も平和そのものだ。
クリスもプリシラもフランベルも、学び訓練する日々を送っている。
担任のエミリアもだんだんと教員の仕事に慣れ始めた、最近は少しばかり自信を持てるようになったらしい。
俺も一助になれていればいいのだが、主に薬学科のマーガレットがエミリアに教員の先輩として、様々なアドバイスをしているようである。
「さてと……この先、俺はどうしたものかな」
このまま平和に管理人の仕事をするだけなら、最高ランクの教員免許も銀翼の騎士の称号も無用の長物だ。
今の王宮なら宮仕えも悪くないが、この学園で教員になって育成に励むのがやはりいいのかもしれない。
来年、入学予定の第三王女もいるわけだし。
綺麗になった正門前で、箒を手にぼんやり立ち尽くしていると、遠く王都の方角から馬の駆ける蹄の音が聞こえて来た。
それを追いかけるように、二頭立ての馬車が続く。かなりのスピードだ。これから生徒たちが登校してくるのだから、あまり乱暴に走られるのはよろしくないな。
声をかけようと思ったのだが、白馬も馬車も俺の前でぴたりと止まった。
白馬には赤がね色の髪の、小柄な少女が騎乗している。全身を純白の真珠のような軽鎧に身を包み、短めなマントを着けた魔法騎士の出で立ちだ。
腰に提げた宝剣フレイヤは、相変わらず美術品のような輝きを放っている。
ルビーのように燃える瞳が、潤みながら俺をじっと見つめた。
「おお! さすがじゃレオ先生!」
「久しぶりだなフローディア。けど、その呼び名はよしてくれ。俺はもう家庭教師じゃないんだしレオでいいよ」
「レオ先生は先生じゃ。そ、それより……早く馬車に乗ってくれ!」
「いや、これから午前中の庶務があるわけで……」
生徒たちが正門に姿を現し始めた。あと五分もしないうちに、生徒たちでここもごった返すだろう。
「危急の案件じゃ! オーラム姉様が大変なのじゃ!」
フローディアの切羽詰まった顔が嘘には思えない。俺は箒を正門の裏に立てかけた。
「わかった。そういうことなら一緒に行こう」
「さすがレオ先生なのじゃ!」
御者台から降りた衛兵が、客車のドアを開けて俺が乗るのを待っていた。
国からの招請……しかも、第三王女直々となれば学園長も理解してくれるだろう。
正門前で生徒たちが騒ぎ出す前に、俺は客車に乗り込んだ。
◆
王都を縦断し貴族街を抜けて、馬車は王城に滑り込むように到着した。
着いて早々、城でも顔見知りな衛兵連中や無口なメイドたちが俺を出迎える。
なにやら仰々しいが、不思議と緊迫感や危機感というものは感じ無い。
もっと危うい何か大事件でも起こったのだと身構えていたのだが、ある意味肩すかしだ。
フローディアと並んで王宮の廊下を歩く。
「なあフローディア。本当に緊急事態なのか?」
「本当じゃぞ! ともかくレオ先生に診てもらわないことには……城の魔法医では原因がわからなかったのじゃ」
「魔法医って……オーラムは病気なのか?」
「それがさっぱりわからぬから、先生の力を借りたいのじゃ」
フローディアは眉尻を下げた。小柄な彼女がさらに小さくなったように見える。ほとほと困り果てているらしい。
俺自身は回復魔法が得意といえば得意だが、他者の治療はそれほどでもない。自己回復に特化しているところがある。
本当に力になれるかはわからないな。むしろ魔法薬のスペシャリストであるマーガレットの方が良かったんじゃないだろうか。
「こっちじゃレオ先生!」
俺の手をとってフローディアは早足になった。彼女に連れられて到着したのは……王宮の地下へと続く扉の前だ。
「ここは……蔵書庫じゃないか?」
魔法的な防御によって希少な本や王家の歴史……中には禁書と呼ばれる異界の存在が宿った本まで封印されている場所だ。
「良いから早く! オーラム姉様がもたないのじゃ」
一刻を争う深刻な事態と言わんばかりのフローディアに、俺は黙って頷くと階段を下りた。
◆
ひんやりとした空気で満たされた、心地よい空間に本棚がずらりと居並ぶ。手前の円卓には銀髪の少女と、金髪に青い瞳の少女が座っていた。
第二王女アルジェナと、第一王女オーラムだ。ぱっとみたところ、オーラムの顔は血色も良く元気そうに見えた。
一方、アルジェナはといえば……本を開いたまま耳の先まで真っ赤になっている。
むしろアルジェナの方が様子がおかしい。
そしてフローディアも、なにやら膝をすりあわせるようにもじもじとし始めた。
三姉妹揃っていったい何が緊急事態なんだろう。とりあえず俺は二人に声をかける。
「よお! 久しぶりだなアルジェナ。それにオーラムも」
久しぶりとはいっても、アルジェナとは禁書の騒動で一緒だったし、オーラムを連れ出したりもしているので、それを懐かしむには記憶が鮮明すぎる。
オーラムが俺の顔を見ると、青いサファイアのような瞳を輝かせた。
「れ、レオさま!? 今日はどうして……学園のお仕事があるはずなのに」
「急に押しかけて済まないな。というか、フローディアに引っ張ってこられたんだが」
俺が肘でフローディアを小さくこづく。すると、フローディアは俺の顔を見上げて、困り顔でじっと見つめてきた。
いや、だから何がどう緊急なんだよ。そう、確認しようとしたところで――
(――レオさまが……お兄ちゃんが遊びに来てくれた! わーいわーい!)
ん? なんだ……今のは。オーラムはじっと俺を見つめて、不思議そうな顔をしたままだ。
アルジェナが開いた本で顔を隠すようにしながら、プルプルと肩を小刻みに揺らしている。
(――お兄ちゃんとお茶! ううん、お料理でおもてなししないと! 何がいいかしら。最近は少し暑くなってきましたし、ピリッとスパイシーな料理がいいかも。あっ……けど、レオお兄ちゃん、忙しいかも。用事が終わったらすぐに帰っちゃうかも。うう……悲しいです。もっとずっと一緒に居られればいいのに)
俺はつい、声に出してしまった。
「お、おいおい。その呼び方はやめてくれ! 恥ずかしいから! それに一緒って……」
オーラムが不思議そうに首を傾げる。長い金髪がさらりと揺れた。
「あ、あの、レオさま? 私、何か変なことをいいましたか?」
今度は彼女の口が動いているのを、ハッキリと確認した。アルジェナが円卓の天板につっぷしている。
「お、おい、どうしたんだ? 大丈夫かアルジェナ?」
「……恥ずかしすぎて……辛い」
俺の隣でフローディアも、俺の服の裾をぎゅーっと握り込んで、何かに耐えるような顔をしていた。
オーラムがかすかにぷくっと、ほっぺたを膨らませる。
「二人とも、最近ずっとこんな感じなんです」
(――なんだか仲間はずれにされているみたいで、お姉ちゃんは悲しいです)
二つの声が頭の中で重なるように響いた。
これは……伝心魔法の一種だ。声に出さずに相手の意識に直接語りかけるものだが……魔法が使えないオーラムが、それを無意識のうちに使っているというのか?
通常、伝心魔法は相手を選んで使うものだ。
アルジェナとフローディアのこの狼狽えぶりからして、心の声は無差別に届いてしまっているらしい。
だから、その心の声が漏れにくいであろう結界に守られた蔵書庫を、二人は選んで俺を呼んだのかもしれないな。
黙っているとオーラムが俺を見つめて、かすかに頬を紅潮させた。
(――ああ、やっぱりレオお兄ちゃんってかっこいいです。あのたくましい腕に、胸に……また抱かれたいです)
え、ええと……これは確かに緊急事態だ。アルジェナが過呼吸に陥りフローディアも膝が笑い出している。
赤がね色の髪を振り乱してフローディアは俺に告げた。
「早くなんとかしてほしいのじゃレオ先生! もしお父様に気付かれると……お父様のことじゃから、レオ先生を……」
「お、おう!」
ともかく、当の本人が自分の心の中身が他人にダダ漏れていることに気付いていないのが問題である。
まずはそれを自覚させる必要がありそうだな。




