170.臨時司書
司書から受け取ったリストを手に、俺は図書室の中をあちこち行き来した。
「基礎理論魔法学に誰でもできる重力制御……っと」
棚から本を抜き取って手提げのついたカゴに入れる。それがいっぱいになると、入り口付近においた大きな木箱に本を入れた。
これらは内容的に古くなったものだ。改訂版や新版が発刊された書籍は、こうして入れ替えを行うらしい。
本来は司書の仕事なのだが、本日は新しく入荷する本の選定作業で、どうしても外せない会議があるということで、本の整理を俺が請け負ったのである。
そして、本の貸し出しと返却はというと……エミリアが司書の代行をしていた。
とはいえ、入れ替え時期にわざわざ貸し借りにくる生徒は少ないらしく、もっぱらエミリアは本の楽園に浸るように、司書の仕事そっちのけで読書に没頭しているようだ。
本を読んでいる時のエミリアは本当に幸せそうだ。
今、読んでいるのは彼女があまり得意ではない、感情魔法関連書籍なのだが、それさえ楽しそうに読んでいた。
勉強熱心というよりも、本を読むことそのものが好きなのかもしれない。
さてと……ほぼリストにあった入れ替える本も集まったのだが、ふと俺は図書室の奥のとある書棚の前で立ち止まった。
黒塗りの書棚だ。
これまであまり気にしていなかったのだが、部屋の隅に配置されたそれには観音開きの扉がついていた。
扉は施錠されている。希少本でも入っているのかもしれない。
少し中身が気になるな。鍵に触れてみると……それには魔法式が込められていた。
この構築は……学園長のものだ。
学園の様々な魔法システムを構築しただけのこともあり、かなり高度な魔法鍵で書棚は守られていた。
こんなところに本を隠すなんて……学園が結界に守られているとはいえ、生徒の目にとまるような場所にある書棚に、魔法鍵をかけてまで置いておくなんて……。
木を隠すなら森とでもいわんばかりだ。
気になるところだが……今は作業を続けよう。
新しいものと交換する予定の本を手に、図書室の入り口付近に戻ると、司書が貸し借りの応対をするカウンターの中で、着席したままのエミリアがちょうど一冊読み終わったところだった。
「ふぅ……感情魔法の世界は奥深いです」
満足げに本を閉じた彼女に、俺は溜息混じりで返す。
「こらこら。司書の仕事をしっかりしてくれよ?」
エミリアは眼鏡のレンズ越しに目をまん丸くさせた。
「す、すみません! つい読みふけってしまって」
立ち上がるやいなや、ぺこぺこと米つきバッタのように彼女は何度も頭を下げた。
そのたび大きく揺れる胸元に、つい視線を誘導されそうになる。
「いや、別にそこまで謝られても困るから。それに利用者が来ないなら、仕事のしようもないもんな」
「そ、そうですね! そういえばあの……さっきから……ずっと二人きりですし」
エミリアがうつむきながら呟く。
「エミリア先生と二人だけって珍しいかもしれないな」
「え、ええ! ですよね! 普段はクリスさんやプリシラさんやフランベルさんが一緒ですし」
そうでなければ薬学科の魔女と一緒の事が多いよな。
エミリアは小声で呟いた。
「なんだかちょっと不思議な感じがします。レオさんを独り占めできるなんて」
「独り占め……って、別に独占するようなものでもないだろ俺なんて」
「そ、そんなこと……ありません」
ますますうつむくエミリアに俺は訊く。
「どうしたんだ? ちょっと顔が赤いみたいだけど、体調が悪いようならここは俺がみておくから、無理しないで休んでくれていいぜ?」
「無理なんてしてません!」
立ち上がるとエミリアは首をぶんぶんと大きく左右に降った。くわえて身長に見合わない大きさの胸まで揺れてしまう。
注目してしまうことを悟られないよう、俺は窓の外に視線を向けつつ告げる。
「え、ええと……エミリア先生が無理をしてないならいいんだ。座ってくれ」
「は、はい!」
司書の椅子にちょこんと座り直して、エミリアは軽く手櫛で髪の毛を整えた。
そんな彼女に「何か読みたい本があれば持ってこうようか?」と訊くと……。
「え、ええと。本もいいのですが、レオさんと少しだけお話できたら……う、嬉しいです! も、もちろんご迷惑でなければ!」
「迷惑だなんてとんでもない。こっちの仕事はほぼ終わってるしな」
あとは司書が会議から戻ってくるまでの留守番みたいなものだ。
エミリアはにっこり微笑んだ。
「ありがとうございます。ええと……何を話せばいいんでしょう。男の人と二人きりでお話なんて、したことがなくて」
もじもじと膝をすりあわせて彼女は恥ずかしそうに呟く。
話がしたいというのにノープランかよ。
「そうだな。じゃあ春先のことでも話そうか。まだそんなに経ってないけど、あれから色々ありすぎて今日まであっという間だったもんな」
「そ、そうですね! レオさんはその……出会った時から……か、かっこよかったです」
ぐいっとカウンターに乗り出すようにしてエミリアは言う。下方向にかかる重力にあらがえず揺れる水蜜桃というか小玉スイカから目線をあげつつ、俺は返した。
「俺は別にかっこよくもないだろ。それに魔法使いだってことも隠してたし。騙すようでごめんな」
するとエミリアが小さく吹き出した。
「真顔で謝らないでください。管理人さんなのに魔法に詳しすぎて……知識だけじゃなく達人レベルの魔法使いだって、わかった時にはむしろ納得しちゃいました」
「そ、そうか……」
言葉が続かない。俺が魔法使いであることは周知されたが、正体まで知っている人間は限られる。
その中にエミリアは含まれていなかった。
だから少しだけ罪悪感がある。かといって、正体について彼女に教えるのもはばかられた。
俺が何者なのかをエミリアが知ることで、トラブルに巻き込みたくないと思うのだ。
彼女に秘密を漏洩するつもりがなくても、魔族に操られてしまうかもしれない。
もちろんエミリアを狙うような不埒な輩を野放しにするつもりはないが、ともあれ怖い思いをさせないためには、情報を持たせないというのも一つの方法なのだ。
今しばらく、俺が勇者だったことについては伏せておこう。
エミリアは不思議そうに首を傾げた。
「あの、どうかしましたかレオさん?」
「い、いや……ええと、そうだな! その眼鏡、似合ってるよ」
つい取りつくろうように言葉が漏れる。が……。
「あ、ああ、ありがとうございますぅ」
プルプルっとエミリアは身震いした。そのまま彼女は続ける。
「それにしてもレオさんすごいです。理論魔法も精霊魔法も召喚魔法言語も教えられるなんて。それに必殺技の指導まで……それに引き換え、わたしなんて魔法史学だけで、全然だめだめですし」
少しだけ悲しげな声でエミリアは眉尻を下げた。
本を愛する彼女はたくさんの知識を有している。ただ、実際に魔法を使う適性にはあまり恵まれておらず、感情魔法なども使えば暴発しがちだ。
「まあ、得手不得手っていうものはあるからな。俺も芸術や歴史は苦手だし……」
俺がどう声を掛けていいか迷っていると、察してエミリアは頭をさげた。
「ご、ごめんなさいレオさん! こんなの相談でもないですよね。言われたレオさんだって、どう応えて良いか困らせちゃうようなことですし」
人のことは言えないが、とかくエミリアは謝りがちだ。生徒への思いやりのある良い先生だが、まだまだ自分に自信を持てないみたいだ。
「謝るのは止めるんじゃなかったのか?」
「あっ! そ、そうでした。ごめ……ええとぉ……はい」
しゅんと落ちこんだように肩身を狭めてエミリアは呟く。
何か力になってあげたいという気持ちがある反面、俺が彼女にできることというのは思いの外少ないのだ。
知識量では彼女の方が上なのだし、俺の魔法はどれも書物に記された内容とは違って、実戦向けに“歪んで”いる。
魔法を教えた場合、逆にエミリアを混乱させかねない。
そういえば……さっきまでエミリアが読んでいた本が気になった。
「エミリアは色んな本を読むんだな?」
彼女が読み終わったのは感情魔法に関する参考書だ。
「魔法を使うのは苦手ですが、こうして知識を蓄えるのは好きなんです。雑食みたいで……」
恥ずかしそうに伏し目がちになったエミリアに、俺は訊いてみることにした。
「じゃあ、苦手な本って無いのか?」
「え? ええと……」
迷うような素振りを見せてから彼女は微笑む。
「そうだ! せっかくですから、わたしが苦手な本を当ててみてください。この図書室の中にありますから」
「おお。その挑戦……受けてたつぜ!」
エミリアのことをもっと知る良い機会だし、司書が戻るまでの時間を潰すのにもぴったりだ。
俺は受付カウンターを離れると書棚の並ぶフロアに戻った。
エミリアの苦手な本か。大人しくて優しい彼女のことを思うと、自然と足は図鑑の陳列された棚に向いていた。
その中から一冊を手に取りカウンターに戻る。
「ずばりこれだろエミリア!」
俺が差し出したのは、凶暴魔物図鑑だった。世界中の有害かつ残忍な災害級の魔物たちについて、図解も交えてまとめてある書物だ。
エミリアは小さく口元を尖らせた。
「ぶっぶー! ハズレです。実物の魔物は怖いですけど、本の中なら怖くないですから」
「ああっ! はずしたか。死霊使いとか三つ首狼とか、けっこうエグイやつも載ってるんで自信があったんだけどな」
悪戯っぽくエミリアは「もう降参ですか?」と口元を緩ませた。
「いやいや、まだ降参はしないぞ。つまり怖い本が苦手ってことじゃないなら……ちょっと待っててくれ!」
続けて俺は難解な理論魔法の研究書や、普通の辞書、それに誰かが寄贈した絵物語をもっていった。
ちなみに絵物語の中身は仮面ジャスティスだ。
エミリアはにっこり目を細めた。
「全部大好きです。理論は理解できなくても読むのは好きですし、辞書も順番に読んでいくと色々な言葉があるのだと勉強になります。絵物語も楽しいです」
これは予想外に難敵かもしれないな。
だが、この図書室の中に正解はあるというのだ。
それからも思いつく限り、学術書や芸術関連、古代魔法文明に関する論文集などをエミリアにぶつけてみたのだが、どれも彼女の苦手なものではなかった。
改めて貸し出しカウンターの前で俺は訊く。
「本当にこの図書室に正解の本はあるのか!?」
「はい! 嘘はついてません」
なにやらエミリアも俺が一生懸命なのをみるのが楽しいらしい。上機嫌だ。
しかも表情に余裕があることから、どうやら彼女の苦手な本に俺の予想はほとんどかすってすらいないように思えてきた。
再び書棚の列に戻る。図書室の隅で立ち止まった。
学園長リングウッドによって魔法鍵の掛けられた黒い棚が鎮座している。
「となると……まさかこの中か」
道理で正解を引き当てられないわけだ。
俺は軽く指をポキポキと鳴らすと、魔法鍵の解錠に取りかかった。
生徒はもちろん、学園の教員でも解錠ができなさそうだが……俺にかかれば朝飯前だ。
解錠に成功した途端……目の前の観音開きの扉が一人でに開いた。
ドサドサドサドサ!
っと、中から本が……うすっぺらい本という本が雪崩のように俺を呑み込んだ。
うお! どういうしまい方をしてるんだ学園長のやつめ。というかこの本は……。
掛け布団のように本に埋もれた状態で、その一冊を手に取り開くと、そこにはあられもない姿の女性の裸、裸、裸で埋め尽くされていた。
どのページを開いても、形の良いお尻やら大きな胸やらでいっぱいだ。
「どうしました? 大丈夫ですかレオさん!」
物音に気付いてエミリアがこちらにやってきた。
ええと、これはまずいような……いや、彼女が苦手な本があるとすれば、こういうものかもしれないんだが……。
悩んでいる間にエミリアは俺の元までやってくる。
「レオさんが本に呑まれてるッ!? それにこの本は……」
恐る恐るエミリアは一冊を手に取ると、中身を確認した。
そして顔を真っ赤にして声をあげる。
「女の人のおっぱあばばばばばばばばばばばばばばばばばばば!」
「お、落ち着けエミリア先生!」
「レオさんにおっぱいに包まれたい願望があったなんてあばばばばば!」
混乱しながらもエミリアは本のページを次々とめくっていった。
情報を入力するのは止めないのかよ! なんて勉強熱心な!
「こ、この水着なんて布がほとんどないですあばばばばばば! 紐です紐ですからあばば!」
そう言いながらエミリアは二冊目を手にとって、ものすごい勢いでページをめくり始めた。
苦手な本じゃないんだな……これも。
というか学園長。学校内にこんな本を隠すなよ! 木を隠すのには森? って、バカか!
立ち上がると俺は魔法式を構築した。
発動させるのは消滅魔法。対象は学園長のコレクションだ。
瞬時に魔法は発動し、エミリアが手にしていた三冊目の薄い本ごと、学園長の秘蔵の品はすべて消え去った。
「あば……はっ!? レオさん本が消えちゃいました!」
「ええと……本なんて無かった。いいなエミリア先生」
「あ、あの……はい」
本が消えて正気に戻ったのか、エミリアは深くうつむいた。
「れ、レオさん。い、今のも知的好奇心からです! わ、わたし……えっちじゃないですから!」
「皆まで言うな。エミリア先生……降参だ」
俺は両手を挙げた。こんな本すら愛してしまう彼女の苦手な本なんて、想像もつかない。
エミリアはコクリと小さく頷くと、俺の手をそっと握った。
「ええと、それでは正解です。ついてきてください」
「あ、ああ」
彼女に手を引かれて書棚の森を横断する。たどり着いたのは生活関連の書籍が集められた棚だった。
「この本が苦手なんです」
エミリアが棚から手にしたのは……料理のレシピブックだ。
宮廷料理研究家の著作らしい。創作料理がメインだった。
「苦手な本って……料理本だったのか?」
エミリアはレシピブックを胸に押しつけるように抱いて頷く。
「はい。そうなんです」
「料理の本の何が苦手なんだ?」
恥ずかしそうに蚊の鳴くような音量で彼女は続けた。
「ええとぉ……料理は理論魔法や精霊魔法と違って、やればできるんですけど……うまくできなくて。わたしって本当に不器用なんです」
困り顔になりながらエミリアは微笑む。少しだけ痛々しい表情に感じられた。
「包丁で指を切っちゃったり、焦がしちゃったり煮詰めすぎて味がしょっぱくなったり……何度も挑戦してるんですけど……」
「料理本が苦手なんじゃなくて、料理が苦手なんだな」
「うっ! そう言われるとそうかも……料理って誰かに食べてもらうものだから、失敗できないって緊張しちゃって……知識だけあっても実力が伴わないのは、理論魔法や感情魔法もいっしょなんですけど……変ですよね、わたし。料理だってスパッと諦めちゃえばいいのに。誰かの料理のお手伝いはできても、自分一人じゃ全然だめで……クッキーもちょっと焦がしちゃうし」
ますます落ちこむエミリアに俺は頷いた。
「料理も魔法も得手不得手はあるけど、料理に関しては作り続ければだんだん上達するんじゃないか? その……味見とか試食なら俺も手伝えるから」
すると、エミリアの表情が見る間に明るくなった。
「そ、そそそそんな! レオさんを練習台にするなんてもったいないです!」
「いや、気遣いは無用だって。エミリア先生にはいつも世話になってるし、なんでも相談してくれよ」
困ったような顔で笑うと、エミリアは大きくうんと頷いた。
「そ、それではお言葉に甘えて……いつか練習じゃなくて本番でも成功できるように、お料理がんばってみますね!」
何はともあれ、エミリアが元気になってくれて一安心だな。
それから司書が戻るまでの短い時間、俺は彼女から食べ物の好き嫌いについて、あれこれと質問攻めにされたのだった。
◇
後日――
俺は学園長室に呼び出された。
しわしわの枯れ木のような好々爺は、目を細めて俺に告げる。
「おお、良く来てくれたのぅ」
呼び出された理由に心当たりがあった。
「ええと……すまない学園長。実は……」
つい俺も冷静さを欠いて、学園長の持ち物を勝手に消してしまったのだ。
学園長は小さく首を左右に振った。
「実はのぅ……例の黒い書棚の中身なんじゃが……わし自身が魔法鍵の解除の仕方を忘れてしまっておったのじゃ」
「な、なんだって?」
窓から射す陽光に照らされて、キラキラした顔でリングウッドは続けた。
「そこで、アレを開けることができた者に、わしのコレクションを進呈することにしたのじゃよ。まさか楽しむ前に消し去るとはおもわなんだがのぅ」
つまり、あの書棚を開けた時点で所有権は俺に移った……ってことか。
学園長は頷きながら笑った。
「まあ、図書室の書棚は問題集で言えば初級みたいなものじゃて。わしのコレクションはあの十倍以上はある。すべて学園のどこかに隠してあるでの。お主にすべて見つけられるかのぅ?」
「い、いや、探さないから!」
中身が希少な魔導書なら、クリスが喜びそうなものだが……と、思った瞬間、学園長が目を見開いた。
「ではお主以外の才能に溢れた若者が、いつかうっかり禁断の扉を開くやもしれぬな。男子生徒ならお宝ものじゃが……ああ、もしも見つけたのがいたいけな少女だったりした日には……心が痛むのぉ」
「お、おま……学園長。わかりました。それで何カ所くらいあるんですか?」
「場所も数も忘れてしもうたが、お主の実力なら隠蔽されたわしの魔法力も看破できるじゃろうて。毎日の庶務に一つ追加じゃな」
俺は心の中で頭を抱えた。とはいえ、放置はできないな。
クリスが成長する前に、なんとか全て回収しなければならなさそうだ。




