125.運命は唐突に
俺はフローディアを引き連れて、宮廷内の奥まったところにあるララの料理研究室に到着した。
「ついたぞフローディア」
少女は大きな瞳を白黒させていた。
「ここがその研究家の部屋なのか? うむむ……」
「お前、城に住んでるのに知らなかったのか? ほら、今日だって良い匂いがしてるだろ! ここで働いているララは、すごく料理が上手なんだぜ……って、一緒にサンドイッチを食べたんだから、説明するまでもなかったな」
「なぜレオ先生がそんなに得意げなのじゃ。料理を作ったのはオー……そ、そのララとやらではないか?」
急にフローディアの声がガチガチに緊張しはじめた。
「どうしたんだよ、そんなに震えて」
「ふ、震えてなどおらぬ!」
すっかり声にビブラートがかかってしまっている。
「変なフローディアだな」
突っ立っていても始まらないので、俺はノックをして扉を開いた。
部屋の中は相変わらず、料理を作っている時のえもいわれぬ幸せな香りで満たされている。
これ以上幸せな空気なんて、存在しないだろうな。
キッチンに立つエプロン姿のララが振り向いて微笑んだ。
「お待ちしていましたレオさま。あら、今日はかわいい彼女さんをつれているんですね」
「こちらはフローディア王女殿下だ」
紹介すると、ララはエプロンの裾の端を左右両手でそっと持ち上げるようにして、貴婦人のように礼をした。
「それはそれは、失礼いたしました王女殿下」
意外だったな。
ララのやつ、王族相手に動揺するどころか、まったくと言っていいほど、緊張したような素振りをみせないぞ。
むしろフローディアの方が、全身を小刻みに震えさせていた。
表情もすっかりこわばっている。
「ら、ララと申すのか。い、いつもレオ先生が世話になっておるようじゃのう」
「そんな、レオさまにお世話になっているのはわたしの方です。フローディア様が足を運んでくださるなんて、光栄です。今日はたっぷりと腕を振るわせていただきますね」
「う、うむ! ごちそうになるぞ!」
聖母のように優しく微笑むララに、フローディアは精一杯のぎこちない笑顔で返すのだった。
◆
三人で温かい食卓を囲み、ララの作る手料理を食べ終わってお茶を出された頃には、フローディアの緊張もほぐれて、いつの間にか舌もなめらかに回るようになっていた。
「ああ! こんなに愉快なのは久しぶりじゃ」
満足げなフローディアにララが頷く。
「これならアルジェナ様も一緒に……あっ……そうでした。お二人は戦わなければいけないんですよね。ごめんなさい」
物憂げなララにフローディアは「そ、そのような顔をしないで……じゃない、するでない!」と慌てた口振りで告げた。
俺は紅茶を一口飲んでから聞く。
「アルジェナはどうしてるんだ?」
これに応えたのは意外にもララだった。
「たしか、アルジェナ様は家庭教師の指導で、竜狩りの日までフローディア様には会わないようにと言われているみたいです」
「へえー、詳しいんだな」
ララの視線が宙を泳いだ。
「え、ええと、城の衛士さんたちの噂話を耳にしたんです」
「そうなのか。なんとかアルジェナに会って、竜狩りを辞退をお願いできれば戦わずに済むんだが……」
フローディアが眉を八の字にさせた。
「譲られた勝利では誰もわらわを騎士団の団長とは認めぬじゃろう。レオ先生が弱気になってどうするのじゃ!」
「すまない。今のは失言だった。俺も強気に最後までとことん攻め抜いてやるぜ」
ララがうっとりした顔で俺に告げる。
「たくましくて素敵ですレオさま」
「おう! まかせろ! そうだララ。前にも言ったけど、俺にできることがあれば何でも言ってくれよ」
俺に釣られるようにフローディアも頷いた。
「そ、そうじゃ! わらわも手伝うぞ!」
紅茶で唇を湿らせると、ララは儚げに微笑んだ。
「ではお言葉に甘えて……誰もが愛する人のそばで平穏に暮らせる、そんな小さくとも尊い幸せを守る人や国を育み、守ってください」
教員を目指す俺には人を育て、王族のフローディアには国を守れという。
静かな語り口の中に、俺は高潔さを感じた。
まるで崖の上に一輪咲く清楚な白百合のようだ。
ララは付け加えるように言った。
「お二人のご武運を祈っていますね」
「ああ。勝利を持って帰ると約束するぜ」
ふと見ると、フローディアが再び緊張の面持ちになっていた。
まあしょうがないか。
実際に戦うのは俺じゃなくてフローディアなのだし。
相手も尊敬するアルジェナだもんな。
「わ、わかったのじゃ! 勝利を約束するのじゃ」
フローディアは震えさせた声でそう、宣言した。
◆
ララの部屋から送り出されて、廊下に出ると城の窓の外はすっかり暗くなっていた。
「レオ先生。今は何時頃じゃろう」
懐中時計で確認すると、午後八時を回ったところだ。
「ちょっと長居しすぎたな。もう八時だ。路線馬車の運行も終わったあとだな」
「では送迎の馬車を用意させよう。しかし八時か……そうじゃの。腹ごなしに中庭を散歩せぬか?」
つい食べ過ぎてしまって腹も重たい。
このまま馬車に揺られたら、少し気持ちが悪くなりそうだ。
俺はフローディアに誘われて城の中庭に出た。
風が心地よい。
柔らかい月明かりが射す庭園には、かぐわしい花の香りが充満していた。
ところどころ、光量を抑えめにした魔力灯が配置され、多彩な種類の薔薇が浮かび上がるように照らされている。
実に見事な薔薇の園だ。
「良い庭師がいるんだな」
「お、おお。レオ先生には良さがわかるのか?」
「学園で草花を育てたりもしているから、それなりにな」
「良ければ奥にある噴水まで先に行っていてほしいのじゃ。すぐに追いつくから」
言われるままに俺は薔薇園の奥へと足を踏み入れた。
先に行けだなんて、いったいどうしたんだフローディアは?
ああ、彼女は花を摘みに行ったのか。さっき紅茶をおかわりしていたもんな。
噴水に向かおう。
水音に誘われるように噴水前にたどり着くと、そこに人影があった。
「ほう……客とは珍しい」
渋い男の声に俺はビクついた。
やばい……やばいやばいやばいやばい!
男はゆっくりとこちらに近づいてくる。
噴水を前に俺はひざまづき、頭を垂れた。
「驚かせたか。すまぬな」
「い、いいえ。滅相もございません……タイタニア陛下」
月明かりの下、花を愛でていたのは国王ジンク・タイタニアだった。
「卿がフローディアの新たな家庭教師か。名はなんという?」
「レオ・グランデと申します」
「面を上げよ」
「ご威光に目がつぶれてしまいます」
「そのような物言いは好かぬ。それに王ではなく、この場での私はただの一人の父親。娘を教える人の顔を、きちんと見ておきたいのだ。どうした?」
「あ、あの、どうかこのままで……」
「そうはいかぬ」
タイタニア王は俺の前で膝を突いてしゃがむと、同じ目線の高さになった。
「王に膝をつかせたな。卿は大物になるぞ。はっはっは」
このまま顔をのぞき込まれてもやばい。むしろ近い分余計にまずかった。
俺は立ち上がった。そしてうつむいたまま二歩下がる。
「し、失礼しました!」
王も立ち上がる。
「まるでウサギだな。そのようにビクビクしていては、フローディアにも手を焼くだろう。やはりフォルネウスに戻すべきか……」
「待ってくれ! じゃない……お待ちください! フローディア姫は俺が責任を持って強くしますから!」
俺が顔を上げると、そこにはかつての若き青年の顔ではない、重厚さを増した落ち着きのある“王の相貌”が、穏やかな笑みを浮かべていた。
「ふむ……なかなか精悍な顔つきではないか。安心したぞレオ・グランデ」
気付いて……ない?
たしかに十年も経てば、お互い人相も変わるだろう。
俺の場合、まだ十五の子供だった分、変化が大きかったのが幸いしたかもしれない。
それにこの薄暗さも味方した。
はずだった……。
「しかし……以前にどこかで会ってはおらぬか?」
目を細めて俺を見据えるタイタニア王に、俺は首を全力で左右に振った。
やはり注視されるのはまずそうだ。
「い、いえ。俺みたいな人間が、陛下に謁見するなんて、これが一生に一度の機会です」
王はゆっくりと頷く。
「そうか。どうやら私の思い過ごしか。済まなかったな」
「そんな滅相も無い」
「フローディアの事、頼んだぞ。騎士レオよ」
「は、はい。非才の身に余る光栄の至りがええとあのその……え?」
騎士って言ったよな。俺の知らぬ間に父親公認になっていたのかよ。
タイタニア王は剛毅に笑う。
「はっはっは……おもしろいものだ。かつて同じような受け答えをした者がおったな。その時もひどい慌てようで、つい思い出して笑ってしまったぞ。そう……あの少年にどことなく似ていて、懐かしい気持ちにさせられたのだが……すまなかったな。卿にはなんのことやらわかるまい」
「は、はぁ……」
とりあえず俺の正体には、本当に気付いていないようだ。
「お主のような気持ちの良い若者が、いずれこの国の中核を担ってくれればおと思うのだが……いや、これ以上は言ってもせんなきことか」
気に入られるようなことをした覚えはなく、むしろ俺はずっと挙動不審気味だ。
「ええと……あの」
どう返していいか迷っていると、俺の背後に気配が近づいてきた。
振り返るとフローディアが俺を追い越すようにして、父親の前に立つ。
「さて……冷えてきたな。フローディア、城門まで見送ってやりなさい」
「はい! お父様! さあともに行こう、我が騎士レオ先生」
「色々とごっちゃになってるぞ」
「竜狩りが終わるまでレオ先生は、我が騎士じゃからな」
俺は王にきちんとした別れの挨拶もできないまま、フローディアに引っ張られて中庭を後にした。
◆
城門までフローディアが俺を先導するように廊下を進む。
「お父様はあの時間、よく庭に出ておられるからな。どうやらレオを気に入ったようじゃ」
「いきなりあんな引き合わせ方はないだろ。庶民の俺は心臓が飛び出るような思いだったんだぞ」
「レオ先生といえども、お父様にはかなわぬか」
俺を城門前まで送り届けて、フローディアはメイドに馬車の用意をさせる。
程なくして準備が整い、客車に乗り込む俺に「ではな! レオ先生」と少女は手を振った。
とんでもない一日だった……と、客車の窓越しに街の流れ行く風景を眺めながら思う。
ゆったりとしたテンポで進む馬車に揺られて、俺は学園への帰路につくのだった。




