109.魔法薬の落とす陰
俺とエミリアはテラスに二人、ぽつんと取り残された。
「行っちゃいましたね」
「あ、ああ。そういえばエミリア先生は植物図鑑なんてどうするんだ?」
テーブルに重ねられた本のタイトルに俺が首を傾げると、エミリアははにかむように笑った。
「マーガレット先生に頼まれて、調べ物をしているんです」
「そうか。薬関係っていうのはわかるけど、いったい何について調べてるんだ?」
「ええと……ある秘薬についてとしか。別に口止めをされているわけじゃないんですけど、調べようにも珍しい薬みたいで……もしかしたら学園の図書館の本にはないかもしれなくて……」
「それで叡智の間にも食いついたってわけだな」
「お恥ずかしいです」
エミリアは前屈みになった。重力に引かれる大ぶりな水蜜桃に視線が……いかん。
どうにもエミリアと二人になると、いかがなものかという方向に目が奪われがちだ。
俺は斜め上方向に視線を固定した。青空に流れる雲を数えながら告げる。
「なんて名前の秘薬なんだ? もし教えてくれるなら、こっそり調べてくるぜ?」
エミリアが顔をあげた。
「ほ、本当ですかレオさん?」
「ああ。城の蔵書庫には有能な司書がいるからな。聞けば一発で関連する資料や本が見つかるかもしれないし」
「じゃあ、ダメ元でお願いしますね。ええと……英雄の秘薬についてです」
「……」
俺は思わず黙り込んだ。
そういえば、この前も言ってたな。
本気でマーガレットはアレの再現に挑戦するつもりなのか。
「救国の英雄である名も無き勇者さまが、魔王との決戦を前に生み出した最高レベルの魔法薬だそうです……が、わかっているのはそれくらいで、めぼしい資料が見つからなくて……」
「そ、そうか。一応こっちも当たってみるよ」
「ありがとうございますレオさん!」
エミリアが笑顔を弾けさせたところで、研究棟からマーガレットがフローディアを連れて戻ってきた。
第三王女は――白衣姿だ。
「うふふ♪ 良く似合ってるわフローディアちゃん。ああんもう、いっそ、うちの子にならない? 似合いすぎよ!」
「それは出来ぬ相談じゃ。しかし……こんなものしか着替えが無いとは、研究職というのは貧乏なのか?」
「ええ。服にかけるお金も全部研究費に充ててしまうから、白衣くらいしか着るものがなくなってしまうのよ」
堂々と嘘を吐くな特許王。そして気に入った女子に白衣を着せるんじゃない……まったく。
マーガレットの正体は薬学科主任教員の“錬金術師”フェイス・アルテミス。
幻の主任教員と言われ、魔法薬の特許によってエステリオの財政を支えるという――男性教員だ。
突っ込みたくなる気持ちを抑えつつ俺は聞いた。
「まさか、お前の手で着替えさせたりしてないだろうな?」
「あら、お着替えをお手伝いしたに決まってるじゃない? フローディアちゃんはお姫様よ? そうそう、スカートの方は染み抜きをするほどじゃないけど、乾くまでしばらく我慢してちょうだいね」
フローディアは「うむ」と頷いた。
「仕方あるまい。しかし着替えさせるのがこなれていて驚いたぞマーガレット」
「こちらこそ、いつも着替えは侍女に手伝ってもらっているだけに、フローディアちゃんって脱がされ慣れていたわね。それにしてもすべすべの綺麗なお肌で、艶も張りもぷりっぷり。本当にため息が出ちゃう! うらやましいわ♪」
フローディアはマーガレットの正体に気付いてすらいないようだ。
「茶化すでない。もし貴様が男であれば、この肌を見た代償は命よりも高くつくところだったぞ」
「あらやだ怖い!」
俺は平然とこんな会話を成立させるお前が怖いぞマーガレット!
ふとみると、マーガレットの正体を知るエミリアは……座ったまま気絶していた。
「あらあら、エミリア先生には連日調べ物で苦労をかけてるから……彼女、疲れて眠っちゃったみたいね。そっとしておいてあげましょう」
微笑みながらマーガレットはフローディアを促して椅子に座らせた。
フローディアがあきれ顔で俺に言う。
「まったく、やはり貴様の友人は変人だらけじゃの」
「俺はいたってまともだけどな」
マーガレットが「どうかしらねぇ? 一番の変人はレオ君じゃないかしら」と口元を緩ませ……それから急に、表情が少しだけ険しいものに変わった。
「ところでレオ君。最近の王都の様子はどうかしら?」
「どうって言われても、いつも通りじゃないか」
「そう……まあ王都といっても行き先は王宮だし、世俗とは切って離された環境という意味ではエステリオにいるのと大差ないと思うけど……」
物憂げなマーガレットに、フローディアがテーブルの上に身を乗り出して聞く。
「どうしたのじゃ? 悩み事か?」
「お姫様なら王様にも言えるだろうから、思い切って言うけど……最近、王都の雰囲気がよくないのよ」
「なんじゃその漠然とした意見は」
「そうね。もう少し具体的に言うわ。ええと……王都で良くない薬が出回っているらしいの」
フローディアは一瞬、肩を小さく震えさせると眉尻を下げて困り顔になった。
ちょっと要領を得ないな。もう少しマーガレットに詳しく聞いてみよう。
「良くないっていうのは、粗悪品ってことか?」
「粗悪というよりも、人間にある種の快楽を与えるという意味での“良くない”薬の噂ね。本当に危険なものなら蔓延する前に手を打った方がいいわ。現物があればすぐにも解析してやるんだけど、あたしも学園から離れられなくて……」
フローディアが呟く。
「裏で違法な魔法薬が作られていると、わらわも耳にしたことがあるのじゃ」
マーガレットは第三王女の言葉に同意するように、ゆっくり頷いた。
「魔法薬は薬草みたいに、自然と生えてくるものじゃない。必ず作っている連中がいて、それを流す販売網があるのよ。もちろん、王都が抱える問題の一つでしかないでしょうけど、魔法薬学科の教員としては気になるのよね」
王都も至る所で、こうして蝕まれているんだな。
「その薬を作って売ってる連中の目的は金なのか?」
グラスを傾けハーブティーで口を湿らせてから、マーガレットは続けた。
「悪人にお金が集まるのもだけど、問題はもっと根深いと思うわ。みんなが薬に溺れて働かなくなったら、国が滅んでしまうもの。薬が蔓延すると社会が回らなくなってしまうの。それはとても恐ろしい事よ」
「魔法薬学の専門家で、ある意味一番の危険人物が言うとしゃれにならないな」
「あたしはレオ君にしか危険な薬はつかわないから安心じゃない? そうそう! 今、エミリア先生と協力して、資料集めを進めてるんだけど、英雄の秘薬の試作品ができたら、是非、レオ君に実験だぃ……じゃなくて、治験者になってほしいわね」
エミリアが俺に話したことを前提で、マーガレットは要望を俺に押しつけてきた。
正直なのは人間として美徳だが、実験台という言い方じゃ身も蓋もないぞ。
そんなやりとりを俺がマーガレットとする間、フローディアは独り難しそうな顔をしたままだった。




