108.マーガレット再び
学園内を方々連れ回したこともあって、フローディアもどことなく疲れてきたようだ。
俺が彼女といっしょに向かったのは、薬学科のテラスだった。
この時間は人気も無く休憩にはぴったりだ。
勝手に休ませてもらっていると、暇をもてあましていたのか、はたまた俺の連れに興味があるのか、白衣の裾を翻しつつマーガレットがアイスハーブティーセットを持参してきた。
「レオ君、また彼女が増えたのかしら?」
ピンクのふわりとした巻き毛を揺らし、マーガレットは席についてグラスにお茶を注ぎながら嬉しそうに目を細める。
「新しい教え子だ。フローディア、紹介するぜ。こいつはマーガレット。魔法薬学科の教員だ」
「うふふ♪ よろしくねフローディアちゃん」
ハーブティーで満たされたグラスにストローを挿して、マーガレットがフローディアにすすめる。
「ちゃんは余計じゃ。しかし、薬学のう……まさか毒など盛られておらぬだろうな?」
「あらぁ心配いらないわよ。あたし、入れる時は入れたっていうもの。飲んだり食べたりしたあとだけど」
「それでは言わぬのと同じではないか! 信用できるのか?」
困り顔のフローディアに応えるように、俺はハーブティーを一気に飲み干した。
「マーガレットの魔法薬学の技術は確かなものだぞ。それに、ハーブティーには細工をしないんだ」
「あら? あたしが他のものにはなんでもお薬を入れちゃうみたいな言い方は、誤解を招くからやめてほしいわね」
俺の毒味を確認して、フローディアもハーブティーを飲む。
すると表情から警戒心が消し飛んだ。
「これは……う、美味いではないか!」
「お褒めにあずかり光栄ね。ほらやっぱりあたしのハーブティーって美味しいのよ。レオ君はもっとありがたがって飲んでほしいわ」
そんな話をしていると、テラスにもう一人――今度は眼鏡の女性が姿を現した。
本を重ねて両手で抱えるようにしながら、やってきたのはエミリアだ。
「レオさんもこちらにいらしたんですね。き、奇遇です」
フローディアの「何者じゃ?」という視線がエミリアに向いたので、俺は続けて紹介する。
「彼女は魔法史学教員のエミリア先生だ。今朝会ったクリスたちの担任もしてる」
「ほう……しかし、本が小さく見えるくらいに胸が大きいのう。何を食べたらそのように育つのじゃ?」
「は、はうう!」
どさどさっとエミリアの腕の中から本が落ちた。
史学を愛し本を尊ぶ彼女らしくもない。
マーガレットが笑う。
「フローディアちゃんってば、いきなりお胸の話をするなんてよくないわよ?」
エミリアが首を左右に振った。
「え、ええと……あの……だ、第三王女殿下……ですよね!?」
「いかにも。ふむ、わらわと気付いたか。褒めてつかわすぞ」
「お忍びで視察するなら気付かれない方がいいんじゃないか?」
俺のツッコミに「貴様はいちいち一言多いのじゃ」とフローディアは小さなほっぺたを膨らませた。
「ま、マーガレット先生! 王女様ですよ!? どうしてそんなに平然としていられるんですか?」
エミリアはエミリアで、すっかり声が裏返り緊張を隠しきれない。
やんわりと感情魔法を含ませて俺は言う。
「そんなに緊張しなくても大丈夫だ。今度、縁があってフローディアの家庭教師をすることになったんだが、彼女は俺の普段の仕事ぶりを視察しに来たんだ」
平静の感情魔法が効いたようで、エミリアは呼吸を整えると頷いた。
「そ、そうだったんですね。さすがレオさんです」
エミリアは眼鏡のレンズ越しに瞳をキラキラさせた。
「マーガレット。グラスをもう一つ頼む」
俺は一度席を立って、エミリアが落とした本を拾い集めつつ彼女をテーブルにつかせた。
ほどなくしてマーガレットがグラスと追加のハーブティーのボトルを手に、テラスに戻ってくる。
エミリアのグラスにハーブティーが注がれたところで、俺はこれまでのいきさつをかいつまんで説明した。
話を聞き終えたエミリアが目をまん丸くさせる。
「あ、あんまりです! 試験の点数を0点にするなんて!」
マーガレットが「教育委員会の連中がやりそうなことよね」と、少しだけ苦い表情を浮かべた。
フローディアが胸を張る。
「そこで助け船を出してやったのが、わらわなのじゃ!」
エミリアが深々とフローディアに頭を下げた。
「この度はレオさんを救ってくださって、ありがとうございます王女殿下」
「よいよい。それにフローディアと呼ぶが良いぞ。堅苦しいのは苦手なのじゃ。にしても……貴様の知り合いはみな変わった連中ばかりだのう」
俺を見つめてフローディアは不思議そうに首を傾げる。
「そうか? マーガレットはともかくエミリア先生には、変わったところなんてないぞ。生徒思いの良い先生だし……まあ、しいてあげるなら本好きってくらいかな」
マーガレットが笑顔で「あら、失礼しちゃうわ」と俺に釘を刺すように言う。
わかってるって。お前の正体について話題に上げるような野暮はしないから。
一方でエミリアが甲高い声を上げた。
「わ、わたしなんてまだまだ本好きとは言えません!」
テーブルの脇に重ねられた立派な装丁の本の背には、魔法薬学史や植物図鑑という文字が並んでいた。
フローディアがそっぽを向く。
「わらわは本は苦手じゃ。お話を聞くのは好きじゃが、そういう勉強の本はおもしろくないからのう」
「し、ししし失礼いたしました!」
またエミリアがガチガチになっちまったな。
俺は腰のツールバッグから鍵を取りだした。
「そうそう。この前、王宮の蔵書庫に行ったんだ。この鍵はフローディアので、しばらく借りてるんだけど……って、どうしたんだエミリア先生?」
俺の取りだした鍵にエミリアの熱い視線が注がれる。
「れ、レオさん本当ですか? 叡智の間に入ったんですか?」
「叡智の間……って、まあ確かにすごい書庫だったが……」
「入ったんですね! ああ、うらやましいです! 本当に本当にさすがレオさんです。求めようとせずとも知識の方からレオさんの門戸を叩くんですね」
大げさな言い回しだが、エミリアは真剣な口振りだ。
「なら今度エミリア先生も……」
言いかけた俺の言葉をフローディアが遮る。
「だめじゃ。貴様は今回、特別待遇で城内に招いておる。が、いかに貴様の友人であろうと、これ以上の特別扱いはできぬ相談じゃ」
「なんだよケチくさいな」
「仕方なかろう。すまぬなエミリア。王女のわらわにもできぬことはあるのじゃ」
エミリアはブンブンと首を左右に振った。あまりの激しさに眼鏡がずり落ちそうだ。
「めめめめ滅相もございません! お心遣い痛み入ります! レオさんもありがとうございます!」
「いや、俺はなにもしてないだろ」
エミリアが“叡智の間”なんて言うくらいだから、きっとあの蔵書庫にはエミリアが読みたくなるような、珍しい本が山ほどあるんだろう。
マーガレットが困り顔で俺に聞く。
「ところで話は変わるけど、この前あげた魔法薬はもう試してくれたかしら?」
ああ、たしかエミリアの手作りクッキー騒動の時に、マーガレットから青い魔法薬もらったままになってたな。
「あー。悪いな。試す機会がなくて、部屋に置きっぱなしになってたわ」
「もう、しょうがないわねぇ。ちゃんと使って報告してほしいわ……あら? フローディアちゃんグラスが空っぽね。おかわりいかが?」
「おお、気が利くではないか。もらおう!」
マーガレットが椅子から腰を浮かせて、ハーブティーのガラスポットを手にした……ところで、急にその身体がよじれて倒れそうになった。
「――ッ!?」
咄嗟に立ち上がってマーガレットの身体を支えたが、彼女の手にしたガラスポットからハーブティーがこぼれて、フローディアのスカートを濡らしてしまった。
「あらごめんなさい。最近、研究続きで眠っていなくて。人間休まないとだめね?」
俺はマーガレットの身体を解放するなり、フローディアに向き直った。
「大丈夫か? ええと……その……ご愁傷さま」
アイスハーブティーだったため火傷はしなかったものの、フローディアのスカートは前面がぐっしょり濡れてしまっていた。
「わ、わたし拭くものを探してきます」
席を立とうとするエミリアを、マーガレットが呼び止める。
「待ってエミリア。それよりも染みになる前に、スカートを水ですすいだ方がよさそうよ。ごめんなさいねフローディアちゃん」
「わざとでなければ別に良い。が、冷たくて張り付くような感じがして、なんとも居心地が悪いのう」
「着替えを用意するからこっちに来てちょうだい」
「ふむ……仕方あるまい。案内せい」
フローディアを連れてマーガレットは研究棟に引っ込んでしまった。




