107.王女様の社会見学
午前中は座学の授業が主体になるため、利用者がいないうちに闘技場の清掃や点検をやることも多い。
エステリオの大小様々な闘技場をフローディアに紹介がてら、今日はステージと観覧席を隔てる魔法防壁の確認を行った。
「壁に手などあててなにをしておるのじゃ?」
「内蔵した防壁の理論魔法式が破綻していないか確認しているんだが……本当に理論魔法式が見えていないんだな」
「見えなくて困ったことなどない。わらわには精霊魔法があるから、そのようなまどろっこしい魔法は不要なのじゃ。それに……アルジェナ姉様のような才能も無いしのう」
フローディアはしゅんとしてしまった。
「そんなにすごいのか? アルジェナって」
「わらわがかろうじて勝てるのは、精霊魔法くらいのものじゃ」
俺は防壁魔法のチェックを終えて、壁面からそっと手を離す。
「理論魔法があると便利だぞ?」
「うう……理論魔法なぞなくなってしまえばいいのに」
「一応、俺は理論魔法使いの家庭教師なんで、無くなられると困るんだが。教員免許だって理論魔法使いで受けてるんだし」
「貴様は理論魔法だけでなく、色々できるではないか! わらわは不器用なのじゃ! 貴様のようにはできぬ」
怒ったような口振りでフローディアは声を上げた。
この調子だと無理に理論魔法を詰め込もうとしたって、十日じゃたいしたことは出来そうにないな。
「俺はフローディアのそういうところが偉いと思うぞ」
俺の言葉に少女は柳眉を上げた。
「え、偉くて当然であろう。わらわは姫なのじゃぞ!」
「身分じゃなくて、俺がお前を偉いと思うのは、ちゃんと自分のことをわかってるってところだよ。欠点に自覚があっても、それを認められない人間の方が多いと思うぜ」
俺も含めてな。
フローディアはぷいっとそっぽを向く。
「ちいとも褒められてる気がせぬ」
「悪かったな。俺は言葉が不器用だから、こんな言い方しかできないんだ」
そっぽを向いて腕組みをしたまま少女は続けた。
「ま、まあそれでも悪い気はせぬから、今後もわらわを褒めて伸ばすように。しかし、そろそろ退屈してきたのう。いい加減闘技場ばかりでは飽きるぞ」
「しょうがないだろ。管理人の仕事なんだから」
ぷくーっとフローディアのほっぺたが膨らんだ。
「学園とはあまり楽しい場所ではないようじゃの」
「基本的には勉強をする場所だからな。ただ、友達ができれば楽しくなるんじゃないか?」
きょとんとした顔でフローディアは俺に向き直った。
「驚いた……貴様にも友達がおるのか?」
「お、俺にだっているよ! と、ととと友達くらい!」
「何を焦っておる。まさか嘘をついてはおるまいな?」
ピンポイントなところで攻め込んできやがって。俺は心の中で深呼吸をした。
「わかった。と、友達を紹介してやる」
焦るな俺。落ち着け俺。大丈夫だぞ俺。
ぼっちだったのはもはや過去の話だ。
なぜならこの学園には、俺の強い味方がいるのだから。
◆
フローディアを連れて、ゴミ収集がてら俺は武器用具室にやってきた。
用具室の主は今日も独り静かに魔法武器のメンテナンスを続けている。
いかにも職人という面持ちだ。
「…………」
無言の視線で挨拶をする主に、俺は「よ、よう!」と軽く手を上げて返した。
「…………」
視線を手元に戻して、主は魔法武器の斧の刃を磨く作業に戻る。
フローディアが俺の顔をビシッと指さした。
「これが貴様の言う友人関係なのか!? ほとんど無視されておるではないか?」
「ちゃんと挨拶したろ! 男同士の友情関係に、多くの言葉は必要ないんだよ」
「なんじゃ怪しいのう。して、この部屋はなんじゃ?」
ぐるりと視線を一巡させてフローディアがため息を吐く。
「見ての通り、エステリオが誇る武器用具室だ。生徒たちに魔法武器を貸し出しているんだぜ」
「どれもこれもオモチャのようなものばかりじゃのう」
フローディアが腰の宝剣フレイヤを抜き払った。
磨き抜かれた透明な刀身も美しい、見事な宝石剣だ。
そいつと比べられるようなものは、ここには無い。あるとすれば宝物庫の方だろうな。
ガタッ! と、背後で物音がした。
振り返ると武器用具室の主が目をカアッと見開いて、フローディアの宝剣を一心に見つめていた。
「……あ……ああ……美しい」
さまよう死人のように、ゆらゆらとおぼつかない足取りで主がやってくる。
「な、なんじゃ貴様! 無礼であるぞ」
俺はフローディアに頭を下げた。
「すまん! お願いがあるんだが、良かったらそいつをこの男に見せてやってくれないか?」
フローディアの目が点になる。
「な、なんじゃと? わらわのフレイヤを見たいと申すか?」
「…………」
主はコクコクと二回頷いた。普段、物静かな男の背中から、情念のような炎が揺らめき立ち上る。
困惑の眼差しをフローディアは俺と主に交互に向けた。
「貴様はこの男の友人で、信頼できるのだな?」
質問に主が俺をそっと見つめてから、何度も頷く。
俺も「ああ。信頼できる人物だ」と後押しした。
それを確かめて、フローディアは宝剣の切っ先を床に向けると、柄を差し出す。
「下手に魔法力を込めるでないぞ。万人に扱えるような代物ではない」
それは俺にも見ただけでわかる。
強力な魔法武器ほど要求する魔法力も莫大なものになるのだ。
主はフローディアの前にひざまずくと、宝剣を受け取り吟味し始めた。
「……おお……これは……すばらしい」
ありきたりな感想にも聞こえるが、専門家の主の声には深い感嘆が刻み込まれている。
「どうじゃ? これほどのものはさすがに見たことがなかろう。これからも友人として、わらわの家庭教師をよろしく頼むぞ」
「…………」
主は深くゆっくり頷いた。
放っておくずーっと宝剣を眺めていそうな雰囲気だ。
「あ、あの……そろそろ行っていいか?」
まるで売られていく子牛を見送るような、寂しげな眼差しで、主は宝剣をフローディアに返却した。
「……ありがとう」
何を思ったのか、主は俺にまで頭を下げた。
「いや、こっちこそいつも世話になってるからな。少しは恩返しができて嬉しいよ」
主は頷くと、音も立てずに自身の作業場も兼ねるカウンターの奥へと戻っていった。
「風変わりな男じゃの」
「喋るのが苦手なんだ」
宝剣を鞘に納めてフローディアはあくびを一つ。
「して、次はなんじゃ? どこでなにをする?」
「この後も掃除や魔力灯の交換や、雑草を刈ったりだな。各学科の教員から作業依頼が無い日はだいたいいつも、こんな感じだぞ」
フローディアは「つまらぬ仕事をさせられて不満はないのか?」と、少し怒ったような口振りになったのだが「戦ったりするよりはよっぽど平和で、この仕事は気に入ってるんだ」と、俺は返した。
◆
精霊魔法の実習室で風属性と水属性の複合技となる雷属性の実験が行われた……のだが、生徒の一人が制御に失敗して、実習室の魔力灯がすべて使い物にならなくなる事案が発生した。
生徒たちに怪我はなく、授業も自分たちの教室での自習ということで返され、俺は精霊魔法学教員のリチャードソン・オルガの依頼で魔力灯の全交換をすることになった。
リチャードソンが俺と、隣に立つ小柄な少女の顔を交互に見る。
「そちらの方はどなたでしょう? 我が校の生徒ではないようですね。はて……どこかで見た……いえ、お目に掛かったような気もするのですが……」
「気にしないでくれ。俺の助手だ」
「そうですか。わかりました。それでは作業の方、どうかよろしくお願いします」
軽く会釈をしてリチャードソンは実習室を後にした。
違和感を憶えているようだが、どうやら見なかったことにしてくれるらしい。
彼は交流戦の一件で俺を買ってくれた一人だ。
リチャードソンが去るなり、少女が不機嫌そうに呟いた。
「なんじゃ助手とは失礼な」
「あんまりじろじろ見られて正体がバレても困るだろ。さっさと始めるぞ」
「またわらわに手伝わせるというのか?」
「二人でやった方が早いだろ。壊れた魔力灯は俺が外すから、それを受け取って新しいものを俺に渡してくれ」
「まったく人使いの荒いやつじゃ」
脚立を使って天井近くの魔力灯を外し、フローディアの手を借りて次々と交換していく。
二人で進めることで作業も捗った。
魔力灯の受け渡しをしながら、言葉を交わす。
「貴様は学園が好きなのか?」
「管理人の仕事は気に入ってるぜ」
「教員になったらこの仕事はせぬのか?」
「どうだろうな。そこまで考えてなかった」
「行き当たりばったりでいい加減じゃの」
そんな会話をしながら、実験室の魔力灯の交換が完了した。
脚立を降りて俺は言う。
「ありがとうなフローディア。手伝ってくれたおかげで、あっという間に終わったよ。一人でやったらこの倍以上は時間がかかってた。本当に助かったよ」
フローディアの顔が耳まで赤くなった。
「そ、そうかそうか。素直に感謝できるようになったとは、貴様も成長したな。褒めてつかわす! それで次はどこじゃ! どこで何をするのじゃ? 場合によっては手伝ってやらぬこともないぞ!」
やる気を見せるフローディアには悪いんだが、壊れた魔力灯を危険物置き場に運んだら、仕事らしい仕事も一段落だ。
そうだな……しばらく顔を出していなかったあそこにでも行ってみるか。




