アンドロイドの恋
初期のプログラムに、「生まれ変わり」というものがある。
ボクたちアンドロイドは、破損するまで働かせられる。人間の汚い面を見ることもしばしばだし、アンドロイドというのは幸せな物体ではない。だけど、真面目に働けば、ボクたちは生き物に生まれ変わることができる。だから、効率主義で働きなさい―。
「誰もこいつは買わないだろうなぁ……。」
「しかしぃ、スクラップにするのも金がかかるんですよ。」
「かと言って置いとくのもなぁ、あっ、この言葉でも傷ついたりしてんのかね。
全く、妙なアンドロイドだわ。」
アンドロイド派遣会社でも随分型落ちだと言うのに、ボクに仕事が舞い込んだことは一度もない。と言うのも、ボクは情操回路のはんだ付けを誰かがミスしたせいで、随分と変わったアンドロイドになってしまったからだ。
ボク以外のアンドロイドは、淡々としている。感情がないと言ったほうが良いかも知れないな。効率主義を磨き上げすぎた人間たちが、効率化に不要な感情というものを削ぎ落として、ボクたちを作った。最近は人間たちもボクたちに近くなってきて、感情らしきものは1つか2つくらいしかない。近くで見ても見分けがつかなくて不気味だ。そういうのに反対している団体もあるらしいとはプログラムされてるけど、ボクが作られたのは随分昔なうえに会社から出たことがないから今その団体がどうしているかは分からない。
「へっ、A-hz52をですか。はぁ……。」
数珠をじゃらじゃらと下げた男の人が電話の向こうにむけてボクの名前を呼んだ。
仕事、なのかな。
ボクは淹れかけのコーヒーをほっぽって関節に油をさした。
「おい、カタオチ、仕事だ。
地形データをペーストしてやるから、迷わず行けよ。」
数珠おじさんはそう言って、ボクにチップを刺した。
少し遠そうだけど、今まで仕事が無かったボクがポータルを使って移動させてもらえるはずもない。仕方なく下半身のパーツを組み替えて―これも自力で―、ホイールで依頼人のところへ向かった。
「豪邸だ。」
ボクは思わず呟いた。
プログラムの中にある、豪邸そっくりそのままだ。しかも、ドアの横には特徴的な旗が垂れている。人間の高度効率化に反対する団体のマークだ。まだあったなんて。
ボクはドアベルを鳴らす前に、さっきさした油が垂れたりしてないか確かめた。うん、よし、キレイだ。指もちゃんと曲がる。
ドアベルを鳴らすと、髭の生えた男の人が出てきた。おお、毛が生えてる人間を初めて見た。本当に、効率なんて気にしてないんだ。
「良く来たね。私はメルティ・ファーガソン……と、名乗っている。」
名前もある。番号じゃない。
ボクは非効率と叩き込まれた挨拶を返し、おまけに握手までしてしまった。熱伝導センサーがほんのりと温かくなった。
「うぇっ、何そのアンドロイド。まさか、今日から派遣されるのってそれじゃないよね?」
「これ!シュッティー!
失礼。娘はまあその……やんちゃでな。
今日から娘の世話を頼むよ。」
しまった。下半身のモジュールを変え忘れてた。見かけはほとんど人間なのに足だけホイール。人間には不気味に違いない。誰もボクを見て顔をしかめたりしないから忘れていた。ボクはガシャガシャと慌てて組み替えたけど、シュッティーがボクを見ることはなかった。
ファーガソン家は地元でそこそこの力を持っているらしく、来客が大勢来る。ボクは彼らにお茶を出したりして、極力もてなした。彼らは楽しそうに笑ったり歌を歌ったり、詩を暗誦して泣いたりもした。彼らは感情を捨てたくないみたいだ。シュッティーはボクに酷く辛く当たるクセに、来客の前ではとても淑やかだった。それこそ、感情がないみたいに。
「バカみたい。」
お客さんが帰った後、シュッティーが言った。
「どうして体毛を残したり感情をそのままにしたりしておくの?」
自分の部屋だからか、シュッティーは止まらない。ボクはどうしていいやら困った。こんなに感情的な会話はプログラムにない。いや、でも。ボクの回路なら導き出せるはずだ。
「ボクは……考えるためだと思います。」
少しの間があった。ボクはモーター音を聞かれたくなくて続けた。
「ほら、どうして相手は悲しいんだろう、怒ってるんだろう、って考えるでしょ。髪型どうしようかな、いつ切ろうかなって考えるでしょ。完全効率化っていうのは、考えるのをやめて全部オートマティックにすることです。
お嬢様にそれができますか。」
シュッティーはボクを冷たく見下ろしたまま何も言わない。
ボクはそのエメラルドブルーから目が離せず、突っ立ったままでいる。
「あなた、そんな見た目なのにボクっていうのね。
それより、型番で呼ぶのは面倒だわ。
名前は?」
お嬢様は話の矛先をずらすことを選んだらしい。
「見た目と心は関係ありませんから。そうですね、名前は……。」
ボクの言葉はそこで遮られた。
「ちょっと待って。あなた……心があるの?」
ボクは黙って頷いた。シュッティーはボクの頭を掴んだり撫でたりしている。
「そうですよ。ボクは情操回路にミスがあるんです。
同じ型番でも違う子はボクとは呼ばないと思いますよ。
あっ、名前は……。」
シュッティーは聞いてやしなかった。
相変わらず冷たい目をボクにぶつけてくる。ボクは旧式だから人工毛のポニーテールも生えているし、胸もある。それでも自分をボクと呼ぶのは、そうしたいと思ったからだ。プログラムで決まってるからじゃない。
「男型アンドロイドになりたいの?」
シュッティーは藪から棒に聞いた。
「そこのところは良く分かりません。
でも、こうしてる方がボクには自然なんです。
お嬢様も、ご主人様に従うも良し、世間の流れに従うも良しだと思いますが。」
シュッティーはボクの爪先を踏んだ。
ここには強制終了ボタンがある。ボクの視界は次第に暗転していった。
次に目を覚ました時には朝になっていて、ご主人様のだろう、手の熱を感じる。どうやら起動してくれたらしい。
「シュッティーにも困ったものだな。
それで、君の朝食はオイルがいいのかな?」
「あ、いえ……。私は型落ちですが、燃料補給の必要がないモデルですので……。」
「ははは、そうか!いやー、どうも私のような者は時代遅れで参るな。」
ご主人様は豪快に笑いながら、家の中を案内してくれた。一度では覚えられないくらい広い。シュッティーにはこれからも手を焼きそうだし、早めに覚えなくちゃな。ふと窓の外を見ると、太陽が燦々と芝生に光を投げかけている。シュッティーは学校に行く時間らしく、束ねた本を抱えて走っていく。その瞬間、風が凪いで、芝生が動きを止めた。窓の中で動くものはシュッティーのうねった髪だけで、それが素晴らしいものに思えた。
学校から帰ってもシュッティーはお客さんの相手をしなくてはならず、ボクはお目付け役という面もあってその場にいることになった。こういうことはほぼ毎日あって、別の客間ではご主人様が別の客を応対している。主に団体の資金や新しいメンバーのことなどを話し合ったりしているらしいが、お客さんからはともかくシュッティーからはあまり熱意を感じない。
シュッティーはもっと効率化したいのかもしれないな。
そう思っていた時のこと。
「ふふっ、えぇ、そうなんですか?」
客人が何やら囁き、シュッティーは声を上げて笑った。
ボクは持っていたトレーを落としそうだとアラートが内部で鳴ったので、慌てて指に力を込めた。
シュッティーの笑顔を見たのは初めてかもしれない。ボクにはいつも仏頂面しか見せないから。
「あーあ、今日も疲れた。
あの人、若い人と話せるのが楽しいのね。
楽しんで頂けて何よりだわ。」
シュッティーは部屋に戻るなり、そう言ってベッドに足を投げ出した。シーツにシワが入る。
「楽しそうに見えましたけど……。」
ボクが思わずそう言うと、やっぱりシュッティーは顔をしかめた。
「あんなのね、合わせてるだけよ。」
そう、事も無げに言う。
ボクはそうですか、と言って引き下がった。シュッティーは首の後ろを揉んでいる。
「ねぇ、あー、そうだ。名前、ずっと聞き損ねてた。」
手招きをする手を止めてシュッティーが言った。
「名前はありません。一応、お嬢様につけて頂くことは許可されておりますが……。」
ボクは今更ながら恥ずかしくなった。カタオチと呼ばれてはいたが、それを名前とは言いたくない。
「ふーん。じゃあ、気分転換にお庭にでも行きましょ。そこで考えてあげるから。」
シュッティーはベッドのスプリングを利用して立ち上がり、さっさと庭に行ってしまった。
ボクはその後を無様に追った。
芝生の上に寝転がり、シュッティーは目を閉じている。ボクはその横に座った。
「服に芝をつけては、ご主人様に怒られますよ。」
「いいの、怒られるのはあなただから。」
シュッティーはわざとらしく鼻歌を歌った。
「お嬢様はボクに厳しいですね。」
半分自嘲を込めた笑いを交えてボクは言う。シュッティーはボクを横目でちらっと見て呟いた。
「どうせ近くにいるものにまでおべんちゃらを使って優しくするのは面倒だわ。」
「あー……効率が悪いと?」
「その言い方は好きじゃないけど……そうね。」
「いなくなりますよ、ボクは。」
えっ、というシュッティーの声が風で流されていく。
「ボクはお嬢様の情操教育のために派遣されたアンドロイドです。
ボクは古い機種ですから、それ以外の機能はそれほど良くありません。
お嬢様が相応の歳になれば、ボクは会社に戻ることでしょう。
それに、会社の人間たちはボクをスクラップにとかどうとか言ってましたから、この仕事が終わったらどこかしらが故障したとかいちゃもんをつけてボクは鉄くずになるでしょうね。」
シュッティーはまたしかめっ面をした。
足を抱いているボクの手にそっと自分の手を重ねてくる。
「悲しくないの?」
「涙を流す機能がないから泣いていないだけで、苦しいですよ、ボクは。」
シュッティーは何も言わなくなった。ボクもこれ以上何と言っていいか分からなくて、あまりシュッティーの方を見ないように前を見ている。
「イザベラ。」
シュッティーがボクの方を見て言った。
「なんですか。」
勘違いでなければボクのことだろう。
「私ね、こういう苦しくなるような感情はいらないと思ってた。でも……。」
シュッティーはそこで黙った。
ボクはなおさら気まずくなって、シュッティーの手を取って部屋へと戻った。
風で芝生がざざっと動き、雲も随分早く動いていた。
シュッティーは相変わらず、来客が帰るとボクに愚痴る。効率化を目指すか、父の跡を継ぐか、まだ決めかねているのに、矯正されているようで嫌なのだとか。そんな話をやっと聞けた。ボクに辛く当たったのも、ボクに感情があったから、らしい。
そのせいかも知れない。
ボクはシュッティーに好かれたいと思うようになっていた。シュッティーが笑顔を振りまく来客が妬ましくなった。
どちらが幸せなのだろう。嘘とは言え、笑いかけてもらえる彼らと、しかめっ面ではあるものの本音を聞かせてもらえるボク。
ボクは、どっちのシュッティーを愛しているのか。いや、おかしい。人間が分裂するはずはない。どっちもシュッティーだ。片方だけしか好きになれないようじゃ、愛してるとは言えないような気もする。
だけど、難しいのはボクがアンドロイドということだ。シュッティーがボクにどちらの面も見せてくれたのはボクがアンドロイドだからじゃないのか。だって、他の人には良い子のシュッティーしか見せない。ボクがもし人間だったら。シュッティーは……。
いや、待てよ。どうしてシュッティーがボクを見てくれると思ってるんだろう。どんなに妄想出来たって、出来損ないの情操回路があったって。ボクはどこまでいってもカタオチアンドロイドだ。
初期のプログラムに、「生まれ変わり」というものがある。
ボクたちアンドロイドは、破損するまで働かせられる。人間の汚い面を見ることもしばしばだし、アンドロイドというのは幸せな物体ではない。だけど、真面目に働けば、ボクたちは生き物に生まれ変わることができる。だから、効率主義で働きなさい―。
スクラップになりたいと思ったのはそれが初めてだった。




