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幻獣たちの恋  作者: クインテット
28/36

ワイバーンの恋-後-

ごとっ、と外から大きな力が加わったのを感じた。

誰かが、僕を拾ったみたいだ。

じんわりと、温かくなっていく。

僕は生まれた時、母さんに気づいてもらえなかった。

空を飛んでいるときに産み落とされて、それっきりだ。

いつか迎えに来ると思ってた。

でも、羽根の音はしない。

いつまでも、いつまでも。


「ガチョウさんの卵かな?」

ドラゴンじゃない?

母さんは、ドラゴンではない何かの近くに住んでいた。

お腹の中にいた頃、こんな言葉を聞いていた。

「あれは人間だよ。」

母さんの優しそうな声。

未だに意味は分からない。

でも、敵じゃなさそうだ。

僕は殻に包まれたままゆらり揺れている。

どこかに連れていかれるらしい。

運が良ければ、母さんの元へ返してもらえる。

僕はじっと願った。

僕をくるんでいる温かい手が、母に変わることを。


「ママー、ただいま!」

殻の外から、大きな声がした。

それから、小さな足音。

この声の主の仲間だろうか。

「今日も、たくさん取れたわね。」

優しそうな声だ。

殻の中で目を瞑る。

まだ、響いている。

「これは?」

綺麗な調子が、訝るように変わった。

どうやら、ドラゴンではないらしい。

じゃあ、何がこんなに温かい声を出せるのだろう?

「たまご!あっためて、かうんだー。」

高く明るい声がした。

僕を拾ってくれた方だ。

細く、息が吐かれる音がする。

呼吸をする生き物。

僕には検討もつかない。

これから見られる世界に思いを馳せていると、柔らかいところにそっと下ろされた。

悪いものではないらしい。

ずっと固い地面の上で、辟易していたのだ。

本当はふかふかの藁か何かの上に横たわるはずだったのに。

おっと……。繰り言はこれくらいにしておこう。


気まぐれに、殻が温められる。

本当は僕はいつでも生まれてこれるのだけど、周りの安全を確認してからじゃないとダメだ。

僕はドラゴンなんだと偉そうに言っても、生まれたばかりじゃ何も出来ない。

声が温かくて優しそうだからと言って、安全とは限らない。


明るく、大きな声は時々いなくなる。

そんな時は、いつも優しげな声が近づいてくる。

そして、温めてくれた。

その声さえもいなくなることもある。

本当の母親ではないのだから仕方ない。

でも、また静かなところに打ち捨てられるかもしれない、と、心配にもなる。

僕は、これからどうなるんだろうか。

「早く生まれてきてね。

ミラーが待ってるわ。」

優しげな声が言う。

時折、そう呟くように言うんだ。

僕には、その意味を理解することができない。

だけど、敵じゃないのかな、と思わせるには十分だった。


殻の内側から、何度も口のトゲを叩きつける。

ドラゴンの殻は外敵から身を守るために厚く、固い。

「ママー!たまごがうごいてる!」

楽しそうな声。

「じゃあ、そろそろ生まれるのね。」

柔らかな声。

早く、会いたいな。

これをぶち破れば、この声と巡り会える。

割れろ。割れろ、割れろ!


それから何も起きない状況が続いた。

殻の中にも外にも変化はない。

それでも諦めず殻に挑み続けていると、ようやく光が見えた。

ヒビが入ったんだ!

「キャー!」

甲高い声。

な、なんだ!?

殻が宙に浮く感覚がする。

や、やっぱり、敵だったのか……。

足元が揺らいでいく。

頭が殻に叩きつけられる。

どこかに運ばれているのか?

「ミラー、今ガチョウさんは頑張ってるところだから、静かに、見守ってあげましょう。

手を振り回したりもダメよ。」

温かい声がして、天変地異は止んだ。

僕はやっと落ち着いて、殻に食らいつく。

まだ不安だ。

殻を破った瞬間、また揺れたら僕は無事ではすまない。

とはいえ、先程不本意ながら頭を強かに殻に打ち付けたおかげで、随分殻はダメージを負ったらしい。

小さな穴から崩れ落ちるように、割れていく。

「おー……。」

明るい方の声だ。

生き物は二匹。

どっちも、ドラゴンではないらしい。

威嚇のために、僕は全身の力を振り絞って鳴いた。

一匹は目をキラキラと輝かせ、もう一方は眉を寄せていた。


食料をくれたのは、いつも優しげな声の方だった。

温かい寝床をくれたのは、明るい声の方だった。

どちらも、僕に危害を加える気はないらしい。

優しげな声は、僕にいろいろなことを教えてくれた。

まず、彼女たちは人間であるということ。

それから、言葉をいくつか教えてもらった。

どうやら、明るい方はミラーといい、優しげな方はアネモネというらしい。

アネモネはいつもおそるおそる僕に近づく。

しかし、それは僕を恐れている、というよりも、扱いに困っているようで、僕を捨てたり攻撃したりしようとはしない。

一方ミラーは恐れを知らなさすぎて僕の方が遠慮する。

未発達の鱗が剥がれてしまったこともあるし、反対に口のトゲでミラーを引っ掻いてしまったこともある。

いつも近くでミラーを見守っているアネモネは、そんな時いつもミラーを叱るのだった。

僕に悪気がないのを分かっているのか、どうなんだろうか。

僕は、そんな時いつも少し嬉しくなってしまう。

対等に扱ってもらえるのが、嬉しくて。


ある日、アネモネは遠くに行ってしまった。

仕事だからと言って出ていくことはたまにあったけど、今回は窓から覗いても、彼女はいない。

他の人間に見つかってはいけない、ときつく言われている僕は、いつもこうやってアネモネを見ている。

ミラーは散歩に僕を連れていこうとするけど、アネモネが阻止してくれている。

僕はまだ上手く喋れないから、本当に助かる。

でも、そんなアネモネはいない。

四本足の化け物と一緒にどこかに行ってしまった。

飛んで、会いに行きたいな。

母さんみたいに、ずっと会えなかったらどうしよう。

「ただいまー!あれ?ママは?」

ミラーも知らないらしい。

僕は首を振った。

いよいよ、不安になってきた。

食べられたのかな。

「ガァ……アェ……。」

喉の奥から空気を吐き出しても、思慮を得ない。

もっと、話したい。

もっと、知りたい。

「どうしたの?」

ミラーの問いに、僕は答えられなかった。


「あっ、ママおかえり!」

「牧師様のところに行きましょう!」

玄関のドアが開いたと思ったら、誰もいなくなった。

僕は……やっぱり、誰にも拾われないのかな。

アネモネは、いなくなっちゃうのかな。

足音が遠ざかっていく。

「ガァ……。」

僕は両腕を折り畳んで、その上に頭を乗せた。


「イヴァン、ただいま!」

閉じた瞼が、少しだけ赤くなる。

目を開けると、夕日を背に、アネモネとミラーが立っている。

僕は駆け寄ろうとしたけど、テーブルをなぎ倒すことしかできなかった。

「もう、イヴァンったら!」

ミラーはそう言いながらテーブルを直そうとする。

でも、小さくてできない。

アネモネと僕の尻尾で、なんとか起こした。

「イヴァンはね、あなたの名前よ。

私はアネモネ。この子はミラー。」

あなたは、イヴァン。

アネモネはそう言った。

僕はその時、もう、高いところから落とされることはないんだ、と誰かに囁かれたような気がした。


数年間。

僕は人の言葉を話せるように。

アネモネと同じになれるように、たくさん勉強した。

ミラーとは、いつの間にか姉弟みたいになっている。

アネモネは僕たちのことをいつもにこにこと見守っている。

アネモネは、僕のことを愛してくれている。

ミラーと平等に。

それでもいっか、なんて思うには、まだ僕は幼いのだ。

欲張ってしまいそうになる。

「ミラー、ここの計算は違うよ。

繰り下がるとまるでダメなんだから……。」

「なによ、私よりできるからって!

12-9は1でしょ!」

「3だよ……。」

今も、こうやって、アネモネからの視線がほしくて、下心でミラーに勉強を教えている。

二人が寝ている間に、教科書を盗み読んで。

専門用語は発音から練習して。

アネモネは笑う。

「やっぱり、イヴァンは長生きだろうけど、それだけ頭が良ければ大丈夫そうねぇ。」

シチューをかき混ぜながら。

ミラーには分からないように、頭のいい僕だけに分かるように、アネモネは確かにこう言った。

「私が死んでも、大丈夫ね。」

人間の寿命は、短いんだって。

どこかで読んだ。


「いや、僕は大好きな人が死んだら、死ぬよ。

きっと残される苦しみに耐えられないから。」

アネモネは目を見開いた。

僕は、彼女からしたら可愛い子供かもしれない。

だから、従順に首を縦に振ると思ったんだろう。

でも、そんなことないよ。

僕は、アネモネが死んだら……。


「まぁたイヴァンがムズカシーこと言ってるー!」

ミラーはそう言って笑う。

ちゃんと、ミラーにバレないように言えたみたい。

どう、アネモネ。

僕のこと、見直してくれた?

「ふふ、イヴァン、恋してるのね。」

「茶化さないでよ、もう……。」

僕はそう言うとぷいっとそっぽを向いた。

きっと分かっていない。

アネモネはウィンクして、ミラーを見たから。

違うんだ。

君に言ったのにな。


ミラーは小学校に通うようになって、アネモネが牧場に行ってしまうと、僕は1人になってしまうことが増えた。

ミラーの屈託のない笑顔や声は大好きだし、その分いなくなると寂しくもなる。

そんなある日、コンコンとノックが聞こえた。

窓を見ると、アネモネは牧場のずっと奥の方にいて、来訪者には気づいていないらしい。

確かに、この時間に誰かが来るのは初めてだ。

近所の人はアネモネが牧場に出る時間を知っているから、その時間に合わせてくれるのだ。

好奇心に負けた僕はドアを少しだけ開けて、誰が来たのか確認することにした。

すると、無理やりドアをこじ開けられた。

「やっぱりか。」

そこには、見たこともない人間が立っている。

「善良な民かと思えば、こんなものを匿っているとはな……。」

人間は言う。

アネモネの友達だろうか?

「住みかに帰れッ!悪辣な化け物め!」

人間はそう言うと、僕に熱い水をかけた。

「グァァア……。」

水が熱いはずがない。

お湯ならば湯気が出るはずだ。

硫酸か何かだろうか。

「悪の眷属に、聖水は辛かろうなぁ。」

人間はそう言う。

敵だったのか。

油断してた。

他の人に、見つかるな。

これは、こういうことだったんだ。

「ん?いや……?」

人間はたじろいでいる。

僕は何もしてないのに。

「鱗が、白くなっている……。

お前、悪ではないのか?」

言われてみれば、溶けたりしていない。

むしろ、水がかかったところは艶々と輝いていて、前より綺麗になったくらいだ。

「アネモネさんは……ミラーちゃんは?」

「無事だよ。誰?」

人間は後ずさり、すごすごと去っていった。

「お前が悪ならば、あの水はお前を跡形も無く溶かすのだ。

だが、そんなことはない。

お前は清められた。

それは……お前が善である証明だ。

少なくとも……我ら人間には。」

捨てゼリフを吐いて、どこかへ行った。

アネモネには気づかれなかったらしい。

よかった。

余計な心配、かけたくなかったんだ。

僕はつやつやしたところに泥を被せて、昼寝を始めた。


夢を見た。

アネモネと、ミラーと僕。

食卓を囲んでいる。

そして、知らない男がいる。

親しげに話しかけてくる。

誰なんだろう。

僕は夢の中で、答えを探していた。

それから、じんわりと、理解していくのだった。

彼は、アネモネの夫だ。

どうして、今までこのことを考えてこなかったんだろう。

ミラーには父がいる。

どこかに。絶対。


目が覚めると、アネモネは野菜を洗っている。

僕とアネモネ以外、誰もいない。

いつもはわくわくするこの瞬間も、今は静かすぎて余計な考え事が浮かぶだけだ。

僕は、多くを望んじゃいけない。

「旦那さんは、どうしたの。」

アネモネの手が止まる。

水も止まる。

雫は落ちない。

どうして、聞いてしまったのだろう。

いなかったらどうするの。

好きだ、って言ってもらえると思ってるの。

そんなわけ、ないじゃん。

せいぜい、僕がもらえる最上級は、

「あなたがいてくれて良かった。」

きっとこれ。


ハァ……。

アネモネが息を吸う音がした。

「死んだわ。ミラーが生まれる少し前にね。

落石事故で……。」

僕ははそこまで聞くと、堪らなくなってしまった。

想定外だ。

もっと、冷静でいられるつもりだった。

「まだ、好きなの?」

口が、勝手に動いてしまう。

心は追い付いていない。

規定以上のスピードで振り回されて、スクラップになりそうになってる。

アネモネは黙って頷いた。

目が、熱い。

変な水を浴びた時よりずっと。

ダメだよ。

ここで泣いたら、変なやつだと思われちゃう。

アネモネは、僕がミラーを好きだと思ってる。

それでいいや、なんて思ってた。

諦めてた。

どうせ、好きになってはもらえない。

でも、それは気のせいだったみたいだ。

後ろ足で目をかいて、誤魔化した涙は、確かに、熱い。

鱗を切り裂くように、流れていく。

「時々、考えるんだ。

愛する人が死んでも、愛し続けられるのかって。」

僕は努めて上の方を見ながら言った。

アネモネは、答えを知っていた。

「僕は生まれた時から人間と一緒だから。

大好きなものは、みんな僕より先にいなくなっちゃうから。

でもね、一緒なんだよ。

誰かを好きになったり、切なくなったりするのは。」

僕はそう言って、目を閉じた。

声を震わせずに言えるのは、ここまでみたいだ。

沈黙が流れる。

僕は、愛せなくなるのが怖い。

アネモネがいなくなったとき。

僕は変わらずアネモネを愛せるだろうか。

僕が大好きな、アネモネのような愛し方で。

胸を張って、愛してる、って言えるかな。

言えないと、何だか申し訳ないよ。

僕は長い長い生涯の中で、いつか忘れてしまうかもしれない。

顔も声も。

だけど、ずっと愛し続けられれば、記憶の中だけでも、ずっと一緒いられる気がして。

そんな奇跡を、どこか信じてるんだ。


ミラーの就職を境に、アネモネは目に見えて弱っていった。

今までミラーをほぼ1人で育ててきた反動かもしれない。

責任感の糸がプツンと切れて、立っていられなくなったんだろう。

僕は、あまりアネモネと言葉を交わさないようになった。

それだけでも体調を悪化させてしまいそうな気がして。

それに、弱っているアネモネの声は、聞きたくない。


材料をドロドロに煮溶かしたシチューをアネモネに渡すと、アネモネはにっこり笑って、昔みたいなはっきりした声で言った。

「ありがとう。あなたがいてくれて良かったわ。」

こんな、こんな時に。

ずっと欲しかった言葉がもらえるとは思わなかった。

だって、最後かもしれないぜ。

このシチューが。

今更、遅いよ。

今僕が好きだよって言ったって、君はまともに答えられない。

一緒にいられるのも、ほんの一瞬だ。

「いいんだよ、気にしないで。」

そう、気にしないで。

いつも通りにしよう。

忘れよう。

僕は俯いた。

気に病まなくていいから、長生きしてね。


ある昼下がり。

朝からアネモネは体調が優れなくて、一日中ベッドで丸くなっている。

こういう日は週に一度くらいある。

うたた寝の邪魔をしては悪いので、僕はベッドの下で待機していた。

すると突如、頭上から苦しげなアネモネの声が降ってきた。

「大丈夫!?」

僕は叫んだ。

でももう、アネモネは頷かない。

あ、置いていかれるんだ。

僕は本能的に悟った。

「嫌だ!アネモネ!行かないで!」

アネモネは静かに目を閉じ、微笑んだ。

僕の声に反応すらしない。

これがおしまいか。

僕はだらりと体の力を抜き、アネモネの顔を見守った。

赤みが消えていく。

息の音もしない。

僕はため息を吐くと、置き手紙を残した。

もちろんペンは握れないので、本や教科書を破って、継ぎ接ぎで。

「かエるばしよをミつけたのて"、

さヨうなら。」


僕は生まれて初めて空を飛んだ。

空は広くて、僕を抱き締めてくれるように見えた。

それなら、と僕は飛び込む。

でも、温かい腕も声もどこにもなくて、僕はいつまでもいつまでも高いところに行くみたい。

少しずつ、周りの音が、酸素が消えていく。

体の内側から膨らんでいく感覚がする。

「アネモネ……。僕、間に合わなかったよ。」


「お母さん、見て、花火だよ!」

「えっ、そんなはず……ほんとね。

何かが弾けて……キラキラしてる。

昼間なのに……変ねぇ……。」

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