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幻獣たちの恋  作者: クインテット
27/36

ワイバーンの恋-前-

私の娘には困った癖がある。

というのも、気になったものは何でも拾ってくるのだ。

そうは言っても我が家は自然に囲まれた村の角にあるから拾ってくるものも松ぼっくりや誰かのコートから落ちたらしいぎんぴかのボタンなんかなので、危険はない。

もっと栄えているところでは、道端に糞尿があるというから笑ってもいられないけれど。

この辺りでは安心だ。


今日も娘のミラーは散歩に出かけている。

私は毎週この時間、牛の世話をしなくてはいけないから、娘のこの習慣はありがたかった。

村の共同牧場は果てしなく広い。

けれども、だだっ広いだけで、あるのは草木時々カエルだ。

好奇心の強いミラーがすぐに飽きてしまうのも仕方ない。

村の中は案外村人の視線もあるし、用水路は子供が上れないほど高いところにある。

ミラーをある種放っておけるのも、この村の魅力かもしれない。


「ママー、ただいま!」

牛の健康状態を調べていると、家の方から大きな声がした。

私は目の前にいる牛の状態を記録すると、裏口から家に入った。

娘はにこにことしながら両手を差し出している。

今日の収穫を報告してくれるらしい。

どんぐり、何かの布の切れ端……金のカフスボタン……そして、真ん丸な白い石。

「これは?」

唯一、見慣れないのがそれだった。

一見石のようだけど表面は磨いたようにツルツルで、人工物としか思えないほど綺麗な楕円形だ。

「たまご!あっためて、かうんだー。」

長い間牧場にいるおかげかたまごは温めれば孵るものだと理解はしているらしい。

とはいえ道端に卵が割れもせず落ちているわけがないので、やっぱりただの石ころだろう。

今せっせとハンカチの上にコットンを敷き詰めて石をくるんでいる愛娘が飽きて忘れた頃に、牧場の隅の方に捨てておこう。


予想に反して、ミラーは石を可愛がっている。

極力両手で包み込んで体温で温めようとしているらしい。

誰が教えたでもないのに、子どもは知らない間に成長するなぁ、と微笑ましく見ていた。

確かにその石はツルツルでピカピカで、縁日で売られているガチョウの卵に良く似ている。

この村の子供たちの間でガチョウを飼うのが流行っているので、娘も話に加わりたいのだろう。

確か隣の家でガチョウを飼っているから、卵を都合してもらって、こっそり入れ替えておこうか。

そう思っていた、ある日の午後のことだった。

「ママー!たまごがうごいてる!」

そんなまさか、と皿を洗う手を止めて娘が掲げている卵に目をやると、確かにぴくぴくと動いている。

本当にガチョウの卵だったのだろうか。

だとしたら、あと3日程で生まれるだろう。

まさか本物だと思わなかったから、餌も何も用意していない。

しばらくは、牧場の鶏小屋を間借りしよう。

そう思った日から結局一週間経った。

卵はぴくぴくと動き続けてはいるものの、生まれてくる気配はない。

これは、卵から孵る元気もないということだから、生まれてきたとしてもすぐに死んでしまうだろう。

ミラーには申し訳ないけれど、そんな想像をした。


その日の3時過ぎ。

ミラーと遊んでいると、クルミを踏み潰したような音がした。

カリッ、カリッ。

その音は家の中で鳴っている。

きょろきょろと見回したが、思い当たる節はない。

「ママ、このおと、なに?」

ミラーも眉をひそめている。

私は首を傾げ、家の外も見てみたが、誰もいない。

泥棒ではなさそうだ。

家に戻ろうと踵を返した時のことだった。

キャー!

というミラーの悲鳴が私の脳に響いた。

「ミラー!」

慌てて家に駆け込むと、卵を両手で抱えて目を輝かせているミラーの姿があった。

卵を見てみると、ヒビが入っている。

どうやら、あの音は卵が内側から割れる音だったらしい。

私はミラーに何かあったわけではないと分かって、そっと胸を撫で下ろした。

「ミラー、今ガチョウさんは頑張ってるところだから、静かに、見守ってあげましょう。

手を振り回したりもダメよ。」

私はそう言うと、ミラーの横にしゃがみこんで、二人一緒に卵が割れていくのを見守った。

少しずつ、てっぺんの殻が剥がれ落ちていく。

嘴のようなものが見える。

しかし、それはガチョウのそれのようなオレンジ色ではなく、藻のような色をしている。

変なガチョウ……。

私はそう思いながらも、全身から光が溢れ出しているようなミラーを見ていると、何も言えなかった。

殻に小さいとはいえ穴が開くと、そこからは瞬く間に割れていった。

「おー……。」

ミラーは溜め息混じりに歓声を上げる。

しかし私はそんな気持ちになれなかった。

何故なら、ミラーの手の中で弱々しく鳴いたそれは、小さなドラゴンのように見えるからだ。

私は取り乱してはいけない、と平静を装ってひとまず殻を取り除き、ミラーが鳥の巣箱にピンクッションを敷いた

「トリさんハウス」に入れた。

小鳥の間はそこで育てようと思っていたのだ。

「ママ、これからおせわがんばるね!」

ミラーの弾けるような笑顔に、私は頷くことしかできなかった。


それからしばらくは、ベリーを与えてみていた。

ドラゴンが何を食べるかという知識は全くない。

強いて言うなら、人間を食べるイメージはあるけれど。

肉食だろう、と思っていたが吐き出したりしないので、雑食なのかもしれない。

「ミラー、この子のことは、他の子達には内緒にするのよ。」

私がそう言うと、ミラーはもちろん!と頷いた。

失礼ながら自慢するために卵を孵すのだと思っていた私には意外な答えだった。

案外、責任感があるのね。

この分なら、ミラーにお世話をさせてもいいかもしれないー勿論目を離すのは怖いのであの子と接する時は必ずママと一緒、という約束をしているー。


私は町の方まで出かけていって、ドラゴンについて書かれているであろう本を何冊か買ってきた。

とはいえ私は字が読めないので、挿し絵にドラゴンらしき生き物がいるものを手に入れたにすぎないけれど。

町の方ではほとんどの人が字を読め、また最近印刷術が発達したとかで、予想よりもはるかに安く手に入れることができた。

移動費も含めかなりの出費を覚悟していた私は、拍子抜けしたのと同時に、安堵の溜め息を吐いた。

村へと戻り、ミラーも連れて牧師様の家を訪ねる。

運良く今日はご在宅だった。

「なるほど……これを読んでほしいと。」

牧師様は私が指定したードラゴンについて書かれているであろう節ーを解説を交えながら読んで下さった。

ドラゴンはあまり良いものではない。

悪魔のようなものだ。

と牧師様は仰る。

確かに、私もドラゴンに良いイメージはない。

「それにしても、どうしてこのような書を?」

牧師様は穏やかな口調でそう問われた。

「ミラーが、蛇とドラゴンの違いは何か、と聞くものですから。

こういう小さな興味には、きちんと向き合った方がいいと思ったのです。」

私の返答を聞くと、牧師様はふむ……と言いながら顎の輪郭に沿って手を滑らせます。

「また、聞きたいことがあったらいらっしゃい。

あまり、村の外に出ないようにしていますから……。」

牧師様はそう仰ってくれ、私とミラーを見送って下さった。

「小さな興味、ね……。」

そう呟かれた牧師様の声は、私たち二人には聞こえなかった。


牧師様の説明によると、どうやら我が家にいるのはドラゴンの中でもワイバーンと呼ばれているものらしい。

ドラゴンよりも温厚な性格で、飛行に特化した体型をしているそうだ。

いつかミラーを乗せて飛ばれたらと思うと寒気が走るが、そうすぐには成長しないだろう。

「ママ、あのこのなまえね、イヴァンにする!」

ミラーは牧師様の説明をぽかんとした顔で聞いていた。

説教混じりの解説では、ミラーには難しかったのだろう。

ただ辛うじて家にいる緑の生き物はワイバーンというのだ、ということは分かったらしい。

私はミラーの屈託のない言葉に癒されながら、家路を行った。


イヴァンは私の予想に反し、すくすくと成長していった。

ミラーとほぼ同じスピードで大きくなり、言葉を覚える。

そう、イヴァンは私たちの言葉を話せるのだ。

いくらファンタジーめいた生物とはいえ、様々な国の言語を操るわけにはいかないらしい。

また、大騒ぎになるのを避けるために、ずっと室内で飼っていたからか、神話などに出てくる大きさよりも随分と小ぶりだ。

「ミラー、ここの計算は違うよ。

繰り下がるとまるでダメなんだから……。」

「なによ、私よりできるからって!

12-9は1でしょ!」

「3だよ……。」

イヴァンは勉強もずっとミラーの隣で見てきたからか良くできる。

本人よりも。

私は安心してミラーを任せられるし、おかげでミラーを高校に行かせられるくらいの貯蓄はできそうだ。

「やっぱり、イヴァンは長生きだろうけど、それだけ頭が良ければ大丈夫そうねぇ。」

私は3人分のシチューを作りながら、にこにこと言った。

するとイヴァンは真面目な顔つきになって、

「いや、僕は大好きな人が死んだら、死ぬよ。

きっと残される苦しみに耐えられないから。」

と言った。

私にはちょっと意外だった。

ミラーはイヴァンにとって、そういう相手にはちょっと幼いような気がしたから。

何より、ドラゴンが人間に恋することもあるんだなぁと思った。

「まぁたイヴァンがムズカシーこと言ってるー!」

ミラーはそう言って笑う。

イヴァンが生まれた時ほどではないとはいえ、ミラーはまだ小さい。

恋心というものを理解するのには時間がかかりそうだ。

「ふふ、イヴァン、恋してるのね。」

「茶化さないでよ、もう……。」

イヴァンはそう言うとぷいっとそっぽを向いてしまった。

いつか伝わるといいわね、と私は目を細めた。


ミラーが小学校に通い始めると、家にはイヴァンと私だけ、時にはイヴァン一人になることもあった。

「本当は僕が送ってあげたいんだけど、ミラーがいじめられちゃうから我慢だね。」

イヴァンはそう言ったりもしている。

ミラーは小学校まで馬車で通っているものの、かなり距離がある。

イヴァンがそう言いたくなるのも無理はない。

しかし、送り迎えをしたい一番の理由は、きっとミラーと過ごしたいからだろう。

私が牧場から戻ると部屋の隅で丸まって寝ているイヴァンを見るたびに、もっとミラーといさせてやりたいと、胸が痛くなる。


ある日のことだった。

イヴァンがポツリと言った。

「旦那さんは、どうしたの。」

私はその時野菜を洗っていて、その言葉で手を止めたのを覚えている。

「死んだわ。ミラーが生まれる少し前にね。

落石事故で……。」

イヴァンはそこまで聞くと私の言葉を遮るようにもう一つ質問した。

「まだ、好きなの?」

私は黙って頷いた。

イヴァンは後ろ足で目をかいている。

「時々、考えるんだ。

愛する人が死んでも、愛し続けられるのかって。」

イヴァンはどこか遠くの方を見て言った。

私は返事出来ずにいる。

私にも、それは分からない。

さっきは深く考えずに頷いたけれど、考える時間を1分でももらえたら、私は頷かなかったかもしれない。

「僕は生まれた時から人間と一緒だから。

大好きなものは、みんな僕より先にいなくなっちゃうから。

でもね、一緒なんだよ。

誰かを好きになったり、切なくなったりするのは。」

イヴァンはそう言って、目を閉じた。

それきり何も言わない。

私もイヴァンも。

「僕は大好きな人が死んだら死ぬよ。」

その言葉を不意に思い出した。


ミラーは明日、高校を卒業する。

家庭教師として村の地主の家に赴任することで決まっていて、私も嬉しい。

イヴァンもそわそわとして落ち着かない様子だ。

「ミラーの卒業服姿、見たいなぁ。」

私もその言葉につい頬が緩んでしまう。

卒業式に一緒に行くことはできないが、ミラーが家に帰ってきたらすぐに見てもらおう。

イヴァンは私と一緒にミラーの成長を見守ってきた家族の一員だ。

きっと大喜びするだろう。


「イヴァン、ただいま!」

卒業式の後、私はミラーと馬車に揺られて帰ってきた。

私は年のせいか長い時間馬車に乗っているのが辛かったが、ミラーはそうではないらしい。

高校時代の思い出をたくさん聞かせてくれた。

どれもキラキラと光っていて、高校に行かせて良かったと心底思う。

ミラーが大きな声で帰宅を告げると、イヴァンはにこにこと玄関で待っていた。

「いいね、良く似合ってる。」

イヴァンは赤ワイン色の服をひらひらとさせているミラーの周りを回りながら、にっこり笑う。

ミラーも嬉しそうで、何よりも鼻が高いみたいだ。

ここのところ倦怠感に襲われていた私も、久しぶりにそんなことも忘れて笑えた。

やっぱり、ミラーよりも大切なものはないと、実感させられる。

イヴァンもきっとそうなのだろう。

「このままミラーが結婚しちゃうと、寂しくなるなぁ。」

なんてぼやいている。

「気が早いわよ。」

私もそう言って笑ったものの、働き始めればきっと結婚まであっという間だ。

イヴァンはミラーを想っているから、なおさら苦しいだろう。

そうなると、なんだかイヴァンにものすごく残酷なことをしたような気がしてくる。


ミラーは今も我が家から出勤している。

私は倦怠感と目まいが悪化して、ここのところはミラーの収入に頼りきりだ。

時々ゆとりがあれば牧場に出ているけれど、十分ではない。

仕事ができる日も日に日に少なくなっていった。

イヴァンは前よりも口数が減ったものの、熱心に看病してくれている。

薬を買う余裕もないので、食事の下ごしらえをしてもらったりする程度だが、本当にありがたい。

「ありがとう。あなたがいてくれて良かったわ。」

私がそう言って微笑むと、イヴァンは驚いた顔をして、ふいと横を向くと、

「いいんだよ、気にしないで。」

と言った。


ある昼下がり。

朝から体調が優れなくて、私は一日中ベッドのお世話になっていた。

イヴァンはベッドの下で丸くなっていて、時々プシューという鼻息が聞こえる。

天井をぼうっと眺めていると、急に胸が苦しくなった。

まるで握り潰されているかのように痛い。

私が胸を押さえてくぐもった声をあげていると、イヴァンが跳ね起きて私の枕元に顔を出した。

「大丈夫!?」

イヴァンはそう声をかけてくれたものの、私にはもう返事をする元気もなかった。

ああ、私はこのまま逝くのだろう。

と痛みでほぼ機能しない頭でぼんやり思う。

イヴァンの声が遠くなっていく。

ミラーの楽しそうな顔が浮かんだ。

あの子を残してしまうのか。

死ぬところは見せたくないと思っていたから、これはこれでいいのかもしれない。

イヴァンがいるから、あの子も寂しくないだろう。

私は少しずつ体から力や重さ、熱が上へ上へと上がっていくのを感じた。

痛みも、いつの間にか消えていく。

あっ、と思ったときにはもう、私の体はほの温かさを残して、もう他に何もなくなってしまった。

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