アラクネーの恋
機を織っている。
もう会えない彼を思って。
クモになってから随分経つが、まだ天寿は全うされないらしい。
森の中を往復する毎日はお世辞には楽しいとは言えない。
それでも終わりは見えなかった。
人間の頃は、大方私は60で死ぬだろうと思っていた。
リウマチか何かに苦しみながら、3人の孫に囲まれて。
もちろん、その隣にはしわくちゃの彼がいるはずだった。
でも彼は多分とうにこの世にいない。
クモにされてから会っていないので詳しいことは分からないが。
ここ最近森の様子はその当時とは全く違う。
クマンバチのような音を立てながら小さな機械が飛び回っている。
その名前も、正体も、私は知らない。
ただ、そんなものがあるのだと、あの世にいる彼に伝えたい。
機を織っている。
そんな青い機械をタペストリーにして。
機を織っている。
これをどうするかというと、火にくべて燃やすのだ。
燃やせば、その煙は天に昇っていく。
それが、天国にいる彼に届けばいいな。
燃やされ、ある種死んでしまったその布は、彼に目新しい人間界について伝えられるかもしれない。
もっとも、随分前に怒らせてしまった女神様がどうお考えになるかは分からないけど。
森には、もう人も動物もいない。
昔はたくさんいた樵も猟師も、いつの頃からかいなくなった。
鹿も、熊も、食べ物が足りなくて森の外へ出ていく。
遠くで、銃声が鳴った。
猟師かもしれない?
そうかもね。
でも昔とは随分銃をもつ理由が違う。
あの鹿はもう、戻ってこないだろう。
可哀想に。
小鹿は飢えて死ぬかもしれない。
機を織っている。
小鹿の体の下に敷くための。
機を織っている。
私はこの森で、最後の1人になるかもしれない。
それが、あるいは罰かもしれない。
彼とて天国から出ることは出来ない。
ひとりまたひとり、消えていくことはあるのだろうか。
機を織っている。
森からは木が消えた。
今、私はある家の屋根裏部屋にいる。
そこで、久しぶりに人の息吹を浴びた。
今や人々は森に頼ることもない。
機を織ることもないらしい。
それでも私は、機を織っている。
「この歳で死ぬくらいなら、化け物にでもなった方がましだよ。」
階下から空咳が聞こえる。
気管を病んだらしい。
ああ、そろそろかもしれない。
機を織っている。
これは、そんなことを言えなくするためのタペストリー。
私と、彼を描いたタペストリー。
階下の人に、敷いてやるために。
天国でようく見られるように。
機を織っている。
そういえば彼はどんな顔だったかしら。
機を織っている。
どんなところへ行ったっけ?
機を織っている。
思い出をタペストリーにしたいのに。
機を織っている。
機を織っている。
出来上がった。
そこには、私しかいなかった。
階下にあるベッドシーツと男の間に、そっとタペストリーを差し込んだ。
男は苦しそうに息をしている。
気づかれる前に私は屋根裏部屋に戻った。
不思議。
こんなに愛しているのに忘れるなんて。
翌朝、階下は嫌に静かだった。
私は斑に黒く染まる曇天の空を板木の隙間から見ながら、首元が薄ら寒いのを感じた。
マフラーでも作ろうかしら。
機を織っている。




