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幻獣たちの恋  作者: クインテット
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ナン・ルージュの恋

 これで最後かな。

 ベリーはリストをとんとんと赤鉛筆で小突きながらそう独りごちた。

 ベリーはアジア圏との貿易船の船医をしている。男やもめの世界は大変だと思われがちだが、案外繊細な海の男たちとベリーはよく気があった。

 ベリーも他の女のように花を売ったり機織りをする生活に憧れないわけではないが。

 そんなものとは、自分は縁遠いものだと思っている。

 タールで塗れた両手を見る度に、少しだけ自己嫌悪に陥るのだった。


 ベリーは積荷の確認を終えたので、久しぶりの港を楽しむことにした。もう何度も来た場所ではあるが、潮風の匂いが今までいた海域、港とは違うのを感じる度に、新鮮な気持ちになる。

 初夏の早朝、締め切っていた窓を開け放ったような。

 そんな気持ちになれるこの時間が、ベリーは大好きだ。


 ベリーがいつも通り海沿いの石灰岩でできたブロックを歩いていた時。どこからかすすり泣く声が聞こえた。それは時にウミネコや波音でかき消されてしまう。しかし、確かに聞こえるのだ。

 ベリーはそんな音たちをかきわけながら、泣き声を目指した。

 船の停泊場から2ブロック。

 誰も行かない古い港に、彼はいた。

 そのしっかりとした体から5歳くらいに見えるが、異常に背が低くやせぎすで、3歳かそこらにも見える。そんな少年が、泣いていた。

 ベリーは慌てて駆け寄ると、とりあえず撫でて落ち着かせようとした。

「どうしたの?あっ……。」

 ベリーは気がついた。

 ベリーの手は船の油や積荷のホコリで薄汚れている。これじゃ、だめだよね。

「ちょっと待ってね。」

 ベリーはスカートの裾でばんばんと両手を拭いた。

 少年はベリーのことに気づいていないのか、俯いた頭を上げようとしない。

 しかし。

 ベリーが頭に平均より大きな手を置いて、撫でた時。少年はベリーを見上げた。

 そして、小さな声で言う。

「いいの?」

 少年の言葉にベリーは初めきょとんとしていたが、

 少年がスカートを指さしたので、ああ、と言った。

「別にいいのよ。

 キレイに着飾ったって、大して意味ないし。

 それより、こんなところでどうしたの?」

 ベリーの言葉にまたもや少年は答えなかった。

 シャイなのかもしれないなぁ。

 ベリーはそう呑気に構えて、特に気にしなかった。

 こんな性質上、迷子になっても大人に話しかけられずに、ここまで来たのかもしれない。

 それにしても、服もボロボロで、髪も1度も風呂に入ったことがないのではというくらい埃っぽい。もしや、親がいないのでは。

 少年が無言の間に、ベリーはあれこれ妄想した。

「ねえねえ、私、船乗りなの。

 良かったら、船の中を探検しない?」

 あえて、お母さんが来るまで、とは言わなかった。

 ずっと来なかったら、困るから。

 少年は無表情のまま頷き、ベリーの後に続いた。


 他の船乗りたちも休憩中なので、船の中には誰もいない。

 その上ランプも消えており、暗い。

 少年はときめくだろうか。

 ベリーは深く考えず誘ってしまったにせよ、少し不安になってきた。

 こんな場所で、少年がますます孤独を感じてしまったらどうしよう。

 そんな心配をよそに、少年はととと、と小走りに船の中を見て回っている。

 この歳の子には、やっぱり何でも新鮮なのかしら。

 ベリーはそう思ったが、なるたけ明るく接することにした。

 少年は相変わらずタルを覗いたり床板の軋みを楽しんでいる。

「ね、ね、他の人達が残していった干しぶどうがあるの。

 こっそり食べちゃわない?」

 机に上ろうとしていた少年に、ベリーがそう声をかけた。少年はこくんと頷き、ベリーの手から干しぶどうを受け取った。

 2人は結局全ての干しぶどうを食べきり、少年の口の周りは紫にベタベタしている。

 ベリーは拭ってやろうとした。

「いいよ。ベリーの服が汚れちゃうでしょ。」

 そんな、少年の声が聞こえた。

 でも、そこに少年はいなかった。

「えっ?」

 ベリーは袖口を握っていたはずだ。

 しかしそこに握られていたのは。美しい、ドレスだった。

 なぜだか、ぐっしょり濡れている。


 ベリーはドレスをしっかりと乾かした。

 パーティにも着ていけるような上等な品だ。

 しかし、スカートに紫色のシミがあって、それだけはどうしても取れなかった。

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