第四章 必修科目(2)
研究所の受付で、僕は身分を口頭で示し、アンドリューを呼び出す。
やがて画面に彼の顔が映り、にこりと笑った。
一言、通って、とだけ僕らに言う。
約束もなしに来たわけだけれど、それでもすぐに通してくれるのは、彼の人柄なのだろう。暇なんだろうな、という失礼な感慨は封印した。
いつか戻って来た廊下を、再び、彼の研究室に向けて進む。
研究室をノックして入ると、そこは、以前後にした時のまま。
散らかった書類と空きっぱなしの戸棚。
そこだけきれいに整えられた応接テーブルとその上のティーセット。
応接チェアに笑顔で座ったアンドリュー・アップルヤード。
「やあ、久しぶり、ジュンイチ君」
彼は立ち上がって右手を出した。
「こんにちは、お久しぶりです」
僕はそれをとって握手をする。
何度かお互いの手を振り回してから、アンドリューはすぐにその手をセレーナに向けた。
「セレーナさんも、ようこそ」
「たびたび申し訳ありません」
セレーナも握手を返す。
座って、と促す彼に従い、僕とセレーナはそのクッションの薄い椅子に座った。ギッ、と軋む音が三度、研究室内に響く。
「さて、今度はどんな用なのか、というのを聞く前にね、ちょっと、ジュンイチ君に聞いておきたいことがあるんだ」
アンドリューはティーカップを持ち上げながら、さわやかな笑顔でそう言った。
「僕に、ですか?」
カップを持ち上げようとした手を、僕は思わず止めた。
なんだろう。
そう言えば、何度もヒントをもらいながら、その成果を連絡しなかったのは悪かったかな、なんて思う。
星間通信が危険な身分だったから仕方がないんだけど、それでも、忘れていたことは落ち度だ。ちょっと反省しないと。
「そう、君に。あと、セレーナさん、あなたにも」
セレーナは不思議そうに首をかしげた。
「こういうことを聞くのは、僕らの間ではルール違反かもしれないね、だけど……僕は、一体どんな厄介ごとに首を突っ込んでしまったのか、知らずにいられないんだ」
紅茶を一口含んで、彼はカップを置いた。
「……地球新連合国外交官のご子息、オオサキ・ジュンイチ君、それから、……エミリア王国王女、セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ殿下」
彼の言葉に僕はめまいがした。
目の前が真っ暗になる。
なんてことだ。
彼に、知られてしまった。
僕らの正体。
けれど、彼が正体を知ったことよりも、僕らが彼に嘘をついていたことを知られたことが、僕にとってはショックだった。
こんなことなら、あんな嘘をつくんじゃなかった。
僕がそんなめまいを感じている横で、セレーナは、すくっと立ち上がった。
「知ってしまわれたのですね。そうしたら、これ以上あなたにご迷惑はかけられません。アンドリュー・アップルヤードさん、あなたの御恩は一生忘れません。……本当に、本当に、ありがとう」
セレーナは深々と頭を下げ、僕の左肩を引っ張って立たせようとする。
「待って、ちょっと待ってください、セレーナさん。僕は、ただ事実が知りたいんです。いいから座って」
アンドリューは強引にセレーナの手を引いて、座らせた。
「あ、すみません、殿下とお呼びすべきでしょうが、僕にとってはあなたはジュンイチ君のパートナーのセレーナさんなんですよ。不敬は承知ですが。お許し願えるなら」
困惑の表情で、セレーナはアンドリューと僕の間で何度も視線を行き来させた。
「……セレーナ、学者なんてのはみんなこんな人種なのさ。ルイス・ルーサーさえ、君が王女と知りながら喜んで首を突っ込んできたんだ」
僕は、アンドリューの考えが分かるような気がして、助け舟を出すことにした。それでも、セレーナの訝る気持ちは納まらないらしく、眉を下げてへの字口だ。
「……聞こうと思ってたんだけど、ルイス・ルーサー博士は本当に私の正体に?」
「本当さ。あのエミリア産エスプレッソを眉一つ動かさずに飲むなんて、君にらしくない失敗だった」
「……ああ、そうだったのね」
彼女もようやく、彼の仕掛けた罠に気が付いたようだった。
そして、それを確かめた後も、セレーナに対して何の態度の変化も見せなかったルイスのことにも。
「……そっか、そうよね、学者さんなんてみんなジュンイチみたいな連中ですもの。アンドリューさん、お話も聞かずに立ち去ろうとした無礼をお許しください」
セレーナは座ったまま、別の理由でアンドリューに頭を下げた。
謝っているようで案外失礼なことを言っている自覚はあるのだろうか。無いだろうな、と、心の中でくすりとする。
「いいんですよ、僕はただ、事実を知りたかっただけなんです。……手配されているんですよ、新連合市民オオサキ・ジュンイチ君と、エミリア王女セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ殿下に対して」
「ええっ」
今度は純粋に驚いて、僕は声をあげてしまった。
ロックウェル中に手配書が回るなんて。
僕はとんでもない大物になってしまった。
普通なら旅程に残る痕跡ですぐに捕まえられると思った相手が、忽然と消えたんだから、手配くらいは回すことになるだろうと予想はしていたけれど。
一方で、図らずも、ジーニー・ルカによる情報防壁が完璧に働いていることを知れたことは収穫だ。
「それで、一体どういうわけなんです。ああ、僕は、もちろん君たちを通報したりしないよ。僕にとってジュンイチ君もセレーナさんも大切な友達だ」
セレーナの言ったコネクションとは、つまり、友達ってことなんだな。
人生に一番必要なものは、友達だってことだ。
こんな簡単なことに今頃気づかされるなんて。
「僕も、アンドリューさんを友達と信じてお話します。彼女……セレーナは、ご存じのとおり、王女様なんです。最初はエミリア国内の権力争い。でも、決定的な対立とは思ってなかった。手土産一つ……たとえば、大昔に地球を滅ぼしかけた究極兵器の秘密でも持ち帰れば仲直りできると思っていたんです」
「ははあ、なるほど、それで地球侵略の話をね」
アンドリューは、ようやく得心した、という顔で、再びカップに口をつけた。
「結局究極兵器の秘密を見つけはしましたが、それは誰にも話せないものでした。だから、二回目の訪問は、究極兵器をでっち上げるために、エミリア王国だけが持てるマジック爆弾のようなおとぎ話を作ろうと」
僕もアンドリューに合わせてカップに口をつける。
いつ飲んでも、彼の入れる紅茶は本当においしいと思う。僕が砂糖もミルクもいれずに紅茶を飲むなんて思いもしなかったのに、彼の入れる紅茶ときたら、砂糖の一粒でも入れて味を変えてしまうのが惜しいのだ。
「なるほど、それでマジック史の研究ね、ははは、種明かしをされてみると、実に面白いものだ。君たちが一体何を探してうろついているのか、僕はずっと不思議に思っていたんだけど、すっかり解決だ」
「ごめんなさい、アンドリューさん。正体も目的も隠して近づいてしまったこと」
セレーナは再び謝罪の言葉を口にするが、
「いいんだ、知の探究なんてものは、実にくだらない動機であるべきものなんだよ。それに比べれば、君たちの動機は立派だ。そうか、そして、ルイス・ルーサー博士にまで会えたのか」
「ご存じなんですか、彼を」
思いがけずアンドリューの口からその名前が出てきたので僕は思わず問い返した。
「もちろん。ああ、いや、偉大なマジック理論研究家だという意味で、ね。面識なんてもちろんないよ。むしろ僕が紹介してほしいくらいだよ。僕も君の影響か、技術史にもちょっと首を突っ込みつつあってね」
本物の研究家が、僕の影響で研究テーマを選ぼうとしているなんて、なんだかうれしくなる。
「今のごたごたが片付いたら、必ず紹介します」
「それはうれしいことを言ってくれるね。さて、それで、そのごたごたなんだけど」
と、アンドリューは身じろぎして姿勢を正す。
そう、僕らの事情説明は道半ばだった。
僕らが手配されて、そのうえでここにたどり着いた理由。
「これはその……国家間の陰謀に近いものなんです」
僕が言葉を選びながら言うと、
「分かるよ、君たちみたいな若い子を手配して追い詰めているなんて、尋常じゃない」
彼はもう一度カップに口をつけ、空なのに気づいてポットから自分でお代わりを注いだ。
「エミリアは……マジック鉱の独占体制を守るために、遠くの小国に圧力をかけたり、地球の小さな商社を使って不正輸出をしたり……新連合外交官の息子に王女をあてがって陰謀に巻き込もうとしたり」
「……それは、君たち二人のことだね?」
「……はい」
「それで、どうしてこんなところに」
「その……結局その陰謀は新連合とロックウェル連合の知るところとなり……まずは新連合国内にいたセレーナを捕らえることにしたようなんです。僕はそれを助け出して、まさに今、逃亡中なんです」
僕がうつむいて答えると、バンッ、とテーブルを叩く音が聞こえた。
見ると、アンドリューは彼らしくない怒りの表情を浮かべ、その手はテーブルを叩いたままのところにあった。
「未来ある子供たちをそんなことに利用するなんて……なんというひどいことを。許せない」
「……おっしゃるとおり、地球の国々やロックウェルが怒るのも当然のことなのです」
セレーナが付け加えると、
「そうじゃない!」
アンドリューはさらに語気を強めた。
「確かにエミリアのしたことは許されることじゃない。だけれど、それは国家間の話し合いで片を付けるべきだろう? なのに、抵抗できない子供たちを追い回して、子供たちに責任を押し付けようとするなんて……大人の国がするべきことじゃない!」
彼はお代わりしたばかりのカップをとりぐいっと飲み干すと、それを音を立てて皿に置き、再び僕らに目を向けた。刺し貫くような視線だった。
「歴史をひもとけば、卑劣と言われる国は、それはもう枚挙にいとまがないが、そこにロックウェル連合国の名前を付け加えてやってもいいくらいだ」
吐き捨てるように言い、それから、頭を下げた。
「済まなかった、僕の国がそんなことをしていたなんて。手配と言うからには何か事情があるとは思っていたけれど……そんな事情だったとは思わなかったよ」
「頭を上げてください、アンドリューさん。あなたに責任はありません」
セレーナは言いながら、彼の肩に手をやって無理に頭を上げた。
「それにアンドリューさん、僕らは、あなたの言う『抵抗できない子供たち』じゃないんです」
アンドリューは僕に顔を向ける。
「僕らは、僕らだけで、全宇宙を相手に戦争を始める、その準備中なんです」
僕がにやりと笑いながら言うと、さすがのアンドリューも、口を半開きにしたまま、固まってしまった。




