第三章 本当の旅立ち(3)
指揮系統の立て直しもままならぬ宇宙艦隊のど真ん中を悠々と泳いで突っ切り、ドルフィン号はカノン基地にたどり着いた。
カノンの発射行列に並んだ時、当然、予想していた問題が起こった。
この船の発射は認められないという通告だった。
当然だ。
このカノン基地は、アンビリア共和国の支配下だ。
その共和国の警備艇団を、たった今、蹴散らしてここに来たのだ。
使用が認められるはずもない。
「さあ、どうしましょうね、ジュンイチ」
その言葉は、セレーナ殿下のオーダー。
忠実な臣下である僕はすぐに行動に移す。
「ジーニー・ルカ、カノン待ち行列の、僕らの船とひとつ前の船のインデックスを入れ替えできるかな」
「カノンの管理システムへの侵入が可能であれば」
「パスコードを推測、侵入せよ」
「かしこまりました」
感情のこもらないジーニー・ルカの返答。
もし彼に感情があったら、僕のオーダーにどんな反応をするのだろう。
けれど、彼は、どんなオーダーも淡々とこなす、恐るべき魔人。
「完了いたしました」
「ありがとう、ジーニー・ルカ」
「どういたしまして」
これで、行列からはじき出されるのは目の前の別の船。ちょっと気の毒ではあるけれど、ま、間違いが分かれば救済はされるだろう。処分を受けるのは、脆弱なカノンの管理システムを作ったアンビリアの誰かだ。
ジーニー・ルカを前にしては、おそらく旧来のセキュリティは紙のようなものだろう。きっと対抗できるのは、ジーニー・ルカの秘密を突き止めそれを防ぐよう命じられたジーニーだけだ。そして、まだ敵は、この情報攻撃が異常をきたしたたった一台のジーニーの仕業だと気づいていない。敵がそれに気づくまでにどこまで進めるか。賭けのようなものだ。
このように考えを及ぼして、気が付く。
――ジーニー・ルカは、何か異常を起こしている。
実のところ、毛利が命じたって同じことができるのではないかと思う。
その秘密を突きとめなくちゃならない。
再び、船内にアラーム。
セレーナがパネルの前に立ち、発信者を確認して、振り向いた。
「ジュンイチ、たぶん、あなたも聞くべき相手よ」
彼女の小さなウィンクに、僕は悟った。
……そうか。この時が来たのか。
僕はベルトを外してセレーナのそばに寄った。
パネルに映し出されている送信元情報は、地球新連合国外交官、大崎綾子、の文字。
通話開始ボタンを押した。
『こちらは地球新連合国一級外交官、オオサキ・アヤコ。故あって本件エミリア渉外担当となりました。よろしくお願いします。さて、セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ・エミリア王女殿下に申し上げます。今すぐ停船を』
「私はセレーナ。停船はしません。私は……」
セレーナが何かを言い淀んで、言葉を止めた。
僕は、代わりに口を開く。
「セレーナはエミリアの横暴を止めるために旅立つ。通して」
『なりません。エミリアは目下、新連合国とロックウェル連合国の共同制裁の下にあり、両国内のエミリア貴族の通行を制限しております。行ってもいずれ止められることになります』
淡々と事実を述べるオオサキ・アヤコ。それでも、母さんは、その節々で、僕らにヒントを与えようとしている。
ロックウェル領内を通ることは危険だ、と。
「私が通行するのはアンビリア共和国です。地球軌道上のいかなる場所もアンビリア共和国の主権下にあり、地球新連合の主権は及びません。お忘れですか、外交官殿」
セレーナは強い口調で言い放った。
『……おっしゃる通りです。これ以上の強制はできません。ですので、これは、新連合国からのお願いでございます』
はるか昔。
宇宙人たちが地球を軌道より下に押し込めたその成果が、こんな形で僕らを守るなんて。
去年までの僕にはきっと思いもよらないことだっただろう。
「それでしたら、黙って見ていることです。あるいは――」
セレーナは言葉を切って、僕を見つめた。
何を言おうとしているんだろう。
「私がエミリアを変える、そのことを信じて、ともにエミリアと戦ってもらえませんか」
何という大胆なことを言うんだろう。
確かにその通りだ。
もしセレーナがエミリアを変えるために戦うと宣言し、その後ろ盾に地球新連合国を。
そうなったら、いかな貴族連中と言えど。
『申し訳ありません。地球新連合国は他国の内乱に介入はできません』
そして、母さんも正しく返答をした。
ロックウェルなら喜んで兵を出したかもしれない。
エミリアに影響力を持つ最大のチャンスだ。
けれど、この母さんの一言で、地球新連合は中立だと示した。ロックウェルに対しても。
これから、万が一、戦いになっても、地球新連合は中立でいてくれるだろう。
「……ありがとう、外交官、オオサキ・アヤコ殿。貴殿の御恩は一生忘れません」
『お元気で、セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ王女殿下』
永遠の別れかもしれない言葉を二人は交わす。
『どこの国の市民かは知りませんが、乗り合わせていらっしゃる四名の方々も、どうぞお気をつけて』
母さんは、セレーナを止める最後の武器、地球新連合市民の存在さえ隠して僕らを守ってくれた。
「新連合外交官オオサキさん、お気遣い感謝……します。お元気で」
僕は、震える声でそう言った。
母さんとの永遠の別れかもしれない。
そう思うと、涙があふれてきた。
『あなたが決めたことでしょう! しっかりしなさい! ……失礼、混信があったようです。それでは』
ブツリという切断音があり、回線はそれきり黙った。
***
僕らは無事にジャンプした。
その次の中継点も、別のトリックでたやすく突破できた。
僕らの体内時計では、もう深夜を回っている。
興奮と緊張で抑えてきた疲労が、どっと出てきた。
「毛利、マービン、浦野、……君らは、ちゃんと家族にお別れはしてきたのかい?」
僕は眠い目をこすりながら、さっき気になったことを聞いてみた。
「もちろんさ、ちょっと出かけてくるって」
「ちょっと? ひょっとすると二度と――」
「そんなことにはならねーよ。絶対な」
窓の外の中継カノン基地の光景に興奮しながら毛利が答える。
「そうよう。ちょっとした旅行気分」
浦野も、いつかと同じように、はしゃぐ姿勢だ。
「だけど、今聞いただろう、もう、新連合は」
「そう、もう少しの間だけは、ね。春までには戻りましょう。この歳で留年は情けないですからね」
マービンまで。きっちり帰って、真面目に進級するつもりでいる。
彼らのその自信は一体どこから?
……そうじゃない。自信じゃない。彼らにあるのは、信頼。お互いを信頼する心。
僕が長く悩んでようやく手に入れた、信頼と言う武器が、彼らにあんな表情をさせるんだ。
「……そうだったね、次の考査くらいにまでは帰れるようにしようか。さすがに次の考査を丸々落とすと、選べる大学はぐっと少なくなっちゃうからね」
僕が言うと、三人は笑った。
「進学が難しくなったら、エミリアのカレッジに招くわよ。だから気にせずに、存分にこの私に協力してちょうだい」
セレーナの気休めなんだろうけど、なんだか、そんな生活も悪くない気がしてくる。
このメンバーで。エミリアのカレッジで過ごすなんて。
どんなに楽しいだろう。
どんな場所かは分からないけれど。
五人そろって、講義室に席を並べて。
お昼には、学生食堂で四人掛けの席に座るんだ。
いつも誰かが椅子からあぶれて、ちょっとしたゲームで補助席の押し付け合いをするんだ。
学校が終わったらエミリアの美しい街並みをみんなで散歩して。
きっと誰かさんは真っ先に美味しいプリンのお店を見つける。
その頃には僕も苦いエスプレッソにすっかり慣れている。
……そんな未来だって。
全部終わってから、好きなように選べるんだ。
セレーナが貴族どもをこっぴどく叱りつけて改心させて。
なんて簡単なことだろう。
だけどそのためには、目の前のいくつかの些事をこなしていかなくちゃならない。
「ジーニー・ルカ、毎回カノンシステムをだましていくのも効率が悪い。この船の船籍情報は前と同じようにだませるとして……操縦者IDを何とかできないかな」
「IDシステムは不可侵です。書き換えはできません」
「直感を使っても?」
「はい、直感を使っても、IDは不可侵です」
そう、まだジーニー・ルカの魔術が通じない相手は数多い。
特に、ID。
これだけは、破れないと、ジーニー・ルカはいつでも言う。
IDとは一体何なのか。
知りたいとは思うけれど、それはまた別の機会にしておこう。
こんな欲求がわいてしまうのも、セレーナが言うとおり、僕に数学や情報科学の素養があるからなのかな。
そうなのかもしれない。
しかし、ともかくは目の前の問題を片付けよう。
IDは不可侵。
それでも、IDを使わなければあらゆる公的システムは利用不可能だ。
IDを何とかしないといずれ行き詰る。
IDの力を封じるには。
――IDの力の及ばないところへ。
……なんてことだ。
僕はもう答えを知っているじゃないか。
この宇宙で唯一、IDの力の及ばない国々。
そこにいた、一人の諜報員。
「……ジーニー・ルカ、ラウリ・ラウティオのID情報を操作したね、操作記録は残っているかい?」
「はい、ジュンイチ様」
「僕のIDで認証するとき、IDの認証インターフェースに割り込んで、ラウリ・ラウティオのIDで偽装し続けてほしい」
「お言葉ですが、IDの唯一性が保証されていませんとその操作は無意味です」
それでも僕は覚えている。セレーナのIDが停止されたとき。僕のIDにコピーされたセレーナのID情報が唯一性を持って有効になってしまったことを。
「大丈夫。ラウリは本国から動けない。彼のIDは自由圏内にあるから、IDシステムとはつながっていない。唯一性は保証されるだろう」
「かしこまりました、試みます」
「ついでにだけど、セレーナの信用余力の一部を、その偽装IDに付け加えてやってくれないか」
チケットを買うのに必要だし、たまには地上で豪勢な食事を楽しむことだってあるだろう。
「かしこまりました」
一連の指示が終わり、僕は操縦席から浮き上がった。
「みんなも疲れたろう、一度寝よう」
「でも、カノン基地で止められたら……寝てるうちに捕まえられたら」
「ジーニー・ルカはうまくやるよ」
僕が言うと、
「そうね、ジュンイチが言うなら間違いないわ。私は休むわよ」
そこまで言われると逆に不安になるけれど。
ジーニー・ルカなら、なぜかそれがやれそうな気がする。
この異常なジーニーになら。
セレーナに促されて三人が立ち、キャビンに向かった。
セレーナは三人を通路に無理やりに送り出してから、振り向いた。
「ジュンイチも」
僕は首を横に振った。
「一回だけ、大丈夫なことを自分の目で確認したいから」
すると、セレーナは微笑みを浮かべてうなずいた。
「そうね。ありがとう、ジュンイチ。今日はその……いろいろ……あったけれど……」
うつむいて何やら言い淀んでいる。
「あ、あなたにしてはそこそこに上手だったわよ、アレは。悪くなかった。私じゃなければひょっとするかもね」
「な、何が?」
「……呆れた。気にしてるんじゃないかと思ったのに、私の勝手な心配だったみたいね。いいわ、なんでもない。相変わらずあなたは馬鹿ね」
意味不明な罵倒とため息を残して彼女はキャビンに消えていった。




