第二章 嘘(1)
■第二章 嘘
僕は情報端末を取り出して、母さんのアドレスを呼び出した。
いま世界のどこにいるだろう。
どこでも構うもんか。
呼び出しを続けること三十秒。
ようやく応答があった。
『……純ちゃん。どうしたの』
端末から母さんの声が聞こえてきた。
「今、どこに?」
『……ブラティスラヴァよ。自由圏スロバキア共和国の首都』
ざっくりと時差を計算する。たぶん深夜だ。夜遅くに悪かったかな、とは思うけど。
「話がしたい。すぐにそっちに向かうから、ホテルの場所をシェアしておいて」
『……おかしなことを言わないの。母さんもう寝てたところなのよ』
「だったら、朝一番で行く。どうしても聞きたいことがある」
『……それは、エミリアの、殿下のこと?』
母さんの声は、明らかに訝りの色を含んだ。
「そう。おかしなことが起こってる」
『だったら、明後日には一度そちらに戻るから、その時に話を聞きましょう』
「それじゃ遅いんだ、今すぐに聞きたいんだよ!」
僕は、相手の声が終わる前に、叫ぶように重ねた。
『……どうしたの、おかしな子ね。殿下のことなら、まずあなたが直接話をしてごらんなさい。国家の問題と友情は別よ、そこまで介入するつもりはないわよ』
母さんは何を言っているんだろう。
……ひょっとして、母さんは、セレーナの監禁のことを何も知らないのか。
確かに、それはありうる。
だってもともと母さんは自由圏を相手にした外交官。エミリアとの交渉については案外何も知らないということさえ。
けれど、母さんだけが今は命綱だ。
「母さん、セレーナにおかしなことが起こってる。情けない話だけど、僕には何もできなくて……でも、彼女を助けたい」
母さんの返事はない。寒々しい雑踏だけが耳に障る。
僕の決意のほどを、母さんは計っているのか。
「……たとえ母さんを敵に回しても」
だから、僕の最後の決断を伝えた。スピーカーが静寂の雑音を伝え始め、やがて、
『……良いわ。来なさい。純ちゃんの敵になる前に、最後に一つだけ、あなたの母として、助けてあげる』
母さんの声を乗せた。
「ありがとう」
『近くの公園で会いましょう。あなたの言い分だとこちらに来る手段はあるのね。東欧時の朝六時』
「分かった」
それだけ言って、僕は通話を切断した。
ラウドモードにしていたから、その会話は浦野にも聞こえている。
「さっすが、大崎君……こんなことであきらめたりなんてしない」
声の聞こえなくなった僕の端末をうっとりと眺めている。
「あたしも、行っていい?」
「もちろんだとも。セレーナの味方は僕だけじゃないってことを、いろんな人に見せてやろう」
浦野は笑顔を見せてうなずいた。
僕はすぐにジーニーインターフェースを起動した。
「ジーニー・ルカ。すぐに来てくれ」
『ジュンイチ様、現在この船はアンビリア共和国の監視措置扱いとなっており、自由に動けません。セレーナ王女のブレインインターフェースも切断されたままです』
予想はしていたけれど、船も、セレーナとの接続も、押さえられている。
しかもその主体はアンビリア。
徐々に、何が起こっているのかが見えてくる。
だが、かまうもんか。
「監視を破ってでも。セレーナの緊急事態だ」
『かしこまりました』
ジーニー・ルカは、僕の難題にもあっさりと応えた。
僕の言葉に魔力がある。
それは一体なんだろう。
きっと、理由がある。
それから十五分、駅から離れた公園に白い宇宙船が飛来し、多くの人に目撃されたことは、その日の夕方の小さな地方記事となったことを後に知った。
***
ドルフィン号はあっという間に僕らをブラティスラヴァに運んだ。
燃料を節約するそぶりさえない。核融合電源で動くこの船は、元々、その気になれば燃料なんていくらでも余裕がある。万一に備えて満状態を保っておきたいだけなのだ。あれだけ好き勝手に飛び回っても、まだ八割の燃料を残している。当分は大丈夫だろう。
ブラティスラヴァはぼんやりと暗く、人影がなかった。
指定された公園は、あちらこちらに手入れされていない裸の樹木があり、根元の舗装路はひび割れて土が露出している。
そこで僕らが待っていると、六時きっかりに、人影が現れた。
朝もやでぼやけた人影は、すぐに母さんだと分かった。
お互いに姿を確認し、それから、端のベンチに三人で腰かけた。三人の吐く白い息が、調子の狂った蒸気エンジンの排煙のように次々と空に昇っていく。
「それで、純ちゃん、何が起こってるんですって?」
母さんが口火を切った。
「セレーナが監禁された。ホテルが政府に押さえられて、人の出入りが出来なくなってる」
「……そう。もうそんなことに」
母さんの表情は、落胆に近かった。
それから、自分の情報端末を取り出して、何かを表示し、僕に示した。
「気になって母さんも調べたの。公式発表だから、機密ではないわ。読んで見なさい」
それは、一昨日の日付のニュースだった。
内容は、ロックウェル連合国の公式発表。
エミリアが、地球に対して不正な方法でマジック鉱の輸出をしようとしていたことを非難するものだった。
続けて地球新連合の発表も並ぶ。
エミリアからマジック鉱を不正に輸入しようとしていた地球の商社を強制捜査、業務停止処分にした、と、その発表は伝えていた。
「母さん、これは……」
「読んでの通り。元々、マジック鉱の取引に関しては、取引条約が定められていてね、取引量と取引価格を公開しなければならないの。エミリアは逆にそこに目をつけて、ある地球の商社と結託して、格安で卸そうとしたのよ。地球のマジック船産業の競争力をひそかに向上させて、ロックウェルに対抗するマジック産業勢力を育てるためにね。そうして競争を激化させ、ゆくゆくはマジック鉱の価格を引き上げ――やっていることはファレンに対するものと同じようなものよ。この新連合をそんな安い策で手玉に取ろうなんて、エミリアも馬鹿なことを考えたものだわ」
母さんの言葉は呆れたような色を帯びていた。
「母さんはこのことを……」
「前から知ってたわ。でも、さすがに実の息子といっても言えることでは無かったのよ」
前から。かなり前から進んでいた陰謀だったのか。
まさか、数ヶ月前の国王訪問の裏の目的も。
……ありうる。
そして、新連合の諜報力は、そんな陰謀をかなり正確に掴んでいた、ということか。
「じゃあ、エミリアが面倒な国ってのは」
「そう、こんな面倒を起こしつつある国だってこと。純ちゃんがほどほどのところでとどまってくれればよかったのだけれど」
確かに母さんの言うとおりだと思う。
だけど、もし本当にあきらめていたら。
僕は一生後悔していただろう。
一生浦野に恨み言を言われていただろう。
「だけどそれがどうしてセレーナが監禁されるようなことになるのかな」
その点だけはどうしても腑に落ちない。
別に、エミリアが通商上のズルをしようとしていることと、セレーナが表向き留学をしていることは、実際には関係がない。
もしセレーナの目的が僕だとしても、だ。
「母さんも担当じゃないから詳しいことは分かりません。でも、ロックウェルから相当強い圧力があったんでしょう。何か、交渉の切り札にでもしようと考えているんでしょうね。新連合としても応じざるを得なかったのでしょう」
「だけど母さんそれは誤解だ!」
僕は思わず叫んでいた。
「殿下がどんな目的で地球にいるのか、母さんは、全く知らないってわけでもないけれど……」
母さんは僕の目をじっと見つめた。
「もしこんな問題が起こった時に、身内に新連合人がいるのといないのとでは、随分、展開は違ってくるでしょうね」
ああ、母さんは、セレーナの目的を完全に知っている。
僕を、新連合人を身内に引き入れて。
こんな面倒の時に、新連合をエミリア寄りに操作するための駒としようと。
……だとしたら、エミリアを守ろうとするセレーナの行動は何も間違っていない。
「おばさん、あのう、あたしもその理由については……知ってるつもりです。だけど、あたしは信じてます。セレーナさん自身はそんなたくらみは絶対持ってないって」
浦野が言う。
彼女の言うとおりだった。
エミリア王家のたくらみと、セレーナの気持ちが一致しているとはまだ言えないんだ。
母さんは浦野に視線を移した。
「……そうね。殿下は利用されているだけかもしれない。それでも、それは地球新連合に対する危険な試み。それに……純ちゃんをもてあそぶような真似は、母として、許すことはできません。それは、浦野さん、あなたも同じでしょう?」
「あたしは、その……」
浦野はうつむいて口ごもった。
「大崎君もセレーナさんもとても大切な友達で、二人には仲良くしてほしくて……」
「それが嘘の愛情や友情でも?」
「嘘なんかじゃありません! あたしは知ってますから……二人の気持ちはずっと正直だって……」
母さんは、固い表情を崩してため息をついた。
「純ちゃんは本当に馬鹿ね。こんなに心配してくれる友達がいるのに」
もう一度、僕に顔を向ける。
「もう一度、『セレーナさん』に聞いてみなさい。彼女の本当の気持ちを。どんな手段でもいい。彼女が本音を言わざるを得ない状況を作りなさい。純ちゃん、あなたはもっと狡猾で卑怯な手段を覚えなさい。女心はあなたの思っているほど単純なものじゃないわ」
狡猾な手段ってなんだろう。
卑怯なやり方って、どんなことだろう。
ただ正直であるだけじゃだめなんだろうか。
もし立場が逆なら。
セレーナは僕のほっぺたをひっぱたくだろう。
しっかりしろと叱りつけるだろう。
僕が彼女にそんなことができるか?
できない。女の子に手を上げるなんて。
「……おばさん、ありがとう、それだったら、あたしが大崎君にアドバイスできると思います。あとは任せてください」
「……浦野さんなら大丈夫ね。お任せするわよ、純ちゃんのこと」
「はい」
浦野はにっこりと笑ってうなずいた。
一体何を考えているんだろう、何を思いついたんだ?
でもどんな手を思いつくにしても、問題は、新連合がセレーナを監禁しているという事実で。
「いくらセレーナに気持ちを確かめるにしても、セレーナは監禁されていて……そのことを母さんに相談に――」
「正直に答えなさい。あなた、とんでもないことができるでしょう。たとえば、自由圏のすべての核融合発電所の警備システムを破るようなことを」
その言葉に、僕は真っ青になるしかなかった。
ああ、そんなことまで母さんの耳に入っていたのか。
……地球では、大変な事件になっていたのかもしれない。
「……うん」
僕はうつむいて認めた。
「純ちゃん、こういうことは、新連合公務員として言ってはいけないこと、だけど、母として言います。ホテルの警備を破ってセレーナさんを助け出すくらい朝飯前でしょう?」
「自信はないけど……できる気がする」
「……だったらあとは自分で考えなさい。そのあとは、公務員としての母さんはあなたの敵よ。本気で新連合を相手に戦うつもりなら、母さんが相手します」
「僕は……」
母さんを敵に回す?
……もちろんだ。
僕は。
「……全宇宙を敵に回したって戦うつもりだ」
「あたしも一緒です!」
僕と浦野の宣言に、母さんは微笑んでうなずいた。
「大人になったわね」
そして、立ち上がり、僕らに背を向ける。
「新連合市民、大崎純一、それから浦野智美。もし万一不逞な試みを心に秘めているなら、自重しなさい。新連合外交官、大崎綾子からの警告です」
母さんではない、新連合公務員からの最後通牒に。
「承知しました、外交官殿」
僕は後ろから返した。
かすかにうなずいたようなしぐさを見せたのち、彼女は朝もやの中に帰っていった。
僕らは長い間、白い景色を眺めていた。




