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魔法と魔人と王女様  作者: 月立淳水
第四部 魔法と魔人と量子の巨神
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第一章 なすべきこと(4)

 次の日も当然、隣の席は空だった。


 僕が登校すると浦野はすでにいた。

 僕の姿を見るや、鋭い目でにらみ付けてきた。


 昨日、あの人のところに行ったのだろうか。

 すべてを聞いて、何か思うところがあったのだろうか。


「昨日はどうだった」


 だから僕は、先に声をかけた。


「会ってもらえなかった」


 浦野は短く答えた。唇をギュッと結んで。


「放課後、時間、ある?」


 何か怒ってるのかな。


「セレーナのところに行くというのなら――」


「二人だけで話がしたい」


 こんな浦野の表情は初めてだった。

 鋭い視線で僕を射抜いている。僕は委縮さえしそうになる。


「……分かった。授業が終わったら、校門で」


 僕が言うと、浦野は軽くうなずいて、それから、一限目の準備に取り掛かった。


 授業がすべて終わり、短めの補習が終わって外に出ると、まだ薄暗い程度の青空。

 校門には、もたれかかる浦野の姿。


 僕がそばによると、軽くうなずき、歩き始めた。浦野の自宅へ向かう道。

 僕はそれについて横を歩いた。

 数分、お互いに何もしゃべることなく、両脇を戸建て住宅が占めるその道を、歩いた。まだ冷たい風が時々僕らの間を吹き抜けていく。遠くで、飼い犬の鳴き声がする。


「大崎君。聞いておきたいことがあるの」


 ようやく口を開けたときには、いつになく間延びのしない浦野の声。


「昨日は、どうして来なかったの?」


 どうしてと言われても。


 僕は、もう、放っておこうと思ったから。


 セレーナの目的。

 エミリアの野望。

 新連合の意志。


 それを知っているから。


 放っておけば向こうから手を引いてくれる。


「君に言ってもしょうがないことだから」


 浦野の顔も見ずに短く答えると、


「はあ?」


 浦野は間髪をいれずに抗議の声を上げた。


「あたしには言えないってことなの?」


「言えないというより……言う必要が無い」


「どうして」


 どうしてだろう。

 なぜなら、これは僕が決断すべき問題だったから。


 地球と母と安穏な生活。

 エミリアとセレーナと危険な生活。


 どちらかを選ばなきゃならなかった。

 浦野の判断の入る余地はなくて。


「……僕は、もう決めたんだ。エミリアには……セレーナには、かかわらない。友達として付き合っていくつもりはある。だけど、……彼女が退くなら、追わない、って決めてた」


「はあああ?」


 さっきよりも大きな抗議の声。


「大崎君のセレーナさんへの気持ちは、そんなもんなの?」


「気持ちって言ったって……」


 気持ちなんて入る余地がなくて。


「……僕がかかわると、セレーナが、みんなが、傷つくから」


「そうじゃないでしょう!」


 遮るように浦野は叫んだ。


「大崎君がどうしたいかってことよう!」


「だから今言った通り。僕はもうかかわらない。反省したんだよ」


 僕の向こう見ずがいろんな人を傷つけてきたから。


「どうして……よう」


 震える彼女の声に思わず顔を向けると、浦野の両目から涙がこぼれているのが見えた。


「言ったじゃない……大崎君、言ったじゃない……あのとき。一分迷ったらセレーナさんが苦しむ時間が一分増えるんだ、だったら今、出発するんだって……」


 すでに浦野は立ち止まって、うつむいている。

 地面に何粒もの涙の水たまりができている。

 僕も立ち止まって、そんな浦野に正対する。


 ……どうすればいいんだよ。

 僕にとって分不相応な問題を抱えた王女様を。


「あのときの大崎君、すっごいかっこよかったのに……ああ、あたしはこんな人に……こんな人の友達だったんだって……すっごく誇らしかったのに……」


 彼女は拳を握りしめて、二度、三度、鼻をすすりあげた。


「……大崎君は……セレーナさんのためなら……大切の人のためなら……どんな困難にも立ち向かえる人なんだって……なのに……うええ……なのに……」


 何と言葉をかけていいのかわからない。

 鼻の奥がツンとする感触を覚える。


 確かに僕はかつて考えた。

 僕の心が本当の敗北を認めるまでは、あがいてやろうと。

 だけど、僕は、自分のあまりの弱さに、負けを認めざるを得なかった。


 僕は、負けたんだ。


「僕は、負けたんだ」


 その気持ちは同時に言葉になって口から出ていた。


「誰にだよう! 大崎君は誰にも負けてない!」


「僕自身にだよ。……あんなことで僕は心を折られるほどに弱かった。そのことをようやく知った……それだけ」


「大崎君は弱くなんかない!」


 浦野は顔を上げて僕をにらみつけた。


「いつだってあたしを助けてくれた! あたしが折れそうになった時に、大崎君の姿はあたしに勇気をくれた! 一番弱いのはあたしなのよう……」


 どうして浦野が、弱いなんて。

 僕に力をくれたのは。たとえセレーナの物真似だったとしても、最後に僕を引き戻してくれたのは。

 浦野なのに。


 どうして?


「君はとても強いのに……時々……ぐすっ……とても弱気になって……なんでも自分のせいだって抱え込んじゃう……すぐごめんって謝っちゃう……そんなところは……嫌い」


 すぐに謝るジュンイチは、嫌い。


 僕はすぐにこの誰かが言ったフレーズを思い出していた。


 ……そうだった。


 分かり合おうともせず、勝手に一歩引いて。

 謝ってしまえば済むだろうと。

 自分があきらめれば済むだろうと。

 勝手に決めつけてしまう僕の癖。


 その誰かは、それが嫌いだと言った。


 きちんと話し合って。

 分かり合って。

 謝罪ではなく感謝を。


 そうだったじゃないか。

 僕は、分かったつもりだったのにやっぱり分かってなかった。


 ひときわ大きく、浦野がしゃくりあげたのに気づき、目線を上げる。


「あたし……あたし……大崎君のこと大好きだったのに、今は、嫌い! 嫌い! 嫌い! すぐにあきらめちゃう大崎君なんて大っ嫌い!」


 僕は馬鹿だ。

 何度繰り返しても、分かってない。


 引くことは、優しさじゃない。

 我慢することは、強さじゃない。


 浦野が僕のことを優しくて強いって何度も言うのは、本当にそうなんじゃない。そうあってほしいっていう気持ちだった。浦野の大好きなセレーナを守るために、そうあってほしいって。


 優しさは、理解すること。

 強さは、一歩踏み出すこと。


 セレーナに嫌いって言われたときも痛かったけれど、浦野にこんなに嫌いって言われると、効く。


「セレーナさんと一緒に……エミリアを……宇宙を……変えるんじゃなかったのかよう……あきらめちゃうなんて悔しいよう……」


 泣きじゃくる浦野を前にして、思い出す。

 僕らが子供のような考えで宇宙を変えようとしていると言った、ルイス・ルーサーのことを。

 エミリアの身勝手のために羽をもがれた巨鳥。


 いつか彼のような巨才が自由に研究できる国にしようと、エミリアを変えようと、言い出したのは僕じゃないか。

 そんな僕に、最後の知恵と未来を託してくれたルイス。

 また会おう、そう言った彼をも、僕は裏切ろうとしていた。


 ルイスだけじゃない。

 これまでに出会ったありとあらゆる人を裏切ろうとしていた。


 君になら出来る。

 そう言ってセレーナを勇気付けたはずの僕が、真っ先に脱落だって?

 それこそ馬鹿げている。


 そりゃ、セレーナも落胆する。

 浦野だって泣く。


 あ。

 やばい。


 こんな道の真ん中で泣きじゃくる女の子を前におろおろしてるなんて。

 人に見られたら大ごとだ。

 わんわんわんと吼え続ける犬の声と、どこかで夕食を作っているであろう良い匂いが風に乗ってきていることに今さらながら気が付く。


「浦野、待って、ごめん、いや、そうじゃなくて、もう大丈夫だから、落ち着いて」


「うえええ」


 手が付けられない。

 ひとまず浦野の手を引いて、手近な路地に逃げ込んだ。

 とりあえず、一分、放置しよう。


 まずは、ノルアドレナリンだかなんだかの興奮物質が再吸収されるのを待たなきゃ。

 僕は浦野の手をしっかりと握って、それを待った。


 手を握っていた効果はあったのか、ようやく号泣はすすり泣きに格下げされた。


「浦野、僕が間違ってた。やるよ。宇宙中を敵に回しても」


「……ぐすん……本当に?」


「本当さ! まずは我らが王女様を元通り宇宙一強気で短気で傲慢な王女様に戻そう! それから、僕とセレーナは、全宇宙を敵に回して戦う!」


 僕が言うと、浦野は、まだ涙で濡れた視線で僕に上目使いを送ってきて、


「……そこにあたしの名前も付け加えるんなら、許す」


 またこの娘は無茶なことをおっしゃる。

 ……だけど。そうとも、たとえ僕が弱くても、それを補ってくれる友達がいればいい。谷底に落ちそうになるときにも、その手を掴んでくれる友達がいればいいんだ。僕の弱さなんて、何の問題でも無かったんだ。


「いいとも、浦野も一緒だ。なんなら、毛利とマービンも」


 僕が言うと、涙を袖で拭きながら浦野は笑った。女の子なんだからハンカチくらい使えばいいのに。ポケットを探ったが、僕はこんなときに渡せるハンカチを持ち歩くほど気の利いた男じゃなかった。


「よかったあ。えへへ、大崎君を取り戻したのは、またあたしだったねえ。二ポイント目」


「誰と競ってるんだよ」


 浦野の冗談に僕も笑った。


「正直さ、浦野に嫌いって言われて、こたえたよ。前にもほとんど同じことをやってさ、セレーナに嫌いって言われてがっくり落ち込んだことがあって……浦野にまで言われて……こんなにこたえると思ってなかった」


「セレーナさんと同じくらい効いたってこと? じゃあたしってばやっぱり王女様と同格!?」


 そうかもな、なんて思って、突っ込みはやめた。その代わりに、思わず小さな笑いを漏らした。


「あっ、あわわわ」


 突然浦野は何かを思い出したように目を逸らし、一歩後ずさった。


「さ、さっきのは勢いで言っちゃっただけだから、き、気にしないでね!」


「気にしないさ、僕を励ますために言ってくれたんだから」


 嫌いなところはちゃんと嫌いと言ってくれる。

 それが本当の友達ってもんだ。


「そ、そう? 大崎君がそうならいいんだけど……」


 ちょっとうつむいてまたも上目づかいで。浦野も心配性だな。僕がそんなことくらいで浦野のことを嫌ったり恨んだりしないのに。


「ちょ、ちょっとくらい気にしてくれても、いいのよう?」


「じゃあ、二度と浦野に嫌いなんて言われないように、がんばるよ」


「……あ。えーと、その、お願いしますよう?」


 何かびっくりしたような顔で顔を上げたかと思うと、また笑顔で浦野は言った。

 さて、浦野のことは片付いたし、いよいよ、セレーナだ。

 これからどうするべきか。


 簡単なことだ。

 セレーナに、ただ、僕の本心を訴えればいい。


 きっとセレーナはまだ悩んでいる。

 浦野と同じように。


 僕が、セレーナを連れ戻す。


 でもちょっと心配だから。

 ……浦野を、連れて行こう。


 ただの高校生に過ぎないけれど、セレーナの味方は僕だけじゃないと、見せつけてやる。


「浦野、早速で悪いんだけど、明日、学校休んでくれ」


「ふえっ?」


「もう一度セレーナのところに行く」


「……いいわよう。乗ってきたねえ。それでこそ大崎君よう」


 僕は笑顔でうなずき、それじゃあ帰ろうと宣言して、浦野を路地から連れ出した。

 報酬としてデイジーのプリンをご馳走する約束をさせられながら、僕は浦野を送り届けた。

 西の空に金星が輝いていた。



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