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魔法と魔人と王女様  作者: 月立淳水
第四部 魔法と魔人と量子の巨神
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第一章 なすべきこと(3)

 翌日は母さんが帰る前にセレーナを迎えに行った。心配だと言って浦野もついてきた。何を心配しているのかはよくわからなかったが、僕の家に来る前には帰ってもらった。きっと、繊細な問題になるだろうから、と。


 セレーナは僕の家に来ると、以前と同じように、礼儀正しく上品な笑顔で挨拶をした。

 いらっしゃい、と軽く答えて、親父は店に戻った。

 二人だけで母さんの帰りを待った。


 会話はなかった。

 母さんの帰宅はすぐだった。

 午前十時半。


 母さんは玄関から続くホールを潜り抜け居間に通ると、僕の顔を見て、それから、セレーナがいるのを見た。彼女がいることに対して、さして不思議そうな顔はしなかった。

 僕は三人分のコーヒーを入れて、テーブルに並べた。


 僕とセレーナが並ぶように座り、母さんが向かい合った。

 コーヒーをひとすすりして、母さんは大きなため息をついた。


「ただいま。それから、お帰りなさい」


「お帰り。……ただいま」


 母さんがお帰りと言った意味は、深く考えるまでもないだろう。


「純ちゃん……それから殿下、みんなが、自由圏のお友達と出かけていたことは知っています」


 母さんは簡潔に、自分の理解を僕らに伝えた。

 自由圏のお友達。

 この言葉だけで、どこまで深く母さんが事態を把握しているのかを知った。


「うん……ファレンに行ってた。エミリアとロックウェルの確執の焦点」


「そこまで理解していて、なぜまだエミリアにかかわるの」


 母さんは僕に向かって言った。

 分かってる。

 この話し合いですべてをおしまいにするつもりだから。


「それは……エミリアと僕との関係を知るため」


 僕の横でセレーナが小さく身じろぎした気がした。


「いや、エミリアと新連合って言った方がいいのかな」


「……つまり、新連合が、惑星カロルの件、マジック鉱の件にどんな風にかかわっているのか、ってことね」


 母さんの言葉に、僕は小さくうなずく。


「……殿下の前では言いにくいことだけれど、新連合は……ロックウェルの強硬姿勢よりは、エミリアの独占思想の方が、危険だと思ってます」


 ……やっぱり、そうなのか。

 そうなんじゃないかと思っていたけれど。


「新連合は常に中立。だから、どんな働きかけにも応じるつもりはありません」


 母さんは、新連合は、セレーナが地球にやって来た理由まで分かっているのだろうか。

 母さんの物言いはあいまいで、そのあたりがはっきりしない。


「宇宙のことは宇宙人に任せる。それが新連合の一貫した立場。千年前からね」


「だったら、セレーナはどうしてここにいるの」


 僕はたまらずに尋ねる。


「エミリアにはエミリアの考え方があります。新連合として、他国からの留学の申請を理由もなく却下するわけにはいかない、それだけで分かるかしら」


 つまり、今進んでいる陰謀は、一方的にエミリアが進めていることだと。

 それが、母さんの言葉から分かること。

 言葉通りにとらえるなら、新連合は共謀者ではないということだ。


 右に座っているセレーナを見ると、膝に手を置いてうつむいたままだ。

 僕には、セレーナを誘惑し恋に落とすという目的はない。それは僕自身のことだから分かっていた。

 たぶん今、セレーナにもそのことがきちんと分かっただろう。


 一方のセレーナはどうなのか。

 ……分からない。


 だったら、放っておくしかないんだろうな。

 もしそんな目的があったとしても、僕がなびかなければすべて終わりだ。


「殿下」


 母さんはついにセレーナに声をかけた。


「……はい、オオサキさん」


 セレーナは力なく応じる。


「忠告はしておきます。エミリアが姿勢を改めなければ……新連合はつらい決断をすることになります」


 ……きつい一撃だ。


 たぶんもう、セレーナは、エミリアに帰るしかない。

 改めなければ、と言うのだから。

 ここにとどまることを許さないと。


 母さんの言葉はそういうことだ。

 友達ごっこくらいなら、と思っていた僕の認識は、ちょっと甘すぎたようだ。


「……肝に銘じます」


 何も反論しないセレーナが、とても頼りなくて。

 何かが僕の心の中ではじけて、大きな穴をあけたような不安な気持ちと――。

 同時に、少しの安堵があった。


 セレーナとの友情の終わりを、知った。


***


 週が明けた。

 久しぶりの学校。

 登校して、左の窓際の席に目をやる。


 主はいない。

 結局彼女がこの席を占めたのは二カ月にも満たなかった。

 彼女がこの席に姿を見せることは、二度と無いだろう。


 僕はそのことにとても安心している。

 でも、なんだか胸につっかえているものがあって。


 ……楽しかったな。


 彼女といるのは、楽しかった。

 そう思うと、なんだか泣きそうになる。

 まだ、思い出として整理できそうにない。


 楽しかったという気持ちと、失って悔しいという気持ちが、まだ鎖で繋がれていて、素直に楽しかったと言えそうにない。


 そんなものともこれからは向かい合って、解決していかなくちゃならない。


 でも、もうしばらくは、まず現実に慣れよう。

 この席にあの人の姿が無い現実に。


 席が空のまま、授業が始まった。

 一限目の授業は数学。


 相変わらず、つまらないな。

 窓の外を見やる。

 邪魔になる窓際の人はいない。


 外は曇っている。でも雨が降るほどじゃない。

 僕らが旅をしている間に雪が降ったらしく、遠くの森林公園には点々と雪が残っている。

 その五十分間は、僕の視界をそんな景色が覆ったまま終わった。


「……大崎君、セレーナさんのこと、知らない?」


 休み時間に、浦野が声をかけてきた。


「昨日、何か言ってなかった?」


「特に、何も」


 あの人は、学校のことは何も言わなかった。

 言わなくても分かっていたから。


「ちゃんと……話し合ったのよね?」


 あれを話し合いと言うのなら。


「……一応」


 と僕は答える。


「……まだ整理がつかないのかなあ。誰もセレーナさん個人のことを責めるつもりなんてないのに……ねえ、放課後、もう一度行きましょう」


 どこに?

 何をするために?

 僕には何もすることがない。


「考えておくよ」


 あいまいな返事で返すしかなかった。


「ああ、でも」


 僕は思い出した。学校に来て一番に先生に言われたことを。


「マービンの手配してくれた補習が放課後だから」


「補習と友達とどっちが大切なのよう」


「……模範的な高校生としては、補習って言っておかなくちゃね」


 僕が冗談交じりに言うと、じゃあ、セレーナさんのことはまたそのあとでも、と言って浦野は笑った。


 一日の授業が終わり、いよいよ、二週間の遅れを取り戻すための無茶な補習だ。

 考えてみれば、この四人のために放課後に駆り出される先生もひどい貧乏くじだ。

 毛利、マービン、浦野、そして僕の四人を相手に、一限分を二十分以下に圧縮した地理学の補習が四コマ分、行われた。明日は化学だ。


 終わってみると、外はほとんど真っ暗だ。


「大崎、浦野にも言われたんだけど、セレーナさんのところに、これから行くんだろう?」


「何か訳があって休んでいるんじゃないかと聞いたんですが」


 補習が終わるや否や毛利とマービンが問い詰めてきた。


「まだ体調がよくないんじゃないかな」


 ……僕は、嘘をついた。

 こんな嘘をつくことができるなんて思わなかった。僕の心を映すように、窓の外の空は重く、暗い。


「でも昨日はもう元気そうだったよう? ねえ、どうして休んだのか、聞きに行きましょうよう。何か悩んでるなら、聞いてあげましょうよう」


 浦野が無邪気に提案して来る。


 僕はあの人の悩みなんて聞きたくない。

 僕を誘惑しなきゃならないエミリアの目的と、それを許さないという新連合の意志。

 国と国民のために命さえ捧げると宣言した彼女が、たかが地球の小僧一人を誘惑することを拒絶などすまい。


 だから、彼女を悩ませているのはそのこと自体ではなく、それを許さないと言った新連合との関係なのだ。

 のこのこと自分が登校すれば、新連合がどんな手で出てくるか。

 そんなことに悩んでいるわけで。


 ……いや、悩んでさえいないんじゃないかな。

 ともかく僕の出る幕じゃない。


「……僕はやめておく」


 一言だけ言い残し、僕は鞄を持って教室を出た。

 誰にも制止されなかった。


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