第一章 なすべきこと(2)
目覚めてから一日もするとセレーナも自由に動けるようになった。
自分で点滴を外し、流動食を取って少しずつ元気を取り戻してきた。
全快するまで軌道にとどまろうとも思ったが、セレーナが、たぶん歩けそう、と言うので、地上に降りることにした。
ドルフィン号は夕暮れのマービン邸に着地し、僕らを降ろして再び軌道上に飛び立った。
長い無重力生活で僕らも立っているのがつらかったが、それ以上に浦野の肩にしがみつくように立つセレーナはつらそうだった。
この週末まで僕らは丸々休むことになっていた。マービンが手を回してその辺の手はずを整えていてくれたからだ。セレーナが回復するのにも時間がかかるだろうから、ちょうど良かった。
いろいろと手回ししてくれたマービンに礼を言って、僕らは広い屋敷を後にした。
駅前まで毛利と浦野と僕でセレーナをエスコートし、毛利はそこで自宅へ。ホテルには僕と浦野が送った。
セレーナは終始無言だった。
無理も無い。
自身が傷つけられるような事件なんて初めてだろうから。
心も体も、落ち着くのには時間がかかるだろう。
週明けに学校で、と言ってホテルの扉を閉めた。
「セレーナさん、元気なかったね」
最後に浦野を送り届ける道で、彼女がぽつりと言った。
「まだ痛みが残ってるんだろう」
「たぶん、そうじゃないと思う……きっと、大崎君のこと」
「僕の?」
聞き返すと、浦野は黙ってうなずいた。
「た、確かに僕はやりすぎたと思うけれど……」
「そうじゃないよう。セレーナさんは、大崎君が、あのことを信じてるだろうって、きっと思ってる」
あのこと?
……そうだった。
セレーナが、僕を誘惑するためにこの惑星に来たんだ、ってこと。
正直に言うと、それを否定する材料が、今は、無い。
僕がそのことを信じ込んで彼女を避けたり、なんてことはない。
そうでもそうでなくても、僕は気にしないと決めたから。
その陰謀が本当だとしても、僕がその気にならなければ相手に何も打つ手は無いって分かっているから。
今は、どちらかは分からない。
「自分がそんなつもりもなく、ただ友達として信頼できる人のそばにいるだけなのに、それを、誘惑だ陰謀だなんて言われたら心外だし、それをその相手に聞かれちゃったら……ショックだと思う」
セレーナの時間はあのときから止まったままで。
僕は答えを出すための時間をたっぷりもらったけれど、セレーナにはまだその時間が無い。
きっと彼女自身が悩んで答えを出さなくちゃならないんだと思う。
「僕はその……セレーナの相手ってやつだから、どうすればいいのか分からないよ。でも、僕自身は答えを見つけたつもりだ」
僕がつぶやくように言うと、浦野は明るい笑顔を見せた。
「そうねえ。大崎君とセレーナさんが同じ答えを出していればいいんだけれど。困ったらあたしに言ってね。二人では出せない答えでも、三人いれば」
「うん、たぶんまた、浦野に頼むと思う。僕が面と向かってセレーナの気持ちを問いただすのは……たぶん違うと思うから」
「いいわよう。一回ごとにデイジーのプリン一個ねえ」
浦野は一方的に相談料を決めて、紺色の空を見上げた。
***
家に帰ると、待っていたのは親父と、母さんが週末に一度帰るというニュースだった。
黙って何日も家を空けたのだから当然だ。
たぶん母さんは、どこかからのルートで、僕らの行動を知っているんじゃないかと思う。
そうだな、ちょうどいい。
そのときに、すべて、片付けよう。
「若いときは無茶も良いがな」
親父はお手製のロールキャベツを噛み千切りながら、改まった口調で言い始める。
お店でもそのくらい無難なメニューを出せばいいのにとは良く思う。
「あまり友達に迷惑をかけるなよ。マービンさんのところには俺からもお礼を言っておくけどな」
「うん……ちょっとね、ほら、王女様が来たり新しい転校生があったりで、みんなテンション上がっちゃって」
「休みも学校に行って準備してたもんなあ。あの美人の王女様が待ってるんじゃあな」
親父はニヤニヤしている。
「え? それで、王女様との仲は進展してんのか?」
……まさか、この昼行灯の親父が、僕とセレーナの陰謀にかかわっているとは思えないけれど。
こんなしょうもないことでも疑心暗鬼になる。
「そういうんじゃないよ。綺麗な人だとは思うけどさ」
「まあ、お前にはもったいないよなあ、確かに」
残り半分のロールキャベツを口に押し込んでもぐもぐさせながら言う。
「ま、若いうちは何でもしてみろ。飛び越えられないかもしれない谷間も、飛んでみれば案外向こうに飛びつけたりするもんだ」
けれど僕はその向こう岸に手をかけ損ねて落ちるところだった。みんながいなければ、きっと今頃、谷底だ。
「死なない程度にな」
死なない程度に。殺さない程度に。
そうだな。
分相応な生活をしなくちゃ。
手に余る陰謀まで、背負い込まなきゃならない人生じゃない。
「――それで、母さんはいつごろ帰るって?」
僕は何も返さず、話題を変えた。
「日曜日の昼前だと。なんだか少し機嫌が悪かったが……純一、何もしてないよな?」
何もしてないとは胸を張って言えないけど。
……まあ、いいや。親父には今度話そう。
「その……いろいろあったけど、ちょっと、母さんに僕から話すよ」
「おう、頼んだぞ。母さんの機嫌が悪いと大変なんだぞ」
「分かってるよ。親父は無難な料理を頼む」
「ああ、無難なメニューはもうたっぷり考えてあるから心配するな」
この顔は新作をいろいろ思いついた顔だ。
まずは料理でご機嫌取りをする作戦は失敗するかもしれない。
***
土曜日。
浦野を誘って、セレーナのお見舞いに行くことにした。
少し、考えがある。
全部片付けるために、セレーナと話し合いをする必要がある。
僕のIDはセレーナのホテルの部屋に自由に出入りできるけれど、きちんと手順を踏んで招いてもらった。
よく考えてみると初めて入るセレーナの部屋。
さほど広いわけではない、ありきたりなホテルの部屋。大きなリビング兼ベッドルームと小さな執務机のある書斎、簡易キッチンとバスルームとウォークインクローゼット。一国の王女の部屋にしてはあまりにみすぼらしい部屋だ。
セレーナは自らの手で紅茶を用意し、窓辺の応接セットに案内された僕らの前に並べた。体はすっかり回復したようだ。
自分の前にもティーカップを置き、セレーナも僕らの向かいのソファに体を沈めた。
「すっかり良くなったみたいで、良かったよ」
「そうね」
僕の言葉に、セレーナは短く答えただけだった。
三人で押し黙ったまま、それぞれが何度かカップを口に運ぶだけの時間が過ぎる。
「……こんな話はまだ早いのかもしれないけれど……エミリアと新連合の関係について、結局ファレンでは分からなくて……はっきりしておきたいんだ」
あまり雑談を楽しむ雰囲気じゃないということが痛いほど伝わってきて、僕は単刀直入に本題に入った。
「そうね」
再び、短い返事。
もっと、いろんなことを話したい。
……だけど。
それはもう無駄なことだから。
それはもう許されていないことだから。
彼女もそう思っているのだろうな。
「明日、母さんが家に帰る。僕は率直に訊いてみるつもりだ。……君は、どうする?」
僕が問うと、セレーナは初めて僕の瞳に視線を向け、その透明な目で僕の瞳の奥を見つめた。
数秒、彼女は考えているようだった。
そして、ようやく口を開いた。
「私も、聞くべきなのでしょうね」
無理やりに言わせてしまったようで心が痛む。
だけど、きっとそれは彼女も聞いておかなければならないこと。
それを言ったら、僕だって本当は聞かなきゃならないことがある。
彼女が、秘密の使命を持って僕に近づいたのかどうか。
だけど、きっとセレーナは答えないだろう。
「明日、迎えに来る。同席してほしい」
「分かったわ」
それ以上、セレーナは口を開かなかった。
カップの紅茶が冷めきるまで僕らはそこにいて、それから、部屋を後にした。
浦野が何か言いたそうな顔をしていたが、これ以上浦野にも踏み込んでほしくなくて、部屋を出てすぐに、浦野とも別れた。




