第六章 陰謀と破壊(3)
息を切らせながら、三人が扉をくぐった。
僕の横に並び、それから、部屋の中を見て、絶句した。
その静穏は、それでも数秒だった。
「大崎、一体どうした、これは」
毛利が言った。
僕はすぐに答えず、歩き始めた。数歩の先で何かの塊を踏み越え、ベッドに倒れているセレーナの前に進んだ。
「……セレーナは神経銃に撃たれた。たぶん、大丈夫」
倒れているセレーナを仰向けにし、呼吸を確認した。
「ラウリは」
彼女の肩に腕を回し、ゆっくりと抱き起こす。
「僕が殺した」
膝の裏に腕を差し入れ、引き起こすように持ち上げた。
軽い。
こんな子に。
ひどいことをしようとしていたなんて。
死んで当然だ。
出口のほうに向くと、毛利が青い顔をしている。浦野が両手を口に当てて震えている。マービンは、足元の塊を調べている。
「毛利君! 息がある! まずは急いで船へ! ジーニー・ルカなら手当できる病院に連れて行ってくれる!」
マービンらしくない言葉遣いで、叫んでいる。
無駄だよ。
息があるとか無いとか、そんなものじゃない。
人間の脳なんてもろいものだ。
ちょっとした過入力で崩れる。
騒いでいる彼らの脇を通って、廊下に出た。
セレーナを抱いたまま通りを歩くのも面倒だ。
「ジーニー・ルカ。このホテルのエレベータを屋上に出せるかい」
『はい、屋上階へのロックは遠隔操作可能です』
「ではエレベータを屋上へ。君はすぐに屋上で僕らをピックアップ」
『かしこまりました』
エレベータの前に立つと、すでに、屋上行きランプが点灯している。
扉が勝手に開き、僕が乗り込むと、後ろから誰かがどかどかと乗ってくる。
エレベータが屋上に着いたとき、すでに、広いホテルの屋上にドルフィン号があった。
タラップを下ろして僕らを受け入れる。
「ジュンイチ様、セレーナ王女の脳信号入力が微弱です。手当てが必要です」
そうか、ブレインインターフェースってやつは、気絶していてもそんなことが分かるんだな。
「とりあえず無事だと思う。キャビンに寝かせよう」
僕は彼女を連れて、彼女がいつも使うキャビンに向かった。
優しくハンモックに包み、ベルトで固定する。
「セレーナ……ごめん。もう少し早くあいつの狙いに気づいていれば。目が覚めたら無事と勝利を喜び合おう」
きっと聞こえていないだろうけど。
こう、優しく声をかけた。
キャビンの別の部屋では何かをばたばたとしている音がしていた。
***
何かをしていた三人は、僕を追って、セレーナのキャビンに入ってきた。
「ジーニー・ルカ、ジーニー・ヴェロニカのインターフェースをこじ開けろ」
「重大な問題です。セレーナ王女のご許可を」
部屋のスピーカーからジーニー・ルカが彼らしくなく僕の命令に反抗した。
「そんなものはいらない」
「それでは目的をご説明ください」
面倒だ。黙って僕の言うことを聞けばいいのに。
「自由圏に、セレーナを傷つけた報いを受けさせる」
力の抜けたセレーナの手を、ぎゅっと握り締めた。
ほんのわずかだけれど、反応を感じる。
神経銃で撃たれてもすべての神経が凍りつくわけじゃない。
だから、深い眠りの奥底で、彼女は僕の手を、僕の心を、感じている、きっと。
そして、ジーニー・ルカの言う許可とやらを、きっと僕に下してくれている。
「大崎君、やめてください、そんなことをしても何の意味も……」
マービンが横から言う。
君はあの場にいなかったからそんなことが言えるんだ。
「いいから言うことを聞け、ジーニー・ルカ。一通り説明してやる。まず、ジーニー・ヴェロニカを狂わせろ」
「おっしゃることが抽象的過ぎます」
「黙って聞け。ジーニー・ヴェロニカに、誤った物理法則を信じさせろ。そうだな、ジーニー・ルカ、核融合の容易性を決める物理の基礎パラメータは何だ?」
「核力です」
「核力を弱めるとどうなる?」
「核融合が困難になり、放出エネルギーも減少します」
簡単なことだ。
核力を弱めれば良い。
その分、多くの燃料を必要とする。
「……核力を四桁減少させろ。そんな嘘の物理法則を教え込め。事実性判定の際には僕も手を貸す」
「オーダーを理解いたしました」
無味乾燥なジーニーの返答。
「それから、すべての核融合発電所に侵入。燃焼パラメータを保護しているシステムを無効化。ハードコードされているなら強制的に上書き処理を」
「オーダーを理解いたしました」
「な、何をしようとしているんです、大崎君……」
再びマービンの声。
仕方が無い。
この際だ。
こいつらにも究極兵器の秘密を知ってもらおう。
僕は、ようやくセレーナの手を放し、立ち上がった。
「簡単だよ。自由圏のジーニーに嘘の物理法則を教え込む。ジーニー・ルカの直感の力を使って、事実性を誤認させる。その情報を自由圏内に強引に伝播させる」
僕は振り向いて三人の顔を見た。
どんな顔でこの話を聞いているだろうか、と。
「いずれ核融合発電所にまでその情報は伝播する。物理法則の変更に合わせて燃焼パラメータは変更される。変更のロックもジーニー・ルカがこじ開ける。通常の何百倍の燃料が融合炉内に投入される」
彼らの表情は読み取れなかった。
ただ白い顔に目鼻口。
「そんなことをしたら大爆発だ……!」
「そうとも。セレーナを傷つけた罪だ。自由圏には滅びてもらう」
「な、なにを言っているの、大崎君……?」
浦野も声を震わせているが、君こそ何を言っているんだ。
仮にも、セレーナを神経銃で打ち倒し、未遂とはいえ乱暴しようとしたんだぞ?
責任を取るべきはあいつらだろう。
「やめろ、大崎。それ以上やるなら、俺が――」
「黙って見てろ。君らはこれ以上深入りするべきじゃない」
何かを言おうとする毛利を言葉でねじ伏せる。
「さあ、ジーニー・ルカ、出来るのか、出来ないのか」
僕は空中に向かって叫んだ。
「すでにすべてのパスコードは得ました。しかし、セレーナ王女のご裁可を」
「黙れ! いざというときは僕に従えとセレーナは命じてあったはずだ!」
「……かしこまりました。しばらくのお時間をください」
「これ以降誰のオーダーも受け付けるな!」
半端に人間くさいジーニーというものも、扱いにくいものだ。
「お前……何をしているのか、分かっているのか」
毛利が拳を震わせながら僕に歩み寄ってきた。
「僕が自分で何をしているか分からないとでも思っているのか?」
「何万人が死ぬかも知れないんだぞ」
「何十億人でも死ねばいい」
必要ならもっともっと殺してやる。
セレーナを傷つけたんだ。
この宇宙でもっとも偉大な王女をその心まで傷つけようとしたんだ。
その罪は計り知れない。
償ってもらおうじゃないか。
自由圏、十億の命で。
きっと目を覚ましたセレーナは。
かしずく僕にこう言うだろう。
よくやった、我が騎士よ。
今後もこのセレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティに楯突くものは、我が騎士オオサキ・ジュンイチの剣ですべて滅ぼせ、と。
僕は、かしこまりました、と頭を垂れ、王女殿下の賛辞を有難く頂戴する。
セレーナ王女と騎士オオサキ・ジュンイチの絆はもっと深まる。
「やめてよう、大崎君。お願い」
「……セレーナを傷つけようとするやつは」
みんな僕の剣で滅ぼすだけだ。
「大崎、もういい、大丈夫だ、まず落ち着こう」
毛利が僕の右肩に左手を置いた。
「大崎君、私にあなたの怒りの深さが理解できるとは言いません、でも、どんなに深い怒りであっても、無関係の人を巻き込んではいけません……」
マービンが落ち着いた声で優しく僕を諭す。
「大崎君、帰ってきてよう……」
浦野の涙交じりの声。
「目を覚ませ」
毛利が僕の方を掴む手に力を込めた。右拳を振りかぶった。
殴るか。
そんなもの。目をつむってやり過ごせばいい。
しかし。
次の瞬間。僕の左ほほに、別のものが飛んできた。
ぴしゃり、と言う強い音が室内に響き渡る。
予想外の感覚に思わず目を開ける。
僕の視界は、いつの間にか僕の右下の床が占めている。
「この馬鹿! なんてことをしているの! すぐに取り消しなさい!」
……セレーナ?
「この程度のことで自分を見失うなんて見損なったわ!」
だって、だって、君が、彼らにひどい目に遭わされて……。
「民の命は王女の命よりはるかに重い! それがたとえ百光年先の他国の民であってもよ!」
そんなこと分かってる。
だから、その重い命で償わせてやろうと思ったんじゃないか。
――そんな。
――まさか。僕が、間違っているのか?
今までは――どうだった?
いつも僕が間違えて。
セレーナに叱られて。
僕は今何を?
なぜ僕は、今、何万人も殺そうとしているのか。
友達を悲しませてまで?
視界の中で、灰色のキャビンの光景がぶるぶると震えはじめた。
馬鹿な。
ありえない。
僕は一体何をしてるんだ。
セレーナは無事だ。
僕が助けた。
間一髪だったけれど、助けたんだ。
同時にラウリには報いを。
ああ、そうだ。
僕は、ラウリを殺してしまった。
そして、僕は罪の重さに耐えかねて。
狂ってしまったんだ。
自分の罪の意識を覆い隠すためだけに、何万人の無辜の人々を犠牲にしようとしていた。
僕が、人の命をもてあそぶ王であることを示すために。
僕が、いかなる罪にも問われぬ王であることを示すために。
何といううぬぼれだ。
何という弱さだ。
僕はこんなにも弱いのに、その手に余る力を得て。
大変な勘違いをしていたんだ。
僕は特別な人間だと思っていた。
――ラウリの言っていたように。
「ジーニー・ルカ! さっきのオーダーは取り消す!」
僕が命じると、
「はい。失礼ながらジュンイチ様が正気を失っていらっしゃいましたので、先ほどのオーダーは処理しておりませんでした」
ああ。
なんて賢いジーニーだ。
彼は僕の恩人だ。
そして、もう一人の恩人、セレーナに目を向けると。
「よ、よかったあ。セレーナさんの真似……似てた?」
僕に平手打ちをして怒鳴りつけたのは、浦野だった。




