第六章 陰謀と破壊(2)
『ジュンイチ様、セレーナ王女より緊急事態のお知らせです』
ジーニー・ルカは言った。
「緊急事態? 何が起こってる?」
僕が尋ねると、
『音声をおつなぎいたします』
とジーニー・ルカが答え、やがて、セレーナのリボンインターフェースがとらえている音が聞こえ始めた。
『……それで? そんなもので脅してこんなところに連れ込んで。ようやく本性を現したわけね』
『ふん、僕の本性なんてお見通しだったってわけだ』
聞こえてきたのはセレーナとラウリの言葉。
穏やかじゃない単語が聞こえる。『そんなもので脅して』だって? 一体彼女に何が起こっているのか? ラウリは一体何をしているのか?
「ジーニー・ルカ、急いでセレーナの位置を検索」
『完了しました。新連合事務所の斜め向かいのホテル、301号室です』
「浦野、後で毛利たちに言って追ってきて! 場所はジーニー・ルカが知ってる」
僕は椅子を蹴飛ばすように立ち、一心不乱に駆け出す。走れば十分ほどでたどり着けるはず。
『そういうこと。それで? 話くらいは聞いてあげるわ。私はいつだって助けを呼べるわけだし』
インターフェースからセレーナの声が続いている。
エレベーターを待つのももどかしく、階段を一気に一階まで駆け下りた。
『そうだな、単刀直入に言おう。僕のものになれ』
『ロマンチックなセリフだけれど、銃で脅しながらってのは雰囲気が出ないわね』
『どうとでも言うがいい。君はどうあっても僕のものになる』
銃で脅してセレーナを?
僕は逆上するのを押さえられなかった。
それから、一瞬で頭の中で計画を組み立てる。
「ジーニー・ルカ、インターフェース検索。対象は、この町にあるブレインインターフェースだ」
『かしこまりました』
指示を出しながら僕は駆ける。
『そんなもので私の気持ちをどうにかできると思って?』
『君の気持ちにはしばらく眠っていてもらおう。そのくらいのことになら、この神経銃は十分に役に立つ』
ラウリは、神経銃をセレーナに対して構えている、ということが分かった。そんなものを一体どこに隠し持っていたのか。
『……呆れた。つまりそんなことをしようと言うのね』
『理解できたかな』
『ええ、十分。そのあと、あなたもあなたの国も亡びるってことまで含めて、ね』
その通りだ。セレーナにそんなことをして無事でいられると思うのか。
僕が走る速度を上げるのに合わせて頬を撫でる空気が風圧を上げる。
『そんなことはさせやしないさ。僕はここで君を僕のものにする。君はそのことを誰にも話せやしない』
『声を大にして訴えてやるわ』
『ジュンイチ君にもかい?』
その言葉に、セレーナばかりか、僕も声を失った。
彼女がもしそんな目に遭って。
それを僕に告げたら。
僕はどうなってしまうだろう。
想像が出来なかった。
『ジュンイチ様、検索が完了しました。二件です』
「……一件はセレーナのもの、もう一件は不明だね?」
僕はジーニーに応える。
『おっしゃるとおりです』
「では、不明インターフェースに対して、ユニバーサルプロトコル起動。迂回システムから、該当インターフェースのルートを特定」
『インターフェースの接続アドレス情報が不明のため特定できません』
「この町と、地球……いや、ストックホルム、その二点を結節点としてルートスコア情報から確定しろ」
先日ラウリが口走った町の名前をとっさに思い出して指示に付け加えた。
『かしこまりました』
『君は彼にそんなことを言えやしないだろう。そこが君の弱みさ』
ジーニー・ルカの声に重なるように、ラウリは声にいやらしい笑いを含める。
『勘違いをしてるわ、あなた。私にとってジュンイチはただの友達』
『いいや、違うね。昨日の一件から、君は、彼を遠ざけた。その理由は、僕には分かっている』
『ルート特定完了しました』
ふたたびジーニー・ルカの報告の声が割り込む。
「さっきのブレインインターフェースは見えるか?」
『はい、見えます。アドレスも確定できました』
「よし。ルートのどこかに量子ミラータップがあるはずだ、どれでもいい、侵入しろ。直感推論でパスコードを取得、報告はいらない、直接入力して管理権限を奪い取れ」
『かしこまりました、しかし、パスコード取得のための時間を下さい』
僕は自分の声が低く黒く変化していくのに気づいた。
もう頬の風圧も気にならない。
足の疲れも忘れつつある。
相変わらず、ラウリは粘っこい声で続けている。
『君が与えられた役割について、彼に知られてしまったから。彼はただの友達じゃない。君が恋すべき相手なんだ』
『……私に与えられた役割なんて、ありません』
『いいや、君は役割を負っている。君は、ジュンイチ君を恋に落とさなきゃならない。できるだけ純粋で美しい恋に、ね。君たちは、好きあう二人として結ばれなきゃならないんだ』
違う。
セレーナはそんな陰謀になんて加担していない。
僕とセレーナの知る真実こそが、真実だ。
……僕だけがそう思っているんだろうか?
分からない。
けれど、分かることが一つある。
こいつを黙らせなければならない。
こいつを止めなければならない。
『そして君は知らないだろうが、ジュンイチ君も同じ使命を帯びている。君と美しい恋をし、エミリア貴族となること』
何を言っているんだ、ラウリの奴は。
僕がそんな使命を帯びている? 荒唐無稽にもほどがある。
そんなことをセレーナが信じるものか。
たとえ僕がそんな使命を持っていたって、セレーナが僕の方になんか振り向くものか。
セレーナは宇宙で一番尊く強い王女だ。
僕の尊敬する王女だ。
僕ごときの色仕掛けなどになびくものか。
『だから僕は、もっとも汚い手段でその二人の美しい恋を汚し、台無しにしようと思う』
『言っている意味が分からないわ』
セレーナの言葉にとげが含まれつつある。
『いいや、君は分かっている。エミリアと新連合が進めている謀略』
『馬鹿げたことを言わないで』
『君がジュンイチ君を迎え入れれば、きっとジュンイチ君は次のエミリア王の父だ。新連合市民でありながらね。エミリアは新連合の強い後ろ盾を得る、新連合はエミリアに対して影響を行使できるようになる。この二つの大国が結びつけば、宇宙の覇権を握ることもたやすい。君が一番分かっているだろうに』
『私に……そんな気はありません』
そうとも、セレーナにそんな気はない。
彼女の理想の男性の条件を唯の一つも満たしていない僕を、仮に貴族たちに圧力をかけられたって受け入れるものか。
憎からず思っていた従兄弟との結婚でさえ嫌がって、百光年を逃げたセレーナ王女殿下だぞ。
だけど。
本当に国のため、民のためだったら、どうだろう。
無意味だ。
こんな思考の堂々巡りなんて、無意味だ。
こんなことを考えている場合じゃない。
『パスコード取得に時間が必要です。次の指示を予約してください』
ジーニー・ルカの声が割り込んでくる。
彼もこれが緊急事態だと理解している。そう、次々に操作を重ねていかねばならない。すべきことをすべて予約しておかねば。
それを考えている間にも、ラウリとセレーナの会話は続いている。時間が無い。
『君がそう答えるだろうことは予測どおりだし、君の嘘に塗り固められた言葉には何の意味も無いことも僕は知っているさ。僕はただ、新連合がそんな形で宇宙の覇権に乗り出すのを阻止したいだけだ』
『あなたが私の言葉をどうとらえようとご自由に。でも、新連合がどうとかなんてのは、あなたには関係のない話よ』
『いいや、大いにある。地球上の国家は宇宙の覇権には関与しないとお互いに約束している。その約束を一方的に破ろうとしているのは、新連合だ』
『で? ジュンイチがそんな陰謀に乗っているというの? 馬鹿馬鹿しい』
はねつけるセレーナは、きっと気高く毅然とした表情だ。目を瞑ればいつでもその姿を思い浮かべることが出来る。
思い浮かべるうちに本当に目を瞑っていたらしく、通行人の一人とぶつかりそうになってあわてて避ける。
『そうかい? 僕はそうは思わないね。彼の母親は外交官、しかも、かなりの高官だよ。実をいうと、僕らの自由圏にもたびたび訪れては、高圧的な脅しをして帰っていく、かなり厄介な人物でね。そんな人物の息子が、国家の陰謀に一役買うことが、そんなにおかしなことかい?』
何の勘違いをしているんだろう、ラウリは。
「ブレインインターフェースの通信データがないかな、何でもいい」
僕はようやく考えをまとめ、ジーニー・ルカに次の指示を出した。
『セレーナ王女のブレインインターフェースの圧縮ログデータが三日分、六兆ビットほどございます』
一秒でぶち込むならざっと限界の倍以上か、これなら。
「では次の操作はこうだ。そのデータの時系列を一ミリ秒ごとにランダムで入れ替えて侵入した量子ミラータップのバッファに圧縮送信後、展開」
『かしこまりました』
向こうのラウリの声は、さらに続く。
『最初こそ彼は巻き込まれた被害者だっただろう。でも、今はどうかな。もうこの件については彼は母親と十分に話し合っているだろう。因果を含められて、今は、君の心を手に入れることを作戦目標としているだろうね。君が、彼の心をつかむためにわざわざ地球の学校に転入したようにね』
『私はそんなことをするつもりはありません』
『君が言葉でどう答えようと、あの盗み聞いた密談が真実だ。君の真の目的がなんなのか、分かりきっている』
『冗談はやめて。この会話はジーニーを通じてジュンイチに共有されているのよ。すぐに助けに駆け付けるわ』
そうとも。もう僕の視界には、君がさらわれたホテルが見えている。
『……だろうと思ったよ。だからこそ、僕は、彼が来るのを待っているのさ』
『え?』
え?
セレーナの声は、僕の思考の中の声と重なった。
『たとえ僕が今、君を昏倒させて乱暴したとしても、君はそれを誰にも黙っていることが出来る。だから、僕は、彼の前で君を汚す必要がある』
『……ふざけないで』
……ふざけるな。
『ふざけてなんてないさ。君は強い。僕が何をしたって君は負けないだろう。だから、僕は、彼の心をこそ壊したいんだ。それこそが、僕に与えられた任務だ。それでエミリアと新連合の野望は潰える』
『ジュンイチ様、送信準備完了しました。次の操作は』
ふざけるな。ふざけるな。ふざけるな。
「バッファデータをリモートでビット数を十倍になるまで複製だ!」
粉々にしてやる。
「……侵入に完了してすべて終わったら、知らせろ。その次に僕が合図したら、そのデータをすべて量子ミラータップに入力。ディスティネーションはさっき特定したブレインインターフェースのアドレスコード。最大ビットレートは毎秒六十兆」
『おそらく無差別攻撃と検知され遮断されます』
「一秒だけ持ちこたえろ、できるな?」
『はい、かしこまりました』
ラウリ。
僕に、これを使わせるな。
それ以上踏み込むな。
いや。
踏み込んでみろ。
踏んでしまえ。
粉々にしてやる。
『実を言うと、これはいつでもよかった。だが、ここファレンに来て、君の本当の目的と陰謀を彼に聞かせることができた。……今が、最高のタイミングなんだ。……ちょっと出来すぎてるね』
彼の言葉に、いやらしい笑いの色が乗る。
『……だったら、残念ね。ジュンイチは、来ないわ。今のあなたの言葉を聞いたなら、なおさら。もし彼の身と私のどちらも助けられないと分かったら、私を見捨てなさいと、命じてあるもの』
『いいや、彼は来る。来るしかない。そして彼は目の前でもっとも大切なものを奪われ、砕けるんだ』
『……本当に、それはあなたの望みなの?』
お前の望みが本当にそれなら。
『……本当さ。僕ら自由圏の国々が、日々の暮らしにも困るほどの困窮した生活をしているのは、新連合のせいだ。僕らを新連合に屈服させる手段として、共通通貨クレジットを押し付けようとしている。その支配から逃れるためには、僕らはそれをはねつけ続けなければならない。そのために、宇宙からの資源の輸入はほとんどない。自由圏の国々は、その領土から得られる枯渇寸前のわずかな資源に頼って生きている。それはすべて、新連合が、宇宙の国々に取り入って宇宙に覇権を得ようとする野心のためだ。それを砕くためなら、僕は何でもする』
『じゃあ質問を変えるわ。あなたは、本当に私のことを……そんなふうにしたいと、思ってるの?』
本当だろうが嘘だろうが知ったことか。
『私は、あなたはそんな人じゃないと思ってる。楽しく過ごしたあの日々は……嘘じゃないと思ってる』
セレーナを傷つけようとするやつは。
『これはきっと……あなたの心まで壊してしまう』
そうとも、僕が壊してやる。
『うるさい! 君は何を勘違いしているんだ? 僕を聖人とでも思ってるのか? 僕が任務のためにいやいやこんなことをしているとでも思ったか? いいか、教えてやろう。僕はずっと君にそんな劣情を抱いてきた。君を僕の欲望のはけ口とし、それがついでに任務のためになる、実に結構だ。僕はジュンイチ君の目の前で君の体をたっぷり味わい、彼の心を砕く。実に心が躍るよ!』
もう、目の前には、ジーニー・ルカの示した、301号室の扉があった。
気がついたら、もう、ここにいた。
息があがっていることも、ほとんど気にならない。
『……だったら、なぜ、泣いているの?』
セレーナの最後の言葉がイヤホンから聞こえてくると同時に。
僕は目の前の扉を開いた。
鍵は開いていた。
僕が助けに来ることを知ったうえで、鍵を開けておいたのだ。
――ラウリが。
「……おしゃべりはおしまいだ。寝てろ」
その言葉は、ジーニーインターフェースからと、僕の目の前から、同時に聞こえた。
セレーナが僕の顔を認め、何かを叫ぼうと口を開く。
が、ラウリは、セレーナに向けた銃の引き金を引いた。
セレーナの体がのけぞり、そして脱力してベッドに崩れ落ちるのが見えた。
『パスコード解析完了。準備が整いました』
ジーニー・ルカの小さな報告が僕の耳だけに届く。
たっぷり十秒ほど時間をかけて、彼は振り向いた。
「……さて、ジュンイチ君、僕の話はどこまで聞いていたかな?」
「……全部だ」
「……この狡猾な王女の目的を知っても、僕を止めるのかい?」
そんなものは嘘だ。
セレーナがそんな目的で僕に近づいているなんて。
こいつの、ラウリの出まかせだ。
「……あの盗聴記録をもう一度聴くかい? 彼女の目的ははっきりしている」
「嘘だ!」
僕は今度は言葉に出して、それを否定した。
「君がどう言おうとも、事実は変えられないさ。だから、僕はやるつもりだよ。彼女を君の目の前で汚す」
そう言いながら、彼は神経銃の何かを調整した。よく見れば、それはセレーナの銃だ。どうやったものか、彼女の腰にあった護身用のそれを奪い取ったのだろう。
「意識を失わない程度に、そこに転がっていてもらおう」
そして、銃を持ち上げた。
「……どうしてそんなことをするんだ」
僕は、軽く首を振りながら、自分でもびっくりするほど弱々しい声で彼に尋ねた。
「すべて聞いていたのじゃなかったのかい? 聞いた通りだ。エミリアと新連合の野心を砕くため。そのために、王女にも君にも、完全に壊れてもらう。それとも、君は、汚された王女様を変わらずに愛せるかい?」
ラウリは、神経銃の調整ダイヤルを回し終え、肩をすくめた。
「僕らは……そんな関係じゃない」
本当だろうか。
彼がセレーナにひどいことをしようとしていると知って。
この心の中に湧き起った黒くて激しい感情は、ただの友達を傷つけようとする男に対する怒りなのか。
恋人を奪われようとする男の激情なのか。
分からない。
こんな気持ちは感じたことがないから分からない。
友情だとか恋だとか、そんなものはまったく感じない。
激しい別の感情に邪魔されて。
僕は、ただただ、恐ろしい感情を、心に抱いている。
ラウリを、殺したい。
殺したい。
殺してやる。
セレーナに、ひどいことをする奴は、みんな殺してやる。
「ふん、君は本当に馬鹿なんだね。さて、そこで見物をしているといい。多少痛むが、我慢してくれ」
ラウリが神経銃の照準を僕に定める。
「……それ以上何かしようとしたら……僕は自分を抑えられない。君にひどいことをしなくちゃならない」
声が震えた。
恐怖だった。
自分が、心から、したいと思っていることへの。
それが出来てしまう自分への。
「君の脅しは何の役にも立たない。君は丸腰で、僕は神経銃を構えている」
ラウリは余裕の笑みを浮かべている。
「ラウリ……お願いだ、やめてくれ。僕は……君を殺してしまう」
「いいとも。もとより僕の命は自由圏の本当の自由のために捧げると決めている」
彼の指が、神経銃のトリガーを引き絞るのが分かった。
僕を撃って、それから。
彼が何をするのか知っているから。
心が黒いものを次々と吐き出すのを、僕の理性は止められない。
セレーナを傷つける奴は。
殺してやる。
「君が自分の無力を思い知るのに十分に話し合えたようだ。さあ、おしゃべりはおしまいにしよう」
彼が言った瞬間――
「ジーニー・ルカ!」
僕は叫んだ。
最後の一言を。
抑えられなかった。
どす黒い衝動を。
次の刹那。
ラウリが目を見開き、神経銃が彼の手から零れ落ちた。
この世のものと思えない悲鳴が彼の口からほとばしり、ラウリは頭を抱えて倒れこんだ。
悲鳴は、きっちり一秒で途絶えた。
彼のブレインインターフェースと地球、ストックホルムのジーニー・ヴェロニカとを結んでいる結節点の一つを占拠したジーニー・ルカが、そのインターフェースを強引にこじ開け、無意味な脳神経入力を一般人の三十日分、二百五十九万二千倍の濃度で瞬時に流し込んだのだ。
駆け出した僕を追ってきた三人の足音が廊下から聞こえてきた。
そのとき、僕はただ、『ラウリだったもの』を前に呆然と立っていた。




