第五章 ファレン共和国(4)
初日は何も起こらなかった。
大使館から出てくる人は、たいていがその前に入って行った訪問者で、一度、それらしい人が出て行くのを尾行したが、近所のレストランでランチを取っているだけだった。このことがあって、ランチのお出かけにも振り回されないように工夫が必要だな、と学習することになった。
特にほかの班からも連絡は無く、ドルフィン号に戻って確認しても、それぞれ何も起こらなかった、という報告だけだった。
二日目には、ビルの駐車場から黒塗りの車が出て行って、これは大物かも知れないと息を切らせながら走って追っていったが、途中で見失った。けれど、ジーニー・ルカに検索してもらった結果、車の向かった先は郊外の宇宙港で、エミリア本国からの事務員の補充か何かを連れて帰っただけのようだった。
この日は、新連合でもロックウェルでも動きがあってちょっとした尾行劇が行われたようだったが、最終的に関係のありそうな訪問先ではなかった。
ようやくと言うか、早くもというべきか、事件が起こったのは三日目。
もはや喫茶店の常連となった僕と浦野が窓際の席に陣取って、約一時間という頃だった。
僕の情報端末が鳴り響き、周りに聞かれないようイヤホンを使って通話を受けた。
呼び出し主はラウリだった。
『ジュンイチ君、クレープが、たぶんプリンに向かってる。最初に聞いた喫茶店にいるかい?』
「ああ、いる」
小声で答える。
『到着まで十五分ほどだ。人数は二人、濃い目のスーツ姿、一人はかばん持ちのようだ。僕は後ろからついて行ってる。念のため、プリンの玄関を警戒してくれ』
「分かった」
短いやり取りが終わって、通話を切る。僕は浦野に簡潔に状況を説明する。
ラウリの言ったとおり、ほぼ十五分ほどで、彼の言った特徴の二人組が通りを歩いてきた。
そしてエミリア大使館の前でしばらく何かを待っていたかと思うと、誰かに呼び込まれて中に入っていった。後ろにいるというラウリの姿は見えない。
「入ったかい?」
突然声をかけられて振り返ると、ラウリは僕らの真後ろにいた。
「ああ、今、入った」
「よし、盗聴を仕掛けよう。ジーニー・ヴェロニカ」
最初の呼びかけの後、彼は思考だけのオーダーを彼のジーニーに送っているようだった。
「……三分後に侵入完了する。君も聴くかい?」
「もちろんだ。僕の端末を経由して音声をつないでほしい」
「いいだろう。……王女にもつなごうか?」
ここでの密談をセレーナに聞かせるべきか?
……聞かせるべきだろう。
セレーナは、すべてを正しく知っていなければならない。
僕らにできるのは、知ることと、考えること。
一人も欠けてはいけない。
僕はうなずきだけでそれを伝える。
ラウリは、セレーナに回線をつないで二言三言状況を伝え、
「……彼女も聞くそうだ」
と、セレーナの回答を僕に伝えた。
「大崎君、あたしは?」
浦野が横から。
「話を聞いてから考えさせてほしい。君たちをこれ以上深入りさせるべきかどうか、僕には自信が無い」
僕が言うと、
「君たちは聞くべきではない」
ラウリは冷酷に言葉をかぶせた。
僕の拒否だけだったら浦野はわがままを通すつもりだっただろうが、ラウリの真剣で冷酷な瞳に、彼女は体を小さくしてうつむいてしまった。
「応接室が四つ、一つが使用中だ、そこでいいね」
確認というよりは宣言のようにラウリが言う。
「……つながった」
しかしそのとき、僕は、玄関から先ほどの新連合外交官らしき二人組みが出てくるのを見てしまった。
「ラウリ、少し遅かった」
僕はそれを指差したが、
「……いいや、まだ応接室に二人。何か紙をめくる音……イヤホンに集中して」
ラウリは気にせずに盗聴を続けた。
『それで? なんだった』
イヤホンから、エミリアの外交官か大使かと思える声が聞こえてきた。
『ああ、これさ』
『毎度律儀なことだな、地球新連合も』
二人の会話のようだ。
『これがあちらさんの伝統なんだろうさ、きれいにしたためた文書にサインをしてな』
『当然、地球でも、なんだろうな』
『それからエミリアでも』
『さて地球はともかく、ロックウェルはどうだい』
『どうなんだろうな、今回のことがあってから地球の動きは速かったが、ロックウェルはまるで無視しているようだ』
『どこまで気づいていることやら』
『気づいていたって彼らに手の出しようはないさ。彼らには無関係のことだ』
『地球とロックウェルが手を組みでもしない限りはな』
低い笑い声が続く。小さな雑音が注意力を逸れさせようと僕の邪魔をするが、僕は意志の力でそれをねじ伏せた。
『こんな文書をやり取りしてぐずぐずしている間に、もう一つの計画が成就すりゃ、もうこちらのものさ』
『そうとも。王家自らがこれだけ手を打っているんだ』
やはりエミリアの、それも王家が、何かを進めている?
『だが、惜しいな。我らが王女殿下を、あんな地球の小僧にくれてやるなんて』
王女殿下? 地球の小僧? 何の話だ?
『小僧はやめておけ、仮にも大使クラスの外交官のご子息だ。こちらで言えば伯爵家御曹司だぜ』
『確かに俺ら子爵くらいの貴族にゃ見果てぬ夢、か』
『ちがいない』
『ま、あの小僧――失敬、お坊ちゃまの学校にまでねじ込んだんだから、陛下の意思も固かろう。後は二人の自由恋愛の問題だ』
王女殿下が……セレーナが、あの小僧の高校に……僕の高校に。
外交官ご子息のあの小僧とは、僕のことなのか?
『ああ、好きあう二人が結婚するだけだ。ふん、そう思っているのはあの小僧だけかもしれんがな』
『そう妬むなよ。殿下にしてみれば、どこの大貴族とでも結婚できるのに、ジユーとビョードーに縛られた地球市民が相手だなんて大変な災難なんだ、そのご心痛を想えば――』
『ああ、せめて忠実なエミリア臣民の俺となら!』
『お前を選んだって殿下の救いにはならんから心配するな』
『そりゃいくらなんでもひどい……』
そこで、ブツリと大きな音がして、回線は切れた。
「……限界のようだ」
ラウリの言葉がどこか遠くから聞こえてきた。
言葉の意味は良く分からなかった。
分かったことは一つだけ。
セレーナが転入してきた目的。
それは、僕と結婚するため。
個人の自由な恋愛の結果として。
考えてみればおかしなことはいくらでもあった。
一度出し抜かれたはずのロッソが、その後、僕に会いに行くセレーナをあっさり見過ごしたこと。
究極兵器の秘密、なんていうあやふやな理由で僕とセレーナを二人きりにするに任せたこと。
それから、この転入。
セレーナが僕を連れて家出している間に、すっかり陰謀のプランは練りあがっていたんだ。
では、何のため?
彼らの言葉をその通りにとらえるなら、僕の身分はエミリアで言えば伯爵家ご子息レベルだそうだ。
貴族による支配というシステムに浸かりきった彼らが、『王家に伯爵家子息を迎えることで地球との間に何らかの便宜を』と考えても不思議はない。
そう考えれば、陛下の異常なほどに受容的な態度は、今さらながら、腑に落ちる。
この陰謀に、新連合は、どこまで噛んでいるのだろう。
何も噛んでいないとは思えない。
地球市民の僕を送り込んで影響力を行使したいと考えてのことかもしれない。同時にエミリアは最大消費地地球という強力な後ろ盾を得る。
あらゆることにつじつまが合いすぎる。
まるで最初から準備していたかのように。
最初から。
セレーナが、地球のやり手外交官オオサキ・アヤコの息子に偶然ぶつかりそうになったことまで、準備されていたことなのか。
違う。
そんなことは絶対にない。
そんな疑いはすっかり消えた。
……と思っているのは僕だけなのか。
これこそが真実だと何度も確認したことが、また僕の中で揺らいでいる。
「……にがあったの、大崎君! おかしいよ、何があったのよう」
浦野に揺さぶられて、ようやく現実の音が聞こえ始めてきた。
「……ジュンイチ君はちょっと具合が良くないみたいだ。今日はいったん引き上げよう。相談しなきゃならないことも出来た」
ラウリの声。
僕は彼に引き起こされ、彼に会計を済ませてもらって喫茶店を後にした。




