第五章 ファレン共和国(3)
パネルに映し出した官庁街の地図を見ながら、六人は顔を突き合わせている。
「さて、これからどうするか、だが」
口火を切ったのはラウリだ。
「僕には、盗聴のためのちょっとした手段がある。だが、僕一人が盗聴できるのは一か所だけだ。これは僕のジーニー・ヴェロニカを使った手段だから、君たちに分けてあげることもできない。残念ながら、この星でスパイをするための武器は唯一これだけだ」
彼は簡潔に彼の持つ手段について説明した。
「だったら、セレーナさんのジーニーでも同じことができるのではないですか?」
マービンが言うと、
「それは無理だろう。ジーニー・ヴェロニカは諜報のための特別製だから。もちろんストックホルムにはまだ同じようなジーニーがいくつかあるが、君たちに使ってもらうわけにはいかない」
「つまり、狙いを定めなきゃならないってわけね」
セレーナが横から。続けて、
「だったら、新連合の事務所を重点的に調べるのが良いと思うわ。結局、ラウリの気になっているのは新連合なんでしょう。新連合がかかわってさえいなければ疑いは晴れる。エミリアやロックウェルがどんな陰謀を持っていたって関係のない話のはずよ」
「私はまた違うことを考えていますね」
セレーナの言葉に、マービンが返す。
「今回の陰謀、もしそれがあれば、ですが、それは、エミリアと地球の間のことです。逆に言えば、その動向に一番注意を払っているのはロックウェルではないでしょうか。つまり、ロックウェルはこの情報を積極的に集めるモチベーションがあり、加えて、ロックウェルの事務所でなら、集めた情報を不用意に口に出す人間が期待できます」
なるほど、マービンの言うことももっともだ。成績はさほど良くないくせに、妙に頭のまわるやつ。
「……かと言って、エミリアも放っておけない」
僕が言うと、セレーナが鋭く僕をにらんだような気がしたが、気にしないことにした。
「惑星カロルの件でこの国に積極的に干渉している、という意味で、エミリアはすでに黒なんだ。新連合が無実なら何もしゃべらないだけかもしれない。ロックウェルが嗅ぎつけているという保証も無い。何かを見つけることができる可能性で言ったら、エミリアが一番高いと……思う」
さすがにセレーナの顔が曇ったような気がして、最後はトーンが落ちてしまう。
「要するに三者三様に見張るべき理由を持つわけだ。こんなことならもう一人か二人、応援を連れてくるんだった。セレーナさんのジーニー・ルカにあんな力があるなんて知っていたらね」
ラウリは首を横に振りながら言った。
「さてジュンイチ君、ここに来ようと言い出したのは君だ。君が決めるべきだ」
彼が言うと、全員の視線が僕に集中する。
たぶん、そうなんだと思う。
最初はもちろん何も考えていなかった。
たぶん、ここに来れば、何か思いつくかもしれない、という甘い考えがあったと思う。
だが、結局何も思いつかなかった。
正直に言うと、ラウリとのあの会話からこちら、頭にもやがかかったように、冴えなかった。
明確な敵が見えればよかった。
だけど僕は、その仮想敵を誰にすべきか決められずにいた。
新連合か、エミリアか、ロックウェルか。……ラウリか。
正直に言うと、この場でラウリを縛り上げて、こいつは大ぼら吹きのスパイでこいつの言ったことは全部嘘だと宣言してこの活動をおしまいにしたかった。
けれど。
セレーナも認めたエミリアの陰謀。
不自然なセレーナの転入。
考えれば考えるほど、怪しいとしか思えない。
だから何も決められずに、僕はただ時間を無駄にしていることしかできないのだ。
「あのう、だったら、手分けすればいいんじゃないのう?」
考えに没頭しているところに突然浦野の声が飛び込んできた。
「手分け? でも盗聴できるのは一か所だって――」
「盗聴しなきゃだめなの? たとえば、大使館だか事務所だかの前で見張ってて、出入りする人を尾行したりとか、ドラマじゃよく見るじゃないのう」
「……いいじゃないか、トモミさん。幸い僕らは六人いる。二人一組でそれぞれの国の事務所を見張る。出入りする人があったら一人が尾行して一人が連絡役で残る。もしその行先が、たとえばお互いの国だったり、あるいはファレン共和国の外交部門だったりした場合は、貴重な話が聞ける可能性が高い。その瞬間を狙って盗聴を仕掛ける。実に簡単なことだ」
ラウリがほめるように賛同すると、いやあそれほどでもあるけどう、と浦野は照れ笑いした。
「ただ、あらかじめ言っておくが、盗聴ができるのは数分が限界だ。ジーニーの力で他国のインターフェースをこじ開けていられるのはこの程度なんだ。貴重なチャンスを逃さないように、各自注意してほしい」
残る五人は神妙な顔でうなずいた。
「さて、じゃあチーム分けね。私は、最初に言っちゃったから、新連合を張るわ」
「では私はロックウェルと言うことですね」
セレーナのチーム分けの提案に、マービンは早々と立場を明らかにした。
「そうすると、僕はエミリアということか」
僕は渋々とその案に乗る。
「だったらあたしもエミリアにするよ。もうさ、めんどうだから、スプリングフェスティバルの班分けにしちゃいましょうよう」
浦野が言うと、
「あー、それなら悩まなくていいか。正直、お前らの話よく分かんなくてさ」
ようやく毛利が口を開いた。
そういうわけで、クレープ班は新連合事務所、パスタ班はロックウェル事務所、プリン班はエミリア大使館、という担当にその瞬間に決定した。
「だったら、暗号と言うか、符丁は、それぞれ、クレープ、パスタ、プリンということにしておこうか。僕らが盗聴された時のことを僕は気にしていたが、ま、こんな単純な符丁なら逆に当面は心配いらないだろうし。これなら、君たちみんなが持っている情報端末で普通に連絡を取り合っても構うまい」
ラウリが通信方法についてまとめ、いよいよ、僕らの諜報活動の形は整ってきた。
その後、さらに細かいことを決めていった。
僕らはそれぞれの担当の建物の前でそこを見張ることができる場所を各々探し、ただ出入りを見張る。
時間は、事務員の出勤時間が終わる午前十時ごろから、退勤が始まる午後四時くらいまで。それ以降に尾行して事務員の自宅を突き止めても何の益もない。
午後五時には一旦船に集合し、その日の行動についておさらいをする。
お互いの大使や事務員の情報を交換して、情報の精度を上げていくのだ。
何日間になるか分からないが、ともかく、マービンがごまかし続けられる二週間をめどに、ということにした。
事務所や大使館でおかしな会話が行われなければ終わりがないのは確かなんだけど、結局、そこが僕ら高校生の限界だろう、と、僕もそれには反対しなかった。その次は、ジーニー・ルカの力を使って、もう少し応援を連れてくる、そんなことも選択肢に入れておくことにする。あまり自由圏の力には頼りたくないんだけれど。
とりあえず初日は、旅行気分を味わうのを先にしておこう、と、ファレンのおいしい地元料理を味わうために六人で街に出て、ちょっと有名なレストランで小さなパーティを開いた。
***
船で宿泊し、翌朝、六人は、三つの班に分かれて行動を開始した。
初日は、まずは場所探しが必要だろうから、少し早目の行動だ。
朝の八時にもならぬくらいの時間から出発し、船から歩いて十五分ほどのところのエミリア大使館の前に、僕と浦野はいた。
エミリア大使館は、ちょっとしたオフィスビルかホテルのような風体だった。
莫大な投資をして影響力を行使する、と言うから、どれだけ広い敷地と立派な建物だろうと期待していただけに拍子抜けだった。
「さて、それで、僕らが潜入する場所を探すわけだけど」
「寒かったらどうしようかと思ってたけど、なんだかあったかいよねえ。これなら屋外でもいいねえ」
浦野は、どうやら地球にいたころの季節をまだ引きずっているみたいだ。なんだかそんな間の抜けた浦野の態度が、僕の悩みが実につまらないもののように感じさせてくれて、自分でもわかるくらいに口元が緩んでいた。
「なによう、大崎君、なんだか楽しそう」
「いや、そうじゃないさ、ほかの惑星にまで来て、地球のごく一部の地域の季節を引きずってるんだなあなんて思ってね」
「あー、馬鹿にしてるう。あたしは宇宙旅行なんて初めてなのにい」
「ごめんごめん。それにしても、ここは本当に普通の通りだなあ。公園でもあればと思ったんだけど」
僕は浦野のふくれっ面を横目に、通りのあちらからこちらまでを見渡した。
「あたしはプリンが近くにあればいいわよう? ほら、あそこの四階に喫茶店があるじゃないのう。プリンくらい出すんじゃない?」
浦野が指差した先は、通りの真向かいの四階に出ている喫茶店の看板。
こんな時にまでプリンのことばかり……、喫茶店?
なんだ、それで良いじゃないか。
「ふふっ、浦野、それでいいよ、あの喫茶店からならこの出入り口も見えそうだ。早めに行って、窓際の席をとっちゃおう」
僕が言うと、
「……あっ。あ、そうよう? 最初からそのつもりで言ったんだから」
明らかに今気づきましたという顔をしながら、したり顔で言い返す浦野だった。
通りを渡ってそのいくつかの飲食店の入ったビルのエレベータに乗り、喫茶店のあるフロアへ歩を進める。
早朝から営業の喫茶店は通り側の一角を占めていて、浦野と二人ですぐに窓際の席に着くことができた。
そこから見下ろすと、確かに、エミリア大使館のちょっと豪華な玄関からの出入りが一望できた。
まだ出勤時間のようで、事務員のような人たちが次々にその玄関に吸い込まれていく。
「浦野、ちょっと相談」
「なあに?」
「君は人の顔を覚えるのって得意だったかな」
「あんまり得意じゃないけど……どうして?」
「いや……あそこは大使館だからさ、本当の大使とか重要事に関わる事務員は中に住んでいるんじゃないかと思って。だから、今入っていく人たちが出かける分には無視してもいいかと思ったんだ」
僕は注文したカフェオレが届いたのでそれに手を伸ばしながら言った。
「相変わらず頭が良いねえ、大崎君は。出来るだけ覚えておくように頑張る」
間もなく浦野にもホットティーが届く。
浦野は一度手に取ってすすり、それから渋い顔をして、砂糖とミルクを放り込んでかき混ぜる。
「でも悪かったね、あの時以来、君をこんなことに巻き込んで」
「違うわよう、今回は、あたしが連れてかないとばらすぞって脅して連れてきてもらったんだよう。巻き込まれたんじゃないから……」
「うん、だけど……」
「言いっこなし! あたしはさ、セレーナさんと……大崎君の、役に立ちたいと思ったの。だって……もしかすると何かあって、もう帰ってこないんじゃないかって思って……」
「確かに……今回のことでもし……そうだな、ラウリの言うような陰謀があったとしたら、セレーナは、自分で地球に帰らないことを選んでしまうかもしれない」
「そうじゃないよう……あたしの心配は、大崎君なの……よう」
この僕のこと?
いくらなんでもそれは明後日方向の心配と言うものだ。
「この前の誘拐の時に分かった。大崎君はとても優しいのに、とても強くて。あまりに強すぎて、どんどん遠くに飛んでっちゃいそうで。そんな形で……その……大切な友達を失くしたくないのよう。もちろんセレーナさんもそうだけれど……」
「……そうか、浦野にそんな風に見えていたなんて、思ってもいなかった。大丈夫、僕はちゃんと帰る」
僕が帰ってこられない場所に飛んでいくなんて。浦野も随分とぶっ飛んだ妄想をするもんだな。
「うん。何かあったら、首に縄かけてでも連れて帰るつもりで、だから、脅してでもついて来ようと思ったのよう?」
「それを言ったら、セレーナは僕の何千倍も強い。その上、僕の何百万倍も一人で背負いこもうとする。だから、浦野、セレーナのことを……僕なんかのことよりも、セレーナのことを、お願いしたい。男の僕よりも女の君の方が分かり合える部分もあるんじゃないかと思う」
「大崎君がそう言うなら……分かった。でも、セレーナさんと本当に分かり合えてるのは大崎君だと思うよう?」
そんなことはない。
セレーナは、いつも、僕をかばおうとして一人ですべてを背負いこもうとしてきた。
僕は最後の最後までいつもそれに気づいてあげられず、セレーナだけにつらい思いをさせてきた。
きっと、根本的に男と女だから分かり合えない、そんなこともあるのかもしれない。
もちろん、王女と高校生っていう身分の違いは大きいんだけど。せめて性別が一緒なら。
そんなことを思いながら、カフェオレをすする。そう言えば、エミリアのエスプレッソはひどい苦さだった。だけど、もう一度味わってみたいな、なんてことを思う。そんな日が来るだろうか。
カランカラン、と入り口のベルが鳴り、来客を告げるのが聞こえる。静かな音楽が時間の流れをゆっくりにしているようだ。
「あー、でも、プリンがあってよかった」
浦野が再びにこにこ顔で言った。
え、まさか。
ここにプリンがあったら無限プリン地獄だぞ。
そう思ってメニューを見る。
「……浦野、勘違いしているところ悪いけど、この喫茶店、プリンは出さないみたいだよ」
僕が指摘すると、浦野はぶんぶんと首を横に振った。
「この世にプリンがあってよかった、ってことよう。大崎君とあたしはプリンだけのつながりだけど、プリンがこの世に無かったら、大崎君と友達になることもなかったんだなあ、なんて思って」
思えば、学校の購買で最後に残った一個のプリンを購買のおばさんに押し売りされたことが発端だった。押しに弱い僕がそれをつい買ってしまい、たまには甘いものでも食べようか、と観念しながら振り向いたとき、泣きそうな顔の浦野と目が合ったのが最初だった。
……あんなつまらないことを覚えているなんて。もちろん、僕も、あの時の泣きそうな浦野の顔を覚えているから、今でもことあるごとにプリンをご馳走する羽目になっているわけだけれど。
「相変わらず、大げさだな。同じクラスなんだから」
「それでも、よう。そのおかげで、セレーナさんみたいな素敵な人とも巡り合えて……だから、あたしは誰一人いなくならないでほしい」
「……ラウリも?」
僕はあえて聞いてみた。
「うん、そうねえ。でも、ちょっとラウリさんは、違うかも。他所の国のスパイだって分かっちゃったからってのもあるけど。あたしは、ラウリさんといてもあまり楽しくないなあ」
浦野がこんな風に人を選り好みするなんて珍しいことだと思う。
僕がいろいろな意味で彼を不快に思っていることと、浦野が単純に彼を感情的に好きになれないと言うこととが重なっていること、なぜか僕はちょっとうれしく感じてしまった。
「念のため、だけど、もし彼が変なことをしてたら教えて。僕は、彼は味方じゃないと思ってるから」
「分かってるわよーう。大崎君たら、ライバル心むき出しなんだもん」
「そ、そんなだったかな」
そんなに僕の態度に出ていたなんて、とさすがにばつが悪いが、浦野は、いつものように間延びした笑い声で、あたしもラウリさんきらーい、なんてことを言って僕の気負いを吹き飛ばしてくれるのだった。




