第五章 ファレン共和国(1)
■第五章 ファレン共和国
その夜、ドルフィン号を直接マービン邸に呼んで、六人を乗せることになった。
どれだけの日程になるかわからないので、それぞれ、一度家に寄って荷物をまとめてくることにした。
浦野などは最後まで信用しないらしく、セレーナを部屋にまで連れ込んで僕らの逃亡を阻止する念の入れようだった。
全員の準備が整うと、セレーナの命令で、ドルフィン号は一息で宇宙に飛び出していた。
そのあまりの速さに目を回しながらも、浦野、毛利、マービンのはしゃぎようは大変なものだった。無重力に慣れないだろう四人のために、少しだけ重力のある低軌道にとどまり、徐々に慣らしていこうとしたのだが、それがいけなかったか、船内を駆けずり回って大変な騒ぎだ。
操縦席には本来は二席しかないが、補助席を使って残り四人の席を作ってある。
が、宇宙に出たときにはみんな窓際に駆け付けていた。
「……うわあ」
としか声を出さない浦野。
「何か勢いで来ちまったけど……実はやばいよな、これ」
と今更ながら声を震わす毛利。
「まさか一生のうちに宇宙に飛び出せる日が来るとは思いませんでしたよ」
と相変わらず落ち着いたマービン。
ラウリは、窓から眺める光景に絶句しているようだったが、そこは、やっぱり世間の酸いも甘いも知るはずのスパイ業だ、こんなところで歓声を上げて僕ら高校生になめられちゃたまらないだろう。何も言わず、ただ見ているだけだった。
「さて、ジーニー・ルカ、久しぶり。いきなりで悪いんだけど、搭乗者の、ラウリ・ラウティオの身分を偽りたい」
僕は早速、ルカに話しかけた。
セレーナが、そんな僕をちらりと見て、なにか含み笑いのようなものを浮かべている。あれか、ジーニー理論のお勉強の成果を見せてみろ、ってことか。
「お久しぶりです、ジュンイチ様。良い方法がございます」
「君が思いついたのかい? 面白い、聞かせて」
相変わらず、ジーニー・ルカは不思議な進化を続けている。具体的なオーダーをする前に、何もないところから何かを取り出そうとしているのだ。
「彼のIDは、自由圏連盟が完全に架空の人間を0歳から仮想新連合国世界コペンハーゲンで育て上げたものと推定されます。その仮想世界での環境と経歴を操作して別人物化することができます」
「できます、って、そのシステムにどうやってアクセスするんだい」
「しばらくお待ちください」
ジーニー・ルカが珍しいことを言った。
どんなことにも必ず即答するのに。
「セレーナ、彼はこんなことを言うジーニーだったかな」
隣に座るセレーナに思わず尋ねた。
「どうかしら、前よりも随分、勝手なことをするようになった気はするけれど」
それから僕を見て、
「ジュンイチ、どうも、あなたの教育らしいわよ、これは」
「そんな馬鹿な、僕はまだジーニーに関しては入門書レベルなのに」
僕がため息をついたのとほぼ同時に、ジーニー・ルカの回答があった。
「直感演算により、システムパスコードを入手しました。申し上げますので、お手元に書き留めてください。次に、そのシステムパスコードを告げていただき、情報の書き換えをご命令ください」
それに続けて、ジーニーは英数字十二文字を読み上げた。僕はあわてて自分の端末を開いて入力する。セレーナも同じようにしていたようで、お互いに付きあわせて間違いがないことを確認する。
「ジーニー・ルカ、君は何をやったんだ。直感でパスコードなんて分かるものなのか」
「人の考えるどのようなパスコードでも周囲の何らかの影響を受けています。状況の幾何学的パターンマッチングにより直感演算が可能です」
もはや何を言っているのやら、だ。
何を言いたいのかは分かる。
分かるんだけど、釈然としない。
パスコードが環境要因から推測可能?
馬鹿げている。
と思うのだけれど、ともかく、その入手したパスコードを使って仮想世界に入場し、適当な経歴を創作しながらラウリ・ラウティオの情報の書き換えするよう命じた。
どうせ通らないだろうと思っていたパスコードはあっさりと僕らをシステム内に導きいれ、その自由な書き換えを許可した。
そして、ラウリ・ラウティオは、ラウリ・マービンという、マービン洋二郎の従兄の身分になっていた。
「ラウリ様、失礼ながら、ラウリ様は私生児として出生の後、孤児となり施設に預けられ、四組の里親の間を渡り歩いたことになっています。このため、よほど注意深く調べない限り最初の架空出生情報までたどり着くことはございません」
と、ジーニー・ルカは最後にラウリにあっさりと告げた。
「……君たちは何者だ?」
ラウリがつぶやくように問いを発した。
「見ての通り、ちょっと天才的なジーニー使いのただの高校生、ってことみたいよ」
セレーナが答える。
「……違う、ありえない。こんなことはジーニーには不可能だ」
「うん、僕もそう思うんだけどね、どうやらセレーナのジーニー、ジーニー・ルカだけは、ちょっと違うみたいなんだ。僕が天才ってわけじゃなく、彼が少し異常なんだよ」
僕の説明にも、ラウリは黙って首を横に振っただけだった。
「ラウリ、君だってジーニーなんて見たことないだろう? 僕だってまさかこんなことができるものだなんて想像もしなかったけど、教科書で見るのと実物を見るのはまた別、ってことさ」
「そうじゃない、僕は……」
彼はそう言って、それから、一度も外しているのを見たことのないバンダナを外した。
それを僕の手に乗せる。
それは、布でできているにしてはあまりに重い質量の抵抗を感じさせた。
そう、ちょうど、セレーナの白い花のリボンと同じように。
――まさか。
「……気が付いたようだね。それはブレインインターフェースの外部無線機。僕はブレインインターフェースを持っている。もちろん、僕のジーニー、ジーニー・ヴェロニカとつながっている」
一度も外さなかったバンダナ、彼が似合わないそれを着け続けていた理由は、それが彼にとって欠くべからざるものだったから、だった。
「だから、ジーニーにそんなことができないことは、僕が一番よく知っているんだ。セレーナさん、どうだい、ジュンイチ君が操作するようになる前は、こんなことができたかい?」
「もちろんできないわ。だから、ジュンイチは天才だって言ってるの。彼の言葉には魔力があるのよ」
ジーニーの入門書をようやく読み終えた程度の僕に?
あまりに馬鹿馬鹿しくて、否定するのも忘れて僕はただため息をついた。
セレーナのその僕に対する過信がいつか災いを招かないか、という心配の混じったため息。
「……魔力か。確かに彼のオーダーの言葉には何も特別なものは無いように思う。魔力としか表現できなさそうだ」
僕の手からバンダナを取り返しながらラウリは再びつぶやいた。
「そうじゃないんだ。ジーニー・ルカは、どうも、直感選択のポテンシャルを操作できるようになっているらしい。それは全部、セレーナの無茶苦茶な教育のおかげみたいで」
「私が無茶苦茶ですって?」
「そうじゃないか、ジーニー・ルカにありとあらゆる悪事を教え込んたのは君だろう。僕はそのせいだと思ってるよ」
「ふふっ、セレーナさん、天才の彼が言うなら、そうに違いないだろう。君の自由で型破りな生き方が、ジーニー・ルカにおかしな力を与えたんだ」
ラウリが言うと。
「私は自由なんかじゃ……ないわ」
セレーナは微笑みを浮かべながらも寂しそうに言った。
「いいや、君の心は自由だ。いろいろなものに縛られていても……それを突き破る勇気を持っている。僕に無いそれを、ね」
ふん、君がセレーナの何を知っているもんか。
セレーナの本当の勇気と強さを見たことも無いくせに。
こうやって女受けしそうなきざったらしいセリフをどれだけ口説き文句の引き出しに準備してるんだろうな、この色男は。
なんだかラウリとセレーナが見つめあっているのが気に食わなくてふと顔を逸らすと、そこになんだか目をキラキラさせた浦野の顔があった。
また何やら口パクで僕にサインを送っているが、何を言っているのか分からない。
とりあえずの用は済んだみたいだから、時間も遅いし僕はもう寝る、と宣言して、僕はいつものキャビンに引っ込んだ。だから彼らがそのあとどんな会話を交わしたのかは知らない。




