第四章 バルコニーの密談(3)
いつの間にか、ホールとバルコニーを仕切るガラス戸が人一人が通れるくらい、開いていた。
その脇に立っていたのは、声の主、ラウリ。
「僕のことを警戒しているのは分かっていたし、そうされるような行動をとったことも認めよう。だけど、まさかこんなに早く、自由圏っていう答えを導き出すとは思わなかったね。もう少し、正体不明のままでかき回したかったんだけど」
彼は歩いてきて、僕と同じように手すりにもたれた。
「僕のことは、新連合もエミリアも、当然怪しんでる。だから、彼らの出方を見たかった。それにしても、君たち二人が賢すぎるのが問題だったね」
「ラウリ……やっぱり君は」
「陳腐な言葉で言えば、スパイさ。分かるだろう、僕らが、どれだけ慌てふためいているか」
「君たちが慌てふためいている? 意味が分からないな」
僕の言葉にはどうしてもとげが含まれてしまう。このスパイ野郎がセレーナに親しげに近づいていたなんて。
「……私には、分かる気がするわ」
しかし、セレーナは違うようだった。
「突然エミリアの王女が、地球の市民に紛れ込んでお勉強、でしょう? しかもそれが、超重要人物、オオサキ・ジュンイチの通う学校なんだから……エミリアと新連合の間にどんな密約があったのか、そういうことでしょう」
「さすがはセレーナさん、その通りだよ。何らかの交換条件があって王女を人質として送り込んだのかもしれない。あるいは、ジュンイチ君の身柄を王女の管理下に置こうというたくらみかもしれない。この事件を知って、自由圏連盟は蜂の巣をつついたような大騒ぎだよ。きっとそれは、ロックウェルも同じだろう」
ラウリは言い終わると、バルコニーの外側に体を向け、両腕を組んでもたれかかった。僕らの、いや、僕の理解を、待っているのだろう。
僕にも、今回の事件の胡散臭さが飲み込めてきた。
そういうことか。
地球新連合がエミリアと何らかの形で結びつくことは、それに対抗する自由圏としてはとても都合が悪い。
同じように、エミリアが地球の後ろ盾を得ることは、それに対抗するロックウェルにとっても非常に都合が悪い。
僕の学校にセレーナが来たということは、あらゆる憶測を呼ぶことなのだ。
そんなことは、いくらなんでもエミリアの政治家たちにも分かっていることだろうに、どうしてこんな無茶をしたのだろう。単なるセレーナの社会勉強という程度の動機で。
「……セレーナ、ごめん、僕には政治のことはよく分からない。だけど、やっぱり君がここに来たことは不自然すぎる。君に裏の目的があるのなら、僕に話してほしい。……僕らの友情にかけて」
しかし、その僕の問いかけに対するセレーナの返事は、首を横に振ることだった。
「本当に分からないのよ。ラウリの言うとおり、私はただの人質かもしれない」
セレーナが言うと、ラウリが横でため息をついた。
「僕が君の行動からそれを探ろうとしてもそれは出てこなかった。もしかすると君自身それを知らされていないのではないかという疑いも出てきた。だから、実を言うと、いずれ正体を明かして協力をしてもらおうとも思っていたのさ」
「予定通りの展開ってわけか」
「そう、そして、これは、君たち二人のためでもある」
「僕らの?」
スパイだと自称する彼の言葉がどのくらい信用できるだろうか。
彼は、暗闇に向けて、言葉を継ぐ。
「君たちは何も知らない。まず、この仮定を真として話をしよう。であれば、君たちの知らない陰謀が、エミリアと新連合の間で進んでいるということだ。もしだよ、新連合が、エミリアの後ろ盾になってロックウェルと対立する、そんな話だったら。ロックウェルはもちろん、軍事的な圧力を強めるだろう。宇宙貿易の航路の大半を押さえているロックウェルが、その航路を軍事的に締め付け始めたら、地球もエミリアもただじゃあすまない。もちろん、この件にかかわった、セレーナさん、それからジュンイチ君、二人とも、ね。知らぬうちに陰謀の炎に焼き殺されてしまうだろう。ロックウェルにとって君たち二人はとても厄介な存在になるはずだ」
「それはまだ分からないだろう」
「分からないさ、だから僕がこうして君たちに近づいた。自由圏はまだ中立だ。エミリアとロックウェルの対立に関しては、ね。しかし、もし新連合がエミリアにつくというのなら、話は別だ。自由圏は確実にロックウェルにつく。宇宙の軍事バランスの変化に、ほかの中立国も、どちらかに組するようになるかもしれない。宇宙を二分する軍事対立だ。このどこから戦火が燃え始めてもおかしくない」
言いながら、ラウリは遠くに目を向けた。
「理解してほしい。君たち二人が友情を深めることが、宇宙の対立を深めることにつながるかもしれないということを。自由圏はそれを恐れて、僕をここに送り込んだ」
「……馬鹿なことを言わないで。エミリアはたとえロックウェルとの対立が避けられないとしても新連合に頼ろうなどとは思いません」
セレーナは腰に手を当てて毅然と言い放った。
「だが、エミリアの貴族たちが王女一人の戯言をねじ伏せるだけの力を持っていることも、僕は知っている」
ラウリが目線を暗い地平線に向けたまま冷たく返す。
それは僕も知っている。
エミリアの怪物たち、とりわけ、あのロッソ摂政の持つ権力に対して、セレーナはあまりに無力だということを。
「セレーナさん、君が送り込まれた理由を知らなければならない。そして、エミリアと新連合の関係を、あるいは関係が無いことを知らなければならない。それが証明できない限り、いつかはバランスが崩れる」
彼の言うことは分かる。
しかし、元はエミリアとロックウェルの一時的な対立だ。
エミリアに野心を持ったロックウェルがセレーナの身柄を不当に拘束して介入を試みたことが原因だ。
だったら、宇宙のどの国も、エミリアを支持する。
新連合だって、同じだ。
今は、ロックウェルの無体な野心を糾弾すべきときなんじゃないのか。
宇宙が束になっても勝てないほど、やはりロックウェルは強いということか? そんな無茶を押し通すほどに?
「ラウリ、やっぱり僕には分からないよ。どうして自由圏は、ロックウェル支持に回るんだ。いくら新連合への反目があるにしても、前回の件は、ロックウェルの不法な侵略が原因だよ。そんな不法行為を支持する理屈が無いじゃないか」
僕は体を半分だけラウリのほうにひねった。
ラウリもそれに気づいて、顔を僕のほうに向けた。
僕の顔を少し見つめ、それから、バルコニーの真ん中に立つセレーナに視線を送る。
「セレーナさん、君もなかなかの役者じゃないか。親友のジュンイチ君にあんな大切なことを隠しているなんて」
言われたセレーナは、うつむいて黙っている。
「君が言えないのなら僕が説明しようか」
「いいえ、待って。私が説明します」
セレーナはラウリの次の言葉をさえぎった。
「ジュンイチ……これは本当に説明を忘れていただけなの。隠すつもりはなくて……信じて」
僕は首肯で応える。
「……カロルという惑星があるの。その星は……もしかすると、エミリアと同じように、マジック鉱を産出するかもしれないという惑星。聞いたことがないかしら、エミリアのマジック鉱は、惑星形成時の近隣の超新星爆発の影響かもしれない、って」
確かに、それは僕の知識の引き出しにきちんと入っている。
「マジック鉱形成のその仮説が知れてから、その原因となったであろう超新星爆発のときに、エミリアと、同じ距離、同じ形成段階、同じ質量、同じ成分を持っていた星が、血眼になって探されたわ。そして、たった一つ見つかったのが、カロルという惑星。まだ人は住んでいないし、探査用の軌道基地以上のものは存在しない星なんだけど」
「見つかってから二十年以上もその状態なのさ」
ラウリが横から口を出す。
セレーナが不満げにため息をつく。
「ラウリ、ちゃんと私から説明します。……なぜそんな状態なのか。それは、その星の利権をめぐって、ロックウェルとエミリアが対立しているから。実はその星は、辺境の独立国、ファレン共和国に属しているんだけれど、その国にエミリアがちょっかいを出しているのよ。有り余る財力を背景にね。エミリアは、マジック鉱の独占が崩れることが受け入れられない。だから、ファレン共和国に圧力をかけて、カロルへの道を閉ざし続けてきた。開発を進めたいロックウェルと、道を閉ざしたいエミリアの対立。それが事実よ」
セレーナは、うつむいたまま首を横に振った。
「ばかげてるとは思うの。だけど、エミリアの国を支えているのはマジック鉱だから。私の贅沢な生活を支えているものも全部、マジック鉱だから。その生活を享受しておいて、そんな対立はやめて仲良くしろなんて、どの口が言えると思う? 私は、黙っているしかないの」
今にも泣き出しそうにうなだれるセレーナ。
エミリアがそんな事情を抱えているなんて、初めて聞くことだった。
この話だけを聞けば、どう考えても、悪者はエミリアだ。
人類共通の貴重な資源の開発を力づくで妨げる独裁国家エミリア。
僕の知るエミリアのイメージと、まるで逆だった。
「セレーナさん、理想論は置いておこう」
重い沈黙を、ラウリが破った。
「僕は、自由圏は、エミリアとロックウェルの対立に興味は無いんだ。ただ、エミリアの独占構造に新連合が組することでバランスが崩れることだけを恐れている。さあ、顔を上げて。エミリアのやっていることは、君にとって恥ずかしいことかもしれないが、国と民を守るためには必要なことじゃないか。君たち王族は誰のためにあるんだ?」
「……民よ」
セレーナは顔を上げた。頬に何かが伝った跡が見えた。
「そうさ、民を守るため。君たちは、受けずとも良いそしりを受けながらも、必死で国の利益を守っている。セレーナさん、僕は、それは恥ずべきことだと思わない」
セレーナは、小さくうなずいた。
それに比べて、まだショックから立ち直れないのは、僕だった。
もちろん、セレーナが意図的に隠していたわけではないということは信じる。
だけど、ロックウェルとの対立には、ある意味で、エミリア側にこそ根本原因があるということなのだ。
母さんは、きっと知っている。だから、エミリアにかかわるな、と、何度も僕に釘を刺したんだ。
こんなことも知ろうとしないで、セレーナとの友情ごっこに興じていた。
この感情を表現する言葉が見つからない。恥ずかしい、悔しい、そんな気持ちが心の中にあふれかえっている。
「ありがとう、ラウリ」
セレーナの言葉を、僕はぼうっと聞いているだけだった。
無力だと言うのなら、この場にいるこの僕こそ、一番無力じゃないか。
セレーナがそんな苦悩を抱えていたなんてまるで知らずに。
慰める言葉さえ思いつかず。




