第四章 バルコニーの密談(2)
ちょっと騒ぎすぎてしまったし、この部屋も暖房がよく効いているものだから、確かに僕も夜風にでも当たりたい気分だった。
バルコニーの戸を押して出ると、さすがに真冬の風は冷たいが、熱を帯びた僕の顔にはちょうどいい冷たさだった。
セレーナはすぐに僕に気が付いた。
僕は彼女のそばに歩み寄って、彼女と同じように、手すりに背で寄りかかった。
「ちょっと暖房が効きすぎてるね」
僕が言うと、
「そうね」
と短く答えるセレーナ。
そして数瞬の沈黙。
「今日はその……楽しかったよ。お店も。君との対決も」
僕が改めて口を開く。
「結局プリンは完売したんでしょう? 大したものよ」
「美男美女のそろったクレープ屋には遠く及ばないけど」
セレーナはそれには鼻で軽く笑うだけで応じた。
「さてその美男の話なんだ」
僕はさっきふと思い出したことを話そうと思った。
それは、ラウリのこと。
彼のことを怪しいと思っていた気持ちが、いつの間にかよくわからないライバル心というか妬みみたいなものに挿げ替えられていて。
お祭りがすっかり終わって、やっぱり彼のことが気になり始めたのだ。
フェスティバルが終わり、そして、セレーナとラウリは、クレープ班の二人のリーダーという立場から、ただのクラスメイトに戻る。そのとき、セレーナは、彼とどんな風な関係を持っていくつもりなんだろう、と。
「君は、ラウリのことをどう思ってる?」
「どうって? なーに、私が彼と同じ班でべたべたしてたからってやきもちでも焼いてくれるのかしら?」
彼女のその過剰な自信とうぬぼれはどこから出てくるんだろうな。
もちろん、そんな軽口を真に受ける僕じゃない。
「そうじゃないよ。元々、彼は怪しすぎるじゃないか。転校の時期。あまりに僕らになじみのない場所から来たということも」
僕が言うと、セレーナは顔から笑顔をけし、僕を一瞥した。
「分かってるわ。彼が、何者かであることは間違いないと思う」
「だったら、あまり彼と二人だけにならないようにしてほしいんだ。その……フェスティバルの間は同じ班だからとは思ったけれど、それも彼の策略で、君に近づくための方便で、君の油断を待って――」
僕が話している途中で、セレーナは首を横に振った。
「私は違うことを考えてる。本当の狙いは、……ジュンイチ、あなたよ」
何かを言い返そうとして、何も言葉が出てこなかった。
僕が?
確かに、究極兵器やマジック爆弾の件は重大な問題だ。
だけれど、ロックウェルは新連合にくぎを刺されてへこんでる。エミリアが今さら僕を?
セレーナでさえ口出しできない勢力がエミリアに存在するということなのか。
あるいは、新連合が?
「……ごめん、やっぱり分からないや」
僕は素直に降参して、セレーナの説明にゆだねることにした。
「ごめんなさいね、私も分からないのよ。ただ、たかがエミリア王女でしかない私と、単なる新連合市民でありながらエミリア王女と親しいうえ、エミリア、ロックウェル、新連合の様々な極秘事項をいろいろと知っているあなたの重要性と、ただそんなぼんやりとしたイメージからの答えでしかないから」
結局セレーナにも根拠は無いということだ。『たかがエミリア王女』と彼女は言うけれど、それはとてつもない価値なんだと僕は思う。でも、当の彼女がそう思うのなら、もしかすると、ということは考えておいたほうがいいのかもしれない。
考えていると、セレーナは、一歩前に出て振り向き、僕に正対した。
「前にも言ったけれど、これだけは約束して。もしあなたと私、どちらかしか助けられないかもしれないと分かったら、あなたは自分の身を守って。誰かさんの狙いがあなたかもしれないと理解できたなら、なおさら。お願い」
それは、命令ではなく、お願いだった。まだ冷たい初春の風が僕らの間を吹き抜けていく。
彼女の不安そうな瞳。
僕は、彼女を犠牲にして助かろうなんて思わない。
だけど、彼女に心配をかけたくもない。
「……分かった、約束する」
だから、約束した。
いざとなったらその約束を破るかもしれない、と思いながら。
約束だけなら、いつでも破れるんだから。
セレーナは、少しだけ表情を和らげてうなずいた。
「じゃ、私も気を付けることにするわ。これでも、彼のことは調べているのよ」
「僕も調べた。だけど、もし彼が怪しい人物だとすればどうしても説明がつかないのが、彼の――」
「IDでしょう?」
僕の言いたいことを先に言葉にされてしまった。
「あまりにきれいすぎるのよ。私だっていろんな可能性を考えているつもり」
ふう、と大きなため息を、セレーナは、ついた。
「正直ね、本当に偶然の転校と考えるのが一番なのよ、IDのきれいさから言えばね。もしスパイだのなんだのなら、あんなにIDをきれいにしておけるもんじゃないわ。特にこの新連合国内ではね」
「どういうこと?」
思わず聞き返すと、
「……呆れた。あなたそんなことも知らないのね。共通身分システムIDは、新連合国が元締めみたいなもんよ。ま、宇宙で最大人口を抱えてるんだから当然の話なんだけど。そんな新連合国内でIDに何らかの偽装をしてスパイを働くなんて自殺行為みたいなものよ」
「そうなんだ……いや、ちっとも知らなかったよ」
IDっていうシステムについても今度ちゃんと勉強しておかなきゃならなくなるかもな、なんて思いながら。
「少なくとも、彼が正体を隠したまま私に近づこうとしている以上、私も、当面は表面の付き合いをして狙いを探るつもり」
「正体を隠して、って、君も、彼が偶然の転校生と考えるのが一番だって言ったじゃないか」
セレーナの言葉の矛盾。
しかし、彼女はそれに新たな答えを付け足した。
「この宇宙に、一か所だけね、共通身分システムIDの力が及ばないところがあるの」
「IDの力が及ばない?」
考えてみれば、ロックウェルでさえも、当たり前のようにIDの恩恵を受けていた。この宇宙に僕の知らないそんな国があるのか。
「よく分からないけれど……そんな宇宙のつまはじきものの国がどうして君や僕に興味を持ってるんだろう」
「馬鹿ね、あなたもよく知ってる国よ」
「僕が?」
「もちろん。その国は、……いや、国々は、って言った方が良いわね、それは、この地球の自由圏の国々よ」
……エミリア、ロックウェル、新連合、この関係にとらわれすぎていて、僕は忘れていた。そう、この地球上には、新連合に属さず独立を堅持する国々がまだたくさんあることを。
そんな国々は、お互いに結束して連盟を組み、そう、確かに、新連合への反発からか、クレジットもIDも導入していないのだ。
「そうだとしても、自由圏がエミリアだのロックウェルだのの揉め事に興味を持つなんて、おかしいじゃないか」
「分からないわよ、だけど、前回の事件で新連合が絡んでしまった以上、可能性はあるわ」
それは、自由圏の、新連合への反目という観点から、なのだろう。
たしかに、セレーナの考えは、ありそうなことだと思う。
それでも、この僕に興味を持つ理由が分からない。
やっぱり、本当の狙いは、セレーナ、エミリアなんじゃないだろうか。
そのセレーナは、顔を少し伏して、つま先を床に遊ばせている。
「そんな考えがあるから、自由圏はライバルの新連合に興味があり、とすれば、本当に興味があるのは、エミリア王女の私ではなく、新連合市民のあなたじゃないかと思ったの」
同じ仮説で、セレーナは、逆だと言うのだった。
「そうか……うん、そこまで考えが及ばなかったよ」
「しょうがないわ、本当はあなたはただの高校生だもの」
こんなとき、こんなことも分からないの、馬鹿ね、と叱り飛ばすはずの彼女が、妙に僕に同情的なことが、事実の深刻さを少しだけ深く、僕に理解させることになった。
「だけど、これからどうするんだ」
「どうしようもないわ」
「でも、ラウリの出方を待っているだけじゃ、何も進まない」
「そうね、かまをかけてみるという手もあるわ。あなたの正体を知っているわよ、ってね」
そう言ってセレーナが顔を上げると――
「その必要なら、無い」
突然別の声に割り込まれ、僕とセレーナは驚いて声の方向に顔を向けた。
そこには、この密談を聞いているはずのない人物――ラウリが、いた。




