第三章 スプリングフェスティバル(2)
三十分ほど休憩してから、僕と浦野は教室を出た。
フェスティバルは学校の敷地いっぱいを使って行われている。
校庭では、真ん中のメインステージとそれを囲むようにさまざまな屋台が出ている。春の祭りではこの辺はいまいち盛り上がりに欠けるのが例年だ。
体育館の中もいくつかの区画に区切られて催しがあるらしい。バスケットボールコートを利用したシュートゲームなんていうベタベタの企画もあれば、雨降りを当て込んであえて屋内に屋台を出すという賭けに出る団体もある。体育館は原則として運動部に優先割り当てなので、その役得にあずかろうというたくらみなのだが、結局今日は快晴で、当ての外れた屋内屋台は閑古鳥のようだ。
そのほかは、各教室で文化的な展示場みたいなものを設けるだけのぞんざいな企画が校舎中に散らばっている。
僕と浦野は、校庭ではなくて、まずは体育館に向かうことにした。
プリン屋の店番で校庭はもう嫌というほど見たし、二人で歩いているのを誰かに見られるのもなんだかちょっとばつが悪い気がして。
フェスティバルのために玄関脇に設置された決済スタンドで五クレジットを四十枚のフェスタチケットに両替する。このくらいあればそこそこ遊べるだろう。
「あ、大崎君、あたし、あまりお金使うつもりないよう?」
浦野が遠慮するが、
「お祭りの醍醐味は無駄にお金を使うことだって千年前から決まってるだろ」
と僕が返すと、浦野も納得したようにうなずいた。
体育館に向かうアーケード歩道は校舎の並びの間を突き抜けていく。と言って、そんなに大げさなものでもなく、距離にすれば二百メートルも無い。
しかし、その歩道を歩く人の数は、校舎への入り口をひとつ経るごとに明確に減っていき、体育館につくころにはほとんど僕と浦野だけになっていた。
「体育館の企画が閑古鳥なのは、いつものことねえ」
浦野が笑いながら言う。
「まあ、運動部の汗臭い企画だと思うと、運動部以外の人は逆に近寄りがたいような気はするね」
「あたしは、お祭りの隅っこのこんなところって、結構好きよう?」
彼女は楽しそうにスキップしながら体育館に足を踏み入れた。
ここはさすがに土足ご遠慮くださいということで、室内履きに履き替える。
まばらな人たち、それでも、シュートゲームや輪投げや、スピードボールなど、いかにも運動部の人が好みそうな企画が集まっている。そんな隅っこに、小さなスナック屋台も。
「大崎君って、運動は何やってもふつー、って感じだよねえ」
突然失礼なことを言う浦野。
「どれかひとつ選んで、勝負しましょーう」
「……勝負?」
「勝負ー。ハンデで、大崎君に選ばせてあげる」
ははあ、何か賭けるとかいう話になるわけだね、そりゃね、浦野だもんね、プリンだろうね。
一応男子なんですけどね。ずいぶん見くびられてるな。
よし、じゃ、ひとつ浦野の苦手なやつを。
……と思って、浦野がどんな運動が得意かなんて、考えたことも無いことに気づいた。プリン以外に特に接点もないし。
だけど、あんな事件もあって、セレーナと愉快な仲間の一員になって、もっとお互いをよく知る良い機会かもしれないな。
「……じゃ、浦野の得意な運動は?」
「えーと、前屈とかかなり曲がるよー」
……前屈ね。どう考えても、ここにあるものにはかかわりのなさそうな得意分野ですね。
スピードボールとかなら勝てそうだけど、いや、男の全力ボールのスピードで女の子をねじ伏せるなんてのはさすがに紳士じゃないな。そこはさすがに勘弁してやるか。
「んー、じゃあ、バスケットボールのシュートゲームにしようか」
「おー、そうきたか、よーし」
と浦野は腕まくりをする。まくったブレザーの袖はすぐにすとんと落ちてくる。何がしたいのか分からない。
十球で一人チケット二枚。合計四枚を支払って、僕らはバスケットゴールの前に立った。
お先にどうぞー、と浦野に言われて、僕は第一投。
ボードに当たり、リングの左端をかすめて、ボールは落ちた。
それじゃああたしの番ねー、と言いながらボールを持ってシュート位置についた瞬間、すっと腰を落として右手にボールを乗せ、いつもの彼女からは想像もつかない鋭い視線でリングを狙うその姿は、明らかにさまになっていて。
と思っていると、右手が緩やかに伸び、全身はふわりと後ろに飛び、ボールはきれいな弧を描いて、リングに一ミリも触れることなくゴールのネットを潜り抜けていった。
ひゃっほう、と喜ぶ浦野と、あまりのことに言葉が出ない僕。
「う……浦野、ずるいぞ、バスケやってたなんて」
ようやく言葉が出てくるようになって、抗議する。
「えー、そんなじゃないよう。体育でやるくらいだよう」
「それにしちゃフォームが」
「そんなの、バスケの試合のビデオとか見てたら覚えちゃうじゃん」
「覚えちゃうって……」
浦野ってこんなやつだったっけ?
僕は彼女のことを、本当に何も知らなかったみたいだ。
「プロのフォームをそのまんま真似すれば同じにできるんだから、大崎君もあたしのフォーム見てやってみなよう」
二投目はそう言う浦野先攻で開始された。
浦野のボールは、今度はちょっとだけリングにはじかれながらゴールを斜めに突き抜けていった。
見様見真似でフォームを作った僕のボールは、リングまでも届かなかった。
「……あー、大崎君って、運動音痴なんだねえ。天は二物を与えず、って本当なんだねえ」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って、それは聞き捨てならない。少なくとも僕は運動に関しては平均値レベルはクリアしてるつもりなんだけど」
「そうなのう? でもちゃんとしたお手本があるのにできないなんて、おかしいよう」
「それでできる君の方がおかしい」
「そう? 記録測定だといつもビリから数えたほうが早いくらいだよう?」
いつもぼんやりしていて間延びした声でしゃべる浦野のことを、僕は、きっと運動なんてちっとも出来ない女の子に違いないと思っていたけれど、今、僕の頭の中で革命が起きている。
基礎体力とかそういうのは、たぶん、普通の女子以下なんだろうけど、安っぽい言い方をすると、運動神経ってやつが飛びぬけてるんだろうな。たぶん、初めてスキーなんかに行っても、他人の滑るのを観察して最初からエッジを利かせてビュンビュン滑り出しちゃう、そんなタイプ。
きっと脳の構造が決定的に違うんだと思う。目から入った情報を処理して体を制御するという仕組みに、ほぼ完璧なフィードバック補正をかけられる。入ってきた情報と出て行くべき情報の間のポテンシャル差を量子論的に反転させ回路の幾何学的構造を最適な干渉状態に……ジーニーの話でもしてるんだっけ。
要は、運動神経に関しては浦野はミニジーニーみたいなものなんだな。
なんだかそう思うと、あっさり納得できてしまうから不思議だ。
結局、シュートゲームは、十対四で浦野の圧勝となった。最初にプリンを賭けるのを忘れていた浦野がプリンにありつくことは無かったが、パーフェクト賞の賞品の猫のぬいぐるみがその代わりをしてくれたので僕に累が及ぶことは無かった。
***
メインステージでちょっとした演奏会があると言うので、向かうことにした。
あのあと、汚名返上とばかりにスピードボール対決をしたものの、やっぱりなぜか浦野に勝てなかった。ひじをちゃんとこういうふうにしならせないからだよう、とご指導までいただいたが、だめだった。
メインステージの企画は、有志によるジャズ演奏会だった。
この騒がしいお祭りの中でジャズってどうだろう、と思わないでもないが、そんな何でもありなところが、高校フェスティバルのいいところなのだ。
四列目の右端あたりに座った僕と浦野。
ぼんやりとその曲に聞き入る。
曲名は分からないけれど、聞いたことがあるような。
なんだか、放送ビデオの広告とか、そんな感じの、どこかで聞いたような曲目。
「大崎君は、さあ」
浦野が声をかけてきた。
「本当に正直なところ、セレーナさんのこと、どう思ってるの?」
どう?
そう聞かれても、僕もどうだと言い切れる自信が無い。
最初は単なる災害だった。
何度も喧嘩をして、友人になった。
やがて、戦友になった。
秘密を共有する強い絆を持つ二人になった。
と思ったら、クラスメイトになっていた。
……たぶん、そんな風に変わり続けているから、よく分からない。
「……ま、その気になれば僕ひとり消せる力を持った王女様。ご機嫌を損ねないようにするので精一杯だよ」
こんな風にはぐらかしてみたものの。
「そんなんじゃないよう。その……あたしもしばらく二人を見ててさ、確かに、恋人みたいな関係じゃないってことは分かるよ? でも、本人がどう思ってるんだろうなあ、って」
「まさか、セレーナにもそんなことを?」
「セレーナさんに訊けないから大崎君に訊いてるんだよう」
と、彼女はほっぺたを膨らます。
「僕とセレーナの関係は、新連合市民とエミリア王女。お互いに面倒だと思っている国同士の、外交官の息子と国王の娘。本当はそんなに親しくしちゃいけないんだ」
しばらく前から考えていたことを口にした。
「最近は、セレーナにも友達が出来た。知らない惑星で天涯孤独ってわけじゃない。だから、やっぱり少し距離を置こうと思う」
僕以外に頼れる人が出来て、それが、国同士の関係に複雑さをもたらさない人なら、その方が良い。変に重要人物になってしまった僕にかかわることで、セレーナが再び背負わなくても良い責任を背負うことになるかもしれないから。
「……そんなの、いやだよう。大崎君とセレーナさんには仲良しでいてほしい」
「もちろん、これからも仲良しさ。だけど、もう、二人っきりで帰り道を送ったり、そんなことはやめようと思う」
「それはたとえば……ラウリさんがいるから?」
その名前を聞いて、僕は言葉を詰まらせた。
「このあたしが分析したところによりますとー、それはですねえ、嫉妬ですねえ、大崎君」
またも的外れなことをにやけ顔で言う浦野。
「僕はセレーナにそんな気なんて」
「恋だの愛だのって話じゃなくてよう。今までは、大崎君にとっては『僕だけのセレーナ姫』だったのがさあ、クラスメイトになってみんなのセレーナさんになって。ラウリさんなんて特にあんな感じで仲良しでさ。宇宙で一番の王女様と自分だけが親しいんだって思ってたのが、あれよあれよと取られていっちゃうのに嫉妬してるのよう」
……痛い。
浦野にしては鋭すぎる。
たぶん、その通りだと思う。
「自分が振られてるだけのくせにあれこれへんてこな理由を付けてかっこつけて『距離を置こうと思う』なんて。だっさーい」
本当に。僕はなんてださいんだろう。
「一歩引くことが優しさじゃないよ? 本気でぶつからなきゃ。大崎君ってね、何かあるとすぐにごめんって謝っちゃって一歩引いちゃうでしょーう。でも、そうじゃなくて、いつも本気でぶつからなきゃ」
ああ、浦野はなぜセレーナとまったく同じことを言うんだろう。
そして、それを理解していたはずの僕は、どうしてまたそれを繰り返そうとしてるんだろう。
「……ありがとう、浦野、君の言うとおりだ。忘れてた」
僕が言うと、浦野は僕に顔を向けて、満面の笑みでうなずいた。
「だから、もう迷わないように、決めておくのよう。たとえば、海で、セレーナさんと大崎君のお母さんがおぼれていて、浮き輪がひとつしかなかったら、どちらに投げる?」
……この娘は、なんてことを言うんだ。
それは。
僕の母さんが。
セレーナが。
僕に投げかけてきた、選択。
母さんは、自分を裏切ってでも助けたい人がいるならそうしろと言った。
セレーナは、母さんの息子である僕こそが本当の僕なのだから自分を見捨てろと言った。
それはもしかすると、エミリアと地球、もしどちらかが爆発しなければならなければ、どちらを救うか、という選択になるかもしれない。
「……決められないよ」
僕は正直に降参した。
「あはは、ごめんごめん、ちょっと究極の選択すぎちゃった。じゃ、セレーナさんと、……あたし、だったら?」
「……ごめん、それも、今はちょっと無理だ」
「なんでよう。セレーナさん、って、即答しなさいよう。意気地なし」
「浦野も、その、大切な友達だから」
僕が言うと、浦野は、ふふっ、と小さく笑った。
「ありがとう。じゃ、セレーナさんと、……毛利君!」
「もちろんセレーナ」
今度は即答すると浦野は大笑いし、ジャズに聞き入っていた周囲の観客の顰蹙を買った。
「あいつなら日本海溝に沈めても自分で助かりそうな気がするしな」
「言えてる」
それから、笑いをこらえ涙を拭きながら、
「じゃ、決めるのは今度でいいけど、あたしからひとつだけお願い」
「何?」
お願いと言われて聞かざるを得ないけれど。
「……今日ね、セレーナさんを誘ってあげて。いつでもいいから。ほかの誰と回ってきたって言っててもいいから。大崎君が誘うことが大切。ね」
僕がセレーナにとってそんなに大切な存在なのかどうか、正直に言うとあまり自信が無いけれど、浦野のたってのお願いとあらばいたしかたなく、分かった、と素直に応じることにした。
途中ちょっとした笑い声に邪魔されたジャズの演奏は、それから五分ほど続いて、終わった。




