第二章 もう一人の転入生(3)
結局は気心の知れた友達に近くにいてほしいということなのだろう、隣になったからと言ってセレーナが授業中にちょっかいをかけてくるということも無く、時々休み時間に声をかけてきては、あの本はちゃんと読んでるでしょうね、とかその程度の雑談をするくらいだ。セレーナからしてみれば、僕は面白いおもちゃの一つなわけで、それで遊ぶためにいちいち遠くの席に移動するのがめんどくさいとかその程度の理由だったのかもしれない。
問題の席替えからさらに一週間が経って、セレーナの存在もすっかりクラスに溶け込んだころに、次の事件が起こった。
本来、週に一度のクラス会は木曜日の午後と決まっていたが、その前日、担任から、明日は時間割を入れ替えて朝一にクラス会を入れる、と宣言があった。
たとえばクラスの誰かがちょっとした悪事をやらかしたり、なんて時にはこんなことはあるものだが、今のところ、そんな噂は聞いていない。
結局、何が起ころうとしているのか誰も知らぬまま水曜日は暮れ、木曜日の朝がやってきた。
騒がしい教室の戸を先生が開けたとき、最初はいつものように少し雑談が静かになり、そのあと、全員が一致団結して完全な静寂を作り出した。それには僕ももちろん参加していた。
先生の後ろには、先生より背が高い、長身色白金髪の男が立っていたから。どこのファッションモデルかと見まごうようなスタイルに、すっきりしたデザインの衣服をまとっているものだから、幾人かの女子の目にはすでにハートマークが浮いて見えるかのようだ。ただちょっとだけ変だったのは、とても似合わないチェック柄のバンダナを頭に巻いている、というところだろうか。
「えー、先日のセレーナさんに続いてで驚くかもしれないが、また臨時の転入生がある。自己紹介を」
先生が言うと、金髪男は軽く一礼して一歩出る。
「こんにちは、ラウリ・ラウティオといいます。コペンハーゲンから家族の都合で急きょ参りました。こちらはだいぶ文化が違うと伺っていますが、早くなじめるように頑張りますのでよろしくお願いします」
そう言って、彼、ラウリはもう一度頭を下げた。
実のところ、僕はもう心中穏やかじゃない。
だって、セレーナが来てからわずか二週間の出来事だ。
セレーナと関係がないわけがない。
仮の席に着いた彼の周りに今度は女子を中心とした輪ができたころ、僕はセレーナに、
「……誰だい? 君の関係者? まさか、例の従弟の婚約者?」
と小声で聞くと、
「はあ? 私の? 知らないわよ、あんな人」
「だけどこのタイミング、いくらなんでも」
「おかしいとは思うけど。……ジーニー・ルカも知らないみたい」
セレーナは僕の言葉を引き継ぎながらも素早くジーニー・ルカに関係者かどうかを確認していたようだ。
「なんでもいいから気を付けたほうがいいと思うけど」
味方じゃないなら敵かもしれない(敵ってなんだ)、という子供じみた考えは、勝手に口から出ていた。
「ルカが大丈夫だって言ってるなら当面は問題ないわよ。……ま、気を付けるに越したことはないってのには賛成しとくわ」
それからもう一度見ると、それはもうラウリの周りには大変な人だかりで、やっぱりクラス会どころではなくなっている。
前と違うのは、大騒ぎしている大半が女子どもってことなんだけど。
「……せっかくだからちょっとあの輪に混じってくるよ」
僕はセレーナに言い残して、ラウリを囲む輪の最外縁に位置どった。
近くで見ると、これがまた大変な美形だ。
真っ白な肌に大きな目、青い瞳。それを飾る眉毛は金色でまっすぐ、鼻筋もきれいな直線を描き、赤くて薄い唇の手前できれいに停止している。金髪も癖のないストレートで、その上にあまり趣味の良くないバンダナがあることだけが残念至極。よく見れば、セレーナに似ているような気もする。セレーナは違うと言うけれど、やっぱり、エミリア王族の関係者じゃないのかなあ。セレーナの父は薄茶色の髪だったから、母方の親族とか、かな。
なんて考えていると、やっぱり当然こんな質問が。
「セレーナさんの兄妹とか親戚なんじゃないんですか!」
「そうそう、身分を偽って、って」
そんな声に、
「セレーナさん? どちらの……ああ、あそこに座っている。確かにこの地域ではこの髪の色は珍しいみたいですね。でも、彼女のことは僕は知らないですよ」
「でもセレーナさんも二週間前に来たばかりなんですよ、身分を偽った兄妹……王子様!?」
一人の女子がきゃーっと声を上げる。
セレーナに兄弟はいないんだけど。
なんて突っ込みを僕がするのもおかしな話なので黙ってる。
「あはは、どんな勘違いをしているのかわからないけど、僕はごく普通の会社員の息子ですよ。父さんは穀物商社に勤めていて、こちらの支店に転勤になったんです」
「でも怪しいですよー」
「本物の王子様じゃなくっても、私の王子様にならいつでも――」
「あ、ずるい! だったら私も!」
……なんだか聞いてられないや。
特にセレーナを意識する様子もないし、今のところは本当に偶然にこの時期の転勤があったと考えておくしかなさそうなので、そのまま放っておくことにした。
***
けれど、放っておけないことが起こったのは翌日のこと。
なんだかセレーナをホテルまで送るのが僕の役目みたいなことになっていて、特にセレーナも新しい友達を作って遊び歩くなんてことをする気はなさそうで(その意味では社会勉強をして来いという家庭教師たちの課題を明確にさぼっているわけだけど)、せいぜい、時々浦野が同行するくらいの違いのみで、放課後はただそんな日を繰り返していた。
のだけれど、僕が、それじゃ帰ろうか、とセレーナに声をかけると。
「あら、ごめんなさい、ちょっと先約があるの」
と珍しいことを言う。
「先約? なんだい、君もようやくこっちの友達を作る気になった?」
「そういうわけじゃないんだけどね、ほら、噂のラウリ、彼に、ちょっと放課後付き合わないかって誘われてて」
そんなくらいでほいほいとついていくような彼女じゃないと思ってたんだけど。
「……彼は、何の用だって?」
「さあ? でもいいじゃないの、お互い慣れない土地ってこともあるしね」
そうは言っても。
やっぱり、怪しいんだよな、ラウリは。
確かに、もし、彼がセレーナの関係者で、セレーナがそれを僕に隠しておきたいというのなら、こんな形でこっそり連絡を取り合うのかもしれない。
でもなんだか気に食わない。
あれだけの美形だし、頭も良いみたいだし、セレーナがころっとなびいちゃうことも……。
いやいや、セレーナが誰になびいたっていいんだけど。
気高い王女様が、顔がいいだけの自称平民に、なんて思うと、なんだかすごく悔しい。
「……っふふ、なーに? いっちょまえに嫉妬でもしてんの?」
「嫉妬? 君も随分うぬぼれるね。怪しいところがある男と二人っきりなんて心配だと思ってただけ」
「あっ、そう。心配ありがとう。でも私にはジーニー・ルカが付いてますから平気です」
「……だったらいいんだけど」
「ま、何か面白いことがあったら明日にでも話すわ」
そう言って、セレーナは出て行った。教室の戸の陰に、ラウリの姿があるのがちらりと見えた。
普通に考えれば、用がなくなって僕は前までのようにまっすぐ帰ればいいんだけれど。
なんだかしばらく動けなかった。
いや、本当に、別にどうでもいいことなんだけど。
どうしてセレーナはあんな奴の誘いに乗ったのか。
言われてみれば、これまでクラスの男どもはこっそり手紙を書いたりなんてことはしていたけれど、直接誘っているのは見たことがない。
相手が王女様ってことを知って遠慮しているところもあるんだろうけど。
そんなことを知らないラウリが、ちょっとかわいい女の子を見つけて、声をかけてみただけで。
セレーナが、声をかけてもらったんならちょっとくらい付き合ってやろうと思ったとしてもおかしなことではないんだけれど。
そりゃ、あのラブレターに大真面目に返事を書いてしまうような几帳面キャラクターを保とうというのなら、そんなことも考えるだろうし。
でもさ。ちょっとは自覚してほしい。
君は、エミリア王国の王女殿下なんだぞ。
そんな顔がいいだけの平民に付き合う義理は無いんだし、それはエミリア王国の権威に泥を塗るだけだぞ。
もし変に迫られでもしたらどうするんだ。
王女の純潔性はとても大事なことだなんて言ってたじゃないか。
ああ、もう。考えがまとまらない。
「大崎君、セレーナさんは?」
考え事をしていると、どこかから戻ってきた浦野が尋ねてきた。
今日は浦野も一緒にセレーナを送ろうと思っていたから、浦野も残ってはいたわけだけれど。ちょっとお手洗い、と外していた。
「ああ、あの、ラウリに誘われて、どこかへ」
「どこか? なによそれー。変じゃないのう」
変だよ、確かに。
「止めなかったの?」
「べ、別に僕が止めるようなことじゃないだろ、セレーナが彼の誘いに付き合ってやるって言うんだから」
「そうなのう? 大崎君がいいなら別にいいんだけど。それじゃ、今日はあたしと一緒に帰ろう?」
「一緒にって……セレーナのお見送りでもないのに」
「いいじゃないのよう。たまには」
「さてはプリンか」
「そんなんじゃないよう、たまにはそんなの抜きでさ」
まあ、付き合った結果、うわあこんなところに美味しそうなプリンのお店が! なんてことをたくらんでるかもしれないけれど。
「ま、いいか。暇になっちゃったし」
僕は荷物を掴んだ。
浦野もそれに合わせて自分の荷物を肩に掛ける。いつも思うんだけど、どうして女の子の荷物はいつもあんなに大きいんだろうな。
「じゃあ行きましょーう」
そう言って浦野は先に立って歩き始めた。
僕は彼女のちょっと後ろを歩く。気がつくと、視界には床面しか入っていない。
何を気にしてるんだ、僕は。
「そうそう、セレーナさんが一緒だったら訊こうと思ってたんだけど、大崎君が知ってたら教えて。ラウリさんって、一体何者?」
校舎の玄関を抜けたところで浦野が僕の顔を覗き込むようにして言った。
「分からないよ」
――そう、僕はそのことを気にしてたんだ。そして、正しく僕の理解を浦野に返した。
「でも、セレーナさんの関係者でしょう?」
僕だってそうに違いないと思うけど。
「……セレーナは違うって言ってる」
「そんなのおかしいよう。セレーナさんが来て、たった二週間でラウリさんよ? あんな事件があった後だし。絶対関係者よう」
浦野の言うことは完全に僕の考えと一致している。
「あたしの推理はねえ、ラウリさんは、エミリア王国の貴族よう。王様の命令でボディガードに来たのよう。あのきれいな顔立ち! きっとエミリアの王族貴族ってのはみんなセレーナさんみたいな美形なのねえ」
「なんだい、君もラウリにお熱な女子の一人かい?」
浦野の推理はどうでもいいけど、彼女のあまりに御伽噺じみた想像に、思わずふふっ、と笑いながら返すと、
「なによう、大崎君って、あたしのことそんな目で見てるのう? いくら美形でも中身も分からない人に惚れたりなんてしないよう」
「まあでも、似たような中身なら美形の方がいいだろう?」
「そりゃそうだけどさあ。あたし的には、なかなかこれだって人がいなくてねえ。大崎君くらいが一番の候補なんだけど、セレーナさんがいるし」
「浦野にしちゃ気の利いたお世辞、ありがとう。でも本当にセレーナはそんな対象じゃないから」
駅前の繁華街に行くときは右に曲がる校門を左に曲がる。僕の自宅に向かう地下鉄の入り口と、近所の浦野の家もこちら側だ。そういえば、二人で左に曲がったのは、今日が初めてだったかな。今まで浦野と歩くときは、繁華街でプリンを与えてから浦野を家まで送っていたものだから。
「でも好きとか嫌いとかって、理屈じゃ無いじゃないのよう」
「まあ僕も思春期の男として君の言うことは分かるけどさ、それにしたって限度があるじゃないか。相手は宇宙一のお姫様だ。こないだラブレター渡した連中と同じくらいに、僕だって何度も凹まされてるし」
「そのくらいであきらめちゃだめよう」
浦野はこういうことに本当に鈍い。
あきらめる云々って話は、まず前提条件として、僕がセレーナに恋焦がれている、ってことが必要なわけで。
僕のどこにそんな態度があったのか、いっそ問い詰めてやりたいくらいだけど、まあ、そんなところも浦野らしくていいのかもしれない。
だから、僕は浦野の言葉に、軽い笑いだけを返した。
「さてそれはともかく。僕は、ラウリはもっと違うものかもしれない、なんてことも思ってるんだ」
「もっと違うもの?」
「うん、うまく言えないけど……もし君の言うようにエミリアの貴族なら、さすがに分かると思うんだ……ジーニー・ルカ、彼の身元を、浦野に説明してやってくれるかな」
話しながら接続していたジーニーインターフェース越しにジーニー・ルカにオーダーした。
『はい、ジュンイチ様。身元調査の結果、ラウリ・ラウティオがエミリアの王族や貴族、あるいはロックウェル連合国と関連する証拠は見つかりませんでした』
「それから、彼の経歴」
『はい。彼はコペンハーゲン市出身の新連合市民で、経歴に不審な点はありません』
「……というわけなんだ、浦野」
どういうわけ? という顔で首をかしげる浦野。
「うん、彼はあまりに怪しいのに、ちっとも怪しくないってこと」
「怪しくないんならいいんじゃないのう?」
「君が言うようにもし彼がエミリアとかロックウェルとか、セレーナにに関わる人物なら、さすがにジーニー・ルカが何らかの痕跡を見つけるんじゃないかと思ったんだけど、そんな痕跡が全くないんだよ。でも、この時期の転入だろう? 怪しいのに怪しくないってのが、怪しいんだよ」
浦野は僕の言葉に手袋で口を押えて笑った。
「面白いねえ、大崎君、君、面白いよ。怪しくないから怪しいなんて、普通、考えないよう? そっかあ、あたしの推理、外れかなあ」
「まだ分からないよ。もし彼がエミリアの貴族とかなら、案外、エミリアに所属しているジーニーをごまかす特別な方法を知っているかもしれないから」
「それか、新連合に関わることかもしれないよう? お母さんに聞いてみたら?」
それについては僕もちらっとは考えたんだけど。
「さすがに、セレーナにかかわることで母さんに相談はできないよ。エミリアにかかわるなって釘を刺された直後にセレーナの転入だろう? 母さん含め新連合の外交部門の人たちはすごく警戒しているらしい」
「あはは、そんなことも教えてもらえるようになったんだねえ、大崎君のお母さんからの信用もちょっとは上がったんだねえ」
そんな話はしてないし。どうして浦野はこうあちこちに話が飛ぶんだろうなあ。
「そんなことはともかく。とにかく、ラウリにおかしなことがあったら、教えてくれないかな。もし万が一のことがあったら、浦野にも協力してほしい」
本当は、浦野を巻き込みたくはないんだけど、僕一人の力ではどうしようもなくなることがあるかもしれない。
「いいわよう。大崎君があたしに頼るなんて、うふふ、いい気分ねえ」
「そうならないように祈ってるけど」
「じゃあたしはそうなるように祈ってみちゃおうっと」
「やめてよ」
そんな会話をしていると、僕が入るべき地下鉄の入り口がもう目の前だ。
「……家まで送るよ」
「ううん、いい。どうせすぐだし。今日はプリンも期待できないし」
「やっぱりそれか。じゃ、気を付けて。また明日」
「また明日ねえ」
入り口からいつまでも手を振っている浦野を残して、僕は地下鉄ホームに向かう階段を下りた。




