第二章 もう一人の転入生(2)
僕の話を真に受けていなかった毛利とマービンは、結局僕が何一つ嘘をついていなかったらしいと知って、今度は僕とセレーナの冒険の話を聞きたがったが、嘘は言わないまでも相当にデフォルメした物語を聞かせてやることにした。
それと同時に、結局は僕が遠くの国の王女様のわがままに振り回されていただけということも理解してくれたようで、少なくとも僕とセレーナの間に何か尋常ならざる関係があったのではないか、という疑いだけは取り下げてくれたし、セレーナの証言もあって、浦野との疑いも解消し、その後は宣伝塔となって僕らの怪しい噂の解消には多少は協力してくれたようだ。もちろんその過程でいろいろなごたごたはあったが省略する。
それから一週間ほどは、セレーナはとても行儀のよい生徒でありながらも、やはり、普通ではないところをクラスメイトに見せつけては話題の中心になり続けた。
まず、三日目には、婚約者候補になるには山のような試練が待っているというセレーナの脅しにもかかわらず、朝、彼女が席に着くとその席には六通もの古い流儀のラブレターが置かれていた。
のこのこと僕と浦野のところにそれらを持って来て、読まなきゃだめかしら、なんてことを言うものだから、浦野は、ちゃんと読んで返事してあげなさいよ、なんてまともなことをアドバイスした。僕は、たった二日三日でこんな手紙を出すような輩はどうせセレーナの容姿にひかれただけで彼女の本当の姿なんて知るわけないんだから放っておけ、と思ったが、それは口に出さずにおいた。あとで聞いたところでは、セレーナはすべての手紙にとても丁寧に、辛辣で残酷な返信を書いて渡したそうで、受け取った五人の男子と一人の女子(??)はしばらくの間、口もきけないほど凹まされていたようだ。
そのうわさが広まるや、セレーナにちょっかいを出そうという男子はほぼ消えてしまった。
また、学業に関しても、やはりちょっとした規格外れの行動を見せる。
たとえば、地理の授業では。
地理の先生は、セレーナが地球の地理についてはあまりきちんと勉強していないかもしれないと思ったのだろう、一度基礎に戻りましょう、と、小学校レベルに授業を戻した。
「――というように、地球は大きく、新連合国と、新連合に属さない自由圏諸国というように分かれています。……セレーナさん、ここまでは大丈夫ですか?」
先生は四十代の女性らしい優しい気遣いを見せたのだが、こともあろうにセレーナがやったことというと。
「先生、今の説明ですと、ポーランド連邦、ドナウ共和国、モロッコ共和国も含めて、その国境線の外側は自由圏諸国であるというように聞こえましたが」
「ええ、確かにその通りです」
すると、セレーナはその語尾を食うように、
「新連合国側ではどのように認識しているかはわかりませんが、この三国は自由圏連盟に属しながらも、通貨としてクレジットを導入し、実質的に新連合の傀儡国家となっているはずではありませんか? 地球上の勢力を政治体の観点で分類すれば先生のおっしゃる通りですが経済の観点で見た場合は、この三国はすでに新連合国の一角であると考えるのが一般的かと思われます」
え、そんな話があるんだ。初めて聞いたけど。
先生は手元の端末でいくつか資料をめくり、
「……確かにセレーナさんの言うとおりですが、単に共通通貨を使っているというだけで、政治的には変わらず自由圏連盟に加入していて、自由圏諸国なのですよ」
と返す。
だが、セレーナは収まらない。
「クレジットの導入は明確に新連合国への政治的傾倒だと思います。いずれの国の議会も新連合国関連の市民団体が支持母体となっている政党が第一党であることは周知の事実ですし、これは、新連合国の拡大志向の一つだと警戒する論説も多かったかと思いましたが」
「あの……え? そうなのでしたっけ」
先生はあわてていくつかの資料を自分の情報端末でめくる。しかし、なかなか返事は返ってこない。
「その……次の授業の時までにまとめておきますね、セレーナさんが地球の地理事情をよく御存じということが分かってよかったですわ」
最後にはしどろもどろで返事をし、では、普段の授業に戻ってもよさそうですね、と言って舵を強引に切り返すことしかできない先生なのだった。
もちろん、これは政治学の問題であって、政治のまさに中心で生きてきたセレーナの得意科目なのだから仕方がない、とその時は思ったのだが、これと同じようなことが残念ながら物理学の授業でも起こることになり、どうやらセレーナの学習レベルは僕らのクラスのそれを大きく超えているということは間違いのないことのようだった。
帰り道で、あまり先生を凹ませてやるなよ、と僕は注意したのだが、あなただって歴史上の疑いのある定説を事実のように教えられたら同じように指摘するのでしょう、と言われて閉口した。まさにその通りだったから。
結局、彼女が学力認定の結果一つ年上の僕らのクラスに配された、という説明がされていたことについて、それが逆の意味で間違っていることを知った。彼女の学力はどう考えても僕のクラスを大きく超えていることは間違いなく。そりゃ優秀な家庭教師に英才教育を受けているのだから当然なのだろうけど、であればもう一つ上のクラス、あるいは大学クラスでもよかったはずだ。だからまあ、その辺は、結局は気心の知れた僕と浦野のいるクラスを選ぶことが最初から決まっていたのだろうな、と僕の中では結論が出た。
こういうことを何日間か繰り返し、どうやらクラスメイト達にも先生達にも、セレーナが猫をかぶっていただけだ、という認識が広がっているようだった。
ただ、それがほとんどばれているにもかかわらず、セレーナは相変わらず丁寧で人当たりのいい振る舞いを維持するものだから、そのギャップはさらに人々の恐怖を掻き立てることになっていた。
そう、僕がいつも、いつセレーナの雷が落ちてくるかとびくびくしているのと同じように。
そんな彼女が起こした最大の事件は、週に一度のクラス会のことだった。
初日のクラス会が有耶無耶になってしまったので、それを補うために定例クラス会で手短に連絡事項や決め事などをこなすことになった。問題はそのあとで、決まりではないのだが、長い休み明けには何となく席替えをしよう、と言い出すものが必ずいるのである。
大体が高校生のお遊びなのだから、適当にちぎった紙に番号を書いてくじ引き形式で席を決めていくものなのだが、その方法が説明され、では始めましょう、と今週のクラス会の司会当番だったマービン洋二郎が言ったところでセレーナが立ち上がる。
「席の希望は聞かないのですか」
彼女の問いに、
「そうですね、みんなの希望を聞いていたら決まりませんので」
マービンが答えると、
「では、今回は希望優先抽選方式を採用しましょう」
なぜかセレーナが断言口調でそう言う。
「みなさんに第五希望までの席を記入してもらうのです。第一希望が被ったら抽選、落ちた方は今度は第二希望へ。同じ希望順位が重なるごとに抽選し、すべての希望までが漏れたら完全乱数抽選とすればよろしいではないですか?」
セレーナの提案に、クラスの大半が、賛同の色の混じったため息を漏らした。そりゃそうだ、不真面目な奴は一番後ろの席に行きたいだろうし、この季節、寒がりなやつは暖房の近くが良いだろう。一番前の真ん中がいい、なんて言うやつさえいるんだから。抽選後のくじ券交換も恒例事だ。その手間が省けるなら。
「ですが、セレーナさん、それでは抽選作業に時間がかかってしまいますよ」
マービンが面倒な役割を引き受ける立場から苦情を言うと、
「簡単ですよ、このやり方は保育園の抽選から墓地の割り当てまであらゆるところで使われていますから、一般化されています。マービンさん、お手元の端末をご覧ください」
セレーナの言葉にマービンが情報端末を取り出すと、彼の表情が変わった。
「……い、いつの間に?」
どうやらそこに、何かが表示されているようだった。
「私のジーニーから転送させていただきました。こちらを使いましょう」
ジーニーという言葉にざわつくものが数名と無関心なものが多数。無言でそれを行った魔法については、もう誰も気にしてさえいなかった。セレーナが王女であり、きっととてつもない何かが後ろにあるはずだと思っているから。でも僕だけは、それが、単にセレーナ一人とジーニー・ルカの仕業だと知っている。
マービンの端末に転送されたものは、セレーナの提案の抽選方式を実現するための簡易システムだった。
そのシステムは何度かマービンとほか数人でテストされ、正しく動くことが確認されてから、全員に配られた。
早速希望が入力され、開票が行われ。それはほんの数秒で。
それぞれが指定された番号の席に移動を始めた。
僕は寒がりでも真面目君でもないけれど退屈な数学の授業中くらいは外を眺めたいし、ということで窓際の中間くらいの席を希望し、その周囲に第五希望までを入れていたのだが、第三希望、窓際から二列目の前から四列目、つまり、今のままの席を手に入れていた。
移動がない分、これは当たりだったかな、なんてことを思っていた。
ところが、今まで浦野がいた席をみて、ぎょっとした。
当たり前のようにセレーナがにこにこと座っているのだ。
ちなみに、浦野はその一つ後ろの席に移動している。
僕は盛大にため息をついてしまった。
「……何か、やっただろ」
小声で聞くと、
「何もしていませんよ、オオサキさん? ジーニーというものは論理演算可能な問題に対しては嘘の答えは導きませんもの」
しゃあしゃあと答えるが、僕は知っている。ジーニー・ルカは、セレーナの命令があれば易々と悪事を働く。
「ジーニー・ルカ、あとでお説教だ、ちゃんと説明してくれよ」
『残念ながらお答えできません、ジュンイチ様』
僕のインターフェースから聞こえてきたジーニー・ルカの小声は、暗にセレーナの悪事を肯定していた。




