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魔法と魔人と王女様  作者: 月立淳水
第三部 魔法と魔人と原子の鉄槌
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第一章 転入生(2)

 浦野は悩んだ末、プリンを選んだようだ。

 よろしくお願いします、と右手を僕に差し出す様は、まあこんなときだからだけど、まるで愛の告白をしているかのようで。

 もちろん、彼女が欲しているのは僕の心じゃなくてデイジーのプリンなのであって。


「ごめんねえ」


 駅前に向かう道すがら、浦野はまた謝る。


「あの後、毛利君たちが変なこと言ったんだって?」


 そういう話はどのルートで彼女の耳に入るんだろう。女子の間の情報網は、ちょっと侮れない。


「いいさ、そのうちもっとどでかい爆弾でも落ちれば、みんな忘れるさ。その程度の話題だよ」


「そうだといいんだけどねえ」


 駅前というのは、学校から歩いていけるちょっと大きなターミナル駅の前の繁華街。僕が帰宅するときに使う地下鉄の入り口とは別方向だけど、たいした回り道じゃないし、同じ路線が通っているからどちらにしろ一本で帰れる。

 もうすぐ冬至で、こんな早い時間なのにすでに薄暗くなりつつある。


「でも、約束覚えててくれてて、よかったあ」


 浦野はそんな暮れかけた空をにこにこと笑いながら見上げる。


「その途中にさらわれちゃったわけだしね」


 僕が応えると、そうでしたねえ、と浦野は笑う。


 彼女の心の傷はすっかり癒えたように思う。

 僕は心当たりがあったからまだ冷静でいられたけど、突然巻き込まれた彼女の恐怖は、いかほどだっただろう。


 それでも、こうやって笑顔を取り戻してくれて、僕の心もとても安らいだ気分になる。


「……あれから、セレーナさんとは連絡し合ってるの?」


 前を向いたまま、浦野が僕にそう尋ねた。


 実のところ、母さんに止められていた。

 これ以上エミリアに関わるな、って。

 それは、助言という形をとっていたけれど、命令に近かった。


 取調べから開放されて何を話したかも覚えていないあれが、セレーナとの最後の会話だったのかもしれないなんて思うと、少し寂しくなることもあった。


 もちろん、僕だって母さんの言いつけに素直に従うなんてつもりは無い。

 セレーナが困っていたら、僕はまた百光年を飛ぶだろう。


 でも、しばらくの間は、やっぱりおとなしくしていようとも思っている。


「いいや、あれからは、一度も」


 僕が答えると、なぜか浦野が寂しそうな顔になった。


「そうなんだ……もう、来ないのかな」


「うん、難しいと……思う」


 あんな事件があって、地球の気難しい外交官に目をつけられて。

 当面こちらに足を伸ばすことは無いだろう。


「あたし、セレーナさんのこと、好きだなあ」


 空に向かってつぶやいたその言葉は、百光年先のセレーナには届きそうも無い。


「強くてかっこよくて。ちょっとおっちょこちょいなところも」


 セレーナが年下だなんて言ったら、浦野はひっくり返るかな。


「もっとたくさん話しておくんだったなあ」


「そうだね」


 僕がそう言うと、浦野は突然、ぷくっとほっぺを膨らませて僕の方に顔を向けた。


「大崎君がそんな態度でどうすんのよう! あの人をこの惑星に呼べるのは、君だけなのに!」


「ははは、僕にそんな力があればいいんだけれど」


「大崎君なんてもう一回さらわれちゃえ! そしたらきっとまたセレーナさんが助けにくるもん」


 そうしたら本当に彼女は来るかな。

 うぬぼれかもしれないけれど、僕がそんなことになったら、また彼女は何も考えずにすっ飛んでくるかもしれない。

 逆の立場でも、僕はきっとそうするから。

 この世でたった二人、秘密を共有する友情のために。


 駅前の繁華街の中に、目指すお店、焼きたてパンと洋菓子の店・デイジーが見えてくる。


「今度は浦野を巻き込まないように注意するよ」


「それだけはお願いします。あっ、でも、巻き込まれないとセレーナさんにも会えないのか、ううーん、どうしよう」


 起きもしない事件に巻き込まれるかどうかで悩む浦野。そこまで彼女がセレーナにひかれる気持ちは、ちょっと、いや、結構分かる。


「ほら、そんなところで悩んでないで。早く行かないと、売り切れるよ、プリン」


「あわわわ、そうでした。あたし席取ってるから、買ってきて!」


「またここで食べていくのか? 寒いのに」


「寒くてもプリンを食べていれば心があったかいのですよう」


 にこにこと笑いながら、浦野はテラス席の空きの一つを見つけてスキップしていった。

 僕のお小遣いからしてみれば決して安くはない『デイジー特製ぜいたくプリン』を一つ、入手して、浦野のところに戻る。

 浦野は手袋を外して、ひゃっほう、とプリンに飛びつく。


「だけどねえ、大崎君、セレーナさんとロックウェルのお話はいろいろ聞いたけど、最初はどうやってセレーナさんと会ったの?」


 早速スプーンでひとすくい、それをほおばりながら。

 そう言えば、そもそもの始まりを説明した記憶が無かったな。


「なんて言うかね、彼女、結婚問題で困ってたんだよ、最初はね」


「結婚問題! 王国のお姫様ともなると、早いのねえ」


「それで偶然僕が、セレーナを助けることになって」


「言わずとも良い、あれでしょう、『お父様! 実は私には心に決めた方が!』って大崎君を」


 浦野のへたくそな演技に僕は思わず噴き出した。


「もちろん、違うんだけどね。僕の身分証明を隠れ蓑にして小うるさい貴族たちから逃げ回ってたんだよ」


「なあるほど、そこで愛が芽生えて」


「芽生えません」


「なんでよう。お似合いよう」


 まあ、ものの見方は人それぞれだけど。

 テラスの照明が灯り、寒風に足を早める道行く人の足を照らす。


「……ま、彼女は王女様でさ、少なくとも、何をやっても平凡な僕みたいな人間は、そういう対象にはなり得ないんだよ」


「じゃ、大崎君は、どう思ってるのう?」


 セレーナのことを?

 確かに、普通の友達よりも、固い友情を感じる、とは思う。


「そりゃ、好きだよ、君が彼女を好きなのと同じように」


「ふーん、そっかあ……」


 言いながら、残りふたすくいとなったプリンに、スプーンを差し込む。いつの間にそんなに。


「でも、とっても強い絆に見えるな、あたしには」


 プリンを食べるときに、こんな顔を浦野がしたことがあったかな。なんだか、不満げというか。ふくれっつらにも見える。


 強い絆で結ばれている。

 そう、ルイス・ルーサー博士にも同じことを言われたな、と思い出す。

 あの秘密こそが、僕とセレーナの友情の証。


「とても大切な秘密を共有しているからね」


 このくらいのことは、浦野にも教えてあげてもいいだろう。

 彼女の好奇心を満たすことがほんの罪滅ぼしにでもなれば。


「なーんだ、やっぱりそういうのがあるんじゃないのう」


 そういってカップの中のプリンをすべてスプーンに乗せた。


「あ、でもだったら、あたしたちもそうねえ。あの事件のことは、学校じゃあ、二人だけの秘密だもんねえ」


 そして、浦野は満面の笑みで、最後の一口を舌に乗せた。


***


 一週間後には、冬休みに入った。年末から年始にかけての二週間の休み。

 普通の学期間休みと違って、突入前に憂鬱な考査もなく、休み明けにさらに憂鬱な成績発表も無い、一年で一番楽しい長期休暇だ。


 結局、最終日のその日まで、僕はいろんな人にちょいちょいと浦野との関係のことをいじられたが、結局何でもなかった、ということは徐々に信じられ始めている。

 二週間の休みを挟めば、みんなもそれなりに興味を失っていてくれるだろうと思う。


 僕のクラスでも、クラスメイト同士の惚れた腫れたの話題が過去に無かったわけじゃない。むしろ、隙を見てはそんな話を盛り上げるのが大好きな連中だから。

 そんな過去の実績から見れば、そんな騒ぎはもってせいぜい一ヶ月、早ければ一週間で何事も無かったかのように消えるものだ。

 この二週間の冬休みはとてもありがたいものだった。


 それから、母さんが、年末だからと帰宅することになった。

 そもそも、年末でもないと帰宅しないってのはどうだろうとも思うのだけれど、母さんがとんでもないやり手の外交官だったと知ってからは、さもありなん、と思うのだった。


 そして実のところ、あの事件の後の母さんの初めての帰宅でもあって、どんな話をされるものか、ちょっと戦々恐々とするところもあったりする。

 親父には大体の顛末は話してあるけれど、帰宅する時間には、僕も、そしてなぜか親父も、ソファに正座して、母さんの帰りを待った。

 テーブルの上には親父の料理が零れ落ちるほどに並んでいる。ご機嫌とりと話題そらしの究極兵器だ。


 玄関扉をくぐる音がして、母さんは帰宅した。

 神妙に待つ二人を見て、母さんは噴き出した。

 特に事件のことに触れることも無く、あーお腹すいた、と彼女は言い、まずは母さんのご機嫌が良いことはよく分かった。


 それから、親父の料理を三人で楽しんだ。


 母さんが帰るたびにお店を閉めて張り切って料理をする親父は、なんだか我が親ながら、かわいらしいと思う。

 そんな親父の料理を、これまた嬉しそうに食べる母さん。

 見ていて気恥ずかしくなる夫婦。


 やがて胃袋の限界が来て、大量に残してしまった食事を下げ、リビングのすすけた緑色のソファに移動した。

 適当な放送ビデオを流したまま。


「ねえ、純ちゃん」


 何度か、言おうか言うまいか悩んだようなしぐさを見せた後に、ようやく母さんが口を開いた。


「あの後、エミリアの王女殿下とは、連絡を取り合ってるの?」


 やっぱり、その話だよね。


「いいや、あれ以来は、お互いに連絡してない」


「そう」


 言ってから、母さんは大きくため息をついた。


「言いつけを守ってくれてるのは、偉いと思うけど、それでいいの?」


 それでいいの? とはどういうことだろう。

 母さん、兼、地球新連合国外交官の言いつけであれば、守るしかないと、僕は思う。


「……ちょっと、反省した。深入りしすぎたと思う」


「……あなたがそう思ってるのなら、いいけれど」


 視線はビデオを流している壁面パネルに向けたまま。


「そもそも発端は、お父さん! あなたよ!」


 母さんの矛先は親父に向いたようだ。


「え? 俺?」


 素っ頓狂な声で親父が訊き返す。


「あなたね、純ちゃんがエミリア王女を名乗る謎の少女を連れ帰ったときに、自分の妻の職業のことくらい考えた?」


「もちろん! ……ああ、いや、すまん、考えなかった」


 親父も母さんにだけは頭が上がらない。


「だってよ、あんな美少女を息子が連れてきたら、親として舞い上がるもんだろうさ、なあ。王女様かどうかなんてどうでもよくなってなあ」


「……ほんっとに、親子そろって大馬鹿だわね。お父さん、あなたの安請け合いのせいで、純ちゃんがどれだけ困った立場になってるか、分かってる?」


「反省してる、反省してるよ、本当に」


 首をすくめて、親父は、小さくなった。


「母さん、それを言ったら、僕もそうだったんだ、親父ばかりを責めないでよ」


「ほーら、ほーら、純一もこう言ってるし!」


「だから二人そろって馬鹿って言うのよ!」


 今度は二人分の首がすくまった。

 助け舟を出すとすぐに調子に乗る親父。母さんはこんな親父のどこが良かったんだろうな、なんて思わないでもないけど。

 結局、説教大会は、食事の後に順延されただけであって、正座して神妙に待った効果は全く無かったわけだ。


「こんな馬鹿げたことはさすがにもう無いとは思うけど、二人とも、気をつけること。外国の偉い人だとか名乗る人には気をつけること。そうでなくとも、外国から来た人が親しげに接触してきたら特に気をつけること。いいわね」


「はい、気をつけます」


 その声は、僕と親父で全くきれいに重なってしまった。


「ただね、純ちゃん……」


 母さんは改めて僕に視線を向けた。


「エミリア王女殿下ではなく、お友達のセレーナさんとして、あなたは彼女を放っておいていいのかしら?」


 ……だって、母さんがそう言うのなら、そうするしかないじゃないか。

 僕は答えられずにうつむいたままだった。


「答えにくいのなら質問を変えましょう。もしセレーナさんが誰かにさらわれてひどい目に遭わされそうになってたらどうする?」


「もちろん助けに行く」


 考える前に即答していた。

 それから、それはきっと不正解だと気づき、またしょんぼりとうなだれた。

 そんな僕を、母さんが凝視している空気を感じる。


 母さんは僕にどうさせたいのだろう。

 きっと、セレーナのことなんてきれいさっぱり忘れてしまえと、そう言いたいんだろうな。


「母さんはね、お仕事上の立場もあるから、エミリアなんて面倒な国に関わるな、としか言えないの。でも、純ちゃんが、彼女との友情を優先するというのなら……母さんには何も言えない」


 顔を上げるとそこにあったのは、お説教モードのそれではなく、困惑の表情を浮かべた母さんの顔だった。


「自分の人生よ。自分で決めなさい。この母に従って安穏な人生を送るか。この母を敵に回してでもエミリア王女との友情をとるか」


 母さんを敵に回して?


 どういうことだろう。

 そう、母さんは、エミリア王国を面倒なものとたびたび言った。

 そのことが関係ある?


「……母さん、何度も聞こうと思ってたんだけど、どうして母さんはエミリアを面倒な国だなんて言うの?」


 僕が尋ねると、母さんは困惑の表情を深めた。


「王侯貴族が平然と市民の人権を蹂躙する権利を持っている国。宇宙のバランスを崩しかねない軍事力を持つ国。人類の歴史を左右しかねない貴重な資源を独占する国。今回のことが無かったら、母さん、絶対に関わり合いになんてなりたく無かったわよ。それだったら頑固な自由圏の国を相手にしている方がよほどマシ」


 何度もため息を混じらせながら母さんはそう言った。


 言われてみればまさにそのとおりだった。

 僕が首を突っ込んだエミリアと言う国は。

 宇宙でも類を見ない特殊性を一そろい備えた、例外事項の見本市のようなものだ。


 だけど。


「それだけで、母さんを敵に回すってことにもならないよね」


 母さんはようやく少し表情を崩して、うなずいた。


「そうね。だけど、もし彼女との友情を優先するのなら、そのくらいの覚悟をして進むのよ、ってこと」


 それは、セレーナとの友情を優先しても良い、ってことなのか。


 だめだと頭ごなしに言ってくれた方が良かった、といまさらながら思う。

 だけど、母さんは、それは僕が決断することだ、と言った。


 やっぱり僕は子供だな。

 母さんにだめだと言われたからと、それを言い訳にして、自分で決めることから逃げていた。

 これじゃ、いつまでたっても、母さんに本当のことを教えてもらえっこない。


 だけど、きっと母さんも、迷ってるんだと思う。仕事上の立場と、僕の母としての立場と。さっきの迷いの表情は、それなんだと思う。

 だったら、僕が決めなきゃ。



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