第六章 母なる地球(1)
■第六章 母なる地球
後ろからとんと押されて、僕は再び兵員宿舎に押し込まれた。ただし今度は、金髪美少女も一緒だ。
「それは預かろう、通信機のようだから」
大男は目ざとく僕の左手のジーニーインターフェースを見つけてもぎとった。セレーナの登場で、これが助けを呼んだトリックだということがばれたようだ。
僕らの後ろで扉が閉まる。
浦野は、これはこれで呆けたように僕らを見つめる。
何だろう、何か言うべきなんだろうけど。
「……そういうわけで」
と、僕は意味不明の言葉を口から漏らしていた。
「……誰?」
セレーナが僕に尋ねた。そりゃそうだ。
「高校のクラスメイトの、浦野智美」
「意味が分かんないんだけど」
「僕を拉致するときの目撃者ってことで」
僕が簡潔に説明すると、セレーナは、一息、ため息を漏らした。
「馬鹿ね、こんな時にデートなんて」
「違うから」
違うんだっけ。駅前の洋菓子店にプリンを一緒に買いに行くことは、まあ、デートと言っても差し支えないような気はしてきた。
「……あの、ひょっとして、お、王女様?」
ようやく呆けから回復した浦野が言った。
「なんだ、聞いてるのね。そ。セレーナ・グリゼルダ・グッリェルミネッティ、エミリア王国第一王女。トモミと言ったかしら、よろしく」
セレーナがそう言いながら浦野に歩み寄り、右手を差し出した。
浦野は震える右手をおずおずと差し出しながら、
「あっ、そ、その、お目にかかれて光栄です、王女様、えーと、大崎君、なんていうんだっけこういう時」
「殿下」
僕が言うと、セレーナが振り向いた。
「うわ、最っ低。あなた、自分は私のことファーストネームで呼び捨てるのに友達には敬称で呼ばせるんだ。何様のつもり?」
「いや、あくまで一般論として」
「へーえ? じゃ、あなたは一般人じゃなくてこのエミリア王女を呼び捨てに出来る特別な人間だとでも言いたいわけ?」
「そ、そんなこと言ってないじゃないか、なんだよセレーナ、妙に突っかかるじゃないか」
「突っかかりもするわよ、あなたが全く不用心にほっつき歩いたせいで、また無関係の人巻き込んで!」
「そ、それを言うなよ、僕だって反省してるんだから……」
「反省してるように見えないわよ、にやにやしながら『そんな時は殿下って呼ぶんだー』なんて――」
「あわわわわ、け、喧嘩はやめてくださいよう」
言い合っているところに浦野が割り込んできた。
そんな浦野を見て、セレーナはさらに僕を罵ろうとしていたのをやめて、ため息をついた。
「この馬鹿にはこのくらい言わなきゃ分からないのよ」
と浦野に向かって言う。
「お、大崎君は馬鹿じゃないです、その、あたしがプリン食べたいとかって付き合ってもらってただけで、……大崎君は悪くないんですよう、……殿下」
「……あー、はいはい、分かったわよ。こいつが何でも安請け合いする癖は私も知ってるから。あ、あと、その、殿下ってのやめて。セレーナって呼んでちょうだい。じゃないと、こいつの地位が相対的に上がっちゃうから」
僕の地位が上がるのがそんなに嫌か。
「あ、あの、殿下がそうおっしゃるなら、あ、いやえーと、セレーナさんがそう言うなら……」
セレーナは、もう一度大きなため息をつき、それから、さっきまで僕が座っていたベッドにどさりと腰を下ろした。
結果として、僕は洗面台の前の簡易椅子に座ることになった。
「あーあ、やられちゃったわ。我ながら馬鹿なことした。それにしても、それもあなたのせいよ!」
と言ってまたセレーナは僕をにらみ付けた。
「なんで僕が」
「あんなとこで情けない悲鳴あげるから気を取られちゃったんじゃないの。じゃなきゃ、あんなに易々とリボン取られたりしないわよ」
と言うことで、セレーナの救出作戦の失敗の原因は僕ということで確定したらしい。
もはやこれに反論するのはよしておこう。
「……で? ジュンイチのことだから、何か考えがあるでしょ?」
セレーナが言うと、なぜか浦野も目を輝かせて僕に注目した。
困った。
実はもう無い、なんて。
いや、セレーナにならそう言っても平気なんだと思うんだけど、浦野が、なあ。
うーむ。
隠してもしょうがないか。
「……正直、何も無い」
僕が言うと、浦野はあからさまに肩を落とした。少しは明るくなったと思っていた表情も、再び曇っている。
「やっぱり、そっか」
これが一方のセレーナの言葉だった。
もちろんその言葉に一番驚いたのも浦野だ。
「じゃ、じゃあ、セレーナさんは?」
「ま、お手上げってとこね」
「そ、そんなにあっさりと。みんなで何か考えましょうよう……」
泣きそうな顔で浦野。
「大丈夫よ、なんだかんだで最終的にはジュンイチが何とかしちゃうから」
「そんなに――」
――買いかぶられても困るんだけどな。
と思ったが、浦野が何とも言えない悲しそうな目で僕とセレーナを交互に見るものだから、それ以上口に出すのはやめておいた。
***
夕食が終わって、就寝までの時間、セレーナと浦野は雑談に盛り上がった。初めて会った二人がここまで仲良しになるのは結構なことだが、その内容が、どうにも、僕を馬鹿にすることだってのが気に食わない。
浦野は言葉では僕のことをほめちぎっているように見えて、僕の過去の失敗談を織り交ぜで間接的にかつ効果的に僕を馬鹿にしているようで。
やがて、そろそろ寝ようか、ということになり、照明を落とした。
僕と浦野は最初と同じ、部屋に入って右と左の下段ベッド。そして、セレーナは僕のベッドの上段に陣取ることになった。こんな時になって浦野が、王女様は危ない上段はやめた方が良いから交代します、なんてことを言いだしたが、一度他人が乱したベッドを使わせる方が失礼じゃないかね、と僕がたしなめて、その配置が確定した。
照明が消えても、やっぱり、しばらく眠れなかった。
結局、セレーナは来てしまった。
助けに来てくれたことはうれしいんだけど、ここまで何も考えなしに真正面からくるなんて思ってなかったから。
と言って、もし僕が逆の立場だとしても、大慌てで身一つで助けに出ちゃうかもしれない。
一秒遅れることが、セレーナを一秒余計に危険にさらしていると思ったら。
たぶん、居ても立っても居られない。
何十光年以上の多段ジャンプ航行で、宇宙で一番早くたどり着けるのは、おそらく、小型のマジック船。セレーナのドルフィン号だろう。
それしかないと思ったら、細かいことは後で考えよう、ってことにして飛び出しちゃうかもしれない。
そんなわけで、彼女も虜囚となってここにいるわけだ。
早くも浦野の寝息が聞こえてきた。
今日もいろいろとあって疲れただろう。昨日も一昨日も、実は、夜中に彼女の押し殺した泣き声が聞こえていた。眠っても深く眠れていないだろうな。今晩も、何度も夢に起こされて、一人でひっそりと泣くんだろうと思う。何もできない僕が、情けなく腹立たしい。
二段ベッドの階段がきしむ音がした。
僕の足元に、何かが乗る感覚があった。毛布がこすれる音がそれに従う。
「セレーナ?」
「しっ」
そう言って、彼女はベッドのカーテンをくぐってそっと閉め、僕の頭の方に近づいてきた。
僕は、ひとまず大きな音をたてないように上体を起こす。
このシチュエーションで夜這い、ってわけでもなさそうだけど。でも念のため、
「最後の思い出づくりとかってわけじゃないよね?」
セレーナの答えは無言の暴力だった。グーで後頭部。
「昼間はちょっとカリカリしてたわ。ごめん。あんまりあっさりと捕まっちゃったもんだから、腹が立って」
「僕に?」
セレーナが小声で言うので僕も小声で返した。
「いいえ、自分に」
「だったら気にしないで。君が来てくれてうれしかった。もうちょっとやり方は考えてほしかったけどね」
僕が言うと、どういうわけか、セレーナはくすりと笑った。
「で、どうするつもり?」
「いや、本当にどうするつもりもないんだけど」
「……言い方を変えるわ、何か、当てがあるんでしょう?」
彼女にそう言われて、確かに僕がこれだけ落ち着いていることにも、実は理由がある、ということに気が付いた。
「……ジーニー・ルカが、このことを知っている」
僕が言うと、闇の中でセレーナが軽く息を吐いて、うなずいた気配がした。
「君に知られるとまた面倒になりそうだったから、君に知らせないように念を押して、オーダーを出してある」
「なるほど。あなた、本当にジーニー・ルカを信頼しているのね。うらやましいわ」
どっちをうらやんでいるんだろう。僕はジーニー・ルカと同じくらいにはセレーナを信頼している。大王国の筆頭王位継承権を持つ王女という絶対的な権力を持っている割には案外やることが抜けているという実務面の手落ちを差し置いても。
「私にも話せない秘密でなければ教えて」
セレーナに問われて、この二日間、何度か監視の目を盗んでジーニー・ルカと連絡を取り合ったことをセレーナに話した。
最初の連絡の後、次にジーニー・ルカと連絡を取った時には、ジーニー・ルカは僕らの居場所を特定していた。僕らがいるのは、北米大陸西岸、サンフランシスコ市近郊のロックウェル連合国大使館。
次に、これを誰かに伝えることを考えた。ジーニー・ルカとのインターフェースを通して地球新連合の誰かに通報しようと一度は考えた。だが、その場合の発信者は、ジーニー・ルカ、すなわち、彼が乗る船に挿さっているIDの主、セレーナだ。それはセレーナ発の星間通信の形となり、たちまちロックウェルスパイ網の星間通信傍受に引っかかってしまう。僕がそんな手を打ったことがばれたら、僕はともかく浦野に危険が降りかかる。加えて、最後のジャンプ地であるアンビリアがロックウェルの影響下にあることを考えると、セレーナをも危険にさらす。
結局、僕の命令で、ジーニー・ルカは、僕がとらえられているという客観情報を伝播インデックスを最大化したレコードとして共有事実事項として拡散し……要するに、ジーニー・ルカが僕のピンチをジーニー・ネットワーク内で暗号化された大声で叫ぶ、という間接的な手段をとるしかなかった。
きっと僕と浦野が連絡もなく帰宅しないことは、すぐに騒ぎになる。その捜索の際に、もしかするとジーニー・ネットワークから伝播してきた情報が照合されるかもしれない。
この情報が、誰でもいい、耳に入れば、セレーナ以外の新たな助けが得られる可能性がある。
まあ、ジーニーインターフェースを取り上げられてしまうとわかっていれば多少危険でも星間通信で直接通報しておけばよかった、と今になって後悔するところもあるのだけど、過ぎたことを悔やんでも仕方がない。
「……私が馬鹿みたいに身一つで助けに来たりしなければ、直接通報も出来たしジーニーインターフェースも奪われずに済んだわけね。あーあ、私って本当にだめね」
小声のトーンをさらに落としてうなだれるセレーナ。
「いいや、それはお互い様。君はこの事件にエミリアが国として関わることを避けたかったんだろ? もしそうすれば僕の扱いについてエミリア内でも大ごとになるだろうから。だから君は一人で来たんだ。僕に面倒を押し付けずに僕を助けるため」
なぜセレーナが単身乗り込んできたのか、僕なりに得た結論をぶつけてみると、
「……あなたに隠し事をしても無駄ってことは分かったわ。ええ、その通り。国として公式にあなたの解放を求めれば国家間の問題になるし、その原因になったあなたに対して、きっとどっちの国も無理難題を押し付けるはず。でも、エミリア王族の私が乗り込めば、大使レベルでは圧力に屈するかもなんて計算があってね。馬鹿ね、あの大使。私を捕まえたことで、多分今頃、本国からこっぴどく叱られてるわよ。この場合は、知らぬ存ぜずで私を穏便に帰らせることが正解。私はそのつもりで次の行動を考えてたんだけど……ここの大使があんなに馬鹿だなんて思わなかったの」
「……ま、あの大使の馬鹿さ加減には僕もうんざりしてるからね」
暗闇の中の空気の動きだけで辟易の感情を伝えてみる。
セレーナの方から、慰めの空気が漂ってきた。
「それにさ、君がこちらに来るって分かったから、もう一つ手を打つことができた」
暇な時間はひたすらその『文面』の検討に費やされた、一通の手紙について、僕は説明を始める。
「君の名義でね、僕の親父向けにこんな手紙を書いた。君がこちらに向かっていることのカモフラージュにもなるかと思って。『親愛なるオオサキ・ジョウジ様。ご子息の多大なるご協力に感謝するため、個人的にお礼のためにお伺いいたしたく。突然の訪問でご迷惑をおかけします。ジュンイチ様に習った古代言語の詩を創作しましたのでご無礼のお詫びまでに。サザナミノ クワノミナトノ スムミズノ イワトノイドニ ワクヲマツラン』」
まあ、きょとんとするだろうと思う。暗闇の中でここまできょとんという空気を人間が伝えられるんだということを知ったことは今夜の収穫かもしれない。
「サザミ……なんですって?」
「僕の住んでる地方では習うんだよ。昔日本っていう国でね、日本語っていう独立した言葉があって、その言葉遊びの短い詩文があるんだ。簡単に翻訳すると、きれいな水がクワの港にあって、岩でふさがれた井戸から湧き出すのを待っています、みたいな意味」
「……で?」
「うん、本当に言葉遊びなんだ。僕の名前、ジュンイチは、『純粋な』って意味がある。それをきれいな水と表した。この大使館のあるサンフランシスコ市のことを古い日本語の文字で書くと『桑の港』。岩の井戸、つまり『ロックウェル』にふさがれて早く外に出たいよ、って言う意味」
セレーナは何度か小声で反芻している。
気づかれちゃならないと思ってちょっとひねりすぎた気はするけれど、考えたときには注意しすぎてしすぎることはないと思ったし。むしろ出来上がったときにはすっごい得意顔だったし。
「それって、誰でも理解できるの?」
「五分五分。親父はそういう遊びは好きだから、ひょっとすると分かるかもしれない。母さんは学があるから、それはそれで期待できる。まあ、日本語なんて知るはずのない君からこんな短詩が届いたら、ずいぶん頭をひねるんじゃないかな」
「あなたって……すごいのね。古代言語の知識まで」
またまたため息をつきながらセレーナが言った。
ほめられて、すごいだろう、と胸を張っても良かったんだけど。
「うん、実はね、浦野の発案」
そう言いながら、寝息を立てる浦野の方にカーテン越しの視線を向けた。
「彼女も、がんばって考えてたんだ。だけど彼女、君と違ってそんなに自信を持てない子だからさ、この手紙なんてきっと何の役にも立たないって思い込んでる。だけど、僕は、これが必ず何かの役には立つと思ってる」
「私にはその短い詩の評価は出来ないけれど……巻き込まれただけで怒ってもいいはずなのに、自分に出来ることをしようとしてくれたトモミには、感謝しなきゃね」
「うん」
本当にその通りだと思う。
この世の終わりのようにふさぎこんでいる浦野が、それでも、このことを思いついてくれたことには、本当に感謝している。
「感謝したいときにはなんて言うの?」
「そうだね、ありがとう、って言うよ、明日、必ず」
「よろしい」
セレーナもきっと、そうしようと決めているだろう。
「それにしても、トモミのほうがよっぽど歴史学者に向いてるわよ。古代言語を読み書きができるってだけで」
「いやいや、歴史学ってのはそんな単純なものじゃなくて」
「それでもあなた一人よりは、ね。二人にその気があるなら、きっとあなたたちは良いコンビになるわ」
それからセレーナは大欠伸をして、眠くなったと言いながら上段に戻っていった。
彼女の最後の言葉がなんだか寂しそうだったのは僕の気のせいだっただろうか。
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