第五章 侵食(4)
「おい、起きろ」
揺さぶられて僕は起こされた。
椅子に座ったまま、本当に眠り込んでいたらしい。
眠りは浅く、状況はすぐに思い出す。
そうそう、僕は誘拐中。
眠る前に聞こえていた飛行機のエンジンの轟音は聞こえない。
もう着陸しているらしい。
見ると、浦野はすでに立たされている。
僕もちょっとふらふらしながら立ち上がった。
最初に乗ってきた車に乗せられ、車ごと飛行機を降りた。
そこから車に乗っていた時間は、また随分だった、としか言えなかった。一時間はかからなかったと思う。
大きな建物の前に車は横付けした。
そこで車を下ろされ、建物に向かって歩かされる。
僕は注意深く周りを観察する。右側には灰色の建物の外壁、その前の植え込み。左側も同様だけど、その手前に、大きな文字の書かれたプレートが見える。
ああ、そうだったのか。
これは、今度こそチェックメイトだ。
そのプレートには『ロックウェル連合国在地球新連合大使館』とあった。
ロックウェルに身柄を拘束された僕が頼れるのは、もう誰もいない。
僕一人の力で解決するしかない。
せめて浦野を。無関係の浦野だけでも、無事に逃がしてあげなきゃならない。そのためには、僕もいろいろと妥協をしなくちゃならないだろう。ちょっとばかりの不利益は我慢しなくちゃならないだろう。
大使館の玄関をくぐり、ホールの脇の小さな扉に案内される。扉の内側は階段。上に向かうと思いきや、下に行くよう命令された。
階段を降りたところは、暗い廊下。濃い緑がかった樹脂タイルの床、コンクリートむき出しの壁。遠くは真っ暗になって視界から消えている。空気がかび臭い。
左右に扉が並んでいるが、そのひとつ目の前で僕らを案内していた大男は止まり、扉を開けた。
中に入ると、そこは、なんというか、二段ベッドが向い合せに二台あり、その奥に簡易のデスクと洗面所があるだけの部屋。一言でいえば、雑居房、かな。よく見ればベッドの陰にトイレらしき扉も見える。
「不便をかけるが、しばらくここにいてほしい」
彼はそれだけ言い、僕らを中に残して外から鍵をかけた。
茫然と立ち尽くす僕と浦野。
しかし、いつまでも立っているわけにもいかない。
「浦野、疲れたろう、少しベッドで休みなよ」
僕はそう促してから、自分も近いほうのベッドに座った。
シーツは新しいものみたいだが、マットから埃っぽいにおいが吹き出す。
「大崎君、あの、さっきは、ありがとうね」
浦野は言いながら、同じようにベッドに腰掛けた。
「え、な、何が?」
「ほら、トイレがどうとか言って、あたしを落ち着けてくれたじゃない」
「あ、ああ、あのことか。ま、ちょっとでも気がまぎれればと思って」
「……大崎君、強いんだね」
僕のその強さは、きっとセレーナに支えられたものなんだけど。
「でもね、大崎君、君、一体何に巻き込まれてるの?」
そう言われると、実のところ僕にもよく分からない。
ただ、いくつかはっきりしていることはある。
「……ここは、ロックウェル連合国の大使館みたいだ。たぶんその秘密の地下牢的な場所。なんというかその……思い当ることは山ほどあるんだけど」
「山ほど?」
浦野が訊き返してきたので、僕は整理しながら語る。
「えーと、まず、僕らがロックウェルの艦隊をエミリアに導いてそこで大恥をかかせちゃったこと、僕が究極兵器を見つけたなんて口走っちゃったこと、その秘密を探るためにスパイが僕らを襲ったこと、エミリアに究極兵器の正体を知らせに行ってそれをこっそり星間通信で漏らしていたこと、うーん、あと、何かあったかな」
「……な、何の話?」
浦野が目をぱちくりさせている。僕は肩をすくめて見せた。
「その、さ。前に話したことは全部本当で。あの時の金髪の子は、エミリア王国っていう宇宙の彼方の国の王女様で、僕は、王女様を助けてロックウェル連合国をこてんぱんにしちゃったっていう話で……」
「じょ、冗談じゃ……なかったんだあ」
そう言って、浦野はがっくりと肩を落とした。
「じゃ、これって、全部、本当に陰謀な話なんだねえ。あーあ、短い人生だったなあ」
「ま、待ってよ、まだ殺されちゃうとかそんな話じゃないからさ。やるつもりならいくらでもやる機会はあったんだし」
「でもねえ、あのおっきな人、目撃者は捕まえる的なこと言ってたじゃない。重要人物の君はどうだか知らないけど、あたしはきっと真っ先に口封じか、見せしめにグサリ。サスペンスドラマだと必ずそうだもん。まだ、死にたくないなあ」
言いながら、彼女の目にはみるみる涙がたまって、ぽろぽろとこぼれ始めた。
「お父さんにもお母さんにも、お別れできなかったなあ……っ、ひっく、……恵美ちゃんにも裕子ちゃんにも……う、うう……」
彼女はひざの上においた両手を握りしめ、うつむいて震えている。
「浦野、落ち着いて。僕が絶対にそんなことさせないから」
「無理だよう、あたしたち、単なる高校生だもん……本気の大人になんてかなわないもん……」
浦野の涙は止まらない。
もし僕が逆の立場でも、絶望しか感じられないだろう。
だからこそ、僕が、何とかしなきゃ。
「……彼らの狙いは、どちらにしろ僕で、僕を生かしているってことは、僕の何かが必要なんだよ。交換条件で君を開放するように交渉する。ね、だから落ち着いて」
浦野は、しゃくりあげながらうなずいた。
彼女が落ち着くまで、それから、五分ほどはかかっただろうか。ようやく、涙を拭いて、顔を上げた。
「……ね、大崎君」
改まった顔で僕を見つめる。
「何?」
彼女を開放するためなら何でもしよう。なんでも言ってほしい。
「……キスして」
「は?」
予想外の言葉に僕自身さえ予想しなかった甲高い声が出てしまった。
浦野は顔を真っ赤にして一回うつむいたが、もう一度顔を上げた。
「君があたしのためにいろいろ頑張ってくれるだろうってことは、わかる。きっとすごく頑張ってくれると思う。でも、もしそれでもだめなら……あたしさ、男の子とそんなことしたことなくて。知らないまま死んじゃうなんていやだもの。最後の思い出に……ね、お願い」
そんなことさせない。最後の思い出になんて絶対にさせない。
「だめだよ。僕は絶対にあきらめない。必ず君も僕も助かる。だから、それは、本当に好きな人のために取っておくんだ」
「あたしの本当に好きな人が……大崎君だとしても?」
……え?
いや、そんなことは、さすがにない、んじゃない、かな。
いや、好きと言われて悪い気分じゃないけど。
いやいやいや。
「いや、その……急に言われても、あ、い、嫌ってわけじゃなくてさ、その、心の準備が……」
僕がしどろもどろしていると、
「……冗談よう。そんなにあわてるなんて思わなくて……ごめんね。あと、ありがとう。大崎君なら、きっと何とかしてくれるんじゃないかって思えた。やっぱり、大崎君は、強くて優しいな。もうちょっとで本当に惚れちゃう」
……焦った。あそこまで真に迫った冗談だと、さすがに。
「心臓に悪い冗談は無しだよ、本当に……。でもこういう時は、なーんだ、残念、とでも言っておけばいいかな」
浦野の顔がちょっとだけ笑った。
良かった。
こんなときは、とにかく心を強く持たなきゃ。
くじけないこと。
あがくこと。
……笑うこと。
それが、セレーナとの旅で僕が学んだこと。
だけど、それにしても困った。ここまで四面楚歌の絶体絶命ってのは、さすがに経験がないものだから。僕が本当に困ってるってことが浦野にばれる前に、何か手を打たないと。
と思っていると、ドアの鍵がガチャガチャと鳴る。
続けてすぐにドアが開いて、少し小太りの中年男が、大男を従えて入ってきた。
彼は僕らの前を通り過ぎて、奥のデスク前の椅子をくるりと回すと、どさっと座った。
「ようこそ、オオサキ・ジュンイチ君。私はフランクリン・デューイ。賢い君のことだからお気づきだと思うが、ロックウェル連合国の連合大使だ」
彼はそう自己紹介した。
「簡潔に聞きたい。君は、エミリアで、マジック爆弾のことを話したらしい。君は、どこまで知っているのかね」
僕が知っていること?
だけど、その前に。
「……僕は何も隠すつもりはありませんし、嘘を言うこともありません。約束します。その代り、この子は、開放してもらえませんか」
「傾国の秘密と引き換えにするほど大切な女なのかね?」
フランクリンは脂ぎった頬にいやらしい笑みを浮かべた。
「違います。僕にとってこの秘密には何の価値もないからです。でも、この子を開放する交渉の材料として十分な価値があることも知っています」
フランクリンは短い脚を組みなおした。
「ふん、さすがにあのじゃじゃ馬王女を乗りこなしていただけあって、言うじゃないかね。良いだろう、君がしゃべることが価値のあることだと私が判断すれば、その女はすぐに帰してやろう」
「開放するのが先です」
「それは譲れんな、君が嘘をつくかもしれん」
「絶対に嘘はつきません」
「そんなガキの戯言を信じるような馬鹿がこの地位にいられると思うかね」
彼は口元をゆがめて、ねめつけるように僕を見下ろした。
「いつまでも意地を張れば、それだけ、君たちの身は危険に近づくだけだぞ、ん? 君にその覚悟があっても、そっちの女はどうかね?」
「かっ、関係ない人を巻き込んで、あなたは恥ずかしくないんですか!」
僕は思わず声を上げた。
「無関係な人間だからこそ、その女が交渉の材料として十分な価値があるということを、私は知っているのだよ」
彼は僕の言葉を真似ながら、ゆがめた口の隙間から白い歯を見せた。
結局、僕らは完全に虜になっていて、どうあってもこちらが譲歩するよりないことは明らかだった。
彼が信用できるか?
それはもちろん、ない。
しかし、唯一の望みにかけるしかないのだろう。この立場では。
「……わかりました。話します。必ず彼女を放してください」
「もちろん」
フランクリンはにこにこと笑いながらうなずいた。
「では……あのマジック爆弾のことを。あれは、実のところを言うと、全くのでたらめなんです」
別にいいだろう、どちらにしろ元々この世に存在しない兵器だし、エミリアがそんなものを持っていないことはいずれ明らかになることだろうし。
「でたらめだと?」
フランクリンの瞳が落ち窪んだ眼窩の奥で鈍く光る。
「そうです。最初から、僕のでたらめだったんです。ただ、それを本当らしく話して聞かせて、彼らをだましていた。それだけです」
「そんなでたらめを作った目的は何だね?」
「……最初は、もちろん、あなた方のエミリア侵略を止めるためです。僕のでたらめにあなた方のジーニーはだまされてくれた。次は、エミリアの貴族たちが僕の見つけた究極兵器の正体を知りたいとうるさかったから、王女殿下に協力して、僕がそのでたらめの理論を彼らに説明したのです」
フランクリンは、顔から笑みを消して僕の話に聞き入っていたが、僕がそれ以上語らないのを見ると、大きくため息をついて立ち上がった。
「……君が約束を守らないなら、私も約束を守るわけにはいかんようだな」
「えっ、いや、本当です!」
僕があわてて言っても、彼は首を横に振る。
「……ふん、そんな幼稚な嘘が通用すると思ったかね。え? マジック爆弾がでたらめだと? では、我がロックウェルが開発中のマジック爆弾は一体なんなのかね?」
それはまさしく、爆弾発言だった。
僕の妄想の産物であるはずのマジック爆弾を、ロックウェル連合が開発している?
「我々も手がかりこそ得たものの、開発は停滞中なのだ。君がどこでその情報を手に入れて我が軍を手玉にとったのか……それを解明するのが私の目下最優先任務でね。君が素直にスパイの正体を明かすのなら、もちろんそちらの女のことも考えてやってもいいと思っておったよ。だが、君がそのような態度をとるのなら、仕方がないな」
「そ、そんな。僕は本当にでたらめをでっち上げたんです」
「まだ言うのかね。我々の目が節穴と思っているのか? 君が最近、オウミやリュシーを訪ねていることは知っている。でたらめを作るのにそんなことが必要かね? どこかにいるスパイの連絡員とでも接触していたのではないかね? 私の言いたいことはもう分ったろう?」
何ということだろう。
リュシーまでの行動は結局は筒抜けだったわけだ。
考えてみれば当たり前だ。
リュシーはロックウェル連合国内なのだから。
狼狽してしまい、弁明をすべき場面なのに、僕は口から出す言葉を決めきれずにいた。
「交渉は決裂だ。秘密を話す気になったら呼びたまえ。そうでなければ、少なくとも、我々のマジック爆弾開発が成功するまでは、ここにいてもらうことになるだろうな」
彼はそう言い捨てると、大股で扉を出て行った。
彼に付き添っていた大男は彼の後を追い、扉に鍵をかけて行った。
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