第五章 侵食(3)
車は、都市高速道路を走りぬけ、地方高速道路に乗った。
一時間くらい走ってたどり着いたのは、ちょっと大きな都市、そこでジャンクションを脇に入って別の高速道路へ。
十分も走ったところで、車は高速道路を降りた。
もちろん後部座席は外が見えないようにガラスは真っ黒、丁寧にカーテンまで閉めてあったが、垣間見える運転席からの風景から見えた限りの情報だ。
とにかく今は、どこに連れて行かれるのか、それを推測するための情報をひとつでも増やさなければならない。
一般道路を、何度か走ったり止まったり、右に左に曲がったり、ということを繰り返し、なにやらゲートのようなものの前に止まった。
僕らを後部座席に押し込めている大男は、頭を伏せて静かにしていろ、と言い、運転席の男は、ゲートの係員と何かを話している。
それから、トランクが空いた音。
多分、トランクの中身をチェックしているのだろう。
十秒もせずにトランクが閉じる。
そのとたんに大男は座席を立ち、後部座席をいきなり前に倒した。
え、倒れるんだ、それ。
と思っていると、その倒れた隙間に入るよう僕に命じ、僕が従うと、続けて浦野を促す。無言で泣いている浦野は従う元気もなく、無体に抱えられて押し込められた。何か四角い、赤いランプの光るものを僕らのそばに置き、声を出したら安全は保障しない、と告げた大男によって前に倒れた椅子はすぐに閉じられ、真っ暗になった。
体がほぼ密着すると、浦野は僕の右手を両手で掴んだ。その手は驚くほど震えている。
小声で、大丈夫、と言う。
ちっとも大丈夫じゃないことは僕が一番良く知っているんだけど。
大声で助けを呼ぼうとも思ったが、大男が置いた四角いものが気になった。多分、神経刺激スタン弾とか言うやつだと思う。電気的に炸裂すれば至近の人間を神経銃と同じようにひどい目に遭わせるもの。そういうものがあると聞いたことがある。
椅子の背の向こうで、ドアがばたばたと開いたり閉じたりする音が聞こえる。
多分、ゲートの係員が、乗っている人間のチェックをしているのだろう。
それが終わって車が動き出すと、僕らはようやく狭いトランクから開放された。
つまりこれは、僕らがそのゲートのセキュリティを突破するための実に原始的なトリックなのだった。
そして、それだけのセキュリティをくぐってたどり着いた先は、一体どこなのか。まださっぱり分からない。
トランクから開放されて以来、浦野はずっと僕の手を握っている。
その手の震えはおさまらない。
こんなとき、なんて言葉をかければいいのだろう。
大丈夫。
心配しないで。
必ずなんとかする。
いろんな言葉は浮かんだけれど、僕は、一つだけ、恐怖と絶望に駆られた女の子を一気に俗っぽい現実に引き戻した言葉を覚えていた。
「浦野……トイレは大丈夫?」
その言葉に彼女は顔を上げ、それから、絶望とは程遠い目で僕を見た。
「……え?」
「ト・イ・レ。もう長いからさ」
僕が言うと、彼女はちょっと下を向いて、それからちょっと顔を赤らめた。
「うん、言われてみれば」
「どうにかなんない?」
次いで僕は隣の大男に言った。
「あと十分間、我慢を」
丁寧に、でもぶっきらぼうに男が言った。
「だそうだ。もうちょっと大丈夫かな」
「うん、大丈夫」
浦野が答えた。そのときには、浦野の手の震えは、もう僕の手には伝わってこなかった。
***
五分くらいの間、車はのろのろと進んだり少し停車したり、を繰り返していたが、やがて急勾配の上り坂を少しだけ登った。薄闇だった光景が突然真っ暗になった。
それから少したって、大きなガチャンという音がし、車の中には室内灯の明かりだけが入ってきた。
「降りても、よろしい」
大男が言いながらドアを開けて先に出て行った。
僕が続き、最後に浦野がついてくる。
出てみると、何か大きな円の中にいた。
どうやら車ごとその円筒の中に収容されているようだ。
リング状の骨組みがむき出しで、足元だけ、平らな板が施されている。金属と油の臭いが鼻を突く。
促されて車の前方に向かって歩くと、その先に鉄製のドアがあり、くぐると、長椅子が向かい合わせに置かれた部屋だ。その背もたれの上には、窓もある。
僕は興味を抑えられずに窓から外を覗いた。
広い舗装された地面が見える。
道路や駐車場にしてはあまりに広い。
そう、それは、滑走路のようだった。
「トイレならこちらだ」
大男は、浦野を連れてさらに前方に行ってしまった。
僕は、長椅子に座らされた。
合皮製らしい椅子はクッション性が低く、ひどいすわり心地だ。無骨なシートベルトが無造作に並んでいる。この乗り物が何なのか、もう目星は付いている。どうせ加速で放り出されないようにシートベルトをしろ、と言われるだろうから、その前にベルトを締めた。
トイレから戻った浦野は、僕から一番遠い向かいの長椅子の端に座らされた。それぞれの隣に、僕らを監視するための人が付いた。
少しすると、轟音が響き始め、全体が動き出した。
しばらくゆっくりと進んでいたかと思うと、最後に音はひときわ大きくなり、強烈な加速があって、それから、ふわりと浮き上がったのが分かった。
空しか見えなかった向かいの窓に、一瞬、広い海が映った。
僕はそのとき、マジック船にはあれだけ乗ったことがあるのに、飛行機に乗るのは初めてだな、なんて場違いなことを考えていた。
いや、正直に言うと、もうじたばたしてもしようがない、と思ったからだ。
もし僕の命だの何だのが目的なら、こんな手間はかけない。
少なくとも、当面は身の安全は確保されるだろう、と思った。
飛行機はどんどん高度を上げ、窓から見える空の色が紺色になったところで水平飛行に移った。
浦野はもう泣いていない。ただ、うつむいているだけ。まずは彼女が落ち着いてくれたようで、それだけは良かった。
どのくらい時間がたっただろう、と思い、情報端末を取り出して時計を見ようと思ったところで、即座にそれは横にいる男に取り上げられた。仕方がないのでその男に時間を訊くと、東京時間で午後九時、到着は翌日午前三時になるだろうと言った。
一体どこに向かっているのだろう。
こういう騒動の中だから、てっきり宇宙のどこかに拉致されると思っていたが、想像に反して、僕らは地球のどこかに向かっている。
彼らがどの勢力に属しているのかも相変わらずわからない。
エミリアであれば、という思いはあるものの。
それがはっきりするまでは下手な行動はとれない。
ああ、そういえば、紺のブレザーの高校制服そのままだな、せめて私服に着替えて来たかったな、なんてつまらないことを思いつく。浦野もそのままだ。このまましばらく監禁でもされるんだとすると、ちょっと窮屈だな。
端末も取り上げられて、ちょっと出かけてくるなんて連絡も出来ないし、困ったな。
いや、出かけるとかじゃなくて、これ、誘拐だから。
れっきとした犯罪だから。
僕と浦野はこの上ないほど分かりやすく犯罪被害者なのだった。
セレーナと会って以来いろんな無茶はやってきたけど、ここまで一方的に被害者になっちゃったのは初めてだな。
誘拐されているという状況にもかかわらず、僕は、暇を感じていた。あまりに暇で、この状況で考えるようなことでもないことが次々に頭に浮かんで去っていく。
浦野の家の明日の朝食はどうするんだろうな。浦野がパンを買って帰らないと。
ああ、早く帰れって言われてたんだった。母さんにまた叱られちゃうな。
結局、帰ってから自分のベッドでゆっくり寝たのは二回だけか。
まだ宇宙時差ぼけが残ってるのか、眠いな。
居眠りしたら怒られるかな。
でも、やっぱり眠い。
この後の行動に備えて、ちょっとだけ目を閉じてみよう。
そう、あくまで仮眠だから。ちょっと休憩するだけだから。
ちょっとだけ。
ちょっと目を閉じるだけ。
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