第五章 侵食(2)
翌日も、当たり前の学校。
しかし、どうやら僕を囲む話題の輪はようやく途切れそうになってきた。
昨日は、休み時間の度に僕の周りにクラスメイトが集まってきては、あの宇宙船は何だだの一週間以上何をしてただのと質問攻めにするもので、次の授業の準備もままならなかったくらいだ。しまいにはクラスメイトどころか隣のクラスだの別の学年だのの人まで混ざっていた気がする。
今日はそれがようやく落ち着いて、授業が終わって一人で大きな欠伸をするくらいの余裕ができていた。
「ようやく落ち着いたねえ」
二限目の後の中休みに隣から声をかけてきたのは浦野智美。
肩までの真っ黒な髪は、前はもう少し長かったと思うけど、ちょっと前に切ったものらしい。
制服をきっちり着こなす彼女は模範的女子高生と言うべきだろうが、僕の中の彼女の属性はプリン大好き星人。
そう言えば隣の席なのに昨日登校してから今日まで一度も口をきかなかったな。
「うん、騒ぎになっちゃって参ったよ」
「でも大崎君にあんなかわいい彼女がいるなんて思わなかったなあ」
「違う違う、ちょっと説明しにくいけど、そういうのじゃないんだよ、一応」
「あれがもしかしてどっかの王女様とかなんとか? うふふ、大崎君にしちゃ面白い冗談だよねえ」
ちっとも信じてないくせに。
「浦野まで。冗談ってわけでもないんだけど」
「嘘ばっかりー」
「嘘じゃないんだけど」
「隠すことないじゃないのよう。ちっとも女っ気がなかった大崎君に恋人なんだからさあ。しかも超お金持ち!」
「いや違う、ほんとに違うから」
僕が否定しても、彼女はにゃははーと笑っている。
別に特におしゃべりな子というわけでも無いけれど、女子の情報伝播力をなめちゃいけない。せめて浦野の誤解だけでも解いておきたいなあ。
「あ、……そうだ」
浦野と言えば、セレーナが迎えに来た日に決めていたことを思い出した。
「プリンおごってやるよ、な、それで」
「えー。あたしにそんな優しくすると彼女さんに悪いわよう?」
プリンごときで浮気扱いとは、相変わらず浦野の基準は良くわからない。
「ほんとに彼女とかじゃないから、プリン食べれば浦野も納得するって、絶対」
「大崎君がそう言うなら……まあ、納得してあげるけど」
「頼むよ。じゃ、お昼休みに――」
「購買のプリン? せっかく何週間ぶりの大崎君のおごりのプリンが?」
案外小狡い奴だ。とっておきを出させるつもりらしい。
「――じゃなくて、放課後に、駅前のデイジーで」
「うわーい、大崎君、さっすが!」
まあ、こんな風に無邪気に喜ぶ浦野を見るのが楽しいから、ついついプリンを与えてしまうんだけれど、ちょっと甘やかしすぎかな。デイジーのプリンはそんな僕よりもはるかに甘くておいしい、らしいけど。
「なんだか催促したみたいで、悪いねえ」
「……いつものことだし」
「なによう、まるであたしがいつも催促してるみたいじゃないよう」
「僕はそう思ってますが」
「えー。大崎君が自発的にご馳走してくれるから美味しいのに」
彼女はそう言ってほっぺを膨らますが、いや、お前プリンなら何食っても美味しいしか言わないし。
「じゃ今日のプリンは無しで」
と言えば、
「それは困る」
とこれ以上ないほどの真顔。
「どーせあの金髪の彼女さんにもたくさんプリンご馳走してるんでしょーう?」
プリンから離れろ。
「プリンも何もあげてませんから」
「まじで? じゃ私にもチャンスあり?」
「何のチャンスだよ、僕に顔がプリンにしか見えてないくせに」
「うふふ、ばれたか」
こんな風に話していると、浦野はいちいち、セレーナとは真逆だな、なんて思う。なんだか、ほのぼの系。話していて心がほんわかする、というか。
どちらか選べ、なんていう妄想にしかありえないようなシチュエーションがもし生じたら、さて、どちらを選ぶんだろうな、僕は。
なんだか教室の外から浦野を呼ぶ声がし、浦野も、すぐ行くー、と答えてから、
「じゃ約束だよー。放課後、逃げるなよう」
そう言って彼女は立ち上がり、プリンプリンと間延びした声で歌いながら教室を出て行った。
***
昼休みに毛利、マービンとランチを食べているときに、やっぱりセレーナの件を蒸し返されて大変な目に遭ったものの、とりあえず、復帰二日目の学校も無事に終わった。
ただ、この後、浦野に高いデイジーのプリンをおごるというミッションが残っているんだけれど。
帰る前に情報端末を確認すると、親父からメッセージが届いている。エミリアに行っていた件について話があるから早く帰りなさい、と母さんから連絡があった、らしい。今回はほとんど無断事後報告の旅だったから、さすがに怒ってるだろうなあ。超の付く忙しさの新連合公務員の立場にもかかわらずわざわざ連絡してくるぐらいだから。
まあ、浦野にプリンを食わすくらいの時間は許してくれるだろう。
その浦野は、何か用事があるとのことで、ちょっと待ってて、と言い置いて授業が終わるなり教室を出て行っていたが、三十分ほどで戻ってきた。そんなことをしていたおかげで他のクラスメイトはもう教室には残っていない。窓から見える校門を出て行く人影もすでにまばらだ。
「ちゃんと待ってたねえ、偉い偉い」
待たせていた人間の言葉とは思えないけれど。
「ちょっと親が呼んでるからさ、少し急ぐよ」
「えー。うーん、仕方ないか。じゃ、早く行きましょーう」
彼女はかばんを掴んで外に向けてくるっとターンした。
僕もかばんを肩にかけ、それに続く。
廊下を歩き、階段を降りて。
「せっかくデイジーに行くんなら、ちょっと明日の朝食のパンも買ってきてー、なんて頼まれてるから、少しだけ待ってね」
歩きながら浦野が言う。
「まさかそれも僕におごらせるつもり?」
「まさか。自分の分は自分で払うから気にしないで。あ、プリンの分もお小遣いもらっちゃったし」
「……じゃ、僕行かなくて良くない?」
「つれないこと言うなよう。一緒に行きましょうよう」
そんなことを話しながら、いつかドルフィン号が着陸した校庭を横切る。
休みの日にしてくれとは言ったけれど、もうここに着陸するのだけはやめてくれ、とセレーナに言い付けておくのを忘れてたな。
そんなことを考えながら、校門を出て右に曲がり数メートル、何かちょっと違和感を覚える。
地方の小さな標準高校、校門前の通りはほかに商店や会社もなく、あまり人通りが多いとは言えない場所なのに、車が二台路上駐車しているし、通りの前方にも後方にも、それぞれ四、五人の暇そうな人が立っている。情報端末をいじくったり誰かと通話している風ではあるんだけれど、なぜみんな立ち止まってるんだ?
昔の僕なら気にもしなかっただろうけど、セレーナといろんな危険な旅を潜り抜けたおかげか、この異様さにはすぐに気がついた。
逃げようか。
逃げるべきだ。
でも、どうやって。
「何ぼーっとしてるの? あー、あの人のこと考えてるんでしょーう」
浦野が声をかけてきたが、僕は考えがまとまらなくてそれに反応できない。
「浦野、悪い、一旦戻ろう。裏門から行かないか」
裏門が安全とは限らない。でも少なくとも、学校の敷地内ならさすがに安全だろう。そこでともかくもう少し様子を見たい。僕と浦野しかいない今は、危険だ。
「えー、めんどくさーい、どうして――」
「そんなこと言ってる場合じゃないんだ!」
僕はそれ以上浦野の反論に耳を貸さず、彼女の左腕を強引に掴んで校門内に向かう道を引き返す。
校門の手前の大きな柱を曲がり、そこさえ抜ければ――。
そこで僕は甘かったことを認識した。
ついさっきまで全く見えなかった大男が、僕らの行く手をふさいだ。
知らぬふりをして脇を通ろうとしたが、長い腕に阻まれた。
気づくと、音を立てずに車が横付けしている。
大男は、乗れ、と仕草する。
その手には、銃がある。さすがに熱針銃なんて物騒なものではないけれど、彼が持つ神経銃でも、当面再起不能の昏倒を引き起こすくらいのことは出来る。
これは、チェックメイト、というべき状況だろう。
意識を失ってしまってはそれこそ反撃の機会さえないことを考えれば、神経銃の一撃を食らう前に素直に従った方がいいんだろうな。それ以外の選択肢は、もう無くなってしまった。それでも。
「この子は、行ってもいいだろ?」
何とか搾り出した声がこれだった。
「申し訳ない、残念ながら、同行者、目撃者は可能な限りお連れするように、と言われている」
大男は図体に似合わず物腰柔らかに言った。
今校門を出たのが僕と浦野だけだったのは不幸中の幸いだった。
でも、こんな形で浦野を巻き込んでしまって。
僕はなんて馬鹿なんだろう。
あんな大変なことをやった後で、のうのうと普段の生活に戻れると思っていたなんて。
浦野は状況を理解したのか、真っ青な顔でブルブルと震えている。
さて、捕まることはほぼ確定した。では、彼らが、どの勢力なのか、ということが、次の問題だ。
エミリアだったら。
セレーナがいる。きっと、セレーナの力があれば、すぐにでも助けてもらえる。情けないけれど、セレーナに頼るしかない。
ロックウェルだったら。
お手上げだ。僕をどうしたいのか、目的は今のところ分からないけれど、少なくとも彼らは僕を仇敵と認識しているはずだし、星間通信で聞かせた究極兵器の秘密もある。穏やかな話し合いが成り立つとも思えないし、もちろん、セレーナの力も及ばない。
一発逆転の手はあるか。
僕の唯一の武器は、ジーニー・ルカによる情報攻撃。
――無理。あれは、敵地に潜入して相手を混乱させられる状況でだけ可能な攻撃。敵がジーニーに依存していることが前提の攻撃。ジーニー・ルカは今エミリアにいるし、僕はこれからどこに連れて行かれるのかも分からない。そこに相手を混乱させるためのジーニーがあるとも思えない。
考えているうちに、大男は浦野を促して車に押し込み、僕に続くよう指示した。
従うしかなく、車の後部座席に乗り込む。
もたもたしていると、校門から他の生徒が出てきて巻き込んでしまうかもしれない。
大男が僕の後から詰めて、ドアは閉まった。風圧で落ち葉が舞うのが見える。弱々しい深秋の太陽光が、心細い。
車は小さなモーター音と路面音だけを響かせながら走り始めた。
浦野は、両目に涙をいっぱいためて、でも、泣き出さないようにだけ必死で耐えている。
僕は馬鹿だ。
本当に馬鹿だ。
どうにかして浦野だけでも助けられないか。
それから、気がついた。
セレーナが僕を巻き込んでしまったときも、きっとこんな気持ちだったんだろう、って。
セレーナが、幾度となく、僕だけを逃がそうと嘘をついたことを思い出した。
そんなのありがた迷惑だ、と僕は拒否して、結局最後まで彼女に付き合ったけれど。
もし今、浦野にそんなことを言われたら、僕は罪の意識に押しつぶされて発狂してしまう。
セレーナの本当の強さを、今、知った。
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