第五章 侵食(1)
■第五章 侵食
何という、現実。
僕は、生徒指導室に呼ばれていた。
もちろんお題は、『一週間の無断欠席』だ。正確には授業のある日が七日分。カレンダーで言えば十一日間。
小さなテーブルに向かい合わせに座っているのは、担任で化学教師の奥村二十九歳。本当は三十何歳かだがいつも見栄を張って二十代だと言うので付いたあだ名。
僕が久々に登校したところ、お昼休みには彼がすっ飛んできて捕まり、こうして放課後に生徒指導を受ける羽目になっていた。
「……で、まあ、もう一度聞くが、何やってた?」
担任の言葉に、どう返せば良いのか。正直に話したところでふざけるなと怒られるのは分かりきっているし、と言って、下手なフェイクも通用しそうにないし。
「その、いろいろと……すみません」
意味不明に謝るのはこれで四度目。
「すみませんじゃ分からないんだよなあ、先生な、一応心配して言ってるんだ。何か悩みがあるなら言えよ、な?」
先ほどよりはだいぶ表情を緩めて。
「いや、悩みとかじゃなくて、ちょっとごたごたに巻き込まれていて……」
僕が言葉を濁すと、彼はうーんと唸って腕を組んだ。
「先生も直接見てないから下手なことは言いたくないんだがな、お前がいなくなる日におかしなものを見たという生徒がたくさんいてな」
……やっぱりその話になりますか。
先生としては、むしろそこが本題なのらしい。無断欠席なんてそんなに珍しいことでもないが、さすがにあの出来事だけは見過ごせなかった、というわけだ。
「おかしな友達に困っているんじゃないかと心配なんだ」
「彼女はおかしな友達なんかじゃありません」
思わず言い返して、失言と気づいた。
奥村二十九歳は少しだけにやっと笑った。
「……大崎がそのうわさの金髪美女とどんな付き合いをしているのか先生は分からんが、大丈夫なんだな?」
「その……大丈夫です」
「だが、学校を休んでデートは無しだぞ」
「で、デートとかじゃなくて……」
「分かった分かった、デートじゃなくて、のっぴきならぬ付き合いってやつなんだろ? ま、先生もそんな時代はあったから分かるさ。だが、彼女さんには、ちゃんと言っておくんだぞ、お誘いは学校が休みのときに、ってな」
多分分かってないよなあ、と思いつつ、これ以上変なことを言って面倒なことにしたくなかったので、僕は素直に気を付けますとだけ返し、それから開放された。
***
荷物だけ取ってさっさと帰ろう、と思いながらとぼとぼと教室に戻ると、二人が待ち構えていた。
冗談かと思っていたけれど、本当に『指導』が終わるまで待ってるなんて。
毛利玲遠とマービン洋二郎。二人して、帰ってきた僕をニヤニヤと見ている。
「ほんとに待ってたのかよ」
僕が言うと、
「とーぜんだろ。何訊いても答えないし。二十九歳には白状したんだろ? 吐いちまえよ、あの金髪の子の話!」
毛利は座っていた机から飛び降りる。
マービンは行儀よく椅子に座ったまま、毛利の起こした風で乱れた栗色の髪を整えながらにこにことしているだけだ。
「本当になんでもないんだって」
「んなわけあるか。思いっきりお前の名前呼んでたじゃねーかよ」
僕よりだいぶ大きな日焼けした手から人差し指が飛び出してきて僕の胸に突き刺さる。
あの日彼も、別の理由で別の教室で別の教科の補講を受けていたらしい。その理由とやらは、彼の名誉のためにここには記さない。
「いちいち覚えてるなよ」
「忘れるかよ、あんな大騒ぎ起こしといて」
面倒だなあ。
無視して帰るか。
荷物を持って立ち去ろうとすると、毛利は、いいから座れ、と僕を無理やりに席に座らせ、向かいに自分も座る。
「私の知識が確かならですね、毛利君から聞いた『校庭に降りて来たもの』は、宇宙船だと思うのですがね」
相変わらずの丁寧口調でマービンが余計なことを言う。
「大崎の彼女は個人用宇宙船を持った大富豪のお嬢様、ってか。うらやましいじゃねーか」
「違うって」
僕は大きくため息をつき、
「じゃあ、僕は今から本当のことを言うから、絶対に信じろよ?」
と言うと、
「ようし、言ってみろ」
と毛利も身を乗り出してきた。
……本当に本当のことを言うだけなんだけど。
「あれはさる王国の王女様で偶然出会った僕にID貸せだの何だのと無茶を言ってきていろいろあって戦争になって悪の帝国の大軍団をやっつけて王国を救ってきた」
僕は一息に言う。
今回の旅はその後始末だったんだけど。
と、とたんに頭に衝撃。
毛利が持っていた紙筒(多分誰かから奪った課題のコピーの束を丸めたもの)で僕の頭をはたいたからだった。
「な、なんだよ」
「盛りすぎ」
「盛り……嘘じゃないよ」
「いやいやいや」
見ると、マービンは額を押さえてうつむき、顔を真っ赤にして声を出さずに笑っている。
「分かったよ、そんなに話したくないなら、まあ、見守ってやるよ。だけど、関係くらい聞かせろよ」
毛利は足を組みなおし、問い詰めにかかる。
「嘘じゃないんだけどなあ。関係で言えば普通の友達なんだけどさ」
僕は嘘偽り無く答える。主従の誓いのことはとりあえずおいといて。
「普通のお友達同士の男女が十日間も二人っきりで、って? ありえねー」
「あー、もういいよ、ご想像に任せます」
「よーし大崎の許可が出たから想像しちゃうぞー」
もう、勝手にしてください。
***
担任に叱られたり。
クラスメイトにからかわれたり。
ちょっとセレーナ着陸事件のせいでごたごたは残ったけれど、当たり前の現実が戻ってきた。
自宅に帰って、じゃあこないだの訳の分からん星間通話の録音は消すぞー、なんて親父が言ってるのを適当にあしらって、自室に戻り、そこで、左手首に巻きついた黒い小さな四角いものを眺める。
……とりあえず、一回くらい使っておかないといけないよね。
とりあえずちゃんと使ってるよ、というアリバイだけは作っておかないと、また飛んできて脛を蹴っ飛ばされかねないし。
考えながら、その上の小さなボタンを押した。
小さなインジケータは最初赤く光り、数秒後に緑色に変わった。
説明書なんてもらっていないけど、大体意味は分かる。
「ジーニー・ルカ、聞こえてる?」
つまり、緑ランプは、このインターフェースの親機に正常に接続されたってこと。
待つこと数秒。
『はい、ジュンイチ様』
黒い箱から、懐かしい声が聞こえてきた。
「君もセレーナも変わりはないかい?」
『はい、あれから私もセレーナ王女も問題ありません』
星間通信だから数秒のタイムラグがあるけれど、よくよく考えれば、百光年の距離、何十ステップのジャンプが必要な距離のライムラグが数秒で済んでいることは、すごい技術だと思う。
なんてことを考えるようになったのも、ビクトリアやルイスに結構毒されちゃったのかな。技術者になるつもりは、今のところは無いんだけど。
『セレーナ王女が音声接続しました』
えっ!?
『ひさしぶり、ってほどでもないか。連絡、ありがとう』
期せずしてセレーナの声が聞こえてきて、僕はあわてた。
「ど、どうして?」
『どうしてってことないじゃない。私は常にルカとつながってるのよ。あなたがジーニー・ルカに話しかけてるって言うから、あわてて予備の音声インターフェース引っ張り出したんだから。それにしてもジーニー経由なのにこんなうるさい端末で音にして耳に入れなきゃならないって、面倒ね』
その様子をちょっと想像して、口の端が緩むのを自覚する。
かわいいところがあるじゃないか、なんて。
「僕が君の脳に直接話しかける方法を知ってたらそうするけどね」
『冗談よ、元気そうな声が聞けてよかった』
「君も」
それから十数秒、背景ノイズだけが端末から流れた。
『地球の生活はどう?』
ようやくセレーナの声が聞こえてきた。
「うん、まあ、君が学校に着陸なんてしたもんだから大騒ぎだったみたいだ、でも、問題ないよ」
『悪いことしちゃったわね』
「それからしばらく無断で休んじゃって、先生にこってり絞られたよ。なんで休んでたんだ、って……そんなの言えるわけないのにね」
『教師ってのは宇宙中どこに行ってもわからずやなのねえ。しょうがないわ、じゃ、私から外交ルートでジュンイチの安全保障上の重要性を――』
「あわわわ、やめてください、ほんとに」
僕はあわててさえぎるが、タイムラグでだいぶ遅れてしまった。
『冗談に決まってるでしょう、馬鹿ね。私もさっきまで家庭教師にたっぷり説教をされていたところ。教師を黙らせる権力がこの世に存在するならまず自分のために使うわよ』
「違いない。僕も『今度は学校が休みの日にしてもらいなさい』なんて言われて、どうしようかと思ったよ」
『休みの日ね、考えとくわ』
セレーナの再びの冗談に、今度は僕も素直に笑った。
『休みの日と言えば、ジュンイチの学校の話とか、いろいろ聞いときたいわね。ちょうどさっきもそのことで家庭教師に――あら、誰かしら』
多分端末を放り出したであろうゴトンという大きな音がして、遠くで聞き取れない会話があった。
それから、またごそごそと言うノイズ。
『ごめんジュンイチ、まだお小言の続きがあるみたい! またね!』
セレーナの小声が聞こえて、彼女の部屋から聞こえていた背景ノイズがぷつりと消えた。
『セレーナ王女の音声接続が終了しました』
「ありがとう、ジーニー・ルカ。セレーナのこと、よろしく頼むよ」
『かしこまりました』
ジーニーに対して『よろしく』なんてあいまいな概念が通用すると思ってしまっている自分には多少驚くところだけれど。
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