第四章 王女殿下の騎士(3)
その夜は、セレーナ同席の晩餐に僕も出席した。
きっと、彼女と過ごす最後の晩餐になるだろうとは思ったけれど、不思議と、なんだかまたすぐに会えるような気がして、今回は寂しい気持ちは起こらなかった。
長い晩餐会が終わって賓客室に戻り、くつろいでいるところに、セレーナが訪ねてきた。
彼女にソファを勧め、僕はベッドの足元に向かい合って座った。
「たいした演技だったわよ。合格」
「恐れ入ります」
僕がわざと恭しく頭を下げると、セレーナは大笑いした。
「スパイ対策の方は?」
彼女の笑いが収まってから、僕は彼女に確認する。
「あなたの説明が始まってすぐくらいまで、ジーニー・ルカに頼んで漏らしておいたわ。あまり細かいところまで漏らすのは危ないし」
「これでロックウェルの連中がだまされてくれればいいんだけど」
「でも、本当に大丈夫かしら。このヒントで、彼らが本当にこの兵器を作っちゃったりして」
「作ったって実用性はないよ」
僕は確信をこめて言った。
それこそ、惑星を吹き飛ばすなんていう荒唐無稽な用途になら使えるかもしれないけれど、戦争に使うには欠点が多すぎる。それは、ルイスの言ったとおり。
もしかするとどこかの研究者がこれを思いついて、一生懸命研究して、試作機を作っているかもしれない。
でもそれはきっと役に立たない。
何億クレジット分のマジック鉱石と引き換えに地面に大穴を開ける兵器が、何の役に立つだろう。
しかも、用意周到に、敵地の真ん中でレーザー測位儀を片手にマジックデバイスを配置していくのだ。
想像するだけで笑えてしまう。
「……何笑ってるのよ、いやらしいわね」
想像しているうちに、僕はにやけ顔になってしまっていたらしい。セレーナの指摘に、思わず頬を引き締めるが、改めて笑顔を浮かべてみせる。
「いや、この兵器のあまりの実用性のなさに、ね」
「ま、あなたもルイス・ルーサー博士も同じことを言うんだから、きっとそうなんでしょうね」
博士と同列で評価されるとさすがに恥ずかしいけれど。
「いや、でも、彼との会話は本当に僕にとってためになったよ。君が連れて行ってくれたおかげだ」
「ふふん、どう? 歴史よりも」
セレーナが腰に手を当てて、また僕をマジック工学の道に勧誘する。
「いや、それはまだ保留で」
「はあ、相変わらず馬鹿ね。ま、いいわ、好きになさい」
褒めたと思ったらすぐに馬鹿にするし。
「また、何かあったら言って。私でよければ、宇宙のどこにでもエスコートするわ」
「なんだい、君らしくもない、殊勝なことを言うんだね」
彼女がこんなことを言うとは、何かろくでもないことをたくらんでいるんじゃないかと思って僕が突っ込むと、
「私はいつだって殊勝なの!」
彼女はふくれっ面で応じた。
彼女に惚れられてるとかなんとか考えられるほどうぬぼれてはいないけれど、ある意味で、僕は、彼女に気に入られていて、それがうれしく思う。
彼女の動機は、どうやら僕の中によくわからない数学だか物理だかの才能を見出して、僕の歴史への興味をそんなもろもろに無理やりに向きを変えて注がせようという、まぁ、おもちゃ的な対象として、なんだろう。
宇宙でも指折りの王女様のおもちゃポジションなら、悪くないところだと思う。
間違ってもマゾヒスト的趣味は無いことは付け加えておきたいところだけど。
「あとね、例によって、私から直接あなたに通信をつないだりなんて監視されてて無理だから、ジーニー・ルカのインターフェース、ちゃんと持ってなさい。ジーニーインターフェースなら見つからずに呼び出せる、と思ってたのに、それが応答しなかったものだからこの私がわざわざ地球まで行く羽目になったのよ? そうじゃなければ、こっそり連絡を取り合ってチケット代送りつけるだけで済んだのに」
確かに、ジーニー同士の人類に解読不可能なインターフェースなら星間通信上でも誰にもばれずに会話ができる。誰と会話しているのか常に見張られている王女様にとっては、外部と接触できる数少ない手段の一つなのだろうな。
そんなものを預けられていることが、ちょっと誇らしくなる。
「そうか、悪かったね、これからは必ず持ち歩くよ。でもそのおかげでまたいろんな惑星を旅できたんだから、悪くはなかったんじゃない?」
「それはあなたが楽しんだだけでしょ! エミリアの王女様がたかが平民をわざわざ迎えに行くなんて、本当ならありえないような栄誉なんですからね」
と言いながら、セレーナは腕を組んで背筋を伸ばす。
「自分で言うかな。ま、君は、それを自分で言っちゃってもいい宇宙でも数少ない一人ってわけなんだろうけどさ」
そんな一人と、僕は単なるお知り合い以上、ある意味で友情の絆で結ばれている、と思うと、とても誇らしい気分になる。
「まあね。でも、何かあったらエミリアの王女様が飛んでいく、なんて思わないことよ。ちゃんと自分で考えて自分で解決するの。あなたには、相談できる両親もいる。お父さんやお母さんってのは、きっと、この世で一番、あなたのことを大切に思ってるから……」
彼女が言葉を濁したのを見て、僕は思い出した。
彼女の母親は、もうこの世にいないんだ、ということ。
もし僕の母さんが、と思うと、とても切なくなる。
普段はあっけらかんとしている彼女。
だけど、実の父は国王であり二人きりで会うこともままならぬ相手。
母はもういない人。
両親のぬくもりをほとんど知らず、それでも、勇気を持って踏み出すことのできる彼女は、やっぱり、僕にとっては尊敬すべき人なんだと、思い直す。
「……そうだね。僕は、恵まれてる。両親もいて。友達もいて。百光年以上も離れた場所に、僕のことを心配してくれる王女様までいる。……ねえ、とても失礼なことを言ってもいいかな」
僕が言うと、
「不敬罪に問われない程度にお願いね」
彼女は笑顔で答える。
「君には、きっと、そんな人たちはいない。だから君は、一人で頑張ってるんだと思う。でも、その重荷の、一万分の一でいいから、僕が手を貸してもいいかな。きっと僕には何もできないけれど、地球から、君のことを心配することだけでも、許してもらえないかな」
僕が言うと、セレーナは、目を大きく見開いて僕の顔を見た。
さすがに恥ずかしくなるくらいにまで彼女は僕を眺めていたが、それから一度目を閉じ、そして、優雅に立ち上がった。
「あなたは、百光年の彼方から私を心配するだけでいいのかしら」
突然彼女の青い瞳に灯った燃えるような色に、僕は思わずひるんでしまう。
「い、いや」
あまりの迫力に気圧されて、かろうじて僕の声帯がそれだけを搾り出す。
「答えなさい。私はあなたの、何」
彼女の瞳が僕を射抜く。
全身が脱力するのを覚える。
――この人は、こんなに綺麗だったのか。
かわいらしい女の子の友達だって? ちょっと高慢なお姫様の友人だって?
僕はなんていう勘違いをしていたんだろう。
宇宙に誇り高き高潔なる王女。
僕が……。
「――僕が忠誠を誓う、ただ一人の高貴なる王女殿下」
セレーナの右手が、ゆっくりと上がり、ベッドに腰掛けている僕の目線の前に止まった。
「地球新連合国市民オオサキ・ジュンイチ、かしずきなさい」
彼女の手のひらに僕の視覚のすべてが吸い込まれて消える。彼女の言葉が催眠術のように脳を揺さぶる。
僕はベッドを滑り落ちて、片膝をついていた。
気がついたら、そうなっていた。
「あなたを我が騎士とし、我が剣となって敵を砕き我が盾となって災厄を払うことを命じます」
目の前にすっと下がってきた彼女の下向きの手の意味は、すぐに分かった。
彼女の手を取ってその甲にキスする真似をした。
彼女の肌はとてもいい香りがした。
しばらく、頭が働かなかった。
気がつくと、僕は前と同じようにベッドに座っていて、セレーナが隣にいた。
「分かったわね。この私には、少なくとも一人、頼りになる騎士がいるのよ。あなたは何も心配しなくていい。そして」
彼女は、リボンインターフェースを頭から取り外した。
それを、目線の高さに掲げてみせる。
「究極の力を持った情報仕掛けの騎士も常にそばにいる。あなたは、その力を百光年の彼方からでも起動して、私を守ることが出来る。私は一人じゃない」
危うく不敬罪に問われるところだった。
彼女はその気高い精神とあふれる気品で、いかなるものをも、その騎士としてかしずかせる力を持っている。
この僕は、その力にまったく抗することができなかった。
彼女が孤独の中で戦っているなんてとんでもない。
「そうだ、君は孤独なんかじゃなかった……僕がいる」
「ええ」
「僕は、このインターフェースをいつも持ってなきゃならなかった」
「……分かれば、よろしい。今後、さっきみたいな侮辱は無しよ」
と言って、セレーナは、くすっと笑った。
そういうことか。
彼女は、自らの魅惑の魔法を知っている。
僕をかしずかせ、それを見せつけて――
「ひどいな、僕をからかったんだ」
「ふふっ、馬鹿ね。あなたごときの単細胞を手玉に取るなんて私には朝飯前なのよ。あなたが思っているほど、私は弱くないわ」
「分かったよ、身にしみて」
その後、二言三言ほど会話を交わした気がするが、内容は覚えていない。僕はそれから終始、顔を真っ赤にしていただろう。
結局、彼女が出て行くまで、彼女の顔をまともに覗き込むことが出来なかったのだから。
***
どこかで見たようなマジック駆動の星間クルーザー。
僕はそのクルーザーに乗ろうとしていた。
結局、僕は、その王家のプライベートクルーザーで地球に送り返されることになった。
念のため、帰りのルートは、ロックウェル連合国内をなるべく通らずに済むグリゼルダ側からにしてもらった。
今回の見送りは、セレーナと何人かの侍従だけだった。
セレーナは笑顔で手を振った。
「またいらっしゃい!」
彼女が言うので、
「じゃあ、今度はチケットよろしく!」
と叫び返した。
僕がタラップの中に消えるまで、彼女は手を振り続けていた。
入り口のドアが閉まり、それから、僕は、左手首に巻いたジーニー・ルカのインターフェースを確かめた。
これは、セレーナとの絆の一つ。
同時に、セレーナを守る究極の武器の引き金。
――もう一つの絆は、その究極兵器の秘密。
そんな絆があると思うだけで、別れの悲しさがとても和らいだ。
やがて、僕を乗せたクルーザーはエミリアの地表に別れを告げ、見る見るうちに高度を上げた。




