第三章 ベルナデッダの飛べない巨鳥(5)
夕食の準備に向かったルイスは台所で何か小さな音を立てている。
セレーナは、まだ暗い顔だ。
「セレーナ、まださっきの話を気にしているのかい」
僕が尋ねると、
「うん、そりゃ、ね。私の国が、彼のような才能をこんなところに閉じ込めていたなんて。私はなんて無知なんだろう。一方じゃ、あなたの才能を埋もれさせるのは惜しいなんてことを言いながら、もう一方ではこんなひどいことを」
「違う、それは君の責任じゃない。君がやったことは、僕を一押ししようとした、それだけだ。才能を殺そうとしているのは全く別の人たちだ」
「それでも、そのすべての責任は、王にあるのよ。たとえ欲に目がくらんだ貴族や石頭の官僚がそれをやったとしても」
「それでも、だ。君はまだ王の娘に過ぎないじゃないか。だったら、君がこれから変えればいい」
僕が言うと、セレーナは、顔を上げて、僕を見つめた。
「……簡単に言うのね」
「簡単に言うよ。僕は、君にはそれができると信じてる」
僕は嘘がつけないから。これは、僕が心底思っていることで、気休めなんかじゃない。
続く言葉は口にしなかったが、多少は彼女にもそれは伝わったと思う。ほのかだけど、彼女の頬に笑みが戻ってきた。
「ありがとう。こうやって、身分を隠して庶民の間を歩き回ることも大切ね。これから、もっといろんなものを見なくちゃ」
彼女も、これからまだ成長する。もっといろんなものを知る。僕よりもずっと。
きっと、この惑星の研究所だって、いつか自由に好きな研究ができる、本当の反重力研究の聖地になる。
「で? 結局どういうこと?」
「何が?」
「理論のことよ。何言ってるのかさっぱり。なんとなく、何かが出来そうなんだろうとは思うんだけど」
僕は思わずがくっと肩を落とした。
「ちょっと、そんな反応ないんじゃないの? こっちは素人よ? マジックのプロ中のプロの話なんて理解できるわけないじゃない」
セレーナが黙り込んでいたのは、この兵器の恐ろしさに驚愕していたからではなく、なーんにも理解できていなかったからなのだということがようやく分かった。
「うーん、簡単に言うと……、マジック鉱をたくさん使えば、誰も防げない強力な攻撃が出来るってこと」
「あの地球の穴を開けるくらい?」
「そりゃもう。十分なマジック鉱とマジック機関さえ用意できれば、惑星ごと消し飛ばせる」
「……は?」
やっぱりその反応か。
「……馬鹿?」
「いや、真面目に」
「ありえないわよ、そんなの」
「もちろん理屈上の話さ。反重力の爆発だからね、重力で結びついた惑星ならそれを解いて粉々に消し飛ばすのは簡単さ。正確には分からないけどね、何万トンのマジック鉱と、前に乗った豪華客船の百万倍の規模のマジック機関があれば、多分、惑星を消すくらいは出来ると思う」
僕が言うと、セレーナは大きくため息をついて、それから、僕の頭を思い切りはたいた。
「びっくりしちゃうじゃない。そんなの無理に決まってるのに。なんで学者連中ってのは何でも大げさに言うのかしらね」
「僕は学者じゃないんですけど」
「あなたなんてルーサー博士とまともに会話している時点で学者連中のくくりの中よ」
ずいぶん大雑把なくくりだな、と思ったけれど、とりあえず抗議するのはやめておいた。彼女がマジック兵器の可能性を薄ぼんやりとでも理解できたところでよしとしよう。
彼女が理解することが、この後、摂政をうまくだますために重要になるのだ。
やがて、ルイスは、冷凍のディナープレートを暖めて持ってきた。
僕らはお礼を言ってご馳走になることにした。
彼はきっとずっと一人でこんな生活をしているんだと思う。よく見ればキッチンの外に回収前の冷凍食品プレートがたくさん積んである。
「こういう食事はあまり口に合わないかもしれないが」
「とんでもない、ここしばらく宇宙船の味気ない食事が続いていましたから」
前の晩は大酒飲んでへべれけだったけれど。そう言えば、あの宴席では、せっかくのもてなし料理を食べた記憶が無い。
「だが、地球からこんなところまで、研究のために旅をするとなれば、相当な資産家だ、こんな粗末なものは食べないだろうに」
「自宅でも似たようなものですよ、いや、この方がよほどましです、父の趣味の創作料理につき合わされるよりは」
僕が言うと、ルイスは初めて声を上げて笑った。
「そうか、じゃ、遠慮なく召し上がってくれたまえ。お嬢さんも、こんなもので大丈夫かね?」
彼が、セレーナの正体に気づいていると知って彼の言葉を考えると、また違った意味に聞こえてしまうけど。
「ええ、それどころか、突然ご馳走になってしまって、申しわけありません」
「いいとも」
彼は言いながらスプーンを持ち上げ、プレートのスープをすくって口に運んだ。
「ところで、私からの質問だ。君たちは、どうしてこんなものを調べているんだね」
いきなり、核心。
そりゃ、僕が彼の立場だったとしても、気になる。
どう答えたものだろう。
僕はまたセレーナの表情を伺った。
そのときに見えた表情は、さっきも見せた、『あなたに任せる』を示していた。
僕はそれにうなずいて答えた。
「地球に、大きなクレーターがあることをご存知ですか」
ちょっともったいぶった言い方に過ぎたかもしれないけれど。
「どんな惑星にも大小さまざまな古いクレーターはあるものだ」
彼はうつむいてスプーンを口に運びながら返す。
「地球のクレーターは、この千年のうちのどこかで出来たものなんです。公式には九百九十年前、核融合発電所の爆発事故。でも、実際にこの年代は何度かの改暦のときに狂っているかもしれないし、起こった事件も別のものだと僕は見ています」
「ふむ、つまり、さっきのマジック兵器のことだね」
「はい……僕は、このクレーターは、宇宙人が地球を攻撃した跡だと信じています。事実、地球は、その軌道上までを宇宙人に支配されているんです。宇宙人の強烈な一撃が地球を降伏させたんだと考えています。その候補として、マジック兵器に思い至ったというわけです」
「なるほど。そのクレーターはどのくらいの大きさなのかね」
「三キロメートルか、場所によってはそれ以上」
「三キロ……それはさすがに穏やかじゃないな。意図的な攻撃ではないかと考えたくなるのも分かるよ」
ふむ、と鼻を鳴らし、彼はスプーンを止めた。
「しかし……現実にそんな兵器は存在しない。惑星表面を吹き飛ばすことは戦争解決の手段にはならんからな」
言われてみれば、彼の言葉は確かにごもっともだ。戦争に勝つには宇宙空間の宇宙戦艦を吹き飛ばさなきゃならない。
「つまり君たちの目的は、歴史的新説の裏づけということかね」
「あ、は、はい、その通りです」
僕は少しぎこちなく答えた。
歴史家と言いながら来た人間が、マジックの理論討議を持ちかけたと思えば、実はやっぱり歴史家でしたというのは、ちょっとさすがに納まりが悪い気がしたからだ。
「よろしい。君のような才能が歴史研究に奪われてしまったことは大変悔しいがね、それも立派な学問だ」
この人までセレーナと同じようなことを言う。
それに対して、そうなんですよ、と応じてセレーナがまた僕をほめてるんだかけなしてるんだか分からない一席をルイス相手にぶちまけ始め、僕はそれを無視して食事に戻った。
***
僕とセレーナにはそれぞれ別の部屋を貸してもらえることになった。長い間使っていない部屋と言うが、きれいにほこりは払われていて快適そうだった。
夜も更けて、セレーナが先にシャワーを浴びて休んだ。
僕は、ルイスと会話できる機会が惜しい気がして、もう少しがんばって起きていようと、居間に残った。
昔の研究のことを話すルイスは楽しそうだった。
彼の研究への熱意を奪ったエミリアのやり方は、確かに僕も許せない。
もちろんそれなりの事情はあるんだろう。
それを調べて正すことは、きっと僕じゃなく、セレーナの仕事なんだと思う。彼女もきっと決意している。
ルイスに、どうだね、と言われて勧められたお酒を、僕はちょっとだけ頂いた。
昨晩の失敗があるから、ちょっとだけ。でも、お酒が僕をどんな風に変えてくれるかも知っているから、ちょっとだけ。
少し酔うと、普段は言えないようなことが、口から出やすくなる気がする。
自分でも分かってる。
僕は、人付き合いが下手だ。
ちょっと前まで、僕はうまく人を操れるんだと思っていた。クールに事態をコントロールできる、だなんて、ちょっとうぬぼれていたところもあるかもしれない。
だけどそれはセレーナにはまったく通用しなかった。
人付き合いは、相手を操ることとは違うんだと分かってきた。
僕は、気持ちをうまく表したり理解したり出来ないことに気がついた。
それは、クラスでのショートスピーチが苦手なのと、根っこのところでは同じ。
相手の心に触れるには、自分を上手く表現することができないといけないんだと思う。
ただ客観的な事実だけをしゃべっていればいい学問の場と違って、誰かをどう思っているか、誰かにどう思われたいか、そんなことは僕の口からなかなか出てこない。
お酒の力は、それを可能にしてくれるかもしれない、と、昨日気がついた。でも、やっぱり未成年だから、ちょっとだけ。なめるだけで。
「それで、どうしてこんなことをしているんだね」
向かい合わせに座っていたルイスが、お酒のグラスをもてあそびながら僕に向かって言った。
「それは、歴史研究の……」
「話したくなければそれでも良い。だが、殿下のいらっしゃらない今だけでも、こっそり聞きたいと思うのは、平民の私にはわがままが過ぎるかね」
ああ、身元ばれ確定。
「……やっぱりお気づきですか。そうですね、彼女は、この国の王女殿下です。ただ、僕は、本当に地球の一市民です」
正直に話すと、ルイスは鼻で笑った。
「あのエスプレッソを口にしたときの顔を見れば、おそらくそうだろうとは思ったが。しかしエミリア王女殿下と地球人か、不思議な取り合わせだ」
「話すと長くなるんですが――」
それから、僕は、顛末を簡単に語った。
彼女が地球の僕のところに押しかけてきたこと。逃亡の身になってしまったこと。『究極兵器』の秘密を見つけて摂政の鼻を明かしてやろうと考えたこと。ロックウェルに目をつけられてしまったこと。ベルナデッダの戦争を僕らが起こしてしまったこと。究極兵器を見つけないと彼女の立場がまた面倒なことになること。
「ふっふっふ、動機は子供らしいのに宇宙をひっくり返すようなことをしておる。よろしい。実によろしい」
僕の話を聞き終えたルイスは笑いながら言った。
「科学はそうやって発展してきた。歴史はそうやって動いてきた。若いものが。青くさい信念だの友情だので。あと三十年若ければ私も同行したかったよ」
「このことはどうか――」
「もちろん、他言はしないよ。だが、気になるね、君はおそらく、本当の究極兵器を見つけた。それがなんだったのか。この私の思いついたマジック爆弾よりも強力なそれの正体がね」
しかし、僕は彼の興味に答えるわけにはいかないのだった。
「すみません、これだけは誰にも知られたくないんです」
「いいとも、秘密にしておきたまえ。それはきっと、君と殿下の友情の絆なのだ。だから殿下も、その秘密を実の父である陛下や摂政閣下にも話さないでいらっしゃるのだよ」
彼の理解は間違っている。究極兵器としてのジーニーは、それを誰もが知ることになったとたんに、究極兵器としての意味を失うのだから。だから僕は誰にも話せない。
けれど、セレーナが、僕のためにその秘密を守ってくれているのかもしれない、と考えると、やっぱり胸が温かくなる。彼はそれを、友情と言った。そう考えるともっと胸が温かくなる。
「そういうわけで、ルイスさんには大変失礼なことをしました」
「何がだね?」
「この僕の訪問と理論に関する議論は、偽装工作のための嘘で……」
「……そうだな。だがね、私は、君が殿下の関係者だと分かっていても君にすべてを託そうと思っていたし、今もその考えは変えておらんよ。――いや、今の君の話を聞いて、むしろ確信を深めたくらいだ。……いいかね、老人の知恵は、いつかは若者が受け継がねばならんのだ。君と殿下に、それを期待させてもらってもよかろう?」
「それは……セレーナはともかく、僕に関しては買いかぶりです」
「それでもかまわんよ」
彼は言いながらグラスの中の琥珀色のものを一気に喉に流し込んだ。
「それが、老人の楽しみだ」
僕はそれ以上何も言うことが無かった。
僕もいつか歳をとって、子供に何かを託したくなるときが来るんだろうか。
僕は彼のように歳をとれるだろうか。
「面白い話をありがとう。明日には発つのだろう?」
ルイスはグラスにもう半分だけ酒を注ぎながら言った。
「ええ、はい。何か恩返しが出来ればいいのですが……」
「君たちは、また必ずここに来るよ。私の脳髄がさび付いていなければね。また会おう。それだけで十分だ」
「はい」
彼の言葉のどこまでが社交辞令かは分からない。けれど、いろいろと落ち着いたら、また来たいと思う。
もし僕とセレーナの友情がずっと続いて。
自由に宇宙を旅する機会があれば。
ルイスは、最後の半杯の酒を右手に握ったまま、目を閉じていた。
穏やかな寝息が聞こえた。
なんだか起こすのも悪い気がして、僕は静かに立ち、用意してもらった部屋へ続く暗い廊下を歩いた。




