第三章 ベルナデッダの飛べない巨鳥(3)
気がつくと、ソファにいた。
周りを見回すと、広い部屋だ。壁はほどほどに豪華な装飾があって、もちろん僕の寝ていたソファもふかふかで、続きの部屋に大きなベッド。
どこかのホテルのスイートルームのような。
いや、確かにその通りみたいだ。
ちょっと起き上がると、頭がぐらぐらした。
ここはどこだろう。
体が軽い。思い出した。軌道上の迎賓館の擬似重力に違いない。
もう一度あたりを見回すと、ベッドルームの隣のシャワールームに明かりがついていて、水音が聞こえる。
ああ、多分、セレーナがシャワーを浴びてるな。
ぐらぐらする頭がどうにかならないかともう一度、ソファにひっくり返った。
それはそれで僕の頭に大ダメージを与えた。
しばらく待っていると、シャワールームの扉が開いた音がした。
もう一度体を起こすと、寝間着姿になったセレーナが、頭にタオルを巻いた姿で出てきたところだった。
「あら、起きたの。おはよう」
「おはよう? もう朝?」
「厳密には、標準時の午前四時ってところだけどね」
晩餐会は午後七時頃に始まって二、三時間というところだろうから、その後にすぐ眠ったとして、まあ、ほどほどの睡眠は取れている気はする。どうやって眠ったのか覚えていないけれど。
「あなたがあんなにお酒に弱いなんて思ってなかったのよ、ごめんなさいね。大丈夫?」
正面に回りこんできながら、セレーナが僕に尋ねた。
だんだんいろんな記憶がよみがえってきた。
歓迎会で、しこたま飲んだ。
途中からよく分からずに何杯もあのボトルを空にしたような気がする。
そして気がついたらこんなところに。
なんて失態。
記憶を失う前の醜態をちょっとだけ思い出して、激しい後悔が襲ってくる。
「ああ、うん、その、ちょっと頭は痛いけど……僕は、何か、おかしなことした?」
「ええ、ずいぶんおかしかったけど、楽しんでるなら良いかと思って」
おかしなことをしちゃったのか。ああ、最低。
「そ、そうなんだ。君とダンスを踊ったところまでは覚えているんだけど」
「なんだ、そんなところまで覚えてるの。じゃあ、そんなもんよ。あの後、床に転がりながらいろいろ変なことをわめいてて、そのまま寝ちゃったのよ」
「え、その、変なことっての、すごく気になるんだけど」
「そんなのいちいち覚えてないわよ!」
セレーナの一喝に、僕は引っ込むしかなかった。
「はーあ。私も悪かったとは思うけど、あなたも相当な馬鹿ね」
「面目ない……」
ちょっと落ち込む。
「ま、いいわ。酔っぱらったあなたをだしにしてみんなずいぶん楽しんでたし。それに、たまには羽目を外すのも悪くないでしょう?」
「うん……そうだね、悪くない気分だった。今の頭痛をのぞけばの話だけど」
確かにその通りだった。
言いたいことを言ってやりたいことをやって。
なんだか、すっきりしている。
そういうのを我慢するのがかっこいいなんて思っていたかもしれない。
それはそれでいいんだろうけど、たまには、ね。
「ま、今後はお酒は控えることね」
後でこんなひどい気分を味わう羽目にもなるわけで、確かに彼女の言うとおり、控えた方がいいのは確かだろうな。
「二日酔いなんでしょう? ちゃんとベッドで寝てなさい。私もなんだか目がさめちゃったからシャワー浴びてたけど、もう一眠りするから」
そう言ってセレーナがベッドルームを指した。
「そうだね、そうする」
僕の服装は、全く似合わない黒いスラックスにシルバーのシャツとサスペンダーだけだ。随分情けない恰好で転がっていたもんだ、と思いつつ、ベッドルームに向かい、クローゼットから備え付けの寝間着を取り出して着替える。
それから、寝ようか、と思って、ベッドを見て、さて、どうしよう、と悩んでしまった。
ベッドが一つしかない。
その半分は、セレーナが寝乱した形も生々しい。
そりゃ二人くらいは寝られる大きさのベッドだけど、さすがに同じベッドはありえない。
って言うか、どう考えても若い男女を同じ部屋に放り込むなんて、ちょっと常識を疑う。
しかもその片方は王女様ですよ?
スイートが一室しかなかったのかもしれないけれど、だったら、僕はもっと粗末な部屋にでも放り込むもんだろ、こんなとき。
相談しようにもセレーナは髪を乾かしに洗面室に行ったきりだし。
僕は予備の毛布だけを掴んですごすごとリビングに戻り、ソファに横になった。
ま、このソファだってふかふかで僕のベッドよりよっぽど寝心地がいい。
毛布をかぶると、呆れるほどの速さで僕は眠りに落ちた。
***
目が覚めると、標準時の十二時になっていた。
これは寝過ごしたぞ、と思って飛び起き、セレーナは大層お怒りだろうと部屋を見回すも、彼女の姿はない。
寝室を見に行くと、果たして、まだセレーナは毛布にくるまっていた。
ベッドサイドの小さな椅子に腰かけて、寝顔を眺める。
こうやって見れば、かわいいもんだ、と思う。
本当に、姿形だけで言えば、宇宙でもトップクラスじゃないかと思う。
スタイルも……いや、ま、細身で『かわいい』けれど、その辺はあまり触れないでおこう。
長い付き合いのひいき目も無いとは言えないけれど。
こんな美少女と一緒に旅をしてるんだぞ。
なーんて、誰かれなく自慢したくなってしまう。
まあだからと言って、僕が彼女をどうこうできるわけでもないし、彼女が僕にどうこうしてくれるわけでもない。
彼女は王女様。
僕が触れることさえ恐れ多い身分。
ただそばにいることを許していることさえ、彼女の気まぐれに過ぎないんだから。
毛布からはみ出た左手に、そっと毛布を掛ける。
すると、セレーナは突然身じろぎした。
やばい。
僕は足音を立てないように大急ぎでリビングに逃げ出した。
五分ほどソファで息をひそめていると、衣擦れの音がベッドルームから盛んに聞こえてきた。
それから、床に足を着く音。
床を踏みしめながら歩いてくる音。
最後に。
「あー、さすがにもう起きてるわね、寝過ごしちゃった、ごめんごめん」
セレーナの声が背後から聞こえてきた。
「僕も今起きたところだよ、寝過ごしたと思って自己嫌悪中」
僕は振り向きながら答えた。
たぶん僕の赤い目とひどい寝癖で、僕の言葉が気を使った嘘じゃないとセレーナは見抜いただろうと思う。
「そ、じゃ、今日の計画立てましょ」
と言って、セレーナは僕の向かいに座った。
「せっかくだからここでのんびり、ってことでもいいんだけれど」
僕の軽い冗談に、セレーナは小さく笑みを漏らした。
これから支度して出ていくとなると、たぶん十四時くらいになる。それから、ルイス・ルーサーを訪ねるのにどのくらい時間がかかるか、ちょっと読めない。
とは言え、居心地は良くとも、ここは軍施設で、しかも僕らを英雄扱いしてあれやこれやを企画したくてうずうずしている連中だ。一休みするにしても、ここを逃げ出してからにしたいところ。
「とりあえず、ここは出ようか。僕もさすがに疲れちゃったよ、あの歓迎ぶりには」
セレーナも頬杖をついたまま、こくんとうなずいた。
「そうね、そうしましょう」
そうと決めてから、僕らの出発の準備は早かった。
僕は軽くシャワーを浴びて服を替えるくらいだが、セレーナは洗面室とベッドルームを何度も往復して忙しそうだ。女の子の準備には、本当に時間がかかるものだ。
出来上がってみると、僕は赤っぽいチェックのシャツにブラウンのスラックス、セレーナは黒いハイネックセーターに緑のジャケット、下はこげ茶色の膝下丈のスカート、と言う姿。
セレーナの大荷物の半分を僕が抱えて、部屋を出た。
それから、階層を上って、円筒居住モジュールのシャフト部分を無重力に任せて泳ぎ、僕らの船の停泊しているハンガーに向かった。
途中、幾人かの兵士にどちらへ、と訊かれ、お暇することを伝えると、彼らは誰もが同じように悲しそうな顔をしたのが、ちょっと心に刺さった。
船にたどり着き、通信機でラファエーレを呼び出した。彼は指令室で執務中だった。
『これは殿下、良くお休みいただけましたかな』
「はい、中将、大変快適でございました。また、昨晩は素晴らしい晩餐、感謝しております」
『それは何よりでございます』
「それで、私どもは、そろそろ参ります。次の予定もありますので」
セレーナが伝えると、これまで何度も見てきた表情が全く同じようにラファエーレの顔に張り付いた。
『……殿下の御意にございますれば。また、おいでください』
彼は寂しそうにそう言った。
「ええ、また必ず参りますわ」
最後にラファエーレの敬礼と、王家独特の右手を軽く上げて少し頭を下げる返礼を交わし、通信線は切れた。
セレーナはブレインインターフェースでいくつかのコマンドを送ったらしく、会話が終わると同時に、ドルフィン号はベルナデッダ空域艦隊司令部のハンガーから切り離された。船内に、ゴトン、と大きな音が響いた。
名残を惜しむようにゆっくりと基地から離れ、それから、セレーナの、さあ、行きましょう、と言う掛け声に合わせて、視界を覆っていた巨大な基地は見る見るうちに虚空の灰色の染みとなり、点となり、消えていった。
そして振り向くと、ベルナデッダの地表が間近に見えていた。
「行先は分かってるわね」
「はい、セレーナ王女。ベルナデッダ反重力研究所です。セレーナ王女のIDをご利用になれば、敷地内の貴賓用特別駐機場がご利用になれますが、いかがいたしましょうか」
ジーニー・ルカの問いかけに、彼女は、そうでした、と言いながら、僕のIDを操縦者スロットに差し込んだ。
「……ってわけで。私たちは当面、地球からの兄妹の旅行者。一般用の駐機場を探してちょうだい」
「かしこまりました」
そうして、ジーニー・ルカは、反重力研究所の位置する第十四市という味気ない名前の付いた都市の近郊に小さなマジック船専用の着陸場を見つけ、船をそこに導いた。
***




