第三章 ベルナデッダの飛べない巨鳥(2)
エスコート信号を受けたジーニーの案内で到着したのは、巨大な駐屯基地だった。たくさんのモジュールの寄せ集めで、もっとも長い寸法で言えば、縦横高さがそれぞれ十キロメートルをゆうに超えていた。以前に訪問したロックウェル連合国オウミの基地もかくやという威容は、僕らを圧倒した。
たった三惑星からなる小さな王国がこれだけの強大な軍備を持つことは、エミリアがマジック鉱でいかに潤っているか、加えて、それがいかに他国に野心を抱かせるか、を強く物語っていた。
基地の一角に、高級士官と貴族客用と見られる円筒形の居住区があった。ゆっくり回っているところを見ると、前に乗った大型客船と同じように弱い疑似重力が施されているようだった。
一端にある発着ハンガーに、エスコート船、続いてドルフィン号が接岸し、すぐにエアロックがつながれた。
その間に、セレーナは、以前に見たオレンジのラインの入った真っ白のちょっと丈の短いワンピースに金細工のついた真っ白のロングブーツ、ひじ近くまである白い手袋と、金色のネックレスとブレスレット、胸元に淡い黄色の小さな花をあしらったコサージュ、という正装に着替えていた。
僕も以前にラーヴァでもらった正装で身を包む。シルバーグレーのシャツにV字ヴェストとその上に黒いタキシードと同色のズボン、首元にはつやのある漆黒の蝶ネクタイ。白いポケットチーフは見様見真似で作ってみたところセレーナに大笑いされて、まるで最初からやり直されてしまった。
エアロックから居住区に降り立つと、正装の軍人がずらりと並んでセレーナを向かえ、一糸乱れぬ敬礼を見せた。セレーナは上品にうなずいて右手を上げ彼らの敬礼を解いた。
すぐに脇からラファエーレ中将が現れ、僕らを引っ張ってエレベータへ、そして、最下層へ。
最下層には二つの広いホールがあり、その片側が、僕らの歓迎のために使われることになっていた。
入ると、すでにたくさんの兵士たちが詰め掛けていて、セレーナと僕が通る赤いじゅうたんの両側には殺到を防ぐための簡易バリケードまで準備されている始末だった。
僕らがその通路を通るとき、両側からの熱気は大変なものであった。もちろんその一部は僕に向けられたものだったかもしれないけれど、大半はセレーナへの熱狂だ。
ようやく一段高いステージにたどり着き、セレーナはゆっくりと振り向いて、期待に目を輝かせる兵士たちと視線を合わせた。
「みなさん」
一言、それから、会場全体に視線を送る。会場は、しん、と静まり返る。
「今日は、ありがとう。そしていつも私たちのエミリアを守ってくださって、本当にありがとう」
一斉の拍手の音と歓声が響く。
それはすぐにやみ、セレーナからの更なる言葉を待っている。
「先日は、つらい戦いを強いたこと、本当に申し訳なく思っております。思えばこの私の一時の不注意が招いた戦いでありました。私は我が身の起こした不祥事を収めるのに精一杯でございました。そのための時間を下さったのがみなさんです。だから、本当の意味であの戦いを勝利に導いたのは、みなさん自身なのです」
再び、わーっという歓声。
「ロックウェルやその他の国々の脅威が消えたわけではありませんが、今日だけは堅苦しい儀礼をお忘れになって、たくさん楽しんでください」
最後の締めの言葉に、再度の大歓声と拍手が湧き起こり、会場の興奮はなかなかに収まらなかった。
そんな光景を眺めていると、ラファエーレの部下らしき人がそっと僕の脇に近づいてきた。そして小声で、
「ジュンイチ様、ぜひ、お言葉を」
そんなことを言う。
「ええっ?」
冗談じゃない、こんなところでスピーチなんて。教室でのスピーチ実習でさえ真っ赤になってしどろもどろなのに。
僕が躊躇しているのもおかまいなく、彼は僕の背を押して、ついさっきまでセレーナの立っていた壇上の真ん中の位置に突き出す。
何百という目が、一斉に僕を見据える。
あー、だめだ。
言うことがないや。
「あー、こ、こんにちは」
そんな期待の目で見ないで。
「また縁があったみたいで、えー、と、その、これからもよろしく、お願いします」
最後の言葉を口にしたままの形で固まっていると、しばらくしてからようやく、誰かが僕のスピーチが終わったと気がつき、拍手を始めた。
ややあって拍手は会場全体に広がり、一方の僕は顔から火が出るような思いでお辞儀をし、ささっとセレーナの後ろに隠れることになった。
すぐに、飲み物が供された。
ラファエーレの乾杯の言葉に合わせて全員でボトルを掲げ、そして、一斉に喉に流し込んだ。
その瞬間、僕はえらく咳き込むことになった。
「ごほごほっ、ちょ、これ、お酒!」
「ああそういえばジュンイチ様はお飲みにならないのでしたかな」
ラファエーレはニコニコしながら僕に言ってきたので、僕も、ええ、未成年ですので、と返す。
「何言ってんの、こんな席で飲めないだのなんだのって、中将に恥をかかせる気?」
セレーナが割り込んでくる。ああ、めんどくさいことになるぞ。
「こういうときは、嘘でもいいから飲むものよ。それに、ちゃんと味わって御覧なさい。悪いものじゃないわよ」
「いえ、殿下、私の配慮不足でございますれば」
「いいのよ中将、この馬鹿にはきっちり大人の社会ってもんを叩き込んであげなきゃならないの」
臣下の前では気品優先だったはずのセレーナがこの口調、まさかもう酔っ払ってるなんてことは無いだろうな。
ほら、と促すセレーナ。仕方が無いので、もう一度、その薄茶色の液体を口に含む。
苦い。
あと、鼻にツンと来る。
舌の奥がぴりぴりする。
ちょっとだけ奥の方に甘みがある。
喉から食道が熱くなってくる。
刺激が通り過ぎていった鼻の奥に、続けてなんとも言えない風味が襲い掛かってくる。
喉の温かさと鼻をくすぐる香ばしさ。
悪くない。
いやいや、ダメだろ、悪いだろこれ。
でももう一口だけ。
苦さと鼻ツンに涙目になったあと、再び、温かい香り。
思わず、ふーん、と大きなため息をついていた。
「……ね、中将。分かったみたいよ」
「……ですな、殿下」
「な、な、何がですか!」
僕の抗議に、彼らは笑いながら走り去った。追いかけるのも面倒なので見送って、これで最後にしておこうと思ってもう一口だけ琥珀色のお酒を口に含み、香りを楽しんでから飲み込んだ。
演壇を下りたセレーナの向かった先には、あっという間に山のような人だかりができる。
握手してください、とか、お言葉を、とか言う声に混じって、手紙呼んでくれましたか、なんて言葉が聞こえる。読んでないですよー封さえ切ってないですよー。
セレーナの周りは無理と判断したいくらかの人が、僕の方に集まってくる。
ま、ちょっとくらい相手してあげなきゃね。もう一口、茶色いものを喉に流し込んでその刺激を楽しみ、僕も演壇を下りた。
集まってきた人たちは、口々に、いろいろな質問をしてくる。一斉にしゃべるものだからよく分からないけれど、僕が、ちょっと待って、とジェスチャーすると、彼らは少しだけ落ち着いた。
僕ももう一回だけお酒を口にして、気持ちを落ち着かせ、最初にしゃべっていた色白長身の兵士を、ボトルを持った手で軽く指した。
「王女殿下とは、そ、その、どんなご関係で!」
なんだよ、僕自身への興味じゃなくてあくまでセレーナのからみかよ。つまんねー。
「そうですねー、彼女は僕の妹なんです!」
とたんに周りは一斉に爆笑した。僕もなんだかおかしくなって笑った。
「そうしますと、ジュンイチ殿は、我らが王国の王子様ということですか!」
別の誰かが言った。
「いやー違いますよ、セレーナが僕の親父の隠し子なんです!」
これにもまたみんなが笑った。
何がおかしいのか分からなくて、僕も再び笑った。
「ほかに質問は? ああ、どうぞ」
誰かが手を挙げたのをボトルで指し、それからそのままボトルを口に運んだ。この美味しい水、なんだっけ。
「殿下はどのようにして、あの艦隊を無力化したのですか」
なるほど、気になりますね。
「簡単ですよ、『兵を引かないとロックウェルを滅ぼすぞ』と脅しただけでー」
「そ、それはどうやって?」
「もちろん、王女殿下の秘密兵器」
「失礼ながら私どもはそんな兵器など知らないのです、どんなものなのか、教えていただけませんか」
「んふっ、それは、ひ・み・つ、なんですよ。秘密だから秘密兵器って言うんですよ? 王女殿下だけが振るえる王女殿下の魔法なんですー」
とたんに、えー、教えてくださいよー、とか何とか言いながら、またもみくちゃに囲まれる。
ほんとにもう、酔っ払いは嫌だなあ、なんて思いながら、僕はそれをのらくらとあしらう。
飲み物がなくなったので給仕にお代わりをもらい、今度は僕の高校生活の話。僕が本当にごく普通の高校生だと知っても、彼らの興味の種は尽きないらしく、僕は気のいい友達からいけ好かない先生のことまで残らず話してしまった。
続けて、兵士の一人ののろけ話へ。最近きれいな奥さんをもらったそうで。ちょっと大人すぎる話題にはついていけなかったけれど、みんなと一緒に存分にいじめて、楽しんだ。
みんなと笑い合っていると、背後に気配があった。
「ずいぶん出来上がっちゃってるわねえ」
おう、我が妹、セレーナではないか。
彼女の姿を見て、また兵士たちの間で歓声が起こる。
「出来上がってる、って、何が?」
「あなたのことよ」
「そりゃもう、僕はいつだって出来上がってますよ?」
彼女は額に手を当てて床に向けて大きくため息をついた。
「はあ、もう……酔い覚ましよ、踊りましょう」
セレーナは僕の手を取り、小さな擬似重力に逆らってぴょんと高く飛び跳ねた。
よく見れば、頭上にはたくさんの棒やらひもやらが。
どこかで見たな。
そうそう、前に豪華客船に乗ったときのダンスホールだ。
とたんに、ホールにゆったりとした音楽がかかった。
あのときのダンスを思い出す。
セレーナが飛びながら僕を隣の棒に向けて一押し。僕もそれに合わせて棒を押して飛ぶ。くるりと回って戻ってきたセレーナを腰の周りで遊ばせてから、垂直方向に投げる(実際はセレーナが自分で飛ぶんだけど)。
僕を中心にセレーナが縦横無尽に優雅に飛び回る様は、ふざけて男同士で踊ろうとしていた兵士たちの動きを止め、目を釘付けにした。
なんだか、自分のことのように自慢したくなった。セレーナのダンスは、本当に美しい。
そのエスコートが出来ていることもとても誇らしい。
息はあがってきたけれど、いつまでも踊っていたいと思った。
やがて、かかっていた音楽がフェードアウトして次の曲に移りかけたところでセレーナが僕の腕の中に止まり、
「ふう、お酒入ってると疲れるわね、ここまで」
と、飛び降りた。小さな重力の中、回転方向にわずかに弧を描きながら彼女は飛び、静かに演壇に降臨した。
僕は真似をして飛び、回転による弧の効果を計算し損ねて壁際に無様に着地した。
会場は一斉に拍手に包まれた。
僕もセレーナのそばに向かった。
ラファエーレが僕らの近くに寄ってきた。
「これはまた、すばらしい余興になりました。それにしても、殿下の舞踏の美しさはうわさには聞いておりましたが、ジュンイチ様も、さすがは殿下の見初められた殿方ですな」
「いやあ、それほどでもありますけど」
僕はにやにやを隠さずに答えた。とたんに、右すねをセレーナに思い切り蹴っ飛ばされた。思わずバランスを崩して床に倒れこんだ。
「見初めたとか全然そんな関係ではありませんので! あと、あなたもヘラヘラしてないで否定しなさい!」
すねを押さえて唸っている僕の周りでまた笑い声が起きた。その笑い声に参加できていないことがとても悔しくなって、とりあえず寝っ転がったまま笑い声を上げた。
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