第三章 ベルナデッダの飛べない巨鳥(1)
■第三章 ベルナデッダの飛べない巨鳥
「さて、次のジャンプでエミリア王国領域なんだけど」
セレーナがかしこまった口調で言った。
あっという間、ではなく、リュシーから丸一日かけて、いよいよベルナデッダ星系を目の前にした、無人の矮星星系にたどり着いた。つい先日、ロックウェルの大艦隊がひしめき合っていたまさにその星間カノン基地が、もう目の前だ。
「私はいつまであなたの妹でいれば良いのかしら」
ああ、そのことか。
と言って、僕にだってどこまで行けば安全か、なんて分かりやしない。
スパイって商売なら、他国領内に潜んで獲物を待つ、って方がありえそうなものだし。
僕の妹なんて、高貴なる王女様にとっては屈辱的な身分なのかもしれないけれど。
もうしばらくその屈辱に耐える姿を観賞させていただくか。
なんて嗜虐的な考えが浮かばないでもなかったが(我ながら趣味が悪いな)、残念ながら彼女はちっとも屈辱の表情を浮かべないわけで、そういう意味では、これ以上、身分を偽り続ける必要もなさそうに思える。
「いいんじゃない、もう。さすがにエミリア領内で王族相手に狼藉を働くことはないと思うけど」
「じゃ、次のジャンプの後から、操縦者は私ね」
とセレーナは自分のIDを取り出して見せた。
「それで良いと思うよ」
僕が賛成してそう決まり、その間にもジャンプを待つ行列は進んで、間もなく、ドルフィン号の番になった。
いつものように強烈な加速で放り出される。
この瞬間に何光年を飛んだんだろう。
そう言えば僕は、この宇宙航行に必須のカノンってシステムにはまったく興味を持ってこなかった。
もちろんそれを言ったらマジックやジーニーだってそうなんだけれど、なんだかんだでマジックやジーニーの理論はこの旅で必修科目になってしまったし、多分、科学の飛躍って意味で言えば、反重力物理学や幾何ニューロン情報学と同じくらいに、超光速航行は大変な飛躍だったはずだ。
あまりに当たり前になっていて気づかない技術、っていう条件だけなら、究極兵器の候補にカノンが入っていても良かったんだろうと思う。
ただし、この三つの技術の中でカノンだけは、当世では宇宙戦艦に標準搭載のアタック・カノンとして常識的に兵器として使われている。すなわち、歴史のもやに隠された未知の兵器という条件を、その点で満たしていなかったわけだ。
目の前には、もう惑星ベルナデッダの姿が見えている。
多分、着陸まで含めて二時間もあれば到着。
実にあっさりしたものだ。
「はい、どうぞ」
セレーナに何かを手渡されて見ると、それは僕のID。僕のIDもこれでお役御免というわけだ。
惑星が徐々に大きくなってきて、もう視界の半分以上を覆った頃に、小さなアラームが鳴った。
あまり聞き覚えの無いアラームだけれど、その正体はすぐに分かった。
「セレーナ王女、ベルナデッダ空域防衛司令部からです」
通信の着信だった。
セレーナの無言のオーダーで通信は接続され、目の前のパネルに、白髪交じりの髪と短い白ひげのほっそりとした、五十がらみの男の顔が映った。
すぐに名前は思い出せなかったが、そう、あの時、ロックウェル艦隊と戦った、司令官だ。
彼は少し目線を下に移して、画面にセレーナの顔が映ったのを見たのだろう、相好を崩して乗り出した。
「ようこそ王女殿下!」
「お久しぶりですわね、ラファエーレ・パスクウィーニ中将」
ああ、そうそう、ラファエーレ。
「この度はどのような御用で」
彼は前と同じようにはきはきと簡潔に質問を投げる。
「ええ、ちょっと個人的な用で」
一方のセレーナは、ちょっとごまかすような口調に変わる。
と、彼女が秘密のツアー中だと知っている僕だからそう感じるだけだと思うけど。
「そうしましたら、ぜひ、司令部にお越しくださいませんか。先日はほとんどおもてなしらしいおもてなしもできずにお帰ししてしまいましたので」
その言葉に僕の方をちらりと見たセレーナの眼は、明らかに面倒くさそうだ。
「しかしあまりご迷惑をおかけするわけにはまいりませんわ……道連れもいる旅ですし」
「いえ、いえ、お急ぎの御用でなければ、そこを何とかお願いいたします。殿下の船をレーダーにとらえたと索敵手が報告してからこちら、兵士たちが、それはもう浮き足立って全く軍律が乱れておりまして……お恥ずかしい話ではございますが」
そう言えばあの時、セレーナは分厚いラブレターの束を受け取っていたっけ。セレーナが、この艦隊の兵士の間でどれだけ人気か、まあ、言われないでも分かる気がする。
何せ、最終的には一人の犠牲も出さずに、宿敵ロックウェル連合艦隊を一艦残らず武装解除してしまった魔法使いのような王女様なのだ。勝利の女神、あるいは、軍神、そんな意味での人気は大変なものだろう。
もちろん、王国の誇る王女様、加えて傍目には誰もが振り返るほどの美少女。そんな意味でお近づきになりたい人も枚挙にいとまがあるまい。
一度か二度、彼女に思い切りすねを蹴飛ばされたり足の小指を踏んづけられたりすればたいていの人が目を覚ますだろうとは思うけれど。
「……どうしよ」
セレーナは僕の方を見て口をへの字に曲げて見せる。
「ま、行ってあげなよ、ちょっとくらい顔出してあげれば、落ち着くんじゃない」
「んー」
まだセレーナは悩んでいるが、
「殿下、今聞こえました声、もしや、オオサキ・ジュンイチ様もご一緒で」
あ、音声をオンにしたままだぞ、セレーナ。
僕は口だけをそう動かす。
彼女も、しまった、という顔だが、もう遅い。
彼の後ろから、別の、わっ、という歓声が聞こえた。
そう、残念ながらこの僕も、魔法使いの王女様の、その従者として彼らに認識されてしまっているわけで。
「え、ええ、そのようなところですわ」
しぶしぶセレーナが認めると、
「だったらなおさら、今度は味気ない戦勝祝いではなく、歓迎の晩餐を準備いたします、兵士はジュンイチ様にもお目にかかりたがっておりますので、ぜひに」
僕がこんな扱いを受けるなんて、きっと宇宙中でもこのベルナデッダだけだろうな。とてもこそばゆくて隠れてしまいたいほど恥ずかしいけれど、実のところ、悪い気はしなかったりする。
「そこまで言うなら……皆様のご期待にきちんとお応えできないかもしれませんが」
瞑目し、微笑みを浮かべながら、セレーナはついに了承した。
「いえいえ、殿下がお越しになるだけで、この上ない名誉にございます」
「あ、あと、あまり大げさな歓迎会は勘弁してちょうだい。基地のホールで十分です」
セレーナの言葉にラファエーレは首を向こうに向けて誰かと相談しているようで、それからすぐにこちらに向き直った。
「かしこまりました、それでは、軌道上の基地へ、エスコートさせていただきます」
そのあと、ごきげんよう、と挨拶してセレーナは回線を切る。
「……こっちはこっちで面倒があったわ。もうしばらくジュンイチの妹でいることにします」
セレーナが、右手を上に向けて突き出す。僕はすぐにその意味を理解して、
「……うん、その方が、よさそうだ」
言いながら、受け取ったばかりの僕のIDをその手のひらに乗せた。
「そういえば、君、前にたくさん手紙をもらってたよね」
僕の問いかけに、セレーナは眉を下げて無言で脇のボードを開けた。
未開封の手紙があのときのままぎっしりと詰まっていた。
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